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第二章 漂流漂着
27: 過去からの反撃
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迷路の様な地下室の再深部に、岩崎達が探すマスターの姿はなかった。
しかしここで繰り広げられた惨劇の跡はまざまざと残っていた。
職業柄、血臭にも変死体にも慣れている筈の岩崎の顔色が青ざめていた。
そこに転がっている数体の死体の無惨な有様は、死体がこの地下室の主にとって只の玩具にしか過ぎない事を如実に語っていたのだ。
顔の表面をはぎ取られ、マネキン人形の顔を断ち割ったものを、無理矢理縫合された女性の死体。
顔からペニスが無数に突き出した老婆の死体。
それはよく見ると、ペニスを植え込むために五寸釘を剣山の様に頭部に打ち込んであった。
男達の死体の多くは、身体を「裏返し」にされていた。
その他、地下室の通路中に変死体が、折り重なって打ち捨ててあった。
「血臭の中に甘ったるいものが混じっているのが判るかね?これはゴネマレーンと言う一種の麻薬だ。配合によって痛覚をコントロール出来る。時間も、強度もだ。犯罪者達がよく使う。戦いの最中には全く痛みを遮断してしまうとまずいこともあるし、逆に痛みを通常のまま放置しておくと戦闘能力がさがる、それを調合して、戦いの最適解を出す、そういう使い方をするんだ。アルビーノ・ブキャナン博士の第一人格なら、自分の持っている医療ルートで、その手の薬品は簡単に手に入れられた筈だし、調合もお手の物だろうが、博士はあえてそれをしなかった。それは我々の捜査を攪乱する方法だった。実際には彼の第四人格と呼ばれている男が、わざわざゴネマレーンを暴力団から手に入れていた。そして調合もせずに使っている。この部屋はそのゴネマレーンの臭いで充満している。」
岩崎は片手を立てて死体を拝んだ後、そう言った。
ゴネマーネンの使い道は言わなくても判るだろう、と岩崎の顔は暗示していた。
「ありがちな、女性ばかりを狙ったと言うわけではないのね。それに小さな子どもから老婆まで、年齢も性別も様々だわ。共通しているのは、人間の身体を玩具にしている事。」
忍ハートランドが周囲を注意深く見ながら言った。
岩崎は真言を不思議そうに見た。
声は震えているが、冷静にこの場を判断している。
並の女性なら卒倒していても不思議ではない状況だった。
「早くここを出ましょう!見て判りませんか?ここは時間を止めてあるんだ。いつ動き出すか判らない。彼らはまだ死んじゃいない。拷問の最中なんだ。こんなモノが動き出したら堪らない!」
イマヌェルの言う通りだった。
幾つかの死体は、あるモノは壁に鉄の鎖で、ある者はマットを外したベッドにベルトで、という風に拘束され次の拷問を待っているかの様に見えた。
血は時間によってせき止められていた。
「彼がここにやってくるなら待つ値打ちはある。」
岩崎がそう言ってのけた時、彼の背後で何かが勢い良く立ち上がった。
「貴方!助けて!痛い!痛いのよ!」
岩崎が振り向いた時、顔中にペニスを生やした老婆が立ち上がっていた。
老婆は襲ってくる痛みを和らげようと狂った様に動くのだが、彼女の肩から下は全身革製の拘束具で締め上がられており、その様子は飛び跳ねている芋虫の様にしか見えなかった。
そして老婆が激しく顔を左右に振るため、その顔に植え込まれたペニスが振り払われて行く。
結果的に老婆の顔の全体が見て取れる様になる。
その姿を見て今まで冷静だった岩崎が、異常な反応を示した。
「アスターシャ!お前なのか!」
岩崎の顔色が紙よりも白くなり、次ぎに怒りの余りどす黒くなった。
岩崎は(自分の女房)に向かって拳銃を、弾丸が続く限り発射した。
老婆の狂ったような動きが止まったのは、彼女の首が被弾によって無くなってしまってからだった。
「許さん!妻を冒涜しおって!たとえお前が、ガタナ殺しに関係がなくとも、私はお前を許さんぞ!」
岩崎警部の咆哮が地下室の中に響きわたった。
「これはご挨拶だな。ひょっとすると今のイメージは私のものではなく、岩崎警部。君のものではないのかね?プラグ装着者なら、ここではどんなイメージも実体化出来るのだよ。意識下のものを含んでね。」
マネキンの仮面を填められた女の死体が、拷問用の椅子から男の声で言った。
「アルビーノ・ブキャナン!貴様か!貴様が喋っているのか!」
「君の奥方は、十五年前マフィアから暴行を受けている。君が彼らへの捜査を止めなかったからだ。何度も彼らから警告の脅しを受けていたのにな。可哀想なものだ。、、今のは君のイメージでは無かったのかね。私はあんな実験はしていないよ。」
岩崎は、マネキンの仮面の女の元にどんどん近づいていった。
そしてマネキンの仮面の縁にその手の爪をかけ、思い切り仮面を引き剥がした。
そこから現れたのは再び岩崎警部の妻・アスターシャの顔だった。
「くっ!!」
・・・・・・・・・
「君は、幼い頃、実の父親から性的な虐待を受けた。違うかね?君は長い間、母親との板挟みになりながら、その事について悩んできた。ある時など、もしかすると自分と父親とは血縁関係が無いのではないかと逃げ道を考え、DNA鑑定までした事がある。もっと最悪な事は、君の父親が警官であった事だな。」
「どうしてそれを、、。」
マーシュ刑事は力無く言った。
目はうつろにさまよっている。
「君の顔にそう書いてある。いやそれは陳腐な表現だな。人間の言葉や態度、表情は、何よりも雄弁だ。そしてこの状況。私には経験と学習から得た蓄積がある。それぐらいの事は手に取る様に判る。先ほど私は、君は自分の父親を尊敬しているかと尋ねた。今度は角度を変えよう。君は自分の父親を愛しているか?」
・・・騙されるな、マーシュ、ブキャナンはやはりビッグマザーから情報を引き出せるんだ。
確かにこの怪物は、人の心を鷲掴みにするが、読心術の様な魔法を使っている訳ではない。
第一、この男の本体は電極椅子に縛り付けられたまま、ゆっくりと蠢くことしか出来ないではないか。
こいつは、あの事件を起こした時の殺人鬼ではない。
ただの、ビッグマザーに接続された木偶の坊に過ぎないのだ。
、、と言うことは、こいつが電脳世界でのガタナ殺しである可能性がますます高くなったという事だ。
もう一息だ。
有益な情報を持ち帰れば、どれだけ岩崎警部が喜ぶ事だろうか。
「君は又、君の上司の事を考えているな?どうして私が、君の父親の事を質問したら、君は反射的に上司の事を考えるんだ?」
ブキャナンの言葉は、一撃でマーシュ刑事の内面の葛藤と判断力を無力化した。
この男からは、いや自分の過去からは逃れられないと、マーシュ刑事が観念した時、目の前のブキャナンの映像が、一瞬揺らいだ。
「停電だよ。心配する事はない。私の(装置)はこんな時の為に、自家発電のものと切り替わるんだ。さあ君は、まだ私の質問に答えていないぞ。」
マーシュ刑事は息苦しさにネクタイの結び目をゆるめた。
気のせいか体温も上昇しているようだった。
マーシュ刑事の額に汗が浮かぶ。
「私はその、、貴方の仰る通り、私の上司に対して父親の幻影を求めているのかも知れません。」
マーシュ刑事は、そう答えながら、ちらりとブキャナンの本体を見た。
相変わらず拘束状態にあるブキャナンの身体は、ゆっくりした揺れを続けているだけだ。
「君は幻影の父親に忠誠を尽くして、その見返りとして、一体何を手に入れるんだ?過去に君の父親が、君にした様な事か。君は心の奥底でそれを求めているのではないか?」
ブキャナンの表情は真顔だ。
「済みません。煙草を一本だけ吸わせてもらえませんか?」
マーシュ刑事は喘ぎながら言った。
「いいだろう。弱い人間は緊張を解くために、古い悪習にすがるものだ。しかしここには灰皿はない。吸い殻は自分で始末したまえ。」
ブキャナンは自信たっぷりに言った。
目の前の哀れな子どもは、どう足掻いても自分からは逃れられないのだという風に。
マーシュ刑事は、座席から立ち上がってブキャナン博士本体が繋がれている場所に行った。
不思議な事にその席近くには、モニターカメラの監視の気配がなかった。
普通、この様に極端な電子器具と直結された肉体には、観察専用のモニターカメラが設置されて当然だと言うのに。
マーシュ刑事は一気に煙草のニコチンを己の肺の中にため込むと、その火口を目の前にあったブキャナン博士の手の甲に擦り付けた。
ブキャナン博士の手は何も反応をおこさなかった。
「博士。今日の会見は、これで終わりにしましょう。」
「何故だ?何をたくらんでおるのかね?君には余分な時間は無いはずだが?」
ブキャナンの声の中には訝しさと、尊大さが入り交じっていた。
「それはそうですが、もう私には貴方の質問に答える気力がありません。出直してきます。」
マーシュ刑事はそう申し述べると、間を置かずに接見の為のメインスイッチを切った。
ディスプレィがブラックアウトする寸前、その中のブキャナンが何かを言った様な気がしたが、マーシュ刑事は瞼をきつく閉じて、それを自分の中から追い出した。
こうしてマーシュ刑事の捜査は、たった一つの収穫を得て、その幕を閉じた。
「どうでしたかな?マーシュ刑事。何か収穫はおありでしたかな。」
会見の終了を告げに来たマーシュ刑事に対してガルモンド所長が、異慇懃無礼の見本の様な口振りで言った。
その表情は、マーシュ刑事に、これと言った異常がない事を訝っているような節も見受けられた。
まるで『お前の心は、ブキャナンに喰われなかったのか?』そう言っているようだった。
「いいや、皆目ですよ。その替わりに個人的なカウンセリングを博士から受けた。取り調べを受ける犯罪者の気持ちが判った様な気がしましたよ。所で、途中で停電が起こったようだが、博士は大丈夫なのですか?」
そのマーシュ刑事の口振りは、岩崎警部のものによく似ていた。
そこには先ほどのブキャナンとの会話で見せた心細さが何処にもなかった。
「停電?、、、彼の身体は、健康そのものですな。それはいつもの事だ。まあ確かに食事や排泄は我々と同じようにはいかないが。全てはコンピュータが制御している。停電ごときでトラブルが起こるなら、我々の世界は既に崩壊している。」
ガルモンド所長は自慢げに胸を反らせた。
マーシュ刑事の目が一瞬輝いた。
彼は、ガルモンドの口振りから、この男は所内の停電と(ブキャナン人格)とを、結びつけて考える事を習慣づけていないのを理解したのだ。
ガルモンドがそう反応した理由は簡単だ。
『ダミー』には、その必要がないからだ。
ガルモンドが常に気に掛けているのは(ブキャナン人格)の方なのだ。
「健康そのものね。それなら結構。」
マーシュ刑事はそれには取り合わず、ドアの方に身体を一旦向けたが、思い直したように振り返って言った。
「所でガルモンドさん。私の二回目の訪問までには、少々時間がかかりそうだ。いろいろと調べたい事があるんでね。お見受けしたところ、貴方は美食家のようだ。せいぜい今の内に、旨いものを喰っておくことです。健康に注意しながらね。近い将来、貴方が赴くことになるだろう場所では質素な食事しか提供されないだろうから。」
ガルモンドは怪訝な顔をしながら、所長室を出ていくマーシュ刑事を見送った。
マーシュ刑事は、建物を出るなり自分の爪先の肉片を、ポケットに閉まったビニール袋に慎重に掻き出した。
その肉片は、ブキャナン博士の掌から掻き取った薄い皮膚の一片だった。
もしかしたら、あの『ダミー』は、まさに替え玉、その肉体さえもブキャナンではないのかも知れない。
「停電もたまには役立つことがある。それに運は俺達を見放していない。待ってて下さいよ。警部。」
マーシュはビニール袋を大事そうに胸ポケットに納めると、小走りに自分の車に向かった。
しかしここで繰り広げられた惨劇の跡はまざまざと残っていた。
職業柄、血臭にも変死体にも慣れている筈の岩崎の顔色が青ざめていた。
そこに転がっている数体の死体の無惨な有様は、死体がこの地下室の主にとって只の玩具にしか過ぎない事を如実に語っていたのだ。
顔の表面をはぎ取られ、マネキン人形の顔を断ち割ったものを、無理矢理縫合された女性の死体。
顔からペニスが無数に突き出した老婆の死体。
それはよく見ると、ペニスを植え込むために五寸釘を剣山の様に頭部に打ち込んであった。
男達の死体の多くは、身体を「裏返し」にされていた。
その他、地下室の通路中に変死体が、折り重なって打ち捨ててあった。
「血臭の中に甘ったるいものが混じっているのが判るかね?これはゴネマレーンと言う一種の麻薬だ。配合によって痛覚をコントロール出来る。時間も、強度もだ。犯罪者達がよく使う。戦いの最中には全く痛みを遮断してしまうとまずいこともあるし、逆に痛みを通常のまま放置しておくと戦闘能力がさがる、それを調合して、戦いの最適解を出す、そういう使い方をするんだ。アルビーノ・ブキャナン博士の第一人格なら、自分の持っている医療ルートで、その手の薬品は簡単に手に入れられた筈だし、調合もお手の物だろうが、博士はあえてそれをしなかった。それは我々の捜査を攪乱する方法だった。実際には彼の第四人格と呼ばれている男が、わざわざゴネマレーンを暴力団から手に入れていた。そして調合もせずに使っている。この部屋はそのゴネマレーンの臭いで充満している。」
岩崎は片手を立てて死体を拝んだ後、そう言った。
ゴネマーネンの使い道は言わなくても判るだろう、と岩崎の顔は暗示していた。
「ありがちな、女性ばかりを狙ったと言うわけではないのね。それに小さな子どもから老婆まで、年齢も性別も様々だわ。共通しているのは、人間の身体を玩具にしている事。」
忍ハートランドが周囲を注意深く見ながら言った。
岩崎は真言を不思議そうに見た。
声は震えているが、冷静にこの場を判断している。
並の女性なら卒倒していても不思議ではない状況だった。
「早くここを出ましょう!見て判りませんか?ここは時間を止めてあるんだ。いつ動き出すか判らない。彼らはまだ死んじゃいない。拷問の最中なんだ。こんなモノが動き出したら堪らない!」
イマヌェルの言う通りだった。
幾つかの死体は、あるモノは壁に鉄の鎖で、ある者はマットを外したベッドにベルトで、という風に拘束され次の拷問を待っているかの様に見えた。
血は時間によってせき止められていた。
「彼がここにやってくるなら待つ値打ちはある。」
岩崎がそう言ってのけた時、彼の背後で何かが勢い良く立ち上がった。
「貴方!助けて!痛い!痛いのよ!」
岩崎が振り向いた時、顔中にペニスを生やした老婆が立ち上がっていた。
老婆は襲ってくる痛みを和らげようと狂った様に動くのだが、彼女の肩から下は全身革製の拘束具で締め上がられており、その様子は飛び跳ねている芋虫の様にしか見えなかった。
そして老婆が激しく顔を左右に振るため、その顔に植え込まれたペニスが振り払われて行く。
結果的に老婆の顔の全体が見て取れる様になる。
その姿を見て今まで冷静だった岩崎が、異常な反応を示した。
「アスターシャ!お前なのか!」
岩崎の顔色が紙よりも白くなり、次ぎに怒りの余りどす黒くなった。
岩崎は(自分の女房)に向かって拳銃を、弾丸が続く限り発射した。
老婆の狂ったような動きが止まったのは、彼女の首が被弾によって無くなってしまってからだった。
「許さん!妻を冒涜しおって!たとえお前が、ガタナ殺しに関係がなくとも、私はお前を許さんぞ!」
岩崎警部の咆哮が地下室の中に響きわたった。
「これはご挨拶だな。ひょっとすると今のイメージは私のものではなく、岩崎警部。君のものではないのかね?プラグ装着者なら、ここではどんなイメージも実体化出来るのだよ。意識下のものを含んでね。」
マネキンの仮面を填められた女の死体が、拷問用の椅子から男の声で言った。
「アルビーノ・ブキャナン!貴様か!貴様が喋っているのか!」
「君の奥方は、十五年前マフィアから暴行を受けている。君が彼らへの捜査を止めなかったからだ。何度も彼らから警告の脅しを受けていたのにな。可哀想なものだ。、、今のは君のイメージでは無かったのかね。私はあんな実験はしていないよ。」
岩崎は、マネキンの仮面の女の元にどんどん近づいていった。
そしてマネキンの仮面の縁にその手の爪をかけ、思い切り仮面を引き剥がした。
そこから現れたのは再び岩崎警部の妻・アスターシャの顔だった。
「くっ!!」
・・・・・・・・・
「君は、幼い頃、実の父親から性的な虐待を受けた。違うかね?君は長い間、母親との板挟みになりながら、その事について悩んできた。ある時など、もしかすると自分と父親とは血縁関係が無いのではないかと逃げ道を考え、DNA鑑定までした事がある。もっと最悪な事は、君の父親が警官であった事だな。」
「どうしてそれを、、。」
マーシュ刑事は力無く言った。
目はうつろにさまよっている。
「君の顔にそう書いてある。いやそれは陳腐な表現だな。人間の言葉や態度、表情は、何よりも雄弁だ。そしてこの状況。私には経験と学習から得た蓄積がある。それぐらいの事は手に取る様に判る。先ほど私は、君は自分の父親を尊敬しているかと尋ねた。今度は角度を変えよう。君は自分の父親を愛しているか?」
・・・騙されるな、マーシュ、ブキャナンはやはりビッグマザーから情報を引き出せるんだ。
確かにこの怪物は、人の心を鷲掴みにするが、読心術の様な魔法を使っている訳ではない。
第一、この男の本体は電極椅子に縛り付けられたまま、ゆっくりと蠢くことしか出来ないではないか。
こいつは、あの事件を起こした時の殺人鬼ではない。
ただの、ビッグマザーに接続された木偶の坊に過ぎないのだ。
、、と言うことは、こいつが電脳世界でのガタナ殺しである可能性がますます高くなったという事だ。
もう一息だ。
有益な情報を持ち帰れば、どれだけ岩崎警部が喜ぶ事だろうか。
「君は又、君の上司の事を考えているな?どうして私が、君の父親の事を質問したら、君は反射的に上司の事を考えるんだ?」
ブキャナンの言葉は、一撃でマーシュ刑事の内面の葛藤と判断力を無力化した。
この男からは、いや自分の過去からは逃れられないと、マーシュ刑事が観念した時、目の前のブキャナンの映像が、一瞬揺らいだ。
「停電だよ。心配する事はない。私の(装置)はこんな時の為に、自家発電のものと切り替わるんだ。さあ君は、まだ私の質問に答えていないぞ。」
マーシュ刑事は息苦しさにネクタイの結び目をゆるめた。
気のせいか体温も上昇しているようだった。
マーシュ刑事の額に汗が浮かぶ。
「私はその、、貴方の仰る通り、私の上司に対して父親の幻影を求めているのかも知れません。」
マーシュ刑事は、そう答えながら、ちらりとブキャナンの本体を見た。
相変わらず拘束状態にあるブキャナンの身体は、ゆっくりした揺れを続けているだけだ。
「君は幻影の父親に忠誠を尽くして、その見返りとして、一体何を手に入れるんだ?過去に君の父親が、君にした様な事か。君は心の奥底でそれを求めているのではないか?」
ブキャナンの表情は真顔だ。
「済みません。煙草を一本だけ吸わせてもらえませんか?」
マーシュ刑事は喘ぎながら言った。
「いいだろう。弱い人間は緊張を解くために、古い悪習にすがるものだ。しかしここには灰皿はない。吸い殻は自分で始末したまえ。」
ブキャナンは自信たっぷりに言った。
目の前の哀れな子どもは、どう足掻いても自分からは逃れられないのだという風に。
マーシュ刑事は、座席から立ち上がってブキャナン博士本体が繋がれている場所に行った。
不思議な事にその席近くには、モニターカメラの監視の気配がなかった。
普通、この様に極端な電子器具と直結された肉体には、観察専用のモニターカメラが設置されて当然だと言うのに。
マーシュ刑事は一気に煙草のニコチンを己の肺の中にため込むと、その火口を目の前にあったブキャナン博士の手の甲に擦り付けた。
ブキャナン博士の手は何も反応をおこさなかった。
「博士。今日の会見は、これで終わりにしましょう。」
「何故だ?何をたくらんでおるのかね?君には余分な時間は無いはずだが?」
ブキャナンの声の中には訝しさと、尊大さが入り交じっていた。
「それはそうですが、もう私には貴方の質問に答える気力がありません。出直してきます。」
マーシュ刑事はそう申し述べると、間を置かずに接見の為のメインスイッチを切った。
ディスプレィがブラックアウトする寸前、その中のブキャナンが何かを言った様な気がしたが、マーシュ刑事は瞼をきつく閉じて、それを自分の中から追い出した。
こうしてマーシュ刑事の捜査は、たった一つの収穫を得て、その幕を閉じた。
「どうでしたかな?マーシュ刑事。何か収穫はおありでしたかな。」
会見の終了を告げに来たマーシュ刑事に対してガルモンド所長が、異慇懃無礼の見本の様な口振りで言った。
その表情は、マーシュ刑事に、これと言った異常がない事を訝っているような節も見受けられた。
まるで『お前の心は、ブキャナンに喰われなかったのか?』そう言っているようだった。
「いいや、皆目ですよ。その替わりに個人的なカウンセリングを博士から受けた。取り調べを受ける犯罪者の気持ちが判った様な気がしましたよ。所で、途中で停電が起こったようだが、博士は大丈夫なのですか?」
そのマーシュ刑事の口振りは、岩崎警部のものによく似ていた。
そこには先ほどのブキャナンとの会話で見せた心細さが何処にもなかった。
「停電?、、、彼の身体は、健康そのものですな。それはいつもの事だ。まあ確かに食事や排泄は我々と同じようにはいかないが。全てはコンピュータが制御している。停電ごときでトラブルが起こるなら、我々の世界は既に崩壊している。」
ガルモンド所長は自慢げに胸を反らせた。
マーシュ刑事の目が一瞬輝いた。
彼は、ガルモンドの口振りから、この男は所内の停電と(ブキャナン人格)とを、結びつけて考える事を習慣づけていないのを理解したのだ。
ガルモンドがそう反応した理由は簡単だ。
『ダミー』には、その必要がないからだ。
ガルモンドが常に気に掛けているのは(ブキャナン人格)の方なのだ。
「健康そのものね。それなら結構。」
マーシュ刑事はそれには取り合わず、ドアの方に身体を一旦向けたが、思い直したように振り返って言った。
「所でガルモンドさん。私の二回目の訪問までには、少々時間がかかりそうだ。いろいろと調べたい事があるんでね。お見受けしたところ、貴方は美食家のようだ。せいぜい今の内に、旨いものを喰っておくことです。健康に注意しながらね。近い将来、貴方が赴くことになるだろう場所では質素な食事しか提供されないだろうから。」
ガルモンドは怪訝な顔をしながら、所長室を出ていくマーシュ刑事を見送った。
マーシュ刑事は、建物を出るなり自分の爪先の肉片を、ポケットに閉まったビニール袋に慎重に掻き出した。
その肉片は、ブキャナン博士の掌から掻き取った薄い皮膚の一片だった。
もしかしたら、あの『ダミー』は、まさに替え玉、その肉体さえもブキャナンではないのかも知れない。
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はたして、俺はこのゲームで大車輪ができるのか!? (大切)
1話約1000文字です
01章――バトル無し・下準備回
02章――冒険の始まり・死に続ける
03章――『超越者』・騎士の国へ
04章――森の守護獣・イベント参加
05章――ダンジョン・未知との遭遇
06章──仙人の街・帝国の進撃
07章──強さを求めて・錬金の王
08章──魔族の侵略・魔王との邂逅
09章──匠天の証明・眠る機械龍
10章──東の果てへ・物ノ怪の巫女
11章──アンヤク・封じられし人形
12章──獣人の都・蔓延る闘争
13章──当千の試練・機械仕掛けの不死者
14章──天の集い・北の果て
15章──刀の王様・眠れる妖精
16章──腕輪祭り・悪鬼騒動
17章──幽源の世界・侵略者の侵蝕
18章──タコヤキ作り・幽魔と霊王
19章──剋服の試練・ギルド問題
20章──五州騒動・迷宮イベント
21章──VS戦乙女・就職活動
22章──休日開放・家族冒険
23章──千■万■・■■の主(予定)
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