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第四章 ハートランドのゲーム
52: メロディ・ビートのベルト
しおりを挟む「畜生、あのフェアリーが俺の右腕を食い千切りやがったんだ。俺が何をしたってんだ。ただ毎日、砂漠の上を重い背嚢背負って行軍してただけじゃねえか。」
酔いつぶれた老人のうわ言だった。
「フェアリーねぇ。ありゃ、どう見ても黒い悪魔だろう、、。」
グラスを拭きながら、バーテンダーが呟いた。
カウンターの上には老人に残された腕がだらしなく伸び、その指先にウィスキーの残ったグラスが辛うじてひっかかっている。
手はカウンターから、はみ出ているから、グラスはもうすぐ床に落ちるだろう。
だがそれが、何時何分に起こるのかは判らない。
その様子を看ていた流騎冥は、『丁度いい、あのグラスでコイツを試して見るか』と思った。
追い込まれた状況の中で、素早く的確に反応する、出来る、そうでなければ兵器も兵士も使えない、つまり死ぬ。
そんな思いに呼応するかの様に、流騎冥の腹に巻いてあるベルトのバックル部分が、微かに振動した。
これを直してくれたメロディ・ビートは、ベルトには『僕らの考えるような可動部分は一切ない』と言っていたが、ブルブルと震える感覚が、今、確かにある。
メロディの言うように、バックルの中で何も稼働していないなら、自分が感じている感覚は、俺の錯覚、コネクタが作り出した疑似感覚という事になるのだが、このベルトに関しては、そんな不可思議な事も充分起こり得るのではないかと思った。
何しろこれは、「重力」を制御する装置なのだから。
流騎冥は、自分の意識をグラスに集中した。
その集中に、ベルトが連動している。
落ちる物を、真っ直ぐ上に引っ張り上げるのは、今まで何とか成功させているし、練習も重ねてきたから、そのコツも判り始めて来ている。
問題は真上ではなく、斜め方向に、コップを持ち上げられるかという事だった。
そうしないとグラスはカウンターの上に戻せない。
それも素早くだ。
もしバーテンダーが、グラスが空中をフラフラ浮かんでいるのを見つけたら、厄介な事になる。
もちろんそれが俺の仕業だとは気づく筈はないが、爺さんの側にいる俺に、あれこれ言ってくるのは確かだった。
嘘をついたり、誤魔化したりするのは、たとえそれが些細な事でも疲れる。
クラスが老人の指先から離れる瞬間がやって来た。
グラスに、かかった重力を断ち切る。
そしてその重力を反転させながら元に戻す時に、逆斜め方向にバイアスをかける。
グラスが、カウンターの縁の上、1センチの所に戻った時に制御を切る。
グラスは、ごく小さなカタンいう音を立てて、無事にカウンターの上に戻った。
何故、そんな事が出来るのか、仕組みは判らない。
『この世界の物理法則の中だけじゃ、重力の制御は出来ないよ。特異点時空ゲートが作動する事を考えてごらんよ。』、確かメロディはそんな事を言っていた。
流騎冥なりに理屈を考えて見たが、考えれば考える程、こんな事が出来る筈がないのに、それが出来てしまうのだから、流騎冥はもう考えるのを止めていた。
考えるのが苦手というより、堂々巡りする事が嫌いなのだ。
『ふぅ、それにしてもこの重力制御ベルトとやらを制御するのに、マジで毎回、こんな感覚になるのか?全身が泡立つこの感覚、どうにも好きになれない、俺、弾けちまいそう、』と流騎冥は思った。
次に流騎冥は、『これを騎冥のメダルに接続して、暫く同期を繰り返す必要があるんだよ。ああそれと、ベルトはいつも腰に巻いていないと、意味ないからね』とメロディが自分との距離感ゼロで言っていたのを思い出す。
メダルとは兵士と兵器とを繋ぐコネクタの様なものだ。
繋ぐ事が可能な兵器は、多岐にわたる、流騎冥の獲物であるライフルから、超大型陸上戦艦まで。
メダルは階級によって色が別れている。
流騎冥のメダルはブロンズだ。
筋肉の浮き出た上半身裸の流騎冥の背後に回り込んで、彼の首筋にケーブルを接続する少年。
ちっ、ベタベタと、お前は俺のスプーンかよ、、少年は、邪魔くさい相手だった。
それでも流騎冥には、可愛い弟分だった。
流騎冥が、酒場にいてさえ、この苦行にも似た奇妙な行為を続けているのは、メロディの喜ぶ顔を見たいからだった。
何時もの、『趣味の散歩』で出かけたコロニーの外で、猛烈な磁気嵐&本物嵐に出くわし、死にかけていた流騎冥を助けてくれた人物が、引きこもりで対人恐怖症の天才オタク少年、メロディ・ビートだった。
ただ、メロディの事を、単純なひきこもりと呼ぶのは、酷かも知れない。
あとで聞いた話だが、この少年には、家族を含め人間とのふれあいが殆どなかったらしい。
物心ついた時から、ずっと、彼のいたインテリジェンス・シェルターが、彼の面倒を見ていたのだ。
人間恐怖症になるのは、当たり前かもしれなかった。
この少年が、砂漠にある自分の巣穴から必死の思いで這い出してきて、意識を失っていた流騎冥を引き摺つて彼の巣穴へと回収してくれたのだ。
そしてメロディによる、数日の献身的な介護によって、流騎冥は蘇る事が出来た。
そんなメロディが心底の笑顔を見せるのは、特異点テクノロジーが、時々この世界に吐き散らす、奇妙でポンコツな発明品を実用品に仕立て直した時だった。
ゆえに流騎冥は、メロディが修理したこのベルトを、実用品として調整し、使いこなして見せる為に、こうやって努力を重ねているのだ。
流騎冥が、革のジャケットの下で隠すように腰に巻いているこの魔法のポンコツベルトの出処は、「闇の武器庫兵站長」と呼ばれるジェシー・ルー・リノ将軍との取引で手に入れたものだった。
ベルトの出所は、軍の特異点テクノロジー専用機密倉庫だという事は判っているが、このベルトをリノ将軍が倉庫から持ち出したのは、それがまともに機能しないガラクタだからだ。
人造神グレーテルキューブが、人間への関わりを停止した日から、特異点テクノロジーが、人知れず産み落としていく発明品の殆どは、用途不明で、それがまともに起動し機能する確率も極めて低くかった。
人造神グレーテルキューブとは、地球とは違う知性進化を遂げた異星の知性体に取り込まれてしまった、一人の地球人の成れの果ての姿だ。
そして特異点テクノロジーは、様々な知性体が協力して作り上げたユニバースであるのだが、地球人が想像も出来ない理由で破棄されいて、半分はまもとに機能しない。
ただし、特異点テクノロジーの落とし物のまともな物に出くわした時は、それ一つで、この世界の各分野における科学的進歩を50年は早めると言われていた。
本当は、もっと凄いモノがあるのだろうが、そういったモノは、元から人間には理解が及ばないらしい。
リノ将軍は、流騎冥が自分の提示する低額の料金で依頼を受けるのは、オマケにつけたこれらのガラクタを手に入れ、それを目利きの利かない街の故買屋に高値で売り飛ばす為だろうと考えていたようだ。
だが流騎冥の目的は、そんなガラクタを、コロニー外の竪穴式地下シェルターに引き籠るメロディにプレゼントしてやる事にあった。
メロディは、この惑星を母星から遠隔テラフォーミングした人造神グレーテルキューブのレプリカを所持していて、それを駆使することで、こういった特異点テクノロジーの不完全な遺産を修復する事が出来、そしてその事自体に喜びを見いだしていたのだ。
それは、子供がプラモデルの組み立てに夢中になるようなものだった。
グゥと流騎冥の腹が鳴った。
空腹の合図だ。
俺の腹は、つい30分前に平らげた人工肉のステーキと、ビールで満腹の筈なのだが?まさか、さっきのグラスの持ち上げで?
コネクタ経由でケーブルから逆流して来る重力制御ベルトの感覚が奇妙すぎるのだ。
こんな事を続けていたら俺の身体はどうなっちまうんだ?と流騎冥はカウンター席で一人、冷や汗をかいた。
いくらメロディの為とはいえ、それで自分が倒れてしまっては、そのメロディにも会えなくなる、、。
その情けない様子は、砂漠の岩を削りだして作ったような風貌を持つ、赤毛の入り混じった怒髪天の金髪男には、余り似合わない風情だった。
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