気高き翼に手を伸ばす

幽月 篠

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盟約か決裂か

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とうに荷から下ろした筈の同胞の命は何と重きことか


 次の朝、目覚めると月夜の腕の中にいた。何だかんだ寝ついた後も放っては置けずにそのまま寝たのであった。月夜を起こすまいとしたが、すぐさま月夜も目覚め、私の朝の支度を手伝ってくれる。
 どうせ人間どもは我等と起きる時間も違うだろう。外には同胞の目もあるので、我は月夜の部屋で食事を取ることにした。やはり月夜と食べる食事は美味しい。箸を進めながら、ある提案を持ち出すことにした。

「月夜、来客の人間どもはお前と同い年くらいの者と、五つ離れておるものだ。お前の素性を知ってるとは考えにくい。どうだ、若い方と話をしてみないか」
「これと言って話をしたいとは思いませぬが、どうしてですか」

 明らかな拒絶という訳ではないが少しだけ嫌な顔をする。それはそうだろうな。あんなことを持ち掛けたのだから。風琴は苦笑した。

「昨夜、若い方が我に怯えて食事も喉を通らぬといった調子でな。長が言うには、里に来た時からずっと身も心も休む様子もないんだと。そこでは人間であるお前が話し相手になってはと思ってな」

 泰重を少々あわれに思う気持ちは本当だが、長年同世代と話をしてこなかった月夜にとって、天狗になった際に同胞と話す良い練習になるのではというのが本命だ。

「確かに10年前であれば童なので、私が過去のことを話さなければ素性が露見する心配はございませんね。もしその方が望まれるのであれば、話し相手になりましょう。ただし、念のために面は被っておきます」

 月夜は渋々といった様子で首を縦に振った。念のために護衛として東雲をつけておくので問題ないだろう。安心しつつも、月夜が人間界に帰りたくならないか少しだけ不安になった。


 人間達と再び話をしたのは巳の刻。改めて確認すると、泰重は疲れきっている様子であった。相手からすれば、いつ首を取られてもおかしくない状況だと判断しているのか。一方、紅月は相変わらず感情の読めない微笑を浮かべていた。

「昨夜、里の長と疑問点や貴様等に手を貸した場合のこちらの得があるかなど話し合った。此方は憶測でしか手を貸した場合の得が思いつかぬが、どのような得があるか話してもらおうか」
「えっと……ですね。まずは、天狗と人の不可侵の契り。それと、貴殿方の要求を叶えられる分なら二つまで叶えるということを想定しております」

 不可侵の契りはまあ良いとは思う。昔から『外道』として我等を調伏しようとした人間は3桁は下らない。まあそのような者も日之本を探せばいなくもないが、天狗によっては国津神の僕の者や山の主、そして我等のような空から落ちた火球、つまり星の末裔などの方が多いのに人間如きに勝手に外道として扱われてきたのは甚だ怒りしかなかった。

「不可侵の契りと申したが、貴様等にそれを周囲の人間どもに命ずるだけの力はあるのか」
「私の父は人の世を実質治めている徳川に仕えております。故に陰陽師の中ではそれだけのことを命ずる権利はございますかと」

 偽りを申している様子はない。ならばこれはそこそこ良い条件だ。まあ我等の命を課すのには足りぬが。

「そこそこの利はあるようだな。……一旦、それは置いておくとして仮に手を貸したとして、我等は何をすれば良いのか。上空からの索敵や空を舞う敵と戦えということか」
「御名答です。流石は風琴殿。そこは某がご説明しましょう」

 紅月は一礼すると風琴の前に出てくる。本当にこいつは嫌だな。風琴は紅月を軽く睨んだ。

 紅月は涼やかに笑うと紙と筆を使って説明し始めた。

「邪気は広範囲に及び、外法師達の呼び出した魑魅魍魎に比べ、我等は浜辺に撒いた一握りの砂粒程度でございます。此方には天将達はおれど、全員が戦いに向くという訳でもなし。何より相手方には空を飛ぶものがおるのですが、これが厄介で式を飛ばして索敵したくても出来ず。まずはこれを倒して頂きたい」

 言いながら空を飛ぶ妖を描いていく。いくつかは見たことがあるが、見たことが無いのも存在する。

「……大陸の書ですら無いような物がいるがこれはなんだ」
「血酔いで変貌した妖。外法師が複数の妖を無理矢理くっつけた物。あとは……身寄りも無い者達を弄くって妖に変えた物ですかね」

 紅月の顔が僅かに歪む。蛇神の化身なれど、人の命を愚弄する真似が不愉快なようだ。我も聞いてて吐き気がしてきた。

「大方、戦の世が続いている故に死体が転がっていて、それを食べた者が血酔いで狂うたのだろう。……だが、なんだ最後のおぞましいものは」

 ですよねと紅月は苦笑いをする。本当はそれに怒りを感じているのか、隠している神気が僅かに滲んでいた。

「血酔いの件は、仰有る通り人間の争い故にございます。そして最後のそれは、外法師達が意図的に作り出したものですよ。中には人の顔のままのものもいるとかで」

 ……陰陽師達の戦意を削ぐ為など考えられるが、そんなことをするとはまともな心は無いのか。月夜以外の人間が嫌いの我でもそこまでしようとは思わぬぞ。

「血酔いで変貌した妖など何度も我等は斬ってきた。同胞達にとってはさほど苦労せぬと思うが……外法師とやらが作ったそれらの強さが気になるな」
「中々に強いですが、人ならざる強靭な力をお持ちの貴殿方なら大丈夫かと。我等が常に戦闘の支援をいたしますし」

それは良いが……実際に戦わぬと分からぬな。風琴は腕組みをした。 

「具体的な力の辺りは、長の部下達に調べさせるとして、飛ぶ獲物の討伐以外に何があるか教えろ」
「索敵と、霊符を蒔いて頂きたい」

 差し出されたのは、図形や文字が綺麗に記されたのは紙であった。触ってみると、清らかで冷たい霊気が指を包む。邪な物ではなく、むしろ破邪退魔の効果があるようだ。

「蒔くと言っても、このままでは風に飛ばされるだけだが折ってもいいのか」
「勿論ですよ。元々その予定です。実際はこのくらいになるかと」

 紅月の手にあるのは小さく丁寧に折り込まれた霊符。折ったからといって効力が損なわれることはないようだ。

「広範囲に蒔くのであろう。大体どのくらいの霊符を目安にしている」
「3千は下らない位でしょうかね。多少は霊力の消耗などで骨が折れますが、それくらいしないとやっていけませんので」

 正直それでも足りるのだろうか。まあ、索敵しなければ分からぬし、地上でも人間どもが戦うのだから下手に入れ込んではまずいだろう。

「もし、やるならば此方はある分しか蒔かんぞ。天狗にも霊符はあるが、必要以上の墨など調達出来ぬ上に、里の者の大半が妖力を枯渇しては防衛が欠くのでな」
「それだけで充分にございます。我々は助力して頂く側なのですから」

 紅月は微笑を浮かべながらも、目が笑っていない。不愉快だが、こいつの首は簡単には取れなさそうな上に、下手に嫌われると後が大変なことになりそうだ。

「手を貸すとは言っていない。まずは貴様等を見定める為に、十二天将を3、4名とお手合わせ願いたいが、どうかな」

 まさか十二天将と手合わせしたいと言い出すとは思わなかったのだろう。泰重だけでなく、紅月までもが動揺を隠せないでいた。

「どうして十二天将との手合わせがお望みなのです。空を飛ぶことのできる朱雀や青龍などはともかく、それ以外の天将は貴殿方と顔を合わせる機会など恐らくありませぬよ」
「貴様等に手を貸した場合の利についての判断材料にしたい。本当は全員の顔を知りたいが、そちらがそういう訳にもいかぬであろう。武術に腕のあるもので我々は判断したい。言っておくが勝ち負けで判断せぬからそこは心に留めておけ」

 大陸の書に書かれた情報は知っているが、それが実際の姿と一致しているか分からない。故に全員の姿を見ておきたいが、土御門にとって十二天将は切り札であろう。多少の譲歩はしたが、泰重は顔を青くさせている。紅月の方も顔をしかめて本当に困っているといった様子であった。

「……当主である久脩に聞かねば我々では判断できませぬが、出来るだけ御期待に沿えるように尽力しましょう。五行、吉将、凶将でご希望はございますか」

 とりあえず書物を真に受けるなら武術に心得がありそうなのは、驚恐畏怖の騰蛇や闘いを司る勾陳辺りか。あとは誰が良いだろうか。

「騰蛇、勾陳が良さそうな気がするが、貴様等は他に誰が良いか考えておけ」

 騰蛇の名前を出した途端、紅月の瞳が童のようにきらりと輝く。何だこいつ。騰蛇に憧れでもあるのか。それとも大蛇同士気が合うのか。紅月は嬉しそうに笑みを浮かべる。

「騰蛇と勾陳を選ぶとは流石の慧眼にございます。承知いたしました。残りの者は我々で決めさせていただきます」

 紅月は深く頭を下げる。風琴がもう部屋に戻って良いぞと告げると、そのまま二人は部屋を出ようとする。
 だが、忘れていたことがあったので部屋を出かけた泰重を呼び止めた。

「小僧、お前に言いたいことがある」
「な……何でございましょうか」

 小鹿のように震えている。そこまで怯えなくて良いだろうが。我は思わずむっとした。

「小僧、同世代の話し相手は要らぬか。午後に貴様の相手をさせてやっても良いが」

 泰重はきょとんと呆けた顔で我を見る。

「要るのか。要らぬのかさっさと答えろ」
「っ……ぜひ、お願いいたします」

 泰重は深々と頭を下げて逃げるように部屋に戻る。月夜の良い話し相手になってくれると嬉しいのだが。風琴は深く溜め息をついた。



 部屋に戻ると、泰重はぐったりと膝をついた。やっぱりあの人……いやあの天狗は怖い。話すだけで身体が畏怖で竦む。敵に回すと恐ろしいことは嫌というほど悟ってしまった。
 泰重が口元を片手で覆い床板を眺めていると、軽く背中を叩かれた。

「泰重殿、お疲れ様でした。やはりあの方は怖いでしょう」
「そうですね……。此処の天狗の妖力は強力ではありますが、あの方は一際強力です」

 それに面が厳めしげで、面の奥から射ぬかれる眼光で冷や汗が止まらない。きっと素顔も怖いのだろう。ぼやくと、紅月が首を傾げた。

「そうですかね? 某はあの御方は美しい相貌をしておられると思いますよ」
「勘ですか?」

 紅月はええと頷いた。泰重はその微笑にぞくりとする。

「勘ですよ。ですが確かめる術はありませぬ。君子危うきに近寄らず。下手に調べては逆鱗に触れましょう」

 それもそうだ。それに私の傍にはこんな美しい人がいるのだから、それ以外など興味ない。

「それにしても手合わせですか……。とりあえずこの事は久脩殿に伝えるとして……午後に同世代の話し相手を用意すると仰ってたのは、恐らくあの方の弟子でしょう」
「……正直、胃が痛いです。あの方の弟子ならば、私のことを嫌ってるかもしれないですし」
「そんなに暗い言霊を吐いては駄目ですよ。それに、あの方は貴方を嫌ってないから大丈夫ですよ。むしろ、某が嫌悪されているかと」

 紅月殿のことをだと!? 紅月殿は好色で何故か騰蛇に執着されてはいるが、優しくて気配りが出来る比較的良い人物ではないか。

「まあ蛇を嫌悪するのは、大半の生き物の本能的なものなので仕方ありませんよ。ですが、某はあの方にそそられます。面や上っ面のあの態度を剥いで襲ってしまいたい」

 襲うとはどっちの役の意味なのだろう。というかそんなことをしては我々の命の保証が一切無いのだが。泰重が紅月をじっと見てると、紅月は最後のは冗談ですよと妖艶に笑った。
 昼を過ぎると、遣いの天狗が現れた。年はあの風琴殿よりも少し年上といったところであろうか。

「うちのご隠居が煩くてね。ご隠居の弟子の部屋まで案内するように頼まれたので、ついてきて」

 遣いの天狗は気さくそうな雰囲気で泰重を手招きする。泰重が言われるままについていくと、屋敷の反対側に案内された。我々の場所と違い、警備の天狗が配置されていない。代わりに、風琴殿の強力な結界で周囲を囲んであるのが手に取るように伝わってくる。それだけ大事されてるのだろう。縁側に腰を下ろしていたのは一人の青年であった。
 面はほぼ風琴と同じもの。だが、彼からは妖力が感じられない。ということは人間か。青年は立ち上がると軽く会釈をした。

「お初にお目にかかります。本日、貴方の話し相手として遣わされました月夜と申します。よろしくお願いいたします」

 月夜という名前は月読命つくよみのみことから来ているのだろうか。風琴殿の弟子という割には大人しそうな御方だ。泰重も頭を下げる。

「私は土御門久脩が嫡男、泰重と申します。風琴殿の御厚意で此方に来させて頂きました。此方こそよろしくお願いいたします」

 月夜は目を細めると泰重に座るように促す。泰重は月夜の隣に腰を下ろすと、何の話題をしようか考えた。

「何をお話しましょうかね。私は、長年師匠や師匠のご友人の方としか話してこなかったので、話題作りというものが分からないのです」

 そうなのか。里から此処はそこそこ離れているから無理もなかろう。本当は俺がこの人の話し相手をさせられているのではないだろうか。

「そうだったのですね。私もそれほど得意という訳ではありませんよ。うーん……では、この山のことについて教えてくださいますか」
「ええ。お話しできる範囲であれば」

 月夜は少し緊張した様子で、山のことを教えてくださる。咲く花々や動物のこと。そこから狩りや普段の鍛練などに話題が移る。その間に、月夜との会話が弾み、久々に和やかな気持ちになった。

「風琴殿が鍛練の相手ならば、厳しかったのではありませんか」
「ええ……そうですね。師匠は私なぞの鍛練ですら手を抜かない方ですので、怪我は数えきれぬほどいたしました。そのお陰で少しは剣の腕には自信があります」

 苦笑しているが、どこか嬉しそうなのは気のせいだろうか。怪我をしたと言う割には手に傷跡が無いのは、天狗の術でも使ったのか、すぐに適切な処置を施されたのかもしれない。

「月夜殿は風琴殿を慕っておられるのですね」
「はい。私にとって師匠は大事な御方ですよ。ただ厳しくて、頑固で、素直ではないのです。ですが、あの方はとても優しい。まだ未熟者と言われますが、いつの日かあの方の片腕と認めてもらえるようになりたいです」

 耳を赤くしながら月夜は指を組む。それは尊敬だけでなく、恋をしているようにも見えた。
私の見てきた風琴殿の印象だと恋心を抱かれるような対象でないように思うのだが、ずっと傍で見てきた者は彼の優しさという物を感じられるのだろう。
 などと泰重が考えていると、昨夜のことを思い出した。

「もしや私を食事の際に退席するように促されたのは、私が目障りだったのではない?」
「師匠は貴方を目障りなどとは仰っておられませんよ。昨夜は貴方が師匠に怯えて食事が喉に通らぬ調子であったと聞き及んでおります」

 怯えていたのはご存知であったか。陰陽師が恐怖を顔に出すなど、自分が情けなくなってくる。

「本当に申し訳ない」

 泰重が頭を下げると、月夜は首を横に振った。

「私は怖いと思ったことはないのですが、師匠が他者を怖がらせてしまうのは事実のようですし謝らないでください」

 怖いと思ったことが無いなど信じられない。目を丸くすると、月夜はふふっと笑った。

「私が変なのかもしれませんね。陰陽師でもないのに、天狗を見て怖がらないなんて。ですが私にとって、師匠は出逢った時から暖かい方なんです」

 月夜は視線を空に向ける。今は染み渡った青空だが、泰重は月夜と違う空を見ている気がした。



 月夜と泰重が和やかに会話をしている頃、風琴は一人で剣の鍛練に励んでいた。
 手に納めているのは通常の木刀などではなく、天狗の里で鍛え上げられた真剣である。
 十数年振りに鍛練に使ってみたが、以前と変わりなく手に馴染む。剣も長年使えば魂が宿るらしいが、まるで剣が我に応えてくれているようだ。
 以前と変わらず風を斬る音は鋭く、妖力がすんなりと刃に伝う。風琴が風を舞う葉を真っ二つにすると、風琴は屋敷の方を振り返った。

「天狗の鍛練なぞ見て楽しいか、大蛇」
「ええ、お見事な腕前だと驚いておりました」

 そこにいたのは紅月と奴の監視役をしていた筈の天狗。言いくるめられてここまで連れてきたのか。……まあ丁度いい。此方も話をしたいと思っていたところだ。

「一旦下がれ。終わったら呼ぶ」

 天狗は一礼すると姿を消す。紅月に視線を向けると、相変わらずの微笑を浮かべた。

「何用だ。そちらから来るとは思っていなかったが」
「用というわけでは無く、相変わらず貴方と仲良くなりたいなと思ったまでです」

 仲良くなりたいだと。我は最低限しか関わりたくないのだが。こやつの腹の底など深くて読めぬし、何より神気のせいで肌が粟立つ。

「仲良くなってどうする。たとえ盟約を結んだとしても我は貴様とは仲良くなどなりたくない」

 風琴が剣を紅月に向けると、紅月は肩を竦めた。

「そこまで嫌われるとは少し悲しいですね。某は貴方のことをもっと知りたいんですが」

 よよよと袖で目元を拭う素振りをするが、一切泣いていないではないか。すぐに紅月はにやりと笑うと、縁側に腰を下ろした。

「昨夜、口淫がなんとかと耳にしましたが、もしかしてお弟子さんにさせる気ですか」

 ……こやつ、仲良くしたいと言ったくせに、東雲と同じくらいわざと虎の尾を踏むのが上手いようだな。風琴は紅月に馬乗りになって腕の骨でも折りたい衝動を堪えた。

「話していたのは別の者であろう。何故我のことだと決めつける」
「昨夜、某の傍にいた天狗に口淫のことを聞いたのは貴方の側近ですよね。ですが側近の方は経験も無ければ相手もいない方。現時点ではそのような知識は不要である筈。なのに聞いたというのは貴方の代わりに尋ねたと考えられる。いかにも矜持の高い貴方がするなど考えられないと推察したまでですよ」

 ……東雲よ。いくらなんでも、こやつの近くで話すことはなかったのではないか。後で一度説教しよう。

「たとえそれが我のことだとしても、貴様に何の関係がある。言っておくが、我は弟子が嫌がることはしないようにと心掛けている」
「なるほど……そうですよね」

 一瞬きょとんとした顔をしたが、上辺の微笑を戻す。一体何なのだ。風琴がぎろりと睨む。

「それならば良いですけど。某ならお教え出来るかなと思いまして。そこそこには色事には詳しいので」
「余計なお世話だ。……それよりも貴様、色事に詳しいということはまさか……」

 天狗の世界ではほぼ皆無であるが、人の世では身体を好きでもない相手に差し出すということなどするという。風琴が冷たい目で問うと、紅月は暗い瞳で笑った。

「閨では口が軽い愚か者が多いのです。我はそれを利用したまで。何、里の者達や主君を守るためなら我が身など安いものですよ」

 信じられない。何故、そんなことを言うのか。溜まりに溜まった怒りが噴き出し、風琴は紅月を地面に叩きつけて馬乗りになる。空気に触れたが如き暗き血の瞳が風琴を見上げる。

「もし、我がその身を差し出せば盟約を結ぶと言えば喜んで差し出すのか」
「ええ、勿論」

 一切の躊躇いも無く答える紅月は、わざと馬乗りになったことで乱れた衣に手を掛けて胸元をちらつかせる。男のくせに、襟元から覗く胸は淫靡である。風琴は紅月の手首を掴んだ。

「戯け。必要以上にその身を蔑ろにするな! 神の化身とはいえ、喜怒哀楽くらいあるだろうが! 好きでもない奴に身体を暴かれて傷つかぬと思うてか!」

 紅月は大きく両目を見開く。当たり前のことを言っただけで、そのような目をしなくても良いだろう。乱れた衣を直してやると、紅月はくすりと笑った。

「貴方は某の主君と同じことを仰るのですね。少し驚きました」
「主君も同じことを言ったなら、大人しく言うことに従っておけ。神の化身であれど、人並みの身体であろう。下手をすれば、器が魂のせいで壊れるぞ」

 神の魂は人の身にはあまりにも不釣り合いだ。いつ壊れてもおかしくない。それなのに、粗末に扱っているなど怒りしか湧かぬ。

「はい。ご忠告、肝に命じておきます」

 天狗に馬乗りになられているにも関わらず、紅月の顔はどこか晴れやかであった。

「……あの……師匠」

 何処からか聞こえた声に、風琴の身体がびしりと固まる。ぎこちなく視線を動かすと、そこには枇杷の入った籠を落とした月夜と泰重と東雲がいた。泰重が今にも死にそうな顔をしているし、東雲はどういうことだと視線で問うてくる。
 ……そして、面をしている月夜が今までにない程怒っているのが手に取るように伝わってくる。ああ、これはまずい。

「違う……月夜……これは……」
「師匠の浮気者___!! 最低です!」

 月夜は脱兎の如く走る。やはり、これは完全に誤解されている。慌てて月夜を追うと月夜の腰を掴んだ。

「離してください! 私という者がありながら、浮気なんて!」
「月夜。違うと言ってるだろう。お前以外に我が肌を重ねたいと思う者などいない」

 それでも混乱している月夜の誤解を解くことが出来ぬようだ。風琴はため息を吐くと、月夜を自室に引っ張っていた。

 部屋の障子を締めると音が漏れぬように結界を張る。月夜は抵抗を止めたが、そっぽを向いていた。

「師匠……あの人が美人だからって……酷い」
「あやつのような大蛇神の化身をそのような目で見てたまるか。取っ組み合いのようになっただけで、抱こうなどとは思っておらぬわ」

 月夜を背後から抱きしめると、月夜はそっと我の手に触れる。怒っている割には、その触り方は壊れ物を扱うように繊細であった。

「それに……お前の気持ちが変わらぬのなら、我はお前に抱かれる側であろう。今更、抱く側になりたいからと他人と肌を重ねたりせぬよ」

 こんなことを言うのは恥ずかしく、頬が熱を持つ。それでも、月夜の機嫌に比べればましな方だと己に言い聞かせた。

「嘘でないですよね」
「国津神に誓って嘘ではない」

 月夜はようやく安心したのか深く息を吐いた。もう大丈夫であろう。月夜から離れると、月夜は我の方に身体を向けた。

「師匠、疑ってしまって申し訳ございませんでした」
「謝るな。誤解させてしまった我も悪い」

 誤解が解けたのならそれでいい。頭を下げる月夜の髪をそっと撫でる。艶のある髪は随分と長くなった。契りを終えれば切った方がいいかもしれない。

「ところで月夜、どうして枇杷を持ってあの小僧と一緒に来たのだ」
「師匠の弟君が女性の方を通してくださったのです。3人で食べるには多かったので、師匠も一緒にどうかなと」

 そういえば、もう枇杷が実る頃か。落としたものはどうせ外の者が洗ったことであろう。

「では一緒に頂くとしよう」

 すぐに烏面を編むと外に出た。泰重は相変わらず顔色が悪い。先程ので肝が冷えたのかもしれない。

「枇杷を一緒に食うために来たのだろう。さっさと座れ」

 座るように促すと、各々我達の周りに座る。東雲は月夜の様子から、先程のが誤解であったと悟ったのだろう。まあ不運なことでと言うように、肩を叩かれた。
 橙色の枇杷はちゃんと熟しているようだ。皮を剥き果肉にかぶりつけば甘みが舌を楽しませる。

「うむ。甘い」
「良かったです。枇杷は師匠の好物ですからね」

 我が食べるのを確かめてから月夜が枇杷の果肉に歯を立てる。そうだ。幼い頃は飛ぶ練習がてらに枇杷の実をもげと父に言われ、仕方なく実を収穫したのだ。食べてみれば子供の我にはとても甘く、それ以降は毎年枇杷を食べるのが楽しみになっている。

「この枇杷、人里のよりも甘いですね。何か術でも施しているのですか?」

 泰重が一口齧ると目を丸くして月夜に問う。月夜は流石に知らぬであろう。我が答えることにした。

「霊脈の上に木が生えていること。それと、里の者が毎日のように木々を言祝いでいるからだ。霊脈の確保はともかく、言祝ぐことぐらいは術師の得意分野であろう。帰ったら試しにやってみろ」
「な、なるほど。ありがとうございます。帰り次第実践してみます」

 泰重は慌てたように我に頭を下げる。月夜が警戒心を解いてくれたのか、午前中のような怯えた表情は多少薄れている。それは良かったと思いながら、手の中の枇杷の実を転がした。
 ……今は木々を言祝ぐ余裕があるのだ。だが、もし盟約を結べばその余裕があるとは思えぬ。天狗達は男どもは皆、強いがまだまだ実戦経験が浅いと言える。
 それに……この枇杷をもいだであろう女天狗達。里の警備が手薄になれば、何かあった時に彼女らが自分の身を守れるのか。しかし断れば、完全な自衛となる。
 どちらにしろ、このような穏やかな時はもうすぐ終わるのであろう。本当は我が決めたくなどない。だが異弟に重荷を追わせたくないし、彼は我の答えを待っている。

「……ああ、重いな」

 手の中にある枇杷は軽い筈なのに、剣よりも重く思えた。

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