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天狗と式神の三番勝負 其の弐
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里までの飛ぶのは体力的にはそこまで苦ではない。ただ、我を隠居に追いやった者達がいる場所に行くのは気が重くなる。
「はあ……」
騰蛇殿との手合わせは楽しみであるが、隠居に追いやられた時のことが脳裏に蘇る。あの時のことを考えると、案外天狗と人の腹黒さは変わらぬのではと思う部分がある。人間からすれば、天狗道とは外道なりという考えらしいが。
「兄上? 浮かないご様子ですが、如何なさいました?」
「何でもない。それよりも長よ、飛ぶのが上手くなったな」
「え? えへへ、そうですかね」
長は照れているのか、頭を掻く。昔は飛ぶのが我よりも下手くそで、ふらついておったから心配であったが、まともに飛べるようになった。長になってから特訓でもしたのだろうか。
「天狗の長なのだから、今後は嵐の中でも飛べるくらいにならないとな」
「はい。今後とも皆の上に立つ者として精進いたします」
長はぺこりと頭を下げると、宙を軽く舞う。翼は我ほどではないが、大きく見事な物だ。ちゃんと手入れをしているのが窺える。風琴はふっと笑うと、長を離れて人間達の乗せられている籠を護衛するように飛んだ。
里に着いたのはそれから半刻後のことであろうか。久しぶりに足を着けると、周りを眺めた。
「風琴様だ!」
「風琴様ー! お久しゅうございます!」
男女問わず天狗達が十数名程、風琴の傍に集まってくる。あれから一切、我は里に足を踏み入れてないから忘れられておると思ったが、違ったようだ。
風琴は驚つつも、かつての部下や女天狗達と軽い挨拶を済ませている。
しばらくして風琴は遠くからの突き刺すような視線に気づいた。軽く目線を向けると、数名の長老達と父の後妻である義母上が敵意剥き出しで我を睨んでいる。
どうせいつものことだ。風琴は視線を外すと、同胞達との会話を再開した。
ある程度の会話が済んだところに、我を睨んでいた者とは別の長老の一人が進み出た。長老と言っても人で言えば壮年。父と同じぐらいの者である。
「御隠居、わざわざご足労に感謝いたします」
「凩か。久しいな。息災であったか」
凩はええまあと苦笑する。凩は父の側近であった者で、我が長を勤めている僅かな期間にも世話になったので嫌いではない。
「御隠居の力が衰えてないと東雲の奴から聞きましてな。貴方を此度の手合わせに推薦させて頂きましたが……鍛練を怠っていませんでしょうな?」
「当たり前だ。隠居の身とは実に暇なので、畑仕事以外は弟子との鍛練に励んでおる」
「御隠居の御弟子ももうすぐ元服でしたな。置いてきて良かったのですか」
それは我が一番気にしているのだが。一々痛いところを突くなとは口には出来ず堪える。
「手合わせを見せたかったがちょっとした事情でな。それで、凩よ。今回の手合わせの順は決まっておるのか」
「最初に松風、次に東雲。最後に御隠居ですな。御隠居と騰蛇とやらの手合わせを見たい者が多く、最後にさせて頂いたのです」
それは嬉しいが……。風琴は手招きすると、凩に耳打ちする。
「締めが我なんぞ、変に目立っては義母上に白い目で見られるではないか。あの女、我を追い出すだけでは気が済まず、刺客を向けてもおかしくないぞ」
「あの御方はどの道、貴方様にいちゃもんを付けてきますよ。それに、貴方様が衰えてないと判断すれば下手に刺客など送りますまい。手練れを送ろうものなら某の目に入りますからな」
凩の眼光は昔のように強い。確かに、我がどうしようと口を出して来るのだ。締めとして手合わせで腕を見せつけて、牽制しておいた方がむしろ良策なのかもしれない。
「……某は、今でも貴方様が長の座から降りたことを承服出来ませぬ。長に戻れないとしても、貴方様の勇姿を里の者に見せたいのです」
……そういえばこやつ。我が長の座を引き摺り降ろされ、里から追い出されることを最後まで反対していたなあ。我よりも我の母や父への忠義であろうが、報いなければならぬ。
勇姿になるかは分からぬが、我達の腕前を見せようではないか。駕籠を降りた騰蛇の方に目を遣ると、風琴は腰に差した剣の柄を握った。
此度の手合わせは里の開けた所で行われるようで、中央には戦闘で里の木々や家屋が痛まぬようにと特殊な陣が円状に刻まれている。かなり広めに取ってあり、里の者達が周りに座っている。長に自分の隣に座ってくださいと言われたが、義母上がいるので丁重に断った。代わりに、東雲と凩達の隣に座る。
「これより、土御門殿の式神殿と我等天狗3名による手合わせを行う。各々正々堂々挑むように」
長の声に従い陣に入るは松風と六合殿。二人は一定の距離を取ると、得物を構えた。松風は剣で六合殿は刀か。人が使うには長いが六合殿の背丈的には問題ないのであろう。
「いざ尋常に……始め!」
長の合図と共に陣がばちばちと音を立てて彼等を囲む。陣の中では妖力と神気が激しくぶつかり合っていた。
互いに一歩も譲らぬ斬り合い。上空からでも反則では無いだろうに翼を広げず、両足を地に着け闘うとは条件を相手と同じにする余裕でもあるのだろうか。
「なっ! 松風すごいだろ! 俺が手解きしてやってるからな」
東雲が自慢気に我を見てくる。観察すると東雲と型が似ているな。翼で相手を翻弄するのではなく、足を地に着けて闘う場面が多いところは彼と同じだ。
砂塵で見にくいが、素早い足運びや刀の衝撃を受け流して攻撃に転ずる様は見事だ。……だが、少々松風の剣の振り方には隙がある。
六合殿は神気に凄みはないが、刀捌きには一切の隙がなく、相当な手練れだ。首を狙われようが一切の動揺なく斬り合っている。
いくら妖力を剣に乗せていると言っても隙を突かれては終わるぞ。我ですらあの程度なら隙を突くことも可能なのに。
「っ……!」
何度斬り合っていたことか。火花が散る程互角な斬り合いであったが、六合殿の隙のない刀捌き押されて、松風の動きが乱れた。
そこを六合殿は見逃さず、松風の剣を弾き飛ばす。剣は手から離れると、陣の結界にぶつかってガシャンと地に突き刺さった。
無言で東雲を見ると、東雲は動揺しているのか固まっていた。二名が陣を出ても肩を落としたまま動かない。
「東雲、お前の番だぞ。早う行け」
東雲の背を叩くとようやく立ち上がる。弟子が負けて悔しいのは分からなくもないが、お前がしっかりしなくてはどうする。東雲頑張れと口で言わぬ代わりに、心の中で呟いた。
陣の中に東雲と勾陳殿が入ったが、東雲がちゃんといつもの調子に戻ったかが分かりにくい。
こういう時はいつも素顔でいる人間達が羨ましい。彼等の方が表情が分かるのだから。
東雲に比べて小柄な勾陳殿だが、闘いではどう出るのであろうか。得物は脇差しくらいの短めの刀である。彼等は人間が使っているような得物を使っているが、不便では無いだろうか。
先程と同じように長の合図と共に2人は駆け出す。勾陳殿は小柄で俊敏さを生かし、東雲の懐に入ろうとする。すかさず、東雲は翼を広げて上空へと避けた。
「あやつ、陸地での戦闘は不利と判断したか」
「そのようですな。ですが、すぐに空に逃げるとはあやつもまだ青二才。後で厳しく鍛えねば」
東雲の剣技の師とだけあって、凩は東雲に厳しい。面を被っているが、凩が東雲の闘いぶりに不満を抱いているのは一目瞭然。東雲が後でいじけて我の部屋に押し掛けなければ良いのだが。
東雲に視線を戻すと、東雲は空高くまで飛ぶと、一気に下降した。風を切る音はすさまじく一直線に勾陳殿を狙う。勾陳殿は余裕ぶった表情を消すと、すんでの所で避けた。そこに東雲が剣を振り下ろす。これはやったか。
「おにいさん、そのくらいの策なんて分かるよ」
勾陳殿はひょいと軽やかに8尺程飛び上がると、東雲の肩に飛び乗った。
「なっ………!?」
東雲は驚いたがすぐに足を掴もうとする。だが勾陳殿はすぐに元の位置に着地した。完全に舐められているな。東雲は煽られてもそれに乗る天狗ではないと理解しているが……。
「俺も舐められただな。では本気でいかせてもらおう」
東雲の妖力が一気に高まる。……あやつ、怒っているな。今までにない速さで東雲が間合いを詰めるが、勾陳殿は涼やかな微笑を浮かべるだけであった。
勾陳殿はくるりと避けると、東雲の翼に何かを投擲する。東雲も咄嗟の判断で飛翔したが、羽根が地に落ちて血が地を僅かに染めていた。翼が大きいのが仇になったか。
「翼を傷つけられるとは情けない……と言いたいところですが、先程の天将よりも俊敏さに長けているのでしょうな。某とて敵うかどうか」
最初は東雲に批評をしていた凩殿だったが、小柄な体躯で東雲の攻撃を余裕で避けて傷を負わせた勾陳殿の異常さに気づいたようだ。
「凩程の天狗が言うとは侮れんな。ところで、翼を傷つけられて治るのか」
「ある程度の傷ならばあの結界の力で癒えますが……東雲の飛び方からして結界の力を借りても数日は要しますな」
数日程度で済むならいいが、心配にはなる。あまり無茶をしてくれるな。それが伝わったのかは分からぬが、東雲はすぐに地に足を着けた。遠くからでも苛ついているのが何とはなしに分かる。
東雲は剣を構えて、風を切る勢いで急降下する。先程よりも妖力が色濃く見える辺り、剣よりも妖力の衝撃をぶつけるのだろうか。
勾陳殿もそう判断したのか、彼の神気が膨れ上がった。
「……いかん」
五行の考えとしては火によって土が生まれるのではなかったか。だとしたら東雲が妖力を高めれば逆に……。思わず立ち上がろうとしたが、凩に腕を掴まれる。凩は首を横に振っていた。
「これは東雲の闘い。指図は無用にございます」
それはそうだが……。舌打ちしたい衝動を飲み込んだ次の瞬間、轟音が耳に響く。風琴がはっと目を遣ると、妖力と神気がぶつかった衝撃で爆発が起きたようだ。東雲は無事なのか!?
砂埃で中々見えなかったが、次第に結界内が露になる。そこには剣を支えにして今にも崩れ落ちそうな東雲と平気そうな勾陳殿がいた。
これは決着が着いたのではないか。そう思ったが、東雲は剣を持つ腕を上げて駆ける。無茶な。東雲は剣を横に振ろうとしたが、限界であったのかその身体が傾いだ。その途端、結界の壁が解除される。
命を賭けた手合わせではあるまいに、無茶をする。風琴は翼を広げると、地面に叩きつけられる寸前に東雲を受け止めた。
「手合わせなのだから、無謀なことをするな。戯け」
「風琴すまん……」
東雲は妖力を力尽きたのかそこで気を失った。
東雲を抱き抱えた風琴の後ろから、足音が近づいてくる。
「正直、土行か木行だったら此方が危うかったよ」
「世辞は無用。こやつが負けたのは事実ですから。……ですが一応、後でこやつに伝えておきまする」
やはり、東雲の妖気の衝撃が吸収されて、勾陳殿の神気を勢い付けさせたか。五行を定めた天の理の何と無情なことか。溜め息を吐いて東雲を見下ろす。
面を固定する紐が解れ、素顔が若干見えていた。……まあ、久しぶりに見たがそこそこに男前じゃないか。でも気を失っているせいか、幼くも見える。あの頃のこいつは我の手を引っ張って連れまわしていたなどと思い出してしまった。
「……戯けが」
風琴は東雲の面の紐を結び直すと、薬師達に東雲を渡した。東雲の血を嗅いだせいか、若干己の血が騒ぐ。
「やあ風琴殿。いよいよ我らの番ですな」
気づけば風琴の横に騰蛇がいた。ああ、ついにこの方と闘うのか。思わず口角が上がってしまう。
「そうですね。今のところ此方は2敗。ここで負けるのは天狗の名折れ。手加減は致しませぬよ」
「ほう? 貴方はそれだけの自信があるのか?」
「さあ。我々は貴殿方の力量を知ることが出来ればそれで結構。正直に言えば此度の手合わせは負けた方がそちらの都合が良いでしょう」
だが、負けてやるつもりなどない。六合殿も勾陳殿もお強いのだ。ならば騰蛇殿は闘い甲斐があるに違いない。我の力量が敵うかどうか全身で知りたい。
「どうやら負けるつもりはないらしいな。気に入った。互いに全力を出そうではないか」
騰蛇の目が猛獣の如くぎらつく。ああそうでなくては。面の下で風琴は猛禽の目で笑った。
風琴の興奮が伝わったのか、無意識に掴んだ柄が音を立てる。風琴は高まる興奮を押さえつつ、騰蛇と共に陣に足を踏み入れた。
騰蛇は得物を佩いていないが、周囲に赤き神気が漂う。
神気が炎となって煌めいかたと思えば、騰蛇の手には太刀があった。
下手をすれば剣が折れかねんと風琴は剣を見下ろす。
なあいけるか。風琴は剣に問う。剣が言葉を話せるわけが無いが、是と答えてるように剣の波動が伝わってきた。それでこそ我が剣。
剣を鞘から抜くと、風琴の妖力に反応して淡く光を纏う。
「いざ尋常に……始め!」
抑えていた妖力を解放すると、その衝撃のままに駆ける。騰蛇はにやりと笑みを浮かべて風琴に剣を振り下ろす。
刃と刃。神気と妖力がぶつかる衝撃で砂に足跡の線が引かれる。こんなに強い奴は久しぶりだ。熱い神気が面越しに伝わってくる。力では何とか拮抗しているようだが、このまま刃をぶつけたままでは埒が明かない。それに剣が折れてはいかん。
風琴は太刀を受け流すと、騰蛇の胸元に刃を向ける。だがその直前で視界の端に何かが見えたのですぐさま後方に飛んだ。
「風琴殿よ、あんたやっぱりそんなに妖力を隠していたのか」
「貴方こそ尋常でない神気をお隠しになられていたではありませぬか」
周囲の結界がぱりぱりと音を立てている。これは結界がもたぬのではないか。そうなった時、勝敗は決まるのだろうか。
「目の前に相手がいるのに考え事とは随分と……余裕のようだなあ!」
騰蛇が太刀を振った途端、刃の軌跡を描くように神気が風琴に襲いかかってくる。
瞬時に翼を広げて避けると、東雲のように一直線に急降下して剣を振り下ろした。
相手も想定していたようで、刃は受け止められる。すぐに体勢を整えると、剣を振った。
金属音が何度も耳に響く。刃はあまりにも重く、鼓動が早くなっている自分がいた。
騰蛇殿の方も表情に余裕が無くなり、若干息が上がっている気がする。
ああ、楽しくて仕方がない。我を此処まで本気にさせる相手などいない。もっともっと刃を交えたい。衣が台無しになるのも気にせず、風琴は剣を振る。
何百回金属音が響いたことか。決着が着く前に結界が音を立てて割れた。
「お二人ともそこまで! でないと周囲に被害が及んでしまいます!」
長の言葉に刃を止めると、一気に倦怠感が身体にのし掛かる。此処で膝を折っては負けを認めることになる。
風琴はふらつきそうになるのを必死に堪えて、目の前の騰蛇を見る。騰蛇も衣がズタズタになっており、見る影もない。
「ということは勝敗の決着はお預けということかな、天狗の長殿」
「そういうことになりますね。それにお二人がそんな状態では……」
長が言葉を詰まらせる。結界を再構成して続けても構わないのだが、掠れている紋様からして手間と準備がかかる物なのだろう。
あら残念と、騰蛇は太刀を炎に戻して消滅させる。我も剣を鞘へと納めると、共に陣を出た。
「引き分けとは、なんともまあ味気のない幕切れだ」
「そうですね。ですがあのままでは、我が負けていたやもしれませぬな」
騰蛇はかかっと笑うと我の肩を叩いた。
「いいや。案外俺が負けていたかもしれんぞ。でもあんたになら負けてやっても、胸がすっとしていただろうさ。あんた中々強いなあ」
普段ならこの程度の褒め言葉なぞ何とも思わぬ。だが自分よりも強いであろう人外の者に言われるのは、こそばゆい気がする。
風琴は無意識の内に面の下で笑みを零した。
騰蛇殿が泰重達の元に行くと、薬師が此方に駆け寄ってきた。
「御隠居大丈夫ですか!? 衣が随分と酷い有り様ですが」
「これくらいなんともない……っ……うわ……」
急に立ち眩みがしてよろける。薬師はすっと我の身体を支えた。
「ほら、言わんこっちゃない。妖力をかなり消耗しているんですよ。それに玉のように白いお肌に傷が付いちゃってます。ここは我々の治療を受けてくださいな」
薬師は我の腕を己の肩に回すと、小屋へと連れていく。中に入ると、言われるままにぼろぼろの上の衣を脱いで、翼を広げた。
翼を月夜以外に触られるのは嫌悪感しか無いが仕方がない。薬師は触診しながら、あーとかうーんとか唸っていた。
「身体は勿論のこと、翼も少し傷んでますね。というかあれだけの戦闘でよくその程度ですみましたよ。薬を渡しておきますので、帰ったら御弟子さんに塗ってもらってください」
「ああ分かった……っ……」
あちこちに沁みる薬を塗られ、思わず呻き声を上げる。……そういえば月夜はこの姿を見ているのだろうな。此方で勝手に鏡のそれを遮断はできない。帰ったら月夜に怒られるのだろうか。薬の痛みに耐えながら、風琴は月夜の顔を思い浮かべていた。
あちこちに包帯を巻いてもらってほっと息をついてると、薬師が目の前に立った。
「念のために、お顔に傷がついていないか拝見させてください」
……そういえば、こいつも我の素顔を知っている数少ない一人だったな。それでもあまり素顔を見せたくないんだが。
「……どうしてもか?」
「どうしてもです。御隠居は天狗一の美人さんなんですから、傷によって損なうようなことがあっては私は薬師の役割を返上しなければなりません」
そう言われては仕方がない。風琴は面を留めている紐を解くと、素顔を晒した。薬師は膝を折ってしゃがむ。我の顔をじろじろと眺めると、ふうと安堵の息を吐いた。
「大丈夫です。傷ひとつありはしません。いつも思うのですがお美しいですね。念のため、面で顔が荒れぬように洗顔用の薬でも渡しておきます」
「そんな女のようなことをしなくても……」
駄目ですと薬師が両手を掴む。そこまで真剣にならなくてもと言えば、首を横に振った。
「御隠居は御肌も美しいのに気を遣わないなんて有り得ないですよ。今は肌荒れが無くても、今後肌が荒れてしまったらどうするのです!? 人よりも寿命が長い分、肌はいつも労らなくてはならないのですよ!?」
「その通り。そんなに美しい容姿なら気をつけるべきだ。神仙にも負けぬ美貌なのだから」
「はいはい分かった……って騰蛇殿……!?」
生返事をしている最中に、薬師以外の声に気づいて思わず視線を向ける。気づけば小屋の入口に騰蛇殿が立っていた。
まずい、今は素顔だ。そこそこ好感は持っているが、素顔を見られることを許すような間柄ではない。風琴の白磁の顔が羞恥で真っ赤に染まる。恥ずかしさで固まる風琴を薬師が慌てて背で隠した。
「式神風情が御隠居のご尊顔を勝手に見るとは何と失礼な! この愚か者!」
薬師は頭に血が上ったのか、傍にあった包丁を投げようとする。我に返った風琴は反射的に薬師の腕を掴んだ。
「相手は客人。しかも我をここまでした相手に刃物を投げるのは止めておけ」
「ですが……」
尚も何か言いたげな薬師の手の中の包丁を取り上げると、面を被って立ち上がる。
最初は動揺のあまり何も考えられなかったが、落ち着いてくると沸々と怒りが込み上げてきた。声もかけずに入るとは無礼であろう。
「騰蛇殿。どのような御用でしょうか。我々が素顔を晒すのは親しい間柄のみでして、お声がけも無く勝手に室内に入るとは品格を疑う行為と言えましょう」
「声はかけたが貴殿方が話に夢中で聞こえない様子だったのでな。しかしすまないことをした」
あっさり頭を下げたので拍子抜けした。同族だったら羽を折っていたところであるが、部外者なのだ。悪気があった訳ではないのだから許すべきだろう。
「そうでしたか。此方も気づかずに申し訳ない。それで御用は何でしょうか」
「先程、手合わせとはいえ怪我をさせてしまったから謝罪をしたく参った」
本気ですまなそうな顔で騰蛇が謝ってくるので、風琴は目を瞬かせた。
「いえ、お気になさらず。手合わせでの怪我など覚悟の上ですので。騰蛇殿こそ、怪我は大丈夫なのですか」
俺は怪我など日常茶飯事だからなと騰蛇殿が笑う。日常茶飯事なのは日々人を脅かす鬼どもと戦っているからなのだろうか。
「貴方のような強力な式神がいて、土御門も心強いでしょうな」
「いやあ……どうでしょうな……。存じ上げておられるかもしれませんが、俺は驚恐畏怖を司るとされておりまして……土御門や紅月はともかく人間にとっては恐怖の対象でしかない」
騰蛇殿は苦笑する。……そうか。人間は強い者を恐れ、異端をすぐに排除するからな。いや、それがひ弱な人間の生きる本能というものだろう。
親近感のような物と胸の痛みに言葉を返せないでいると、突如頭に聞き慣れた声の叫びが響いた。
「…………月夜?」
風琴は呆然と愛弟子の名を呼んだ。留守の間は数名の天狗が屋敷の周囲の警備に当たっている。それなのにあれほど緊迫した様子で名を呼んだということは……。風琴は全身の血の気が引いた。
「はあ……」
騰蛇殿との手合わせは楽しみであるが、隠居に追いやられた時のことが脳裏に蘇る。あの時のことを考えると、案外天狗と人の腹黒さは変わらぬのではと思う部分がある。人間からすれば、天狗道とは外道なりという考えらしいが。
「兄上? 浮かないご様子ですが、如何なさいました?」
「何でもない。それよりも長よ、飛ぶのが上手くなったな」
「え? えへへ、そうですかね」
長は照れているのか、頭を掻く。昔は飛ぶのが我よりも下手くそで、ふらついておったから心配であったが、まともに飛べるようになった。長になってから特訓でもしたのだろうか。
「天狗の長なのだから、今後は嵐の中でも飛べるくらいにならないとな」
「はい。今後とも皆の上に立つ者として精進いたします」
長はぺこりと頭を下げると、宙を軽く舞う。翼は我ほどではないが、大きく見事な物だ。ちゃんと手入れをしているのが窺える。風琴はふっと笑うと、長を離れて人間達の乗せられている籠を護衛するように飛んだ。
里に着いたのはそれから半刻後のことであろうか。久しぶりに足を着けると、周りを眺めた。
「風琴様だ!」
「風琴様ー! お久しゅうございます!」
男女問わず天狗達が十数名程、風琴の傍に集まってくる。あれから一切、我は里に足を踏み入れてないから忘れられておると思ったが、違ったようだ。
風琴は驚つつも、かつての部下や女天狗達と軽い挨拶を済ませている。
しばらくして風琴は遠くからの突き刺すような視線に気づいた。軽く目線を向けると、数名の長老達と父の後妻である義母上が敵意剥き出しで我を睨んでいる。
どうせいつものことだ。風琴は視線を外すと、同胞達との会話を再開した。
ある程度の会話が済んだところに、我を睨んでいた者とは別の長老の一人が進み出た。長老と言っても人で言えば壮年。父と同じぐらいの者である。
「御隠居、わざわざご足労に感謝いたします」
「凩か。久しいな。息災であったか」
凩はええまあと苦笑する。凩は父の側近であった者で、我が長を勤めている僅かな期間にも世話になったので嫌いではない。
「御隠居の力が衰えてないと東雲の奴から聞きましてな。貴方を此度の手合わせに推薦させて頂きましたが……鍛練を怠っていませんでしょうな?」
「当たり前だ。隠居の身とは実に暇なので、畑仕事以外は弟子との鍛練に励んでおる」
「御隠居の御弟子ももうすぐ元服でしたな。置いてきて良かったのですか」
それは我が一番気にしているのだが。一々痛いところを突くなとは口には出来ず堪える。
「手合わせを見せたかったがちょっとした事情でな。それで、凩よ。今回の手合わせの順は決まっておるのか」
「最初に松風、次に東雲。最後に御隠居ですな。御隠居と騰蛇とやらの手合わせを見たい者が多く、最後にさせて頂いたのです」
それは嬉しいが……。風琴は手招きすると、凩に耳打ちする。
「締めが我なんぞ、変に目立っては義母上に白い目で見られるではないか。あの女、我を追い出すだけでは気が済まず、刺客を向けてもおかしくないぞ」
「あの御方はどの道、貴方様にいちゃもんを付けてきますよ。それに、貴方様が衰えてないと判断すれば下手に刺客など送りますまい。手練れを送ろうものなら某の目に入りますからな」
凩の眼光は昔のように強い。確かに、我がどうしようと口を出して来るのだ。締めとして手合わせで腕を見せつけて、牽制しておいた方がむしろ良策なのかもしれない。
「……某は、今でも貴方様が長の座から降りたことを承服出来ませぬ。長に戻れないとしても、貴方様の勇姿を里の者に見せたいのです」
……そういえばこやつ。我が長の座を引き摺り降ろされ、里から追い出されることを最後まで反対していたなあ。我よりも我の母や父への忠義であろうが、報いなければならぬ。
勇姿になるかは分からぬが、我達の腕前を見せようではないか。駕籠を降りた騰蛇の方に目を遣ると、風琴は腰に差した剣の柄を握った。
此度の手合わせは里の開けた所で行われるようで、中央には戦闘で里の木々や家屋が痛まぬようにと特殊な陣が円状に刻まれている。かなり広めに取ってあり、里の者達が周りに座っている。長に自分の隣に座ってくださいと言われたが、義母上がいるので丁重に断った。代わりに、東雲と凩達の隣に座る。
「これより、土御門殿の式神殿と我等天狗3名による手合わせを行う。各々正々堂々挑むように」
長の声に従い陣に入るは松風と六合殿。二人は一定の距離を取ると、得物を構えた。松風は剣で六合殿は刀か。人が使うには長いが六合殿の背丈的には問題ないのであろう。
「いざ尋常に……始め!」
長の合図と共に陣がばちばちと音を立てて彼等を囲む。陣の中では妖力と神気が激しくぶつかり合っていた。
互いに一歩も譲らぬ斬り合い。上空からでも反則では無いだろうに翼を広げず、両足を地に着け闘うとは条件を相手と同じにする余裕でもあるのだろうか。
「なっ! 松風すごいだろ! 俺が手解きしてやってるからな」
東雲が自慢気に我を見てくる。観察すると東雲と型が似ているな。翼で相手を翻弄するのではなく、足を地に着けて闘う場面が多いところは彼と同じだ。
砂塵で見にくいが、素早い足運びや刀の衝撃を受け流して攻撃に転ずる様は見事だ。……だが、少々松風の剣の振り方には隙がある。
六合殿は神気に凄みはないが、刀捌きには一切の隙がなく、相当な手練れだ。首を狙われようが一切の動揺なく斬り合っている。
いくら妖力を剣に乗せていると言っても隙を突かれては終わるぞ。我ですらあの程度なら隙を突くことも可能なのに。
「っ……!」
何度斬り合っていたことか。火花が散る程互角な斬り合いであったが、六合殿の隙のない刀捌き押されて、松風の動きが乱れた。
そこを六合殿は見逃さず、松風の剣を弾き飛ばす。剣は手から離れると、陣の結界にぶつかってガシャンと地に突き刺さった。
無言で東雲を見ると、東雲は動揺しているのか固まっていた。二名が陣を出ても肩を落としたまま動かない。
「東雲、お前の番だぞ。早う行け」
東雲の背を叩くとようやく立ち上がる。弟子が負けて悔しいのは分からなくもないが、お前がしっかりしなくてはどうする。東雲頑張れと口で言わぬ代わりに、心の中で呟いた。
陣の中に東雲と勾陳殿が入ったが、東雲がちゃんといつもの調子に戻ったかが分かりにくい。
こういう時はいつも素顔でいる人間達が羨ましい。彼等の方が表情が分かるのだから。
東雲に比べて小柄な勾陳殿だが、闘いではどう出るのであろうか。得物は脇差しくらいの短めの刀である。彼等は人間が使っているような得物を使っているが、不便では無いだろうか。
先程と同じように長の合図と共に2人は駆け出す。勾陳殿は小柄で俊敏さを生かし、東雲の懐に入ろうとする。すかさず、東雲は翼を広げて上空へと避けた。
「あやつ、陸地での戦闘は不利と判断したか」
「そのようですな。ですが、すぐに空に逃げるとはあやつもまだ青二才。後で厳しく鍛えねば」
東雲の剣技の師とだけあって、凩は東雲に厳しい。面を被っているが、凩が東雲の闘いぶりに不満を抱いているのは一目瞭然。東雲が後でいじけて我の部屋に押し掛けなければ良いのだが。
東雲に視線を戻すと、東雲は空高くまで飛ぶと、一気に下降した。風を切る音はすさまじく一直線に勾陳殿を狙う。勾陳殿は余裕ぶった表情を消すと、すんでの所で避けた。そこに東雲が剣を振り下ろす。これはやったか。
「おにいさん、そのくらいの策なんて分かるよ」
勾陳殿はひょいと軽やかに8尺程飛び上がると、東雲の肩に飛び乗った。
「なっ………!?」
東雲は驚いたがすぐに足を掴もうとする。だが勾陳殿はすぐに元の位置に着地した。完全に舐められているな。東雲は煽られてもそれに乗る天狗ではないと理解しているが……。
「俺も舐められただな。では本気でいかせてもらおう」
東雲の妖力が一気に高まる。……あやつ、怒っているな。今までにない速さで東雲が間合いを詰めるが、勾陳殿は涼やかな微笑を浮かべるだけであった。
勾陳殿はくるりと避けると、東雲の翼に何かを投擲する。東雲も咄嗟の判断で飛翔したが、羽根が地に落ちて血が地を僅かに染めていた。翼が大きいのが仇になったか。
「翼を傷つけられるとは情けない……と言いたいところですが、先程の天将よりも俊敏さに長けているのでしょうな。某とて敵うかどうか」
最初は東雲に批評をしていた凩殿だったが、小柄な体躯で東雲の攻撃を余裕で避けて傷を負わせた勾陳殿の異常さに気づいたようだ。
「凩程の天狗が言うとは侮れんな。ところで、翼を傷つけられて治るのか」
「ある程度の傷ならばあの結界の力で癒えますが……東雲の飛び方からして結界の力を借りても数日は要しますな」
数日程度で済むならいいが、心配にはなる。あまり無茶をしてくれるな。それが伝わったのかは分からぬが、東雲はすぐに地に足を着けた。遠くからでも苛ついているのが何とはなしに分かる。
東雲は剣を構えて、風を切る勢いで急降下する。先程よりも妖力が色濃く見える辺り、剣よりも妖力の衝撃をぶつけるのだろうか。
勾陳殿もそう判断したのか、彼の神気が膨れ上がった。
「……いかん」
五行の考えとしては火によって土が生まれるのではなかったか。だとしたら東雲が妖力を高めれば逆に……。思わず立ち上がろうとしたが、凩に腕を掴まれる。凩は首を横に振っていた。
「これは東雲の闘い。指図は無用にございます」
それはそうだが……。舌打ちしたい衝動を飲み込んだ次の瞬間、轟音が耳に響く。風琴がはっと目を遣ると、妖力と神気がぶつかった衝撃で爆発が起きたようだ。東雲は無事なのか!?
砂埃で中々見えなかったが、次第に結界内が露になる。そこには剣を支えにして今にも崩れ落ちそうな東雲と平気そうな勾陳殿がいた。
これは決着が着いたのではないか。そう思ったが、東雲は剣を持つ腕を上げて駆ける。無茶な。東雲は剣を横に振ろうとしたが、限界であったのかその身体が傾いだ。その途端、結界の壁が解除される。
命を賭けた手合わせではあるまいに、無茶をする。風琴は翼を広げると、地面に叩きつけられる寸前に東雲を受け止めた。
「手合わせなのだから、無謀なことをするな。戯け」
「風琴すまん……」
東雲は妖力を力尽きたのかそこで気を失った。
東雲を抱き抱えた風琴の後ろから、足音が近づいてくる。
「正直、土行か木行だったら此方が危うかったよ」
「世辞は無用。こやつが負けたのは事実ですから。……ですが一応、後でこやつに伝えておきまする」
やはり、東雲の妖気の衝撃が吸収されて、勾陳殿の神気を勢い付けさせたか。五行を定めた天の理の何と無情なことか。溜め息を吐いて東雲を見下ろす。
面を固定する紐が解れ、素顔が若干見えていた。……まあ、久しぶりに見たがそこそこに男前じゃないか。でも気を失っているせいか、幼くも見える。あの頃のこいつは我の手を引っ張って連れまわしていたなどと思い出してしまった。
「……戯けが」
風琴は東雲の面の紐を結び直すと、薬師達に東雲を渡した。東雲の血を嗅いだせいか、若干己の血が騒ぐ。
「やあ風琴殿。いよいよ我らの番ですな」
気づけば風琴の横に騰蛇がいた。ああ、ついにこの方と闘うのか。思わず口角が上がってしまう。
「そうですね。今のところ此方は2敗。ここで負けるのは天狗の名折れ。手加減は致しませぬよ」
「ほう? 貴方はそれだけの自信があるのか?」
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「どうやら負けるつもりはないらしいな。気に入った。互いに全力を出そうではないか」
騰蛇の目が猛獣の如くぎらつく。ああそうでなくては。面の下で風琴は猛禽の目で笑った。
風琴の興奮が伝わったのか、無意識に掴んだ柄が音を立てる。風琴は高まる興奮を押さえつつ、騰蛇と共に陣に足を踏み入れた。
騰蛇は得物を佩いていないが、周囲に赤き神気が漂う。
神気が炎となって煌めいかたと思えば、騰蛇の手には太刀があった。
下手をすれば剣が折れかねんと風琴は剣を見下ろす。
なあいけるか。風琴は剣に問う。剣が言葉を話せるわけが無いが、是と答えてるように剣の波動が伝わってきた。それでこそ我が剣。
剣を鞘から抜くと、風琴の妖力に反応して淡く光を纏う。
「いざ尋常に……始め!」
抑えていた妖力を解放すると、その衝撃のままに駆ける。騰蛇はにやりと笑みを浮かべて風琴に剣を振り下ろす。
刃と刃。神気と妖力がぶつかる衝撃で砂に足跡の線が引かれる。こんなに強い奴は久しぶりだ。熱い神気が面越しに伝わってくる。力では何とか拮抗しているようだが、このまま刃をぶつけたままでは埒が明かない。それに剣が折れてはいかん。
風琴は太刀を受け流すと、騰蛇の胸元に刃を向ける。だがその直前で視界の端に何かが見えたのですぐさま後方に飛んだ。
「風琴殿よ、あんたやっぱりそんなに妖力を隠していたのか」
「貴方こそ尋常でない神気をお隠しになられていたではありませぬか」
周囲の結界がぱりぱりと音を立てている。これは結界がもたぬのではないか。そうなった時、勝敗は決まるのだろうか。
「目の前に相手がいるのに考え事とは随分と……余裕のようだなあ!」
騰蛇が太刀を振った途端、刃の軌跡を描くように神気が風琴に襲いかかってくる。
瞬時に翼を広げて避けると、東雲のように一直線に急降下して剣を振り下ろした。
相手も想定していたようで、刃は受け止められる。すぐに体勢を整えると、剣を振った。
金属音が何度も耳に響く。刃はあまりにも重く、鼓動が早くなっている自分がいた。
騰蛇殿の方も表情に余裕が無くなり、若干息が上がっている気がする。
ああ、楽しくて仕方がない。我を此処まで本気にさせる相手などいない。もっともっと刃を交えたい。衣が台無しになるのも気にせず、風琴は剣を振る。
何百回金属音が響いたことか。決着が着く前に結界が音を立てて割れた。
「お二人ともそこまで! でないと周囲に被害が及んでしまいます!」
長の言葉に刃を止めると、一気に倦怠感が身体にのし掛かる。此処で膝を折っては負けを認めることになる。
風琴はふらつきそうになるのを必死に堪えて、目の前の騰蛇を見る。騰蛇も衣がズタズタになっており、見る影もない。
「ということは勝敗の決着はお預けということかな、天狗の長殿」
「そういうことになりますね。それにお二人がそんな状態では……」
長が言葉を詰まらせる。結界を再構成して続けても構わないのだが、掠れている紋様からして手間と準備がかかる物なのだろう。
あら残念と、騰蛇は太刀を炎に戻して消滅させる。我も剣を鞘へと納めると、共に陣を出た。
「引き分けとは、なんともまあ味気のない幕切れだ」
「そうですね。ですがあのままでは、我が負けていたやもしれませぬな」
騰蛇はかかっと笑うと我の肩を叩いた。
「いいや。案外俺が負けていたかもしれんぞ。でもあんたになら負けてやっても、胸がすっとしていただろうさ。あんた中々強いなあ」
普段ならこの程度の褒め言葉なぞ何とも思わぬ。だが自分よりも強いであろう人外の者に言われるのは、こそばゆい気がする。
風琴は無意識の内に面の下で笑みを零した。
騰蛇殿が泰重達の元に行くと、薬師が此方に駆け寄ってきた。
「御隠居大丈夫ですか!? 衣が随分と酷い有り様ですが」
「これくらいなんともない……っ……うわ……」
急に立ち眩みがしてよろける。薬師はすっと我の身体を支えた。
「ほら、言わんこっちゃない。妖力をかなり消耗しているんですよ。それに玉のように白いお肌に傷が付いちゃってます。ここは我々の治療を受けてくださいな」
薬師は我の腕を己の肩に回すと、小屋へと連れていく。中に入ると、言われるままにぼろぼろの上の衣を脱いで、翼を広げた。
翼を月夜以外に触られるのは嫌悪感しか無いが仕方がない。薬師は触診しながら、あーとかうーんとか唸っていた。
「身体は勿論のこと、翼も少し傷んでますね。というかあれだけの戦闘でよくその程度ですみましたよ。薬を渡しておきますので、帰ったら御弟子さんに塗ってもらってください」
「ああ分かった……っ……」
あちこちに沁みる薬を塗られ、思わず呻き声を上げる。……そういえば月夜はこの姿を見ているのだろうな。此方で勝手に鏡のそれを遮断はできない。帰ったら月夜に怒られるのだろうか。薬の痛みに耐えながら、風琴は月夜の顔を思い浮かべていた。
あちこちに包帯を巻いてもらってほっと息をついてると、薬師が目の前に立った。
「念のために、お顔に傷がついていないか拝見させてください」
……そういえば、こいつも我の素顔を知っている数少ない一人だったな。それでもあまり素顔を見せたくないんだが。
「……どうしてもか?」
「どうしてもです。御隠居は天狗一の美人さんなんですから、傷によって損なうようなことがあっては私は薬師の役割を返上しなければなりません」
そう言われては仕方がない。風琴は面を留めている紐を解くと、素顔を晒した。薬師は膝を折ってしゃがむ。我の顔をじろじろと眺めると、ふうと安堵の息を吐いた。
「大丈夫です。傷ひとつありはしません。いつも思うのですがお美しいですね。念のため、面で顔が荒れぬように洗顔用の薬でも渡しておきます」
「そんな女のようなことをしなくても……」
駄目ですと薬師が両手を掴む。そこまで真剣にならなくてもと言えば、首を横に振った。
「御隠居は御肌も美しいのに気を遣わないなんて有り得ないですよ。今は肌荒れが無くても、今後肌が荒れてしまったらどうするのです!? 人よりも寿命が長い分、肌はいつも労らなくてはならないのですよ!?」
「その通り。そんなに美しい容姿なら気をつけるべきだ。神仙にも負けぬ美貌なのだから」
「はいはい分かった……って騰蛇殿……!?」
生返事をしている最中に、薬師以外の声に気づいて思わず視線を向ける。気づけば小屋の入口に騰蛇殿が立っていた。
まずい、今は素顔だ。そこそこ好感は持っているが、素顔を見られることを許すような間柄ではない。風琴の白磁の顔が羞恥で真っ赤に染まる。恥ずかしさで固まる風琴を薬師が慌てて背で隠した。
「式神風情が御隠居のご尊顔を勝手に見るとは何と失礼な! この愚か者!」
薬師は頭に血が上ったのか、傍にあった包丁を投げようとする。我に返った風琴は反射的に薬師の腕を掴んだ。
「相手は客人。しかも我をここまでした相手に刃物を投げるのは止めておけ」
「ですが……」
尚も何か言いたげな薬師の手の中の包丁を取り上げると、面を被って立ち上がる。
最初は動揺のあまり何も考えられなかったが、落ち着いてくると沸々と怒りが込み上げてきた。声もかけずに入るとは無礼であろう。
「騰蛇殿。どのような御用でしょうか。我々が素顔を晒すのは親しい間柄のみでして、お声がけも無く勝手に室内に入るとは品格を疑う行為と言えましょう」
「声はかけたが貴殿方が話に夢中で聞こえない様子だったのでな。しかしすまないことをした」
あっさり頭を下げたので拍子抜けした。同族だったら羽を折っていたところであるが、部外者なのだ。悪気があった訳ではないのだから許すべきだろう。
「そうでしたか。此方も気づかずに申し訳ない。それで御用は何でしょうか」
「先程、手合わせとはいえ怪我をさせてしまったから謝罪をしたく参った」
本気ですまなそうな顔で騰蛇が謝ってくるので、風琴は目を瞬かせた。
「いえ、お気になさらず。手合わせでの怪我など覚悟の上ですので。騰蛇殿こそ、怪我は大丈夫なのですか」
俺は怪我など日常茶飯事だからなと騰蛇殿が笑う。日常茶飯事なのは日々人を脅かす鬼どもと戦っているからなのだろうか。
「貴方のような強力な式神がいて、土御門も心強いでしょうな」
「いやあ……どうでしょうな……。存じ上げておられるかもしれませんが、俺は驚恐畏怖を司るとされておりまして……土御門や紅月はともかく人間にとっては恐怖の対象でしかない」
騰蛇殿は苦笑する。……そうか。人間は強い者を恐れ、異端をすぐに排除するからな。いや、それがひ弱な人間の生きる本能というものだろう。
親近感のような物と胸の痛みに言葉を返せないでいると、突如頭に聞き慣れた声の叫びが響いた。
「…………月夜?」
風琴は呆然と愛弟子の名を呼んだ。留守の間は数名の天狗が屋敷の周囲の警備に当たっている。それなのにあれほど緊迫した様子で名を呼んだということは……。風琴は全身の血の気が引いた。
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