気高き翼に手を伸ばす

幽月 篠

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穏やかな日々の崩れる前触れ

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 お前には平和な日々を過ごしてほしいと願っていたのに 


「今すぐ庵に戻る。さっき渡すとか言った物は後日東雲に持たせろ」
「無茶です! 薬はともかく、翼に怪我を負った状態で無理に飛んでは、一生飛ぶのに支障が出るかもしれないんですよ!?」

 風琴は、薬師が風琴の腕を必死に掴むので振り払おうとする。しかし薬師は中々離さない。
 こうなったら無理矢理でも飛ぶか。翼を動かすと途端に痛みが生じて風琴は呻く。痛みはあるが堪えれば何とか飛べる。でも間に合うだろうか。
 先程など半刻以上はかかったというのに。風琴が小屋を出ようとすると、騰蛇に肩を叩かれた。

「そこの男の言う通りだ。それに、一応俺も飛べます。乗り心地は保証しないが、早さは抜群。運んで差し上げましょうか」

 騰蛇は翼が生えた蛇だと書物に記載されている。我が火行の妖力とは言え、燃える可能性もあるそれでも構わなかった。

「頼む……」

 普段本気で相手に頭を下げたことのない風琴が、頭を下げて頼み込む。騰蛇は分かったと笑うと、風琴を胸の前で抱えた。炎を纏った真っ赤な翼を広げると、騰蛇は流星の如く凄まじい早さで空中を飛ぶ。
 こんな飛び方のやつなど見たことない。正直に言えば吐き気がするし目を開けているのが辛い。だが、赤い神気に包まれているというのに一切の痛みも無く、むしろ優しさのようなものすら感じる。

「もっと飛ばしても構わないか風琴殿」
「ああ、出来るだけ急いでくれ」

 我の結界が強固とは言え、あれから時間が経っている。いくら強固のものでも、もし相手が強いものであったら持つとは言いにくい。
……我がどんな苦しい思いをしても構わない。ただ、月夜が無事であるならそれでいい。
 あの子が我の世界に光をくれたのだ。あの子がいなければ、我は生きる意味などない。
 頼む、間に合ってくれと幼い頃のように一族の守護神である国津神に祈った。




 時は少し遡り、風琴と騰蛇が手合わせをしている頃である。月夜は風琴が闘う様を目を輝かせて見ていた。

「師匠……すごい……」

 師匠の剣筋には一切の迷いがない。面を被ってはいても、その眼差しがどれほど凛としていて、強い輝きであるか手に取るように分かる。

「あれ……?」

 神気と妖力が凄まじい衝突を繰り広げているせいで見えにくいが、師匠の翼が出血しているような気がする。
 全然痛がる素振りを見せないのは、堪えているのか。あるいは戦闘行為で血が昂って痛みを感じなくなっているのだろう。
 翼だけでなく剣と太刀がぶつかり合う度に、衣が裂けて白絹の肌に赤い線が増えていく。それに気づくと段々に心配になってきた。師匠を組み敷いた際に目立ちこそしないが、皮膚が盛り上がった傷跡が複数箇所にあった。
 師匠は強くて凛々しい方だと重々理解しているが、これ以上あの美しい肢体に傷がつくのは嫌だ。そんなこと言ったら師匠に怒られるだろう。

「でも師匠……楽しそうだな」

 私の心配を他所に、師匠の剣捌きがより精度が上がっている。こんなに楽しそうな師匠を見るのは初めてだ。私もいつか師匠が楽しめる程の腕前になれるだろうか。

「……いや、流石に厳しいかもなあ」

 相手は天将という異国の神だ。神になろうなどと烏滸がましいにも程がある。だけど、いつかこんな風に……。
 剣戟けんげきの音が幾度も響き、結界が壊れてからようやく戦闘が終わった。
 師匠の傷跡が痛々しいが、師匠の様子から察するに晴れやかな気持ちでおられるようだ。
 向こうには手当てする者がおられるようだし、後は師匠を待つしか出来ない。
 夕食を作りたいが、今日も泰重殿が此方に来られるようだし難しいだろう。うーん、厨に入れてもらわねばムズムズするのだが。
 その時、何処からか叫び声がする。何事だろう。月夜は咄嗟に護身用の形見を手に取った。

「どうやって結界を破って入ってきた!? 山は神の結界が覆っているというのに!!」
「それよりも早く、長とご隠居に報せを! っ……がああ____!!」

 ぐちゃりと何かが裂ける音と喉が裂けんばかりの絶叫。……兎を捌いた時も似たような音がした気がする。障子越しに鉄の臭いがして、月夜の全身の血の気が引いた。

 助けなくては。だが私はただの人間。天狗の方々よりもずっと非力な存在だ。それに……

『我が呼ぶまでの間、障子を開けぬようにな』

 師匠から言いつけられている。此処に入れば安全なのだ。月夜は目を閉じて小刀を握りしめていた。
 恐怖のあまり、カタカタと刃が震える音がする。外では悲鳴や肉が裂ける音。ばりばりと肉と骨を食らう音がする。
 今のところ、少し離れた位置から聞こえるが、近づいた場合どうなるのだろう。恐怖と罪悪感で涙が溢れる。

「師匠……!」

 師匠、早く来て。たすけて。貴方に拾ってもらった頃のように縋るしかない。何度も胸の中で師匠を呼びながら月夜が息を押し殺していると、障子越しに音がした。月夜が目を開けると、外から声が聞こえた。

「ご隠居のお弟子さん。ご隠居さんから言われたでしょうけど、厄介なことになったから出ないように」

 声は青年のようだ。良かったと胸を撫で下ろしたが、血の臭いが濃くなった。

「貴方まさか……お怪我を……」
「女天狗達を屋敷の結界内に隔離する際に右足を食われました。……ははっ……俺の師匠、怒るかな……」

 足など食われれば失血死は免れないだろう。月夜は障子に近づいた。

「早く止血を……」
「駄目です。俺は貴方を守るように命じられているのです。他の奴も食われたか、里に報告に行っております。守る奴が俺しかいないのに、結界に籠るわけには……」

 青年は痛みに呻くと、乾いた土に倒れこむ音がする。私は里の天狗である貴方達に良い感情を抱いていなかった。なのに、この方は足を失っても私を守ろうとしてくれる。
 ……そんな方を私はこのまま見捨てることなど出来ない。月夜は勢い良く障子を開けた。部屋の3丈先には右膝から下を歪に切断された天狗が倒れている。彼は驚いていて、月夜を見上げた。

「貴方、何をやっているんですか!?」
「部屋の中なら大丈夫なのでしょう。運びます」

 月夜は男の身体を抱き上げようとする。だが、師匠よりも重く肩に腕を回すので精一杯だ。月夜が呻きながら運んでいると、何かが凄まじい早さで此方に這い寄ってきている音が聞こえた。

「っ……うおお__!!」 

 振り返れば足が竦んでしまう。月夜は声を上げると足に力を入れた。だが走る程早くはなく、近づいてくる音の方が早い。背後で生温かい空気がかかった途端、自分の身体が火が着いたように熱くなった。自分に何が起こったのかを理解する前に、身体が淡い光を纏ったかと思うと、獣よりもおぞましい絶叫がこだます。これは師匠の唾液による効果か。化物が動かぬ内に部屋まで運ぶと、目を瞑って障子をぴしゃりと締めた。
 結界の波動が部屋を覆うのを確認すると、天狗の傍に膝をつく。止血の術は習っていた。

「生の循環、外に漏れること勿れ……」

 月夜の霊気が天狗の足の切断部を真綿の如く覆う。ぱたぱたと止まらなかった出血が止まり、天狗の呼吸が穏やかになった。

「この馬鹿。俺なんかの為に命をかけようなどなさらないでください」
「ですが、私は師匠の弟子です。師匠は同胞を見捨てる方ではござませんので、いてもたってもいられなくなりました」
「そうですが……」

 天狗は溜め息を吐くと、外を睨んだ。障子越しでも邪気が伝わってくる。仕留めることは出来なさそうだし、籠城となる。

「俺の血の臭いに寄ってきますよ。対処が分からない内は、ご隠居か東雲殿くらいしか……いや待て。手合わせでご隠居と東雲殿はどうなりました」
「東雲殿は気を失い、師匠は妖力を使い果たされたご様子でした」

 天狗の手が震える。そうだ……師匠、あの状態で来れないだろう。私達はどうすれば。月夜の顔が青ざめると、ドンドンと障子から部屋へと振動が走る。……いや、これは突進しているのか。月夜の前に天狗が出ると、剣を構えた。

「ご隠居の結界は堅牢ですが……相手は天狗を食った化物。純粋な天狗も一人食われましたので、まずいかもしれませんね」

 天狗の首元に汗が伝う。化物は障子越しでも分かるように、結界を破ろうとしていた。かすかに亀裂が入っているが、いつまで持つのか。振動が響く度に月夜と天狗の青年は恐怖でおかしくなりそうだった。

「師匠……風琴様………!」

 師匠は来れないかもしれない。だが、それでも貴方をよすがにしてしまう。月夜が風琴の名を呼んだその瞬間、稲妻の如き眩い閃光と轟音が、外を包んだ。

 あまりの眩しさに月夜と天狗は目を腕で庇う。耳に響くは何かの断末魔。そして……凄烈なあの人の妖気。光が消えたのを確認して月夜は障子を開けた。
 そこには焦げた巨大な物体とその上に立つ一人の男がいた。

「師匠……!」

 ああ、やはり来てくれたんだ。月夜が裸足のまま駆け寄ると、風琴は化け物に突き立てていた剣を納めた。

「月夜、無事だったか」
「はい! それより師匠、天狗の方達が……」

 月夜が状況を報告しようとすると、風琴の身体が傾ぐ。月夜が慌てて風琴を受け止めると、その身体から殆どの妖気が感じられない。月夜は頭が真っ白になった。

「師匠、大丈夫ですか!? 師匠……師匠……」

 揺すっても一切起きない。まさか化け物に何かされたのか。不安のあまり月夜が動けないでいると、背後から肩を叩かれた。

「君が風琴殿のお弟子さんか。大丈夫だ。俺との手合わせと此度の化け物を倒すのに、妖力を使いすぎて眠っているだけだよ」

 振り返ると、美しい若武者のような男がいた。そういえば師匠と手合わせをしていたのはこの方だったか。

「貴方は確か……十二天将の騰蛇……殿」
「そうだ。俺は土御門家の式神。十二天将が一人、騰蛇だ。以後お見知りおき」

 師匠との手合わせでは怖い雰囲気でしかなかったが、こう目の前にすると東雲殿のような気の良い方に感じられる。土御門の式神というのだから、悪い者ではないのだろう。

「私は月夜と申します。騰蛇殿、なぜ師匠と一緒に?」
「君の師匠に頼まれて運搬役をね。もうすぐしたら、泰重や天狗達が来るだろうから、まずは中に入っていようか」
「そうですね……」

 月夜は風琴を胸の前に抱える。師匠はあの青年天狗よりもずっと軽い身体を酷使して私を守ってくださったのだ。
 ……ああ、ただ守られる存在とは何と苦しいのだろう。早く天狗になって貴方のお力になりたい。
 月夜は風琴に無理をさせてしまった不甲斐なさに唇を噛み締めた。



「痛……い……」

 風琴はあちこちに痛みを覚えながら目を覚ます。我は何故寝ていたのか。確か、騰蛇殿に庵に送ってもらったのだ。
 それで、上空から化け物を見た途端、剣を抜いて落下の勢いと残りの妖力を全力で出して仕留めた。月夜の顔を見たら安心したのは覚えているが、そこから気を失ったのか。
 外を見ればとっくに日も暮れており、夜となっている。……そうだ、月夜は!? 風琴が起き上がると同時に襖が開いた。手に桶と手拭いを持った月夜が呆然と風琴を見ている。目が合うと、たちまち月夜の両目が潤んだ。

「師匠良かった……! 1日半も眠っておられたのですよ」

 月夜はその場に桶を置くと、風琴に飛びついてくる。風琴は月夜を受け止めると、その背を軽く叩いた。しかしそんなに眠ってしまうとは。
 手合わせに熱が入りすぎて、万が一のことを考えられなかった我が悪い。
 ここ数十年は隠居生活を送っていたせいで、危機感が鈍ってしまったなと苦虫を噛み潰したような顔をした。

「心配をかけてすまなかったな。……しかし、その間大丈夫であったか」
「泰重殿や紅月殿、そして十二天将の方々があの後から傍にいてくださったので何とか」

 そうだったか。そのことに関しては礼を言わねばならぬな。月夜の頭を撫でてから離れる。

「月夜、我が留守にしてから眠っているまでの間のことを話してくれるか」

 月夜の表情が陰る。おおよそ、良くないことばかりであったのはすぐに分かった。言いたくないのであろう。それなら他の者に聞くしかないが。

「はい……。お話いたします」

 月夜はその場に腰を下ろすと、重々しく口を開いた。あの化け物は山の結界を破って入って来たらしく、比較的結界の方に近い此処に来たのだとか。天狗は3名食われ、他に3名負傷。
 負傷者のうち、1名は片足の膝から下を食われたが、月夜の救助と薬師の処置で助かったという。
 幸いであったのは、庵の結界内の女天狗全員や厨にいた天狗が無事であったことと、化け物は一体のみであったことか。よもや、山の結界を破るとは……。風琴は秀麗な顔をしかめた。
 
 こうなっては対岸の火事では済まされない。土御門との盟約が現実味を帯びてきたということだ。此処何百年、邪気を放つようなものに殺されるということは無かったので、今頃里は大騒ぎであろう。月夜は守れたが、殺されてしまった者が出るのは胸が痛い。きっと家族や、我達のように契りを結んだ師弟関係の者もいた。突然大切な者を喪った悲しみは計り知れない。考え込んでいると、いつの間にか月夜が気まずそうな顔をしているのに気づいた。

「ところで月夜。我が呼ぶまでは障子を開けるなと申した筈。言いつけを守らなかったのか」
「それは……申し訳ございません。ですが、師匠ならあの方をお見捨てないと考えてしまい行動に移してしまいました」

 月夜は肩を落として、叱られるのを覚悟している。月夜の言い分が分からなくもないが、それは我が強いからであって人間である月夜では危険でしかない。
 我が口づけを通して妖力を与えてなかったら命を落としていたのは確実。
 だが、月夜が行動を起こさなければ、その天狗が取り込まれて、我でも仕留められなかったかもしれないことを考慮すると、何とも言えない。

「此度はお前とそやつが無事であったから良いものの、そんな無茶をしては我の肝が冷えるぞ。里の者は確かに大事だ。だが我は誰よりもお前が大切で愛おしいのだ。せめて契りを結ぶまでは、もう自分を危険に晒すことはしないでくれ。分かったな」

 我が凄まじい剣幕で叱りつけるとでも思ったのだろうか。月夜は拍子抜けでもしたかのような表情になる。いつもならそうしていただろうが、今は妖力があまり戻っていなくて本調子ではない。
それに月夜の行動を全否定するようなことはしたくなかった。

「怒らないのですか……?」

 おずおずと顔を上げる月夜を抱き締める。布越しのぬくもりと規則正しい鼓動が、月夜が無事であることを実感させた。

「少しは怒っているが、月夜が無事であったことの喜びの方が大きい」

 月夜が我を呼ぶ叫びが聞こえてから月夜の顔を見るまで、生きた心地がしなかった。お前が無事で嬉しい。風琴が月夜の背を撫でていると、ゆっくりと茵の上に押し倒された。

 頬に落ちるのは生温かい滴。見上げると、月夜が瞳を潤ませていた。

「師匠……っ……。本当は……私……」

 震える指や痛々しい表情から、どれだけ月夜が恐ろしい思いをしてきたか、容易にわかる。月夜を引き寄せると、その頭を撫でた。

「怖かっただろう。よく耐えた」

 月夜は我の衣を掴むと、嗚咽を漏らしていっそう泣き始める。月夜の涙を衣が吸いきれず、我の肌まで濡らす。
 昔はこうやって、我の腕の中で泣いていたな。ずっと戦乱とは程遠い、此処で暮らしてきたのだ。
 なのに、突然住処で血が流れ死人まで出るなど、古傷を折檻されると同じこと。その上、我が1日以上も気を失っていたのだから、どれ程心細かったであろうか。

「……すまない。我はお前には心穏やかに過ごしてほしかったのに怖い思いをさせてしまって」
「師匠のせいではありません。ですからどうか謝らないでください」

 泣きながら月夜は首を横に振る。それでも我は、月夜を危険な目に遭わせた己を許せないでいる。

「月夜、お前を争いから遠ざけたかったが、犠牲が出た以上、無理かもしれぬ。本当は丁寧に色々と準備をしたかったが、数日中に契りを交わすが良いか」
「……師匠のお心のままに。ですが、本当に私が思うようにして良いのですか」

 何を分かりきったことを聞いているのか。風琴は苦笑すると、月夜の耳元に唇を寄せた。

「ああ、勿論だ。お前になら、この身体を暴かれても構わない。……むしろ、お前の熱が忘れられぬ」

 ……自分で言っておいて恥ずかしい。だけど本当のことなのだ。夜な夜な、月夜に抱かれた日のことを思い出してしまう。
 天狗の矜持からの怒りよりもまた熱の楔を穿ってほしいという邪な思いがとうに上回っている。必死に耐えている自分の身になって見てほしいと、八つ当たりで煽ってみる。すると月夜は耳まで赤くなった。

「師匠……今は駄目ですか」
「駄目だ。東雲か薬師の奴が妙薬を渡すまではお預け。我慢くらい覚えろ」

 月夜は大人しく離れたが、どこかムスッとしている。

「師匠、ずるいです」
「ずるくて結構。女役であっても手綱を握るのは我だからな」

 少し不機嫌な顔だが、泣かれるよりはまだましだ。風琴は月夜をからかうように微笑を浮かべた。


 妖力が戻っていないのか軽く目眩がしたので、褥に戻る。我が空きっ腹であることに気遣ってから席を離れると、4半刻後に月夜が2人分茶碗と鍋を持ってきた。
 部屋に入り込んだ僅かな神気と霊力から察するに、泰重と六合殿が月夜の護衛をしてくれているようだ。風琴が安堵していると、月夜が鍋の蓋を開ける。中には熱い湯気を立てている雑炊。4杯分くらいありそうだ。

「月夜もまだだったのか」
「ええ、師匠が目を覚まされるまで食事をする気分ではございませんでしたので」

 こやつは本当に我を心配してくれたのだな。月夜がよそってくれたそれを受け取ると一口食べる。優しい味わいで塩加減も程よい。小さく刻んだ肉が入っており、普段肉を食べない我でも美味しいと思えるくらい臭みが抜けている。

「うん、美味い。やはりお前の作るものは最高だ。おかわり」
「ありがとうございます。ところで師匠、味つけを変えてみたんですが覚えておられますか」

 風琴は新たによそってもらった茶碗の雑炊をじっくりと見る。いつもよりも漬け物の量が少し多く、兎肉や野蒜のびるなどの山菜が沢山入っている。確かこれは……。

「お前がまだ此方に来て半年経ってない頃に作ってやったやつか」
「そうです! 師匠が覚えてくださっていて嬉しいです」

 あの頃は月夜がよく熱を出していたのが心配で、滋養に良く飽きぬように味つけを変えねばと色々考えていた。月夜は我に迷惑をかけていると、余計な心配をして、泣きそうな瞳で謝ってきたのを思い出す。

「お前こそよく覚えていたな。その頃のお前はまだそんなに料理も出来なかっただろ」
「忘れられる訳がありませんよ。それに幼い私を師匠が抱きしめてくださったぬくもりも」

 幼いお前を安心させたくてやっただけなのに、覚えていてくれるとは照れくさくなる。風琴は頬を赤く染めると、気恥ずかしくなって目を逸らした。

「冷めては勿体ない。お前も冷めぬ内に食え」
「はい、そうですね」

 月夜は笑って頷くと、2杯目を食べ始めた。
 鍋が空になって白湯を飲んでいると、障子の向こうに人影が見えた。

「御隠居、私です。入ってもよろしいですか」

 紛れもない長の声。月夜に目配せで離れるように伝えてから、長に入るように促した。

  月夜が襖の方から退室したと同時に、長が部屋に入ってくる。長は誰もいないことを確認すると、面を外して頭を下げた。

「兄上。此度は申し訳ございませんでした」
「別に謝らなくていい。悪いのは、結界の強化を怠った我と化け物の方であろう。貴方も大変だったな」

 長は泣きそうな顔を上げる。こやつは400歳以上の割には精神的には青二才。だが、こやつの代ではろくに争いごとも無かったから、今回の処理で大変であっただろう。長の肩を軽く叩いた。

「我の前では別に良いが、そんな顔をしていると義母上に見られたら叱られるぞ」
「兄上の前だから、情けない姿を曝け出せるのです。母の前ですれば怒鳴られます」

 息子であっても天狗の長に対して怒鳴るとは、あの女本当に好かんな。風琴が眉間に皺を僅かに寄せると、長は慌てて本題に戻した。

「ところで、此度のことは兄上はどれ程ご存知なのですか」
「月夜からある程度の話は聞いたか。長老達や里の者達の意見はどうなった」

 長は言いたくないのか若草色の瞳を伏せて唇を噛む。暫くして覚悟を決めたように顔を上げた。

「人間と協力するかは意見が割れてますが、天狗も外の鬼どもと戦うべきだという意見が殆どです」

 それはそうだろうな。風琴は腕を組む。天狗はやられて黙ったままの性分ではない。それに強い仲間意識と高い矜持を持っている故、仇は返すべきと考えるのが当然だ。

「それで……本格的に戦になれば兄上を筆頭にすべきと……」

 手合わせで血が昂った我を見たのなら当然だろうな。それに我は上からすれば邪魔者だ。鬼を退治出来れば功績が残るし、死んでも里には大した損害が無い。

「隠居の身をこき使うのだな。我は別に構わない。ただし、契りが完了せねば動かぬぞ。弟子の安全が保証出来ぬのでな」
「流石にすぐという訳ではございませんので大丈夫です。ですが……本当によろしいですか。母上や取り巻きの長老どもはあまりにも兄上を……」

 長の唇を手で塞いで黙らせる。長を少し睨むと、大人しくなった。

「長を最前線には出せぬだろう。それに、我は簡単にくたばるつもりはない。里のためにも……弟子の為にも」

 月夜には契りを終えてから言おう。……月夜が泣いたら嫌だな。あやつの泣き顔を見るのは我がことのように苦しくなってしまうから。
 安心させる為に無理に作った風琴の笑みは、長には悲しげに映った。
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