気高き翼に手を伸ばす

幽月 篠

文字の大きさ
25 / 31

決戦の時

しおりを挟む
その血の雨の主は誰ぞ



 いよいよ決戦の日となった。風琴は月夜に髪を結い上げてもらいながら、己は手甲を付ける。

「本当は師匠のお側に居たいのですが、駄目なのですか」

 月夜がどうしてもという声で問う。いくら月夜が可愛くても、これだけは聞けぬ。まだ天狗として不安な部分も多いのだから。

「駄目だ。涼太と共に後方で陰陽師どもの護衛と支援をしていろ」

 闘いながら退魔の術を唱えられるのは、百地と紅月のみ。他の者達は、術を口ずさみ指で印を結ぶ間は無防備だ。それを式神達と共に護衛をするのが、今回の月夜の役割である。

「ですが……いえ、我儘はいけないですよね。ですがこれだけはせめてさせてください」

 結い終えた月夜は我の目の前に来ると、そっと唇に口づけを施してくる。我は目を瞑って受け入れた。

「師匠、どうか御武運を」
「ありがとう。では出るぞ」

 月夜は仕上げと我に面を被せる。面の紐を結ばれると、いつにもまして気持ちが引き締まる思いがする。そして皆が待つ陣幕の外へと出た。すぐ傍には東雲が片膝を突いて控えており、我が現れるとさっと立ち上がる。

「風琴、皆がおまちかねだ」
「ああ、分かっておる」

 東雲は一見平静とさほど変わらない。だが、微かに声が掠れており、白目の部分が若干赤くなっている。   
 我のせいで泣き腫らしたのか。まだ泣き虫だった頃の我に、男の子は泣くんじゃないと口煩く言ったお前が。その事実に胸が痛む。我がかつて憧れまで抱いたお前を傷つけてしまった。
 悪いことをしたとは思っているが、昨夜のことを後悔はしない。それに、お前が我にとって大切だという事実は変わらないのだ。

「東雲、お前に背中は預けるぞ」
「委細承知」

 東雲は軽く頭を下げる。顔を上げた東雲は、いつものように悪戯小僧の如くにやりと目を細めていた。


 陣幕の外の戦場がよく見える場所に、既に大勢の天狗達が揃っている。怪我人であった殆どの者も、無事に戦場へ飛び立つのが可能なほど回復していた。

「皆の者。今までよう死者も出さずに戦い抜いた。皆のお陰で、今日の戦が大詰めとなる。気合いを入れて戦うように」

 風琴の凛とした力強い声変わり辺りに響く。風琴の声に呼応するように、天狗達も大声を上げた。

「ほう、そちらは気合い十分と見た」

 その声に視線を移すと、僧正坊が立っていた。腰には今までと違った剣を佩いている。

「ええ、此度は決戦ですから。鞍馬の方々もやる気が漲っておられるようですな」

 僧正坊の背後にいる鞍馬の天狗達の妖気は溢れんばかりである。今回の戦では期待できるだろうな。負けておられんな。風琴は面の下で笑みを浮かべた。

「ところでおぬしの剣……もうそろそろ成るようだな。若者にしては立派よのう。遮那王を思い出すわ。よし、貸してみい」
「え? はい、承知いたしました」

 成るとは一体どういうことだ。剣霊のことなら、既にいるのだが。でも僧正坊ならば貸していいか。風琴が僧正坊に差し出す。
 僧正坊が受け取ると、何かをぶつぶつ唱えながら剣を鞘から出した。剣は淡い光を放った後、ふつりと光が消える。

「これでよし。では風琴、これからも剣を大事にせい」
「はい、承知いたしました。ありがとうございます」

 剣を返してもらうと、一度妖気を通してみる。いつものように……いやいつも以上か。妖気がすんなりと通るのが分かった。
 風琴が剣を鞘に戻すと、僅かに剣の波動が伝わってきた。よし、此度もどうか頼む。柄を握り締めて心の中で伝えれば、いつもよりも強い波動で応えてくれた。

「では風琴、比翼の如く空で戦おうぞ」

 僧正坊はかかっと笑い声を上げる。それから四半刻後、戦の始まりを告げる法螺貝の音が辺りに響き渡った。

 僧正坊は比翼と仰っていたが、正にその通り。陣形は鶴翼で鞍馬の天狗達が左翼を、我らが右翼を務める。どちらの翼の陣形が崩れてもいけない。鞍馬の天狗よりもこちらは若造が多い。彼らが混乱しないように指揮を執らなければ。
 法螺貝の音と共に、先陣を切った天狗達が渡り鳥の如く飛ぶ。敵側も、翼を持つ化物どもが空に広がっていくのが見えた。後方を飛ぶ風琴は空気の澱みに気づくと僅かに顔をしかめる。空気に含まれる邪気の濃度は濃く、息をすることですら辛い。よく敵方の外法師どもは平気なのかと聞きたいものだ。だが、その程度は予想できたこと。
 作戦通り僧正坊が団扇を用意したのを確認し、我も団扇を取り出す。そして僧正坊殿の妖気の波動の合図で一斉に団扇で妖力の風を起こした。2つの巨大な竜巻が瞬時に起きると、邪気が竜巻に吸い取られていく。竜巻が敵陣を通り過ぎた頃には、見違える程邪気は薄れていた。
 それでも、敵側からは少しずつ陽炎のような邪気がまた漂い始めている。

「皆の者、かかれ!」
「我らの力を見せつけようではないか」

 風琴と僧正坊の声が天高らかに響く。天狗達は呼応すると、得物を空に掲げた。
 此度だけは最初の時点での弓矢の使用が許される。それ故、此度弓兵に任命された者達は得意の弓矢を戦場で使えるのが嬉しいのだろう。
 矢の雨が敵の軍勢目掛けて降る。しかし外れた矢は視認出来るほど地に穴を開ける。これは本当に血と雨の肉が舞いかねないな。相手も馬鹿ではないので、矢のような黒い何かが此方にも降ってくる。
 それを我と僧正坊殿が妖力の風で跳ね返す。しかし、味方の矢を阻害せずに風を起こすのは細かい調整が必要なので億劫になる。風琴の首筋をじわりと汗が伝った。

「風琴、俺が傍にいるからお前は風を起こすことと統率することに気を配れ」
「分かっておる。……ありがとう」

 東雲は気にするなと答える。そして天狗達の軍は相手の攻撃を防ぎながらも、着実に相手方に進軍していった。



 泰重の近くで護衛をしていた月夜は、地から1丈3m程の高さから遥か上空の天狗の軍を見守っていた。今のところは順調なようだ。
 天狗になって遠くまで見えるようになったからか、師匠の立派な翼が此方からでも分かる。もし、師匠に何かあれば、私にも何らかの形で届く。だが、東雲殿がいるなら私は必要ないか?

「月夜殿、もうそろそろのようです。これからよろしくお願いいたします」
「は、はい!」

 地で戦うは人身に成れる狐と狼と蛇と猫と鬼。人間は百地に鬼祓いの方々などの土御門と盟約を結んだ術師達と、豊臣や徳川から今回は特別にとお貸しされた大名の軍勢か。
 人外が協力するのは、人と同盟を結ぶことで陰陽師の庇護下に入るためで、術師達も似たような理由だとか。ただ豊臣と徳川からの援軍はあくまで調伏する術などない。
 故に破邪の加護を与える意味合いも兼ねて、今から複雑かつ強大な陰陽術を行使するそうだ。それまでは私が此処を離れることは許されない。

「では開始する!」

 久脩殿の声で、一瞬周囲の温度が下がる。その合図と共に地で戦う者達が一斉に進軍していく。まるで川の水が流れていくようにあっという間である。
 そんな真似事が出来るのは、師匠達が空を守っているからに違いない。泰重殿達は、呼吸を合わせて同時に真言を唱え始めた。天狗の術は山伏の唱えるような陀羅尼もあり、師匠から教わっていた。
 それ故、なんとなくは理解できる。少しずつであるが確実に霊力の波動が強くなっている。清浄な空気は平穏に暮らしていた庵を思い出す。

「天狗君達、疲れないかい」

 下から声を掛けられて月夜は視線を地上に向ける。そこには太陰と天乙貴人というもう一人の十二天将の方が私を見上げていた。

「空に滞空する術は師匠に鍛えられておりますので」
「月夜、でも君はまだ慣れてないだろ。俺が空を警戒するから、羽を休めていいよ」

 涼太にそう勧められた。涼太はいつも私を兄のように気遣ってくれる。いつも特別扱いと思われぬようにと頑張っていた私にとって、その心遣いが嬉しくてたまに甘えてしまったこともあった。……しかし。

「師匠が頑張っているんだ。滞空ぐらい何てことないよ。それに、少しでも師匠に近い位置で見守りたいんだ」

 私の腕の中にいるときは艶やかで儚げなのに、懸命に戦う貴方の背に届かない。せめて同じ空で貴方を守りたい。月夜の思いを悟ったのか、涼太はそうかと優しく言った。

 最初は優勢かと思われた戦であったが、激しくなってきた。矢でなく剣が交わる位置まで接近すると、敵は必死に応戦する。風琴も指揮を執りながら剣を振るう。霊が宿った剣は、白露の如き光の残滓の弧を描いて次々に敵を一刀両断していった。

「本当にきりがないな」
「だけど、俺らのお陰で地上の奴達は有利に動けているようだ。この前のように時間稼ぎが必要だな」

 東雲が風琴を傍で守りつつ、剣で敵を斬りつけた。その剣捌きに感心しつつ、風琴は敵を斬り裂く。
 敵は邪気の影響を受けたことで、雑魚でも今までより強くなっている。だが今のところ、傷を負って後方に下がったのが数名程度。弱い者でも、陣形を整えつつ周りの者と共闘して懸命に戦っている。
 今のままなら問題ない。だがひとつ懸念がある。それはあの時戦った天狗のような者がいる可能性が高いことだ。いや、むしろ敵方に天の統率を任されているのかもしれない。微かであるが、あの者の気配を感じるのだ。

「東雲、いざとなったら任せる」
「いざとなったらなど言うな。確かにお前の指揮を間近で見てきたとはいえ、俺はお前の懐刀。命を賭してもお前を守るのが俺の役目だ」

 妖気の様子を見るに、東雲が少し苛立っている。言うなと言われても、我が何かあった場合、総崩れになってはたまったものではないではないか。
 しかしこの場合、なんと返せばよいものか。考えてみるが、喧嘩腰の返答ばかりが思いついてしまう。風琴は黙ったまま、剣で敵を斬り裂いていたが、20体目になってようやく思いついた。

「お前を信頼しておるが、正直純粋な天狗のお前であってもあやつに敵うか分からぬからな」
「は? 何を言って………くそ……そういうことか」

 東雲も気づいたのか、悪態をつく。我と東雲の視線の先には黒い液体を翼から滴らせる例の天狗がいた。

「天狗の小僧、久しいな。生きておったか」

 やはりこやつが空を指揮しているのか。我は無言で男を睨む。男は端整な顔を悪人の如く歪ませた。

「小僧、名は風琴であったか」
「答える必要などない」

 我の名を知っているのが不快でたまらぬ。我は剣を男に向けた。

「おいおいつれないなあ。前回は名乗らなくて失礼をば。今回は名乗らせて頂こう。蘆屋道満の式神が一人、黒雅こくが。以後お見知りおきを……いや、以後はもうないだろうな」

 相当な自信を持っているようだ。蘆屋道満……? 誰だったか。久脩の先祖と何やかんや争った、平民の術師の名前がそのような名前だったような……。それとこやつの名前の響きは覚えがないぞ。やはり知らぬ里の者か。

「言っておくが、黒雅という名は主につけてもらった名だ。天狗の名はとうに捨てた」

 捨てたと呟いた際、黒雅は我に憎悪にも似た眼差しを向けていた。

 我はこやつなど知らん。このように敵意を向けられるのは、親族が恨みを買うような真似をしでかしたか、土御門についた我を嫌っているのかのどちらかであろう。しかし指揮をしながら、こやつとやり合うのは面倒だ。風琴は舌打ちをする。

「黒雅とやら、どうして外法師側につく」
「それはだな。面白いからに決まっているだろう。屑どもの死骸が積み上がっていくのがさあ!」

 黒雅が口元を歪ませると、一直線に我に向かってきた。我は剣で黒雅の剣を受け流す。そして、黒雅との血で血を洗う戦闘が始まった。
 風琴と黒雅の闘いは熾烈を極め、他の者が手を出すことは出来ない。風琴は戦闘をしながら指揮を執ろうとしたが、その余裕すらなくなっていた。
 なので東雲が代理で指揮を執りながら、風琴に襲い掛かろうとする他の化物を斬っていく。不幸中の幸いは、敵の数に終わりが見えつつあるということだろうか。
 土地に染み込んだ邪念も薄れつつあるので、陰陽師達の破邪の陣が完成しようとしているのだろう。そうなれば土地を穢していた異界への道も閉ざされる筈。
 東雲はちらりと風琴を見る。風琴の衣はあちこちが裂け、血が滲んでいた。対する黒雅も同程度の傷を負っている。となれば、この二人は互角といえよう。

「風琴、俺がそいつの相手をしようか」
「お前には無理だ。……っ、くそ。しぶとい」

 風琴が悪態混じりに舌打ちをする。血を流しつつも黒雅はにたりと笑った。

「それはそうよ。何しろ俺は道満様の式神だからな。……ん?」

 その時、風を斬る音がしたかと思うと、黒雅の翼に矢が刺さる。黒雅は東雲や風琴の更に後ろを見た。そこには震えながらも弓を構えていた天狗がいた。

「ご……ご隠居に手を出して許されると思うなよ……」

 矢を射ったのは随分と若い青年の天狗だった。この状況で物怖じせず主君を守ろうとするのは見事。だが……。

「貴様こそ、道満様の式神に手を出してよいと思っているのか餓鬼が!」

 黒雅は羽を引き抜くと、青年に投げつける。羽は槍のように太く鋭くなると、青年の肩と翼を抉った。

「がっ………あああ___!?」

 青年は絶叫を上げながら地に落ちていく。風琴は視線を黒雅から逸らしそうになったが必死に堪えた。

「茴香、任せた」
「承知」

 後方で救護を担当する茴香は青年の首根っこを掴んで、何とか妖気の籠に入れる。黒雅は新たな羽で茴香を襲おうとしたが、東雲が扇で妖力の風を起こしてそれを阻止した。
 黒雅は恨みがましく青年を睨む。青年に射られた翼は穴が空いており、再生も難しいようだ。

「せっかく楽しんでいたのに興醒めさせやがって」
「我との闘いに興じている場合ではなかろう。貴様の配下の者達は散り散りになっているようだが」

 風琴の言うとおり、黒雅が指揮していた者達は統率を失い地面を血と肉で染めている。黒雅はそれをつまらなそうに見下ろした。

「あいつらは羽虫以下だ。異界からの鬼は弱すぎるし強い奴は統率の言うことを無視する。殺して脅しても無意味だし、殺すなと怒られた。人を捏ねた奴は強い筈なのに、中途半端な術のせいで人格が残っていて、殺してくれと懇願する使い物にならない奴ばっか。道満様の子孫に言われて指揮を勤めたが、やっぱり面倒。それよりも俺だけで強い奴を痛めつける方が性に合う」

 こやつに空を任せた奴は兵法に疎い阿呆ということか。だがその分、我が負けてはまずいことになる。勝てれば御の字、負ければ道連れの二択しかないということだろう。

「せいぜい楽しませてくれよ、小僧」
「我は貴様を倒すだけだ」

 風琴と黒雅は睨み合うと、また剣をぶつけた。何度も火花が生じ妖気がぶつかる。風琴は先程同胞の肉を抉った羽を警戒していたが、黒雅は翼を取り出す素振りは見せなかった。
 単純に我を剣で打ち負かしたいのだろうか。となれば、かつては武芸の修行に身を置き、剣に高い矜持を持っているのだろう。そして一対一に拘っているとなれば、東雲に助太刀を乞うことは難しい。
 それどころか東雲が殺されかねない。風琴は目の前の黒雅に専念するしかなかった。翼を射られたことで若干動きが遅くなっている。だが、剣の腕が落ちることはない。それどころか、翼の損傷による鈍さを補うように、本気になっているようだ。

「っ……」

 じわりと汗が伝う。剣に霊魂が生じていなければ、とうに折れていたかもしれない。頼む、もう少しだけ頑張ってくれ。我も全力を出すから。風琴に呼応するように、剣が光を纏う。
 そして、互いに息が乱れて来た頃、黒雅が風琴の首を斬ろうとした。だが風琴は髪を刃が掠れる程の寸前で避けて渾身の力で剣を叩き込む。

「…………!?」

 黒雅が避けようとしたがとうに遅し。黒雅の片腕は地に落ちていった。

 今回も片腕を落とされ、黒雅は悪態をつく。断面からはしゅうしゅうとと肉の焼ける音と臭いがしていた。手応えからして、今回は本物の血肉のようだ。

「小僧のくせにやるではないか」

 黒雅は腕を切り落とされたのにも関わらず、笑みを浮かべている。だが、顔は青ざめて脂汗が伝っていた。

「この程度でやられるとは思わぬがな」
「その通り、四肢を切り落とされても死なねえよ。いや、死ぬことが出来ぬな」

黒雅の翼が震えたと思うと、黒い粘液が腕の断面に集まる。そして粘液は腕の形を成した。

「さあ、風琴よ。どちらか死ぬまでやり合おうぜ」
「死ぬのは貴様だ。黒雅よ」

 風琴と黒雅が一筋の閃光の如く刃を交わろうとする。その時、突然凄まじい光と轟音が天狗達の視界を包んだ。
 風琴も黒雅も目を覆う暇などなく、視界を奪われる。風琴が視界を取り戻した時、全身が焼け焦げて痛々しい黒雅の姿があった。

「青龍の野郎……京の結界の守護で此処にはいないのではなかったか!」

 風琴が黒雅の視線を追うと、遥か上空で悠々と空を泳ぐ一匹の青い龍の姿があった。
 さっき熱を感じたのはそういうことだったのか。だが下手をすれば我も巻き込まれていたのではないか。風琴は思わず肌が粟立った。

「風琴下がれ」

 風琴は東雲に首根っこを掴まれて黒雅と距離を取る。黒雅は東雲をぎろりと睨むと、東雲に刃を振り下ろそうとした。

「どいつもこいつも俺の邪魔をするんじゃねえ!」

 東雲は剣で応戦する。窮寇には追ることなかれとはこのことか。重傷である筈の黒雅はいとも容易く東雲の剣を弾いた。

「っ……」

 思った以上の強さに東雲は驚きを隠せない。それでも風琴を守ろうと己を盾にした。そんな東雲の腕を風琴がすり抜ける。

「たわけ。己を粗末にするな」

 風琴の言葉が届いた時、ずぶりと肉を貫く音がする。東雲の目の前で風琴が黒雅の腹を剣で貫いていた。黒雅は衝撃のあまり、剣を落とす。
 風琴が剣を抜くと、黒雅の傷口からぼたぼたと黒い血と肉が溢れ落ちた。

「やっ………いや、風琴危ない!」

 よく見れば、血だけではなくあの粘液が傷口から溢れている。東雲が黒雅から風琴を引き離そうとしたが、黒い粘液はあっという間に風琴と東雲に絡まると翼の動きを拘束していた。

「つかまえた」

焼けるような痛みの中、黒雅の歌うような声が風琴と東雲の耳に響いた。
 ついに黒雅の翼が動くのを止める。すると風琴と東雲ごと落下した。急いで拘束を解かないとまずい。だが、粘液は東雲と風琴の首まで締め上げようとしていた。

「くっ………」

 薄れ始めた意識の中、風琴はどうすべきか必死に考える。東雲は足掻いているが、限界に近いようだ。我だけで対処しなければ。その時、辛うじて離さなかった剣の存在を思い出した。そうだ、大切な相棒のことを忘れるところであった。

「どうか……東………雲……を……」

 風琴は今にも取り落としそうな柄に力を込めて、渾身の力で投擲する。すると剣は自らがあるように、東雲に巻き付いていた粘液を斬り裂いた。それを確認すると、風琴が闇に沈んでいった。
 黒い粘液の拘束が緩むと、東雲は咳き込みながらも風琴を探す。風琴は黒雅と共に落ちていく最中であった。こんな高さならば助からない。

「風琴___!!」

 東雲は喉が裂けんばかりに名を呼びながら火球のように風琴を追う。翼が風で裂けて血が流れるが些末なことだ。何とか追いつくと、風琴に手を伸ばす。しかし風琴は手を伸ばす気配はない。あと少しで届くというのに。東雲が千切れんばかりに指を伸ばす。すると翼に僅かに触れた。   
 あと少し。だが、風琴達が落ちる先に異様な黒い穴がぽっかりと口を開けていた。以前、封印した湧き処に似ている。そこから吹き上げる気流を浴びて、本能で危険なものと感じる。早く、風琴を助けなければ。

「この小僧はもらっていこう。邪魔だ、羽虫」

 風琴を捕らえていた黒雅がにいと東雲に嗤う。その瞬間、東雲は鞭と化した粘液に打ち付けられた。

「がっ………!?」

 吹き飛ばされた東雲は何とか空中で体勢を立て直す。だが、その時になって周囲に清浄な霊力が満ちていることに気づいた。確か、陰陽師達は加護で人を守りつつ、異界からの道を閉ざして、敵の増援を止めると言っていた。このままでは風琴が連れ去られる。

「止めろ____!!」

 再び追いつこうとするが、間に合わない。周囲が眩い光に包まれ、何も見えなくなる。風琴の長い髪に触れた気がするが、視界が戻った時には黒雅だけでなく風琴の姿は跡形もなく消えていた。
 
 何かを感じた月夜は顔を上げた。泰重達の術はそろそろ完成するところであった。人へ神の加護を与える術は終わった。あとは敵の増援が沸く場所を封印するのみである。その術も終わりに近づいている。
 そこそこ敵と対峙することもあったが、師匠や紅月殿に比べれば雑魚も同然。それに、毎日手入れをしたり話しかけているお陰か、剣の切れ味が一切落ちない。天狗の剣はすごいな。
 今更ながら感心してしまう。斬っている内に、敵も減っていった。私の実力ではなく、前衛で戦っていらっしゃる皆様が強いお陰なのだが。
 空を見れば、師匠達が対峙している敵も減っている。あと少しすれば戦も大詰め。帰ったら師匠と睦み合いたい。師匠に褒めてほしいし、師匠の疲れを癒して差し上げたい。
 まだかなと見ていると、黒い何かが溢れていることに気づいた。何だろうあれは。月夜は首を傾げたが、瞬時に理解して顔が青ざめた。
 風琴と東雲を黒い何かが襲ったかと思うと、黒い塊となって落ちていくではないか。月夜の頭が真っ白になった。

「師匠_____!!」

 絶叫しながら、風琴の元に向かう。月夜の頭には既に今の役割のことなど無かった。風琴が人生の全てなのだ。失いたくない。失ってはいけない。だが、風琴からはあまりにも遠いのである。
 それに風琴が落ち始めた時点で封印の術は完成してしまっていた。月夜は封印発動時の光に目を奪われても、必死に翼を動かして空を駆ける。だが視界が戻った時には、呆然としている東雲の姿しかなかった。
 月夜は東雲と見つめたまま無言になる。お互いにかける言葉が見つからない。それに、今起きたことが事実だと受け止められない。どのくらい経ったであろうか。月夜の後ろから涼太が飛んできた。

「月夜殿、何を飛び出しているんだ! そんなことではご隠居に叱られるし、俺も怒っている! ……あれ、東雲殿。どうしてこんなところにおられるのですか」

 東雲は涼太の問いに、すぐには答えなかった。しばらくして、震える声で答える。

「風琴が……異界に拐われた……異形の天狗に……」

 月夜は異界に連れ去られるとど、うなるかなど分からない。だが、異界への道が完全に閉ざされたことだけは理解できた。

「風琴……様……」

 月夜は師匠の名を呼ぶ。だが応えてくれる者はいなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

創作BL短編集

さるやま
BL
短編まとめました。 美形×平凡、ヤンデレ、執着・溺愛攻め多め

守り守られ

ほたる
BL
主治医 望月診療所の双子医師 患者 瀬咲朔 腸疾患・排泄障害・下肢不自由 看護師 ベテラン山添さん 準主人公 成海真幌 腸疾患・排泄障害・てんかん 木島 尚久 真幌の恋人同棲中

【完結・BL】胃袋と掴まれただけでなく、心も身体も掴まれそうなんだが!?【弁当屋×サラリーマン】

彩華
BL
 俺の名前は水野圭。年は25。 自慢じゃないが、年齢=彼女いない歴。まだ魔法使いになるまでには、余裕がある年。人並の人生を歩んでいるが、これといった楽しみが無い。ただ食べることは好きなので、せめて夕食くらいは……と美味しい弁当を買ったりしているつもりだが!(結局弁当なのかというのは、お愛嬌ということで) だがそんなある日。いつものスーパーで弁当を買えなかった俺はワンチャンいつもと違う店に寄ってみたが……────。 凄い! 美味そうな弁当が並んでいる!  凄い! 店員もイケメン! と、実は穴場? な店を見つけたわけで。 (今度からこの店で弁当を買おう) 浮かれていた俺は、夕飯は美味い弁当を食べれてハッピ~! な日々。店員さんにも顔を覚えられ、名前を聞かれ……? 「胃袋掴みたいなぁ」 その一言が、どんな意味があったなんて、俺は知る由もなかった。 ****** そんな感じの健全なBLを緩く、短く出来ればいいなと思っています お気軽にコメント頂けると嬉しいです ■表紙お借りしました

カボチャの馬車に乗り損ねたのにはワケがある。

わをん
BL
「もう、これは。友達と言って差し支えないと思う」 「友達は嫌です」 サラリーマンBLです。

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

虚ろな檻と翡翠の魔石

篠雨
BL
「本来の寿命まで、悪役の身体に入ってやり過ごしてよ」 不慮の事故で死んだ僕は、いい加減な神様の身勝手な都合により、異世界の悪役・レリルの器へ転生させられてしまう。 待っていたのは、一生を塔で過ごし、魔力を搾取され続ける孤独な日々。だが、僕を管理する強面の辺境伯・ヨハンが運んでくる薪や食事、そして不器用な優しさが、凍てついた僕の心を次第に溶かしていく。 しかし、穏やかな時間は長くは続かない。魔力を捧げるたびに脳内に流れ込む本物のレリルの記憶と領地を襲う未曾有の魔物の群れ。 「僕が、この場所と彼を守る方法はこれしかない」 記憶に翻弄され頭は混乱する中、魔石化するという残酷な決断を下そうとするが――。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

【創作BL】溺愛攻め短編集

めめもっち
BL
基本名無し。多くがクール受け。各章独立した世界観です。単発投稿まとめ。

処理中です...