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微かに芽生えた想い

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 凛と鈴音に話し合いの場として自宅を提供して家を後にした俺は春終わりの肌寒い夜風に当てられながらに夜道を歩く。
 時間が時間だけに人通りは無く、街灯の明りのみの道は不気味だった。

 そう言えば、鈴音と出会った時もこんな感じだったな。
 白雪部長に酒飲みに付き合わされた帰り道、後ろから突然背中を捕まえて、いきなりなんだと思えば家に泊まらせてくださいって。
 最初は不良娘かと思ったが、いや実際には家出するって事は素行不良なのだけど、まさかその家出娘が昔俺を振った幼馴染の娘だったなんて、人生どうなるのか分からないものだな。

 ……2週間。言葉にすれば短いが、この2週間は社会人になってから濃密に思えたな。
 
 誰もいない家に帰って、コンビニで買った弁当を食べて、テレビを眺めて、寝て、そして起きて仕事に行く。
 仕事が真面目で成績も良いって事で課長の職に就任したが、趣味も無いし人生に熱意も無いから、刺激が無く気づけば30代の中年だ。
 そんな渇いた俺の人生に土足で踏み入って来たのが、鈴音だったな。

 我儘だけど料理上手で、ムカつく奴だけど気配りの出来るお節介焼き。
 一回り以上も年下で恋愛面としては全然見れないけど……もし娘がいればこんな感じなのかって思ってしまった。
 俺は別に結婚願望が無い訳でもないし、嫁や子供に憧れがない訳でもない。
 もし機会があればって思ってはいたが、俺自身がその機会を棒に振っている。

 33歳、独身で童貞の俺だが、別にモテないって訳じゃない。
 実際、学生の頃は女性に幾度か告白だってされた事がある。
 だけど、当時の俺には好きな奴がいたから、断って女を泣かせたこともある。
 今の会社に入った後も、同期の奴で食事に行ったり、元上司から見合いを勧められて受けた事もあったが、全部上手くいかなかった。
 
 俺は無意識に女性を疑る様になっていた。
 上辺では笑顔でも裏ではどう思っているのか。
 人には必ず表裏があって。
 表では相手に好意的でも、本当はただゴマを擦っているだけで裏では陰口を叩く。
 俺もそうだ。本心と建前がある。逆に無いって奴の方が稀少だろう。

 だから俺は女性と関わる時、少し疑り深くなる。
 だが、それは完全な不信から来るものではなく、信じたい、大切にしたいと言う想いから来るもの。
 本気になって騙されたり、裏切られたりすればもっと傷つく。なら、人を疑った方が気持ち的には軽い。
 ただ……そんな事する自分に嫌悪して結局上手くは行かずに破局する。

 俺の疑り深さの発端は過去の苦い記憶トラウマ
 
 俺は幼少の頃から幼馴染の凛の事が好きだった。
 アイツの笑顔は可愛くて、俺がアイツの笑顔を守る騎士ナイトになりたいと思っていた。
 だから、アイツを泣かす奴は許せなくて、沢山の奴と喧嘩した。男女関係無く。
 
 俺と凛はずっと一緒だった。
 俺は凛の全てを知っていると自負していた。
 好きな食べ物。好きな動物。好きな俳優。好きな色。
 …………いや、知らなかったモノが一つあったな。好きな奴が。

 ずっと一緒にいるんだと俺は疑いもしなかった。
 いつか凛と付き合って、結婚して、子供が産まれて、子供の成長を2人で見守って、子供が独り立ちを見届けて、老後は平和ボケしながら2人で余生を暮らす。
 そんな平凡な妄想をしていた。だけど……叶わなかった。
 
 凛には他に好きな奴がいて。相手は俺じゃなかった。
 もし、仮に俺が勇気を出してそいつよりも早く凛に告白していれば現状が変わっていたのだろうか。
 そうしていれば俺は凛と付き合えたのだろうか。そんな後悔が未だに残っている。
 だから俺は凛を――――――——ってそんな事今思ってもしかたねえか。

 俺も良い大人なのに女性経験が殆どないんだよな。
 こんな俺からしたら、娘なんて言う存在はかけ離れ過ぎている。
 それに、俺はまず自分のトラウマから前に進まないといけない、そう思うと気が滅入る。

「たくよ……こんな気持ちにさせるとか、あいつらはマジではた迷惑な奴らだよ……」

    
 俺は近場の漫画喫茶で宿泊したが、頭の中モヤモヤと凛たちの事が気になって、結局一睡も出来なかった。
 ただボーっと天井を眺めていると、7時を回った頃ぐらいか、携帯に着信が入る。
 画面を見てみると発信者は凛。俺は携帯を耳に当てる。

「あーどうした?………………そうか。分かった。直ぐに帰るから家で待っていてくれ」

 凛から要件を伝えられた俺は寝不足で重たい体を起こして漫画喫茶を出る。
 寝不足で乾いた目に早朝の空気が目に沁みながら、通学の学生、通勤の奴らの中を走る。
 今日は振り替え休日で会社は休み。だから昨晩飲み会があったのだが、やっぱり酒を飲んだにも関わらずに寝不足な体は怠いの一言だ。本当に今日が会社が休みで良かった。じゃないと俺、会社で倒れていたぞ。

 自宅前に来た俺は自分の家にも関わらずに若干緊張する。
 中にはあいつらがいる。どんなテンションで入ればいいのだろうか。
 正直、眠気を誤魔化す為に徹夜明けテンションのきらいがあるのだが、そんな空気な訳ないよな。
 俺は自宅の鍵を開けると、いつもより重たく感じるドアノブを捻る。

「……………ただいま」

 必要か分からない挨拶をして家に入る俺を迎えたのは凛だった。

「お帰りなさい、こーちゃん。ごめんね、気を使わせちゃって」

「…………鈴音は?」

 俺は凛に返答するよりもその事を尋ねた。
 凛は少し神妙な顔つきで後ろを振り返り。

「鈴音、挨拶しなさい」

 母親らしい口調で凛が言うと、凛の背後から鈴音が姿を現す。
 鈴音は顔を伏せながら、俺に表情を悟らせないままに口を開く。

「……康太さん。短い間でしたがありがとうございました。沢山我儘言って迷惑をかけて申し訳ございません」

 顔を見せぬままに鈴音は深々と頭を下げる。
 凛の手前かいつもの敬語に生意気を混ぜた口調ではなく、終始礼儀の籠った口調だった。
 ハッキリ言って違和感しか感じなかった。

「…………なんで顔を見せないんだ?」

 俺が聞くとやはり鈴音は顔を上げず。

「今化粧してなくてスッピンで酷い顔ですから、お見せするのは恥ずかしいです。失礼だと分かっていますが、申し訳ございません」

 スッピン……っておい。

「嘘を吐くんじゃねえよ。お前、ここに来てから一度も化粧なんてしてねえだろうが」

 家出娘の鈴音は化粧道具なんて持参していないし、俺が買い与えてもいない。
 この期に及んでなんで嘘を吐くんだよ……。

「……家に帰るんだろ。なら、せめて最後ぐらいは顔を見せてくれよ」

 俺が諭す様に穏やかな声で言うと、鈴音はズボンをギュッと握りしめ。

「最後なんて、言わないでよ…………」

 今コイツ……なんて。
 俺が聞き間違いかと思う程にか細い声に困惑していると、鈴音はそっと顔を上げる。
 そして俺は鈴音の顔を見て目を見開く。
 …………目が赤い。泣いた跡だ。

「鈴音……お前」

「だから言ったじゃないですか。酷い顔だって……。こんな顔、康太さんに見られたくなかったんですよ……」

 堪えるように涙ぐむ鈴音。
 鈴音は凛と仲直りしたんじゃねのか。
 だから俺は呼び戻されたんじゃ……。
 凛が鈴音を叱って無理やり連れて帰るなんてのは凛の性格では難しい。
 
 それに何となくだが、鈴音の涙は叱られて泣いたんじゃないって思った。
 俺は思考の引き出しから鈴音が涙する原因を探ると、一つそれを見つけた。
 だが、そんな事を聞ける訳も無く、無粋と思った俺は言葉を飲み込み、息を吐く。

「お母さんを困らせるんじゃねえぞ鈴音。凛は……お母さんはお前にとって唯一の家族なんだろ。なら、お母さんを心配させるなよ」

 俺はコツンと手の甲で鈴音の頭を軽く小突く。
 俺には娘はいないし、学生の頃に家庭環境が劣悪でも無かったから、鈴音の気持ちは正直言って良く分からない。それに、こんなつまんない言葉しか言えない自分に嫌悪するな。
 鈴音は俺に小突かれた部分を手で摩り、唇を紡ぎながらに言う。

「康太さん……。康太さんにとって私って、どう……思いましたか……?」

「鈴音、貴方……」

 凛は何やら制止しようと手を動かすが、鈴音の俺に向けられる揺れる瞳での真っ直ぐな視線に手が止まる。
 鈴音は一直線に俺との目を見据え答えを待つ。

「俺にとってお前は……知る前は、はた迷惑な家出娘、知った後は……ただの昔馴染みの娘だ」

 胸が紐で締め付けられるように痛い。
 罪悪感に苛まれてるのか分からないが、鈴音からして俺は赤の他人だ。家族じゃない。
 だから止めろよ鈴音……。
 「そう……ですか」って愛想笑いを浮かべるのは……。

「……確かにお前は昔馴染みの娘だが……昔馴染みの娘と遊んじゃいけないってルールはないよな」

 俺は閉じてた手を開き、今度は鈴音の頭をそっと撫でる。
 
「次、お母さんの用事でこっちに来たら、ついでに俺の所に寄れ。飯でも奢ってやるよ。それに、誕生日ぐらいは凛と一緒に祝ってやる。お前という存在を知ったからには、それぐらいの義理は果たさないとな。お母さんの同僚として」

 昨晩の内につい考えてしまった事があった。
 もし、俺が凛と付き合えてたら、俺と凛が結婚して子供が出来てたら、お前だったのかな、ってよ。
 そんなのありえないのに、つい考えてしまった。
 お前と本当の父親として過ごせてたらっていう妄想を。

 俺に頭を撫でられる鈴音は顔を俯かせながら、ポタポタと床に涙を落し。
 
「……あり、がとうございます……ごめんなさい、ありがとうございま、す……」

「ははっ。感謝しているのか謝罪しているのかどっちだよ」

 俺は最低だな。
 俺は鈴音の父親じゃない。父親になる資格なんてない。
 だけど、もし凛が誰かと再婚して、鈴音に義理の父親が出来るまで、ほんの僅かでもそれまでは俺が鈴音の父親代わりになれればって思ってしまった。
 年上に対して小生意気な奴だけど、それがどことなく愛らしいとさえ感じていたから。

 暫く鈴音の涙が止むのを待って、鈴音の涙が渇いた時、凛は鈴音を連れて家を出た。
 俺は見送る為にマンションの前まで2人に同行をして、俺は凛に今後の事を聞く。

「これからどうするんだ?」

「今日は鈴音を連れて前の住居の所に帰るよ。明日の始業までには戻るから」

 聞いた話だと凛と鈴音の前住んでた場所はここから県を跨がないといけない距離らしい。
 そんな所から家出をして来たなんて、未成年の無謀な勇敢さは肝を冷やすな。
 
「こーちゃん。この事のお礼は後日するから。本当にありがとね」

 鈴音を凛の手を握り、親子は手を繋ぎながらに歩いて行く。
 俺は遠ざかる2人の背中をただ見送るしか出来なかった。
 時折鈴音が振り返り、俺の方を物寂し気に見るが、直ぐに前を向く。
 
 なんだかな。この哀愁ある寂しさは。
 単身赴任先に妻と娘が来て、2人が帰るのを見送るってこんな感情なのかな。
 
 2人の背中が見えなくなり、俺は自分の家に戻る。
 昨晩まで俺以外の誰かが泊まっていた部屋。
 ほんの2週間前までは当たり前の光景だったが、俺は思わず感じてしまった。

「この部屋って、こんな広かったんだな……」

 鈴音がいて手狭と思っていた部屋は鈴音が居なくなり、少し広く思えた。
 
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