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 俺……そして凛は、事件現場近くに設立されていた病院の手術室前に居た。
 
 今から約30分前、鈴音の実父でもある宮下徹による最後の悪あがきでの、鈴音を道連れにした階段からの飛び降り自殺。
 公園の階段は大体100段程度の長さを鈴音と宮下は転がり、2人は血を流し倒れた。

 最初俺は、目の前に起きた現実を直視出来ずに硬直していたが、警察官の声で我に返り、血相を変えて階段を下り、倒れる鈴音に呼びかけた。

『おい鈴音! 鈴音! おい! 返事をしろ!』

 俺は鈴音に意識の安否を確かめる様に叫んだ。そして後から来た凛も同様に鈴音に大声で叫んだ。
 落ちた直後だったからか、鈴音の意識はあった。だが、開いた鈴音の瞳は焦燥していた。

『あ……れ。おかしい、な……。声……は聞こえるのに、全然、見えない……や。ねえ……何処にいる……の? さびしい……よ』

 その言葉を最後に鈴音の意識は完全に堕ちた。
 俺は鈴音の体を揺さぶろうとしたが、階段から落ちて頭を打った可能性がある鈴音の体を揺らす物ではないと警察に止められ、警察が呼んだ救急車に鈴音は近くの病院に搬送された。

 鈴音の容体は酷く、着いて早々に緊急手術が執り行われた。
 そして事件の事情聴取を後回しにされた俺達は、鈴音の手術の成功を待合室で祈っていた。

 鈴音が手術室に入ってから30分、手術中を表す赤いランプは今も点灯している。
 平均的な手術時間は知らないから分からないが、手術は難航しているのか。
 
 鈴音の手術の成功を切に願いながら、不安に駆られる俺の横で、凛は嗚咽を吐いていた。

「どう……して、どうして鈴音が、こんな……。鈴音は何も悪い事をしていないのに、全部、全部私が……あんな男と関わったばかりに、鈴音……鈴音ぇ!」

 正直俺も今にも気が狂いそうになる。だが、鈴音の実母である凛は俺以上に心を打たれている。
 
 鈴音を道連れに一緒に落ちた宮下は別の病院に搬送されている。だが、あんな糞野郎の事なんてどうでもいい。俺も凛の言葉に賛同だ。
 なんで鈴音なんだよ! アイツは、アイツは何もしていないのに!
 どうして俺は……アイツを守ることが出来なかったんだ!

 俺は自身の無力さに怒りで壊れそうだ。

 俺は誓ったはずだ。
 これから先、鈴音を、凛を、守っていくんだと。

 なのに、なんだこの体たらくは! 何も守れてないじゃねえか! 

「クソッ!!」

 待合室に響き渡る程に俺は自分への怒りで自分の額を強く殴った。
 脳を揺らす程に鈍痛だが、こんな痛みなんかよりも鈴音が負った痛みはそれ以上だ。
 
 …………本当に俺は、とんだホラ吹き野郎だ。自分が言った言葉さえも、実行出来ないなんてよ。父親……失格だ。

 情けない自分を悲嘆していると、待合室の扉が開かれ、手術着を纏った医者が入室した。
 医者の顔を見るや否や、俺は椅子から立ち上がり、掴みかからん勢いで医者に近づく。

「先生! 鈴音の、鈴音の容体はどうですか!? 無事ですよね! 無事なんですよね!?」

 俺は自身の焦りを微塵も隠そうとしない態度で医者に詰め寄ると、医者は俺みたいな態度を幾度も見てきたのか、一切慌てずに冷静に告げる。

「……ハッキリ言いましょう。娘さん……田邊鈴音さんの状況は、芳しくありません」

「嘘……だろ」

 医者が放った宣告に俺は眩暈がした。凛も身体中の力が抜けた様に膝を折る。

「だがそれはあくまで。現時点では、です」

「どういう意味ですか……?」

 医者は自身の眼鏡を指で上げて説明する。

「階段から落ちた事で娘さんの腕と脚の骨が折れ、臓器の方も外部からの衝撃で損傷しています」

「そ、そんなに酷いんですか……? なあ、鈴音は助かるんですか!? 助からないんですか!? 教えてください!」

 感じたくもない鈴音の死を現実味を帯びてきたことで俺は一層心を落ち着かせることは出来なかった。だから俺は医者の肩を強く握っていた。

「……確かに娘さんの容体は良くはありませんが、骨折や臓器の損傷は何とか治療は出来ました……ですが、深刻なのが、臓器損傷による多量出血です」

「多量出血……って。つまり鈴音は血を流し過ぎて危険だって事か?」

「そうです。人間の血液は約3割損失すると命に危険が及びます。恐らく、現時点で娘さんが血を流した量は2割を超えていて……そろそろ危険な状態に突入するかもしれません」

「ならこんな所で悠長にしている場合じゃなくて、急いで輸血の準備をするべきだろ!」

 鈴音の血が足りないと言うなら急いで輸血をするのが賢明なはず。
 だが俺は、医者がここに足を運び、その事を俺達に説明して来た時点で気づくべきだった。
 医者は悔しそうに体を震わせて、俺達に深々と頭を下げた。

「本当に、ご家族様になんてお詫びをすればいいのか……。一刻を争う状況だという事で現場から近いこの病院に運ばれましたが……この病院には娘さんに輸血できる程の数は、ないんです」

 嘘……だろ。鈴音に与える程の輸血が無いって……。

「ふざけるなよオイッ! そんな病院の過失で鈴音が死ぬってことか!?」

 激情に駆られた俺は医者の胸倉を掴み怒鳴り声をあげていた。
 
「こーちゃん落ち着いて!」

 凛の声に我に返った俺は、医者の首を胸ぐらを掴んだ勢いで絞めていた事に気づき、俺は胸ぐらを離す。だが……なんだこの遣る瀬無い気持ちはよ……。

「本当に……本当に申し訳ございません……。手術が連日に続いた事で、病院に貯蔵していた輸血パックも無くなり、血液センターに手配はしてますが……」

「……輸血パックは今すぐ来るのか……?」

「……いいえ。先日手配したばかりで届くのに数日かかります……。ですが、先程近くの病院に分けて貰えるか手配しております。しかし……」

 医者の言葉はここで詰まった。だが、話の流れから何を言おうとしているのか大体察した。
 恐らく、近くの病院から輸血用のパックを分けて貰う様に手配しても、それが届くまで鈴音が持つかどうか分からないという事だろう。マジで一刻も争うって状況じゃねえか。

「一応確認ですが、娘さんの血液型はO型で間違いはないですか?」

 医者の質問に俺は答えられず代わりに凛が頷き。

「はい。鈴音の血液型はO型です」

 そうなのか、鈴音はO型なのか……。あの性格でおおらかなO型って……って?

「確か凛の血液型はAだったよな?」

 そうだよ、と凛は頷いた。
 つまり凛の血液型の組み合わせはAOで、あの糞野郎がAO、BO、OOってことか。
 もし仮にあの糞野郎の血液型がO型なら、血を全部吸い取って鈴音に与えやがれ。
 勿論だが、相手がどんな屑野郎でも非人道的だから出来るわけがなく、輸血不足で頭を悩ます俺だが。

「スミマセン先生! 私は鈴音と血の繋がりがある実の母親です! 私の血液型はAですが、私の血液を娘に与えることは出来ないんですか!?」

 …………血液を与える?

「それは無理です。理由は2つあります」

 医者はそう言って指を2本立ててその理由を語る。

「理由の1つ目ですが、血液中にある赤血球には抗原があります。それは所謂A型、B型という物です。そしてその赤血球の周りには外部からのウイルスを排除する為の抗体が存在しており、抗体は外部から侵入して来た自身が所持している抗原とは違う抗原を破壊する役目を持ち。もし仮にO型である娘さんにお母さんのA型の血液を輸血した場合、娘さんが持つO型の抗体が入り込んで来たA型の抗原を攻撃するのです」

「そう……なんですか?」

「はい。ですが、もし逆だった良かったのですが」

「逆って、A型の患者にO型の血を輸血するってことか?」

「そうです。O型の血液には抗原がありませんので、どの血液型にも輸血することは可能なんです。その為、全国的にO型の血液が重宝され、不足する事が多いんです」

 つまり、O型の血による輸血は全ての血液型に可能だが、O型の患者に輸血する場合は必ずO型じゃないと駄目って事か……。

「そして2つ目の理由ですが。お母さんは自分の血を娘に与えてくれとおっしゃってましたが、それはもしや、院内で血を献血をして直ぐ様、その血を娘さんに輸血するってことでしょうか?」

「……はい」

 凛が答えると医者は深刻そうに眉目を寄せる。

「創作物で院内献血をした血を直ぐに患者に輸血する描写はありますが、あれはあくまでフィクションであり実際の手術で、献血した血を血液センターを通さずに輸血することは稀有です」

「そう……なんですか?」

「勿論、稀有であって絶対にないってわけではありません。実際、私の病院では緊急時にそれを執り行えるように規則を設けておりますが、献血した直後の血、生血と呼ぶモノですが、生血を使うのはリスクを伴いますのであまり推奨されておりません」

「リスク、とは……?」

「同じ血液型でも合う合わないなどの相性がありまして、全国で行われる献血で得た血は血液センターに運ばれ、詳細に検査した後に安全に使える様に施します。ですが、献血した直後の生血はそれがなく、相性が悪い血を使ってしまった場合、最悪体内の血が固まり……死ぬ恐れがあります」

 そう……なのか? 同じ血液型でも相性があって、安全に使用できる様にしっかり検査されている物を輸血パックとして提供されているのか……。

「それに、現在娘さんが流した血は多く、あまり娘さんと体格が違わないお母さんが血を分けたとしても、逆にお母さんの血が足りなくなって命の危険に晒されます」

 医者が言うと凛は医者に何かを言おうとして口を開く、だがグッと凛は口を閉じた。
 凛の娘を大切に想う気持ちから、恐らく凛は自分の血が全部抜かれようと鈴音が助かるなら喜んで血を差し出すだろう。だが、血液型の問題から凛は血の提供を断念するしかなかった。
 凛は自分の力ではどうしようもない現状に悲嘆してポタポタと涙を流す。

「今言った通り、娘さんが失った血を補うために献血しても、その血の量次第では献血者の命も危険に及びます。ですから……他の病院から輸血パックが届くまで娘さんの命が持ち堪える様に祈るしか出来ません……」

 医者として患者を救いたい気持ちに嘘偽りはないだろう。その悔しそうな顔がそれを物語っている。
 最近のニュースで全国的に輸血用の血が足りてないと言っていた。だから、この病院に輸血用のパックが無い事を糾弾する事は出来なかった。
 だからって、俺は鈴音の命を諦めるつもりは微塵もない。

 つまり、条件が3つある。

 1つ、鈴音と同じ血液型であるO型であること。
 2つ、同じ血液型だとしても相性が良であること。
 3つ、鈴音に分ける為に血を多く吸われる覚悟がある者であること。

 2つ目は運だが、偶然にもその条件に合う奴を俺は1人知っている。
 本当に手頃な奴が近くにいたもんだよ。

 俺は医者と凛の間に割って入り、俺は自分の胸に手を当てる。

「なあ、先生———————もし血が必要だって言うなら、俺の血を使ってはくれないか?」

 俺の発言に医者は驚いた顔となり、凛は思い出したかの様にハッとする。

「そう言えばこーちゃんの血液型は……」

 そう。偶然にも俺の血液型は、O型だ。鈴音と同じな。
 俺がO型だと知り、医者は神妙な顔つきとなり。

「……お話を聞いていたと思いますが、同じ血液型でも相性という物があって」

「勿論重々承知だ。だが、他の病院から間に合うかも分からない物を待って、その間に鈴音が死んだら俺は……永遠に自分を許す事は出来ない。なら、祈るなら俺の血が鈴音の相性が合う方に祈りたい」

 これは一か八かの賭けだ。もし、俺の血が鈴音と相性が悪かったら……俺は。

「もし仮に相性が合っていたとします。ですが、大量に流した血を補うためには同等量の血を抜く必要がありるかもしれません。……命の危険があるかもしれません」

「その事に関しては大丈夫だ。覚悟はしている」

 俺は、鈴音を助ける為なら命は惜しくない。今の鈴音は、俺にとってそれだけの価値があるからな。
 俺の覚悟の表明に待ったをかけたのは凛だった。

「待ってこーちゃん! こーちゃんの命の危険に晒すなんて、それは!」

 凛は今にも泣き出しそうな程に怯えていた。その震えは凛が掴む俺の袖からも伝わる。
 凛は決して鈴音を見殺しにしたいなんて思ってないはずだ。だが、俺が死ぬかもしれないと聞いて、思わず出たのだろう。俺はそれに失笑する。

「安心しろ凛。先生は意地悪だから少し脅しているが、献血で人が亡くなったなんて聞いた事がないし、あくまで可能性があるってだけだ、そうだろ先生?」

 俺が笑って言うと医者は複雑そうに頷いた。恐らく俺に口裏を合わせてくれたのだろう。

「それにな、凛。頼む、やらせてくれ。俺はこれ以上、口先だけの父親にはなりたくないんだ」

 俺が真剣な顔で言うと凛は俺の袖から手を放した。
 そして俺は手術室がある方角に顔を向ける。

「俺はアイツに誓ったんだ。大切な物を守っていく、って。俺は凛、お前が大切だ。だが、それと同じぐらい鈴音の事を大切に想っている。なのに俺は、アイツを守る事が出来なかった、ダサい父親だ」

「そんなことは……」

「そんなことだよ。どんなにカッコつけても、それを実行できない奴はただの口先だけの男だ。けど、守る事の出来なかった俺だが、アイツが助かる可能性がこれで僅かでも上がるんだったら俺は自分の命を賭けてもいい。だから頼む凛。俺を、鈴音を、信じてくれ」

 俺が真摯な顔で凛に頼むと、凛は葛藤する様に瞳を揺らす。
 そして僅かな可能性に賭ける様に、凛は自分も覚悟を決めた様に涙を拭い。

「分かった。お願いね、お父さん」

 凛にそれを言われるとまだこそばゆいな。
 俺は医者に向き直り。

「そう言う事だ先生。俺が鈴音に血を分けるってことで宜しく頼む」

「…………分かりました。ですがお母さん。本当に宜しいのですか? 説明した通り、同じ血液型でも相性が悪ければ最悪娘さんは……」

「正直怖い、です。ですが、私は主人と娘を、信じます」

 凛の覚悟が決った顔に医者は圧倒されると、ふぅ……息を吐き。

「分かりました。お二人の強い意志に私はこれ以上言いません。では簡易的な検査後に直ぐに献血及び輸血を行います。準備をしますので、こちらに」

 医者に案内されて血液の簡易検査室に向かう。その最中、俺は手術室前を通る事となり、一瞬だけ俺はその前に立ち止まる。
 この奥に、鈴音が戦っているんだな……。

 俺は鼓動する自分の胸を掴み、

「鈴音……。お父さんがお前を、助けるからな」
 
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