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第五章
目覚めは最悪で――
しおりを挟む家族が死んだ。親友が死んだ。顔馴染みが死んだ。仕えていた騎士が死んだ。侍女が死んだ。名前も知らない人が死んだ。馬が死んだ。犬が死んだ。村が死んだ。街が死んだ。
全てが焼け落ち、焦げ付いた匂いが体中にこびり付く。庇ってくれた騎士の血が異様に重く感じる。それは重りのように体にのしかかり、鉄になったのではと勘違いするほど体が動かなくなる。
逃げたい、逃げたい、逃げたい――そう思っても後ろから追ってくる奴らはいつまでも追いかけてくる。
その内、彼女の髪を無数の手が掴んだ。
叫び声をあげる。父の名を呼ぶ。だが、誰も助けには来なかった。
「…………最悪だ」
嫌な夢を見た。真っ赤に焼けた街、人の悲鳴。そして、どこまでも追いかけてくる顔の見えない騎士達。夢の中だったからだろうか、殆ど朧気でうっすらとしか覚えていない。
そう、夢だ。真っ赤に焼けた街、人の悲鳴。それは現実で起こったことだが、街から脱出する際は誰にも追いかけられてはいない。これはただの幻覚で、自分の心が生み出した怯えによるものだ。
顔をパチンと両手で叩き、寝台から起き上がり、隣に視線を向ける。そこには誰も使用していないもう一つの寝台があった。二つある内の一つはミーシャが占領しており、もう一つはガンドライドのためにとシグルドが空けている。しかし、ガンドライドは夜中に縛り付けているにも関わらず、どうやっているのかは知らないが、縄を解き、忍び込んでくるため、実質使っているのは一つだけだ。
そのせいで昨日は肩こりに悩まされたのだが、珍しいことに今回は隣にガンドライドはいない。ガンドライドだけではない。部屋を見渡せば、シグルドもいなくなっている。
窓を開ければ既に広場は多くの人たちで賑わっている。どうやらまだ朝方らしく、それ程遅くまで寝ていないことが分かった。では、朝早く二人は買い物へ行ったのかと考えたが、それはないとすぐに切り捨てる。
ガンドライドはシグルドのことを嫌っている。それは、下水道から帰ってきた時から一層強くなったとも言って良い。
だが、表面上は協力するつもりであれば問題ないとミーシャは判断する。武力は手に入った。後は、情報のみ……それももう少しで手に入る。
目覚めの悪さにもう一度寝てしまおうかとも考えるミーシャだが、夢を思い出す、もう一度、あの夢を見るのはゴメンだった。
「本でも読むか」
夢の内容が頭の中で永遠に繰り返されるのに嫌気がさしていると、ふと視界に入ったのは、部屋に備え付けられた本棚。そこには数冊のみだが、本があった。
最悪な気分を変えるために、ミーシャは本を手に取るのであった。
土砂降りの雨が赤瓦の屋根を叩く。
あれからしばらくして、すぐに雨は降りだした。広場にいた人々も降ってきた土砂降りの雨に驚き、急ぎ足で家に駆け込んでいく。騒がしかった広場も今では人っ子一人いなくなってしまった。
その光景に少しばかりの寂しさを覚えながらもぼんやりと窓から外を見詰めていると、後ろで扉の開閉する音がする。
「ちょっと、早く中に入りなさいよ。 早く体を洗い流したいんだから」
「押すんじゃない、少し待てって――いてぇな!? ナイフで刺すな!!」
物騒なやり取りが後ろから聞こえる。
あの二人が帰ってきたと分かる。相変わらずの不仲にも関わらず、共に行動していたことを意外に思い、後ろを振り返る。
「お前ら、何でそんなに泥だらけなんだよ」
後ろを振り向けば、手ぬぐいで泥を拭き取る二人の姿がある。よく見れば、泥だけでなく全身に生傷があり、血を流してもいた。
「仕事でもしていたのか? 私に内緒で?」
「いや、ちょっと野暮用でな」
「野暮用?」
首を傾げるミーシャにシグルドは肩を竦める。どうやらそれ以上言うことはないらしい。
「お姉様~♡」
「近づくな」
シグルドを押しのけ、ガンドライドがミーシャに抱き着こうとするが、汚れるのを嫌ったミーシャが盾のルーンを空中に刻む。
魔力の障壁がガンドライドとミーシャの間に出現し、行く手を阻む。ミーシャに向けて飛び込んでいったガンドライドは空中で身動きすることができず、顔面から障壁にぶち当たる。
「おねぇさまぁ~……」
ズルズルと障壁に阻まれ、愛しの存在にまで辿り着くことのできなかったガンドライドが涙ながらに地面へと伏す。
対してミーシャは視線すら寄越さずに窓の外へと視線を戻す。
「今日は雨か……時間まで、食べ歩きでもしたかったんだがな」
「下の厨房で注文でもしてくるか? 金さえ払えば作ってくれるらしいが……」
「そうなのか、なら後で行くか」
「お姉様、私も一緒にぃ……」
障壁の外でガンドライドが手を伸ばしてくるが、取り合わない。涙を流そうと知らん顔されるガンドライドが哀れに見えてくる。
「残念だが、そんなにゆっくりしている時間はないぞ」
「何だ……もう時間か?」
「あぁ、何を頼むか知らないが、作ってもらう時間を考えたらギリギリだ。 腹が減っているのなら今すぐ行った方が良い」
「えぇ、めんどくさ」
「私も」
「腹が減ってるんじゃなかったのか」
さっき自分で言っていたことを思い出してくれと思いつつ、シグルドはげんなりとした表情を作る。
それにしても、いつになったらガンドライドは風呂に入ってくれるのだろうか。こっちも砂利などが入って洗い流したいのだが、先に入ると小言を言われてしまう。
「なぁ、ガンドライド。 お前が風呂に入らないなら俺が先に入ってきていいか?」
「ダメに決まってんだろ。 何で私がお前の煮汁が入った後の風呂に入らなきゃいけないんだ」
「辛辣すぎないか。 というか、流すだけだから入らねぇよ」
もう呆れて突っ込むことすらしなくなったシグルドは近くにある椅子に腰かける。雨がずっと降り続くことを考えれば、情報を買いに行く際にまた濡れることになるので帰ってきてからでも良いかとも思うかもしれないが、靴や肌に砂利が纏わりついているので一度洗い流したいのだ。
そもそも何故シグルド達はこんなに汚れているかというと例の約束を果たしていたに過ぎない。
残虐な部分もあるガンドライドだが、それでも約束は約束だ。ガンドライドも強くなれるのならとこちらを利用するつもりであるため、誘いにはあっさり乗ってきた。
流石に街の中では暴れることができないので、まだ日が昇る前――まだ辺りが暗い時間帯に城壁を超えて森の中で一騎打ちをしていたのだ。
一騎打ちはシグルドが勝利したのだが、そこから先が酷かった。勝敗は決したと誰もが見ても分かる状態。それでもガンドライドは負けを認めずにいたため、何度か繰り返すはめになり、日が昇る時間まで続けられたのだ。
「お姉様ぁ、一緒に入ろ~」
「断る。 おい、一緒に入ってやれ」
「何でだよ。 無理だろ」
ガンドライドが甘えた様子を見せるが、ミーシャがバッサリと切り捨て、シグルドへと適当に命令を下す。しかし、そんなことができるはずがないとシグルドは首を横に振る。中身が子供とはいえ、男女なのだ。相手はそんなことは気にしないだろうが。(勿論別の意味で)。もう少し、真面目に考えてくれと嘆く。
「そうですよ!! 何でこんな奴と一緒の空間にいなきゃいけないの!? 発狂死しそう!!」
「めんどくさ」
頭を抱えて叫ぶガンドライドの姿にミーシャの本音がポロリと漏れる。確かに、確かに相手をするのは面倒くさいと思うが、言葉にはしてやるなと思うシグルドだった。
「時間がもったいないからいい加減一人で入って来いよ。 パッと入って、パッと出てこい」
このまま無駄に時間を浪費していても状況は進展しないなら直ぐに出てくれば良いだろうとシグルドが声を掛けるが、返ってきたのは獣も射殺せるような鋭い殺気だった。
「アンタ……お姉様に何をする気だ!?」
「――――はい?」
「私は騙されないぞ!? 私がいなくなった瞬間にお前はお姉様に襲い掛かるつもりだろう!?」
しかし、そんな殺気を飛ばしておいて出てきた言葉は突拍子もない言葉だった。一体どんな考えをしたらそんな結論になるのかが分からずにシグルドも言葉が出てこない。
「お姉様!! 気を付けてくださいね。 男って言うのは所詮獣、獣なんです!! 私がいなくなった瞬間にアイツは正体を現しますよ!!」
「おい、殴られたいのか」
「例え年が離れていようとも、小さくてもアイツらは喰いに来ますからね!! 別の場所に閉じ込めておく方がいいんです!!」
「おい、殴られたいのか」
あたかも万年発情しているかのような発言、そして、小さいという単語に反応したシグルドとミーシャが額に青筋を浮かべる。
だが、妄想によって興奮したガンドライドは止まらない。美しい柔肌が穢されるのならば――と妄想は過激になっていき、目を血走らせてシグルドへと襲い掛かる。
「シィネェエェエエエェ!!」
「あぁくそっ!! 最近こんなんばっか!!」
大きな音が部屋の中に響き渡る。もみくちゃになった二人は家具を押し倒してゴロゴロと部屋の中を転がっていく。
それからは一気に部屋が騒がしくなった。奇声と怒声が響き、家具が破壊されていく。結界を張っていなかったら人が駆け込んできていただろう。
騒がしい――このガンドライドが加わったことでそう思うようになった。一人で身を潜めていた頃とは大違いだ。
「(いずれこいつらも――――いや、今は考えることじゃないか)」
余計なことを考えようとしていると、思考を断ち切り、視線を窓の外へと投げる。だが、それでミーシャの心が晴れた訳ではない。
窓から見える景色もそれを現すかのように陰気な街並みしか映さなかった。
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