竜殺し、国盗りをしろと言われる

大田シンヤ

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第五章

魂への干渉

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 意識を飛ばしている最中の感覚。それは全裸で水中を漂っている感覚に似ている。ふんわりと何かに包み込まれているように、体に力を入れることなく流れに身を任せる。
 フワフワと浮かぶ感覚は心地よく、初めて経験した時はこの時間が長く続けばいいのにと思ったことがある。
 体から距離があったとしても、自身の脚で歩くとなると数十分かかる距離でも十秒にも満たない時間で肉体に戻ることができる。一日という時間に比べれば、あまりにも短い時間帯だが、グレアムにとっては今が最も楽しみな時間だった。
 水の中を漂い、眼下に広がる景色を見るのも楽しみの一つだ。今回は、スラムという薄汚いものしか目に映ることはないが、それでも目を瞑れば許容できる範囲だ。

 魂が肉体に引っ張られるのに抵抗することなく、ただ身を任せる。
 今はこの時間を楽しもう。直ぐに終わると思われた掃除も予想外の邪魔が入り、時間がかかってしまった。これからまだの仕事があるのだ。そのためにも、英気を養っておく必要がある。誰にも邪魔されることのないただ一人だけになれる貴重な時間。その残りの時間を少しでも味わうために、グレアムは全神経を集中する。

 だからだろう。
 全神経を集中したことによって、本来ならば、聞き逃す音を耳が拾ってしまったのは……。

「――――」

 雨の音に紛れた空気を切り裂く音。ヒュッとか細く、風が吹くよりも小さな音だ。同時に首筋に氷を押し付けられたかのように全身から寒気を感じる。
 肉体から解放された状態なのに全身に寒気を感じると言うのは可笑しな話だ。しかし、それ以外に形容する言葉はなかった。
 閉じていた瞼を開き、視線を下に向ける。そこで目にしたのは炎で焼け焦げたスラム街。その残骸の内一つの上に立つフードを被った一人の子供。
 自身が最も警戒を解いている時間。誰も手を出すことができないと高を括っていたグレアムはその時、一つの傷を魂に受けることになる。

 声は出なかった。声帯がないのだ。当たり前だ。それでも、心臓に触れられてぐりぐりと抉られているような激痛が走る。
 放たれたのは普通の魔術であるはず、グレアムの目から見ても普通の相手を切り裂く風の刃の魔術だった。
 肉体ならばともかく、ただの魔術で魂にまで干渉することはできないはずなのに……。

 グレアムが肉体に戻るまで十秒程度。一日の時間に比べれば僅かにも満たない時間。息をして椅子にもたれ掛かり、ぼぅっとしていればあっという間に過ぎてしまう時間だ。それでもグレアムにとっては人生で最も長い時間に感じただろう。
 地獄の苦しみにも等しい激痛から逃れようとも逃れられず、藻掻いたとしても意味がない。
 長く、声も出せずに藻掻き苦しむだけの時間が続く。どれほどの時間が経ったのか、数時間か、数十時間か。一秒が数時間、数十時間とあり得るはずがないのに引き延ばされているように感じてしまう。
 そして、ようやくその時が来た。

「がっっっっあぁあああああ!!」

 血反吐が出そうな叫びだった。それが自分の声と気付くのにも遅れた。
 冷たい空気が肺を満たし、冷や汗が体から噴き出る。瞳孔は開き、涎が口から落ちる。
 グレアムの体に傷はない。損傷を受けたのは魂。肉体は傷ついたとしても時が立てば、魔術を使えば癒すことができるだろう。しかし、魂が傷ついてしまった場合は人にその傷を治すことは不可能だ。それどころか、一つの傷でもついてしまえば、地面の罅が広がるように傷口を広げていくだろう。
 魂が傷ついた人間は廃人となるか。何も感じることのない命令だけを聞く人形になるかだ。

 自分の中にあるものが崩れていくのを感じる。じっとりと額に流れる汗が気色悪い。ギリギリと歯を食いしばり、裂かれる感覚を耐えようとする。
 もうグレアムに先程までの余裕はない。
 芋虫のように地面にのたうち回り、自分を保とうとすることで精一杯だった。

「だ、だれか…………」

 苦しさのあまり無意識にグレアムは手を伸ばす。地面を這いながら、ここにいるはずの強化兵達に助けを求める。
 肉体が置いてあった場所には多数の強化兵達がいるのだ。異変に気付かないはずがない。

「だれか――いないのかっ」

 それなのに、誰もこない。返事もなく。雨が地面を叩く音だけがグレアムの耳に届く。金属の全身鎧(フルプレート)が擦れる音、捕まえたスラム街の住人の喚く声も聞こえない。その異変をグレアムはようやく感じ取った。

「(なんで、何で誰も来ないんだ!!)」

 藻掻き、苦しみながらグレアムは顔を上げ、強化兵達がいるであろう場所へと視線を移そうとする。
 顔を上げると言う簡単な動作が酷く遅い。まるで、自身に筋力低下をかけているようだ。首に鉛でもつけられているのかと思うほどのぎこちない動作でグレアムはようやく顔を上げる。

「(――――血?)」

 少しずつ、少しずつ顔を上げていくと真っ先に視界に入ってきたのは泥水と一緒に流れてきた赤い血。
 それが一体何の血なのか、グレアムには一瞬分からなかった。囚人が暴れたとしても強化兵なら簡単に抑え込めるはずだ。誰も血を流すことなどないはずだ。

「予想外なことでもあったか?」

 男の声がグレアムに降りかかる。
 そこにいたのは地面に沈み込んだ帝国の騎士。そして、黒い剣を手に持つ一人の男。それだけではない。

「チッ――何でアンタがここにいるんだよ」
「――ッ」

 その後ろから不満そうな顔をして現れたのは先程まで戦っていた女騎士。片手で血だらけになった強化兵を引き摺り、苛立ち気に投げつける。
 グレアムがもたれ掛かっていた壁に強化兵が叩き付けられ、地面へと落ちる。鎧まで真っ赤に染まった強化兵はピクリとも動かない。

「おま、え……たちが、この惨劇を」
「私は少ししかやってないわよ。殆どはコイツがやったの。てか、何でアンタここにいんのよ?」
「鳥達に戦況を見て貰ってな。手が必要だと思ったんだよ」
「ふん、要らないわよ。一人で出来た」

 隠そうともせずにガンドライドが不快そうな顔をする。

「何でこっちに来るのよ。アンタなんか消火作業でもやってればいいのに」
「炎のことなら大丈夫だ。街に広がる前に。それに、ミーシャの所にはお前の本体がもう行ってるんだろ?」
「全部見てたって訳か。気に食わない」

 ガンドライドも相手が近くに敵がいないことなど分かっていた。三分の一は水妖精ウンディーネなのだ。水の魔術は得意中の得意である。水の物理感知を使えば、居場所だって探ることだってできる。
 粉塵に紛れて水分身を飛ばし、本体は敵の気を引く。その間に分身はあの男に不意打ちを喰らわす。
 そう考えてガンドライドは行動したのだ。水分身の身体能力も落ちているとはいえ魔術を使えば負ける相手ではない。それなのに、邪魔された。それが、まるでお前では勝てないと言われているようで無性にガンドライドを苛つかせるのだった。

「チッ――おい、せめてこいつの始末は私が付けるぞ」
「分かってる。もう邪魔なんてしやしないさ」

 ギロリ――と睨み付けるガンドライドに軽く手を挙げてもう手を出さないと意思表示をする。それを尻目に、ガンドライドは騎乗槍を掲げて、地面に倒れ込むグレアムへと歩を進める。

「さてと、邪魔されたけど……ようやくアンタに借りを返せるな」

 しゃがみ込み、グレアムへと顔を近づけたガンドライドが愉快そうに嗤う。

「どうだ? これもお前の脚本通りか?」
「――ッ――グ」
「ところでお前何で苦しんでるんだ? 本当なら私が手足捥ぎ取って面を歪ませてやろうと思ったんだが……必要ないか? だけど、それだと困るんだよ。お前には苦汁を飲まされた分、苦しんで貰わなきゃ」
「まだそんなことを言ってるのかお前……意図的に苦しませようとするのならば、俺は止めるぞ」
「うるせぇ黙ってろ」

 シグルドの言葉を切り捨て、ガンドライドはグレアムの顔を掴み上げる。掴み上げられたグレアムは苦痛とはまた別――屈辱で顔を歪ませた。

「ふん……あの、フードの子供が、お、まえらの……なかま……じゃ、ないのなら…………僕は、知らない」
「なるほど」

 フードを被った子供。それに心当たりのあるガンドライドが笑みを深くする。一時とはいえ自信を手玉に取った男を苦しませる。そんなことができる子供など自分の中では唯一人しか存在しない。

「なら、いいや」

 他の者ならば、獲物を盗られたと憤慨するところだが、ミーシャならば話は別だ。

「その、反応は……」
「別にいいでしょそんなこと? アンタこれから死ぬんだし」
「それ、は……どう、かな?」
「ハッ――強がりを」

 苦しそうに、しかし、それでも笑みを作るグレアムの言葉をガンドライドはただの強がりだと断じた。今、目の前の男が状況をひっくり返すだけの力がないことは確かだ。
 そんな相手が強がりを言ったところで警戒などするはずがない。

「今度、あったら…………殺す」
「今度何てアンタに与えると思ってる?」

 恐ろしく冷たく、楽しそうな笑みを浮かべ、ガンドライドはグレアムの頭を魔術で叩き込んだ。
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