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第五章

下水道の怪物、再び

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 下から飛び出てきたのは蜥蜴の怪物。床板が捲り上がり、長机が真っ二つに割れる。宙に浮かぶのはまだ一口も食べていない高級ステーキ。香ばしい匂いの香味料とソースの匂いしか楽しんでいなかったミーシャは綺麗に弧を描いて飛ぶステーキを追っていた。
 やがてステーキは重力に従って下へと落ちていく。蜥蜴の怪物が出てきた大人一人はらくらく通れる程の穴へと――。

「私のステェーキィ!!??」
「気にする所そこか!?」

 高級ステーキに今生の別れの涙を流すミーシャに思わずシグルドが突っ込んだ。どうやらミーシャにとって一番驚くべき所は蜥蜴ではないらしい。視界には肉しか映っていない。これでは飛び出てきた蜥蜴が哀れだ。

「――ッ!! 全員伏せろ!!」

 蜥蜴が大きく身を翻し、尻尾を鞭のように振るう。その一撃を身を低くすることで躱す。見た目以上に射程リーチの長い尾の一撃。自分やガンドライドはともかく、ミーシャやレティーが喰らえばただでは済まない。
 懐に寄せたミーシャの頭を抑え、姿勢を低くすると同時にレティーを視野に入れる。咄嗟のことに驚いていたものの切り替えの速さは一流だった。シグルドの言葉に従い、姿勢を低くしている。その横にいたガンドライドも当然視界に入ったのだが、敵よりもシグルドを凝視している。
 理由が分かるため、後で言い訳をしようと思いながらもシグルドは床を突き破ってきた輩へと目を向けた。

 目の前にいるのは見慣れた蜥蜴の怪物だ。間違いなく下水道の怪物としてこの街で知れ渡っている魔物だ。しかし、疑問がシグルドの頭の中に浮かび上がる。
 既に下水道にいた怪物達は全て片付けたはず。最後に仲間の死体を別の場所に移すと言っていたアルゥツを含めなければ、全ていなくなったはずなのだ。そして、アルゥツはこんなことをする人間ではない。黒竜の血に呑まれた可能性もあるが、その可能性はなるべく考えたくはなかった。

「アルゥツ!!」
「――――」

 名を叫ぶ。返事はなく、素振りさえ見せない。ただ、じっと……そう、ガンドライドを凝視している。

「…………」
「――――」
「――――」
「――――?」

 アルゥツを囲む三人がそれぞれの反応を見せる。
 シグルドはミーシャを後ろに下がらせ、レティーは無言で腰元に隠してあった短剣を構え、ガンドライドは目線を向けられることに疑問を覚えて首を傾げる。
 暫くの硬直状態の後、遂に状況が動き出す。

「――ッ何か吐き出すつもりだ!! でかいぞ!!」

 初めに異変を感じ取ったのは魔術師であるミーシャ。怪物の腹の中に溜まりに溜まった魔力の塊が口元へと移動していくのを感じ取り、危険を知らせる。まずは二人が動いた。ガンドライドが武装を呼び出し、構えを取り、レティーが首を掻ききるために短剣を手に駆け出す。
 それに一瞬遅れたシグルド。この男は状況を見ていた。
 まず、動き出したのは二人。構えを取り、全てを受け切り反撃するつもりのガンドライドに攻撃が飛んでくるのを危惧して最低限の防御を固めながら進むレティー。
 アルゥツが吐き出そうとしている魔力の塊――その正体はブレスだろう。竜にとって一般的な攻撃手段。しかし、人間にとってその一撃は全てを灰へと変える悪魔の一撃だ。
 ガンドライドは大丈夫だろう。しかし、レティーが危ない。止めようと駆けだしているが、手に持っている短剣では鱗を傷つけることもできはしない。ブレスが放たれれば、レティーが無事では済まないと判断したシグルドは動き出す。

 魔剣は使わない。アルゥツがどのような理由でここを襲撃してきたかは知らないが、理由を聞くまでは敵視するつもりはない。なので、拳で対処する。
 レティーがアルゥツの元まで辿り着くよりも早く、アルゥツがブレスを放つよりも早く。シグルドの掌が顎を掴み、無理やり口を閉じさせる。

「結界を頼む」

 短く言い残し、アルゥツが掘り進めてきた穴へとアルゥツごと引き込み、落ちていく。酒場の秘密部屋よりも深く、冷たい街の地下。
 そこへ再びシグルドは戻ってきた。
 暴れるアルゥツを投げて地面に転がし、向かい合う。

「さて、話をしようか。アルゥツ」

 その返答は溜まりに溜まった魔力の塊だった。




 ――ズン!!と地面が揺れる。不思議なことに音は出ていない。そのおかげで街には何の変化もなく。揺れを感じた者達も何かの間違いかと思い、首を傾げて通りを歩いていく。
 本来ならば、酒場の周りに人だかりが集まってきても可笑しくはない。だが、気のせい程度の違和感しか持たずに誰もが足を止めない。
 その原因はミーシャにあった。

「はぁ……ギリギリ間に合った。全く、急すぎるぞ」
「しかし、完璧に間に合った殿下は流石にございます」

 げんなりとした表情を作るミーシャの後ろでレティーが称賛を送る。だが、当の本人は不服そうな顔を作った。

「完璧じゃない。本来ならば振動も隠し通せるはずなのに隠せなかった。それに、距離が離れているせいでアイツ等の位置も分からん。結界と感知系を作り直さなきゃな」

 自分が満足のいっていないものを褒められてもミーシャは嬉しくはない。むしろ、やめて欲しいぐらいだ。まぁ、そんなことは無理だろうが……。
 散らかった部屋を見渡し、床に投げ捨てられた高級ステーキを見つける。まだ、暖かく、美味しそうな匂いが漂ってくるが、砂と埃で台無しになっている。

「うぅ、私のステーキ」
「気を落とされないで下さい殿下。まだ、海象シーマンモスの肉は残っています」
「そうだけど、そうだけど…………食えると思ったのにお預けとか一番辛いんだよっ」

 見るも無残に投げ出され、床に横たわる肉の前でミーシャが嘆く。後少しだ。後少し、あの蜥蜴が遅ければ一口くらいは食べることはできただろう。匂い、そして、脂が溢れ出す様子を目にするだけで食べられなくなるなんて何て酷い拷問なのだろうか。
 そう考えると、ふつふつと怒りが湧き上がってくる。

「ふふふ……ふふふふふ」
「え、えっと……殿下?」

 膝をついたミーシャが不気味な笑い声を上げる。背筋の凍るような冷たい感覚を覚えたレティーがミーシャに声を掛けるが、もう声は届かなかった。

「お前達、出撃だァ!! 今直ぐあの蜥蜴野郎をコテンパンにしに行くぞ!!」
「はーい!!」」
「え、殿下も行かれるのですか!? お考え直し下さい。それに今は極力戦闘を――――って殿下!? ガンドライド殿も!?」

 沸点を迎えたミーシャが意気揚々としたガンドライドを連れて出撃をするのを止めようと、レティーが声を上げる。だが、残念ながら食い物の恨みは恐ろしいと言う。怒りに捕らわれ、東洋で言う鬼の形相をしたミーシャは戸惑う様子もなく穴の中へと落ちて行った。続けて、ガンドライドも武装を召喚し、レティーに目も向けずに穴の中へと身を投じる。

 止めることができずに酒場に取り残されたレティー。ミーシャの軽率な行動に頭が痛くなるが、ジッとしている訳にもいかなかった。自分の特徴となる赤いバンダナを脱ぎ捨て、武装を整える。
 魔術を覚えているもののそれは齧った程度、体を鍛えているものの驚異的な身体能力など持ってはいない彼女には何の準備もなしに穴の中へと飛び込むことなどできない。
 準備を整え、レティーが穴の傍へと駆け寄る――その途中で、シグルドが背負っていた剣が床に落ちているのを見かける。敵に武器も持たずに向かっていくのはどうなんだと思いながらも必要だろうと背中に背負い、今度こそ穴の傍に駆け寄った。
 穴の中は暗く、底など見えない。ここに命綱なしで飛び込んでいった三人は本当に人間やめているとしか思えなかった。

「しばらくはお休み確定ですね」

 そう呟いた後、大人一人が余裕で通れる穴にレティーは身を投じた。
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