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第六章

目には目を、歯には歯を、国には国を

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 遊牧国家ヴァルガ
 大陸で帝国に並んで広い領地を持つ遊牧民が支配階層を形成して作られた国家。
 遊牧による牧畜のおかげで、幼き頃から馬に乗って生活するおかげで、彼らは騎乗に優れ、大陸で随一の移動速度を誇る。
 そのため、彼らが北門が破壊されてから街の中に入るまで、そう時間はかからなかった。街に侵入し、壁を壊し、家を壊し、逃げ惑う人々を追い立て、刺す。
 金属類等を身に着けず、獣の皮で出来た上着を羽織った騎乗に特化した装備で街を走るヴァルガの兵達。
 皆年若く、中には少年と言っていい程の歳の子もいた。その数は二千、あるいは三千に届く程。城壁を攻めるには少なすぎる戦力。しかし、城壁も機能せず、情報の連絡もおろそかになり、配置もままならない城を攻めるには十分だ。彼らの表情は怒りに染まっており、それを発散するが如く街中に火や矢を放つ。

「卑劣な帝国に死を!!」
「我らに汚名を被せた者に裁きを!!」

 口から出る言葉は帝国に住む者達には馴染みのないものだった。逃げ惑う人々も何を言っているか理解できないだろう。
 ヴァルガの者達も理解して貰うつもりはない。とっくに彼らは帝国を見限っている。祖国の土を踏み荒らし、冤罪をかけてくる国なのだ。そこに住まう人間も悪だと決めつけて断罪していく。

 ヴァルガによる被害はどんどんと広がっていく。
 北に戦力がなかったのもあるが、援軍として向かうはずの騎士達はこれまでの被害で混乱の中にあった。指示系統を麻痺させるためにシグルドやガンドライドが指揮官などを真っ先に刈り取っていった影響が出ているのだ。それだけではない。

「あったぞ!! こっちだ!!」
「おぉ!! 二つ目の門も本当に破壊されているとは……手紙に記載されていた通りだ!!」
「大地よ。祖霊よ。感謝申し上げます!!」

 シグルド達が破壊した内側の門。それを見つけたヴァルガの兵達は第二の壁すら突破する。
 城塞都市ディギル。不落を誇った要塞が陥落しようとしていた。

 皇帝と魔女の目の前で、街が炎に包まれていく。
 街一つを巻き込んだ。いや、ヴァルガがここを落とし、このまま侵略を続けようものなら、下手をすれば国すらなくなるかもしれない事態になった騒動。流石のウルも表情を歪ませる。

「街一つ破壊することを目論んでいた訳……私達殺すだけじゃ満足できなかったんだ。はぁ、厄介なことになった」
「あぁ、随分な損失だ。そして、これは貴様の責任でもあるぞ。騒動が起こるのが分かっていたにも関わらず、これほどの規模になることを知らせなかったのだからな」
「いえ、これは私にも見えなかったの……でも、それは言い訳ね。悪かったわ」

 ウルは素直に謝罪の言葉を口にする。

「修正可能か?」
「駄目ね。この流れは変えられない。それどころか塗り替えたとしてもより酷い結果に結びついてしまうわ」
「そうか。ならば、結界はこのままでいい。この街は捨てる。その行為を他人に見られる訳にはいかんからな。転移術式の用意を」
「皇帝は敵に捕らわれたままという状況を作るって訳ね。了解」

 あっさりと、皇帝の口から街を切り捨てると言う言葉が飛び出す。
 確かに、今の街の状況からして反撃することは難しい。何度も外敵を撥ね退けてきたどんな鉄壁の城も、内側に入られれば脆いものだ。警備も指揮系統もグチャグチャを立て直す前に街全てが蹂躙されるのは目に見えている。
 冷静に指示を出すビルムベルだが、やはりこの街がなくなることでの損害は大きいのだろう。眉を顰め、憎々しい表情を作っている。
 その様子をミーシャは笑った。これまで変わらなかった皇帝の表情を歪ませることができたのだ。体が拘束されていなければ小躍りしていたに違いない。

「随分簡単に逃げ出すんだな。大陸の覇者とも呼ばれているのに、情けない」
「……確かにここで逃げるのは屈辱だ。認めよう。貴様は直ぐに殺すべきであった。それをしなかったからこそこの街を失うことになってしまった。しかし、まだ敗北ではない」
「へぇ……まだ、ここから切り返せると思っているのか?」
「無論——そもそもこれは一時の勝利に過ぎない。街を堕とされても防衛網さえ構築できれば問題ない」

 逃げ支度を進める皇帝を鼻で嗤うミーシャ。しかし、ビルムベルは意に返さない。一時の勝利に酔いしれていろと不愉快そうにミーシャを見下す。

「街が壊滅状態になった。国境が突破された? だからどうしたと言うのだ。その程度で余が膝を屈するとでも思ったか? この身が帝都に移れば直ぐに部隊を動かせる。貴様がやったのは精々指の先を斬った程度だ」

 ウルが準備する転移魔術。それを使えばビルムベルは距離を無視して帝都に辿り着ける。ディギルまで来た時のように馬車で移動するのならば、馬の扱いに長けるヴァルガに追い抜かれてしまう。そうなってしまうと全てが手遅れだ。頭が機能しなければ、体も動くことはできない。
 だが、それはあくまで馬で移動した場合の話。転移魔術を使えばそんな心配もなくなるのだ。だから、ミーシャの行動は無駄——この場で相打ち覚悟で殺そうとしても殺されることはない。街は破壊されようとも帝国は揺るぐことはないのだ。

「貴族達への連絡はどうするの? このまま放置?」
「あぁ、まだ替えが効く程度の価値しかない者達だ。都市長補佐の方は惜しかったがな」
「なら連れてくる? まだ生きてるかもしれないわよ」
「いらん。惜しいと言っても、ほんの少しの差でしかない。その程度ならば、帝国の内部にまだまだいる。労力を無駄にして助けるほどではないわ」
「そう。なら、レギンは?」
「回収する。直ぐに呼び戻せ」
「了解」

 短く返事をしたウルが小さな紙を取り出す。掌に収まる程度の小さな長方形の紙切れ。赤い複雑な模様が描かれたそれを取り出すと、ウルはそれに向かって話しかけた。

「レギン。聞こえる?」

 紙に描かれた模様は対象の血そのもの。血を媒介にすることによって声を対象に送り届ける連絡用の魔術。手紙などを書くのを面倒臭がっているウルがよく利用している魔術だ。

「こちらに向かっている最中ですって。連絡来る前に撤退していたらしいから、もうこの近くまで来ているみたい」
「そうか」

 ウルの言葉にビルムベルが短く答えてから、ミーシャへと再び視線を移す。

「これが現実だ小娘。貴様がどれだけやったとしてもこれで終わる。貴様の行いは全て無駄だった」

 残酷な死刑宣告。命を懸けて復讐を為してきた者に、その行いは無駄だったと一手で覆す様を見せつける。
 格が違う。全てが無駄だったと知った時に味わう絶望。
 目の前が真っ暗になり、憎悪すら掻き消えても可笑しくはない。そんな状況で——————




「ハ——————ッハハハハハ!! !?」

 ミーシャは嗤った。

「その程度か。その程度何だな!? 転移で脱出? ありきたりすぎるぞ大馬鹿野郎!! その可能性を考えなかったとでも思ったか!?」

 嗤う。相手の浅慮さに。嗤う。相手がこの程度で逆転したと思っていることに。

「転移は高度な魔術だ。私だってできはしない。私ができないんだ。他の有象無象もできる訳がない」
「……その理屈で言うと、転移の魔術を使える者はいないと考えるのが普通じゃないかしら?」
「あぁ、そうだよ。そうだった……伯爵の館でお前に合うまではな!! 初めてだ。初めてだよ。何も分からずに倒されたのは!! だから、言っただろう。お前が来る可能性も考えていたと。私ができないことはできると考えた。その対処法を片っ端から考えたよ。時間はたんまりあった。それを可能にできる魔力もあったからな」
「解せないわね……対策を考えたと言っても一つや二つじゃないでしょう。全て対策するようなら必要な魔力量も多くなる。そんなもの貴女に用意できると思わないけど?」
「ここに来るまでに私が何をしていたと思ってる。に何をさせていたと思ってる? お前に私は勝てないだろう。あぁ、その通りだ。不快で、忌々しい事実だよ。魔力も魔術の腕も今の私じゃ遠く及ばない。けどな、こっちにはいるんだよ。私より魔術に優れて魔力が桁違いな化け物がな」

 拾い物だった。それを知った時には同時に嫉妬もした。だが、使えると思ってしまった。
 感覚で無詠唱の魔術をこなしてしまう拾い物。本来ならばシグルドが担うはずだったが、魔術を扱うのならば慣れていないシグルドよりも優れていたため、これ以上の適任はいないと思い、急遽役割を変更させた。

「配置したルーンは六つ。既にもう魔術の準備は終わっている。さぁ、もうそろそろ効果が現れる。転移の術式は消しておいた方が身のためだぞ?」

 したり顔で警告を飛ばす。その瞬間だった。

「————ガァッ」

 ウルの体に異変が起こる
 息が詰まる。頭痛が起こり、海の上にいるかのように足元が覚束なくなる。たまらずウルは膝を付いた

「これ、はっ」
「頭痛が始まったか? なら、気を付けておけ、今度は耳鳴りに嘔吐が襲ってくる。そして、最後は体の先から壊死していくようにしているんだ。勿論、対象は転移の術式を扱う魔術師だ」
「————ッ」
「ハハハ!! どうした? 死人すら蘇らせる術を持つお前が良い様じゃないか。言っておくが、これを発動させたのは私じゃないから、私を殺してもお前等は脱出何てできないぞ。ざまあ見ろ皇帝!!  使者を復活させたような規則外の術はもう使えないんだろ? 出来たらとっくにやっているだろうからなぁ!!」

 拘束が解かれる。
 ウルが維持していた魔力の鎖が塵となって消える。単純な一つのルーンを使った魔術。魔力を途切れさせなければ、簡単に作れる扱いやすい魔術。それが消えるということ。それはこの程度の魔術も維持できないほどにウルの体は蝕まれていたということだ。

 拘束が解かれたミーシャの前には無防備な皇帝が一人。
 両者の間には何の障壁もなかった。
 ウルは準備していた転移の術式を対象とした病魔の魔術で大きく弱体化し、部屋には逃げる所を見られまいと結界を維持させてしまったせいで騎士が入って来ることはない。

「今度こそ、お前は終わりだ。今度は蘇ることができないように四肢をバラバラにして、頭は原型留め無くしてやる。逃げる時間も与えない。自害もさせない。覚悟はできたか? 悔い改めたか? 私にしてきたことはこれで許してやるよ。だって、これで対等だからなぁ!!」

 一歩、ミーシャが距離を詰める。ビルムベルの頬に汗が流れる。ビルムベルに戦闘能力はない。つまり、その一歩は絶望の始まりと言っていい。

「杭が体中から生えたらどうなるんだろうな。もし、生きていたら聞かせてくれ」

 ルーンを描くと同時にミーシャの口から詠唱が流れる。

「戒めよその罪。改めよその咎。汝の行いは人のものではない。罰の大きさは汝が流した血で決まるだろう。許してはならぬ。同情はならぬ。突き立て百の牙、罪人は丘の上に立ち、杭に繋がれ、獣に喰われ、腐り果てるまで血を流すがいい。これは正義の行いである————クロイツ・エーヴィル」

 召喚されるのは大量の血濡れた杭。太く、鋭い杭の一つ一つが血を欲し、獲物を求めてビルムベルへと迫る。
 逃げることはできない。一つの杭に捕まれば、次々に体に穴が開くことは間違いない。そして、自分の体の重さで傷が広がり、苦しんで死ぬ。そのためだけに作った魔術。

 数秒後に訪れるであろう未来を想像し、ミーシャは笑みを浮かべた。
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