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第六章
狂気
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遊牧国家に近い北門。普段は騎士や軍に関係する者以外、ここを通る者はいない。しかし、今だけは違った。
「通せ!!」「助けて!!」「火がっ——火が近づいてくる!!」「何でだ、何でこんなことにっ」「応援を呼べ!!」「ママー!!」「痛いっ押さないでってばっ」「早く行けよ馬鹿野郎!!」「何だと!?」
少しでも前に、一刻も前に進もうとするディギルの住民達。安全な道を通っていたはずだった。誰にも襲われないはずだった。そう思っていた彼らは突如降り注ぐ爆炎に襲われ恐怖に陥る。
詳しい事情を知らない直感的に彼らは殺されるとしか考えず、我先にと脚を動かす。
その結果、脚の遅い者は踏み倒され、踏み越えていった者も足場の悪い場所を走ったせいで負傷するといった二次被害を出していた。
炎の雨に追われる民衆。城壁にいた見張りがそれを見逃すはずがなかった。
何故、こんな所にいるのか。避難場所はどうしたのか。などと疑問に頭を悩ますうちに民衆は門へと到達する。
爆炎に襲われ続ける彼らは恐怖のあまり、前に行くことしか考えられない。このままいけば門に行く手を阻まれるにも関わらず——。
群衆から抜け出し、まだ逃げ道がある左右の道に脚を踏み出せばまだ助かるかもしれない。しかし、誰も踏み出さない。踏み出せない。視野が狭まっていると言うのもある。夜の暗い街並みだ。人の目では見渡すことはできはしない。けれど、もう一つの理由としては、やはり——目立ちたくないからだろう。
助かる手段はある。しかし、それで本当に命が助かるのだろうか。脚を踏み出すのは自分だけで、追ってきている敵の目に捉えられないだろうか。
そんなことを考えて群衆の中に紛れることを選んでしまう。爆炎が自分の方に飛んでくるのを恐れて、誰かが自分の盾になってくれるのを願って身を縮める。
そんな所にいてはいい的になってしまう。城壁の上から騎士が声を荒げて民衆に呼びかけるが、残念ながら騒ぎにかき消されてしまい、誰の耳にも届かない。
周囲の騎士も民衆を助けようと動くも敵の目に留まり、民衆を誘導できないように出現した炎の壁に阻まれる。
人の力だけでは決して開くことのない分厚い扉を民衆は懸命に手で叩く。背後からはドンッドンッと地を鳴らす轟音と熱波が届き、恐怖を煽る。
平面しか見れない民衆にとって、それは自分達を殺すために放たれたものだと考えただろう。だが、城壁の上からそれを見ていた騎士は違う。殺す気などない。ただの脅し。そう見えたのだ。
何かある。敵の狙いは少なくとも民衆を殺すことではないと考え、何処からともなく出現する爆炎の出所を探そうとする。そして、一人の少女が目に入った。
騒ぎ立てる民衆から距離を置いて、けれども離れ過ぎてもいない程度の位置にいた少女。ジッとして佇んでいるかのように見えるが、よく見てみると腕をあちこちの方向に伸ばしたりしている。それはまるで慌てもせず、何かの仕事をしているかのようで、怪しいと感じるのに十分だった。
これまで少女の存在に気付かなかったのは恐らく、背丈のせいだろう。
今門を必死に叩いている民衆には子供の姿は見えない。実際にはいるのだろうが、大人の陰に埋もれてしまっているせいで姿を確認することができなくなっているのだ。
恐怖状態にある大人の足元に姿を隠すというのは危険極まりない方法だ。子供ならば、怪我の一つや二つでは済まない。本来ならば、怪我がないかを心配する所だろう。しかし、騎士には視界に入った少女が子供のようには見えなかった。
騎士の見立ては正しい。
何故なら、この少女は元々人間ですらないのだから。
「目標確認。演算開始————完了。ルーン石による威迫行為はこれ以上、不要、この距離から門の破壊を決行します」
フードを被り、今帝国で賞金もかかっている王国の王女に似た風貌を持つ少女が淡々と言葉を口にする。
これまで密かに行っていたルーン石による誘導を止め、内部に溜め込んでいた魔力を解き放つ。
「な——」
その光景を確認できていたのは城壁では騎士一人だけだった。
下に降りた騎士は悉く葬られ、民衆は恐怖で耳を貸さず、今から下に降りても間に合わない。どうにもならないと分かりながら、その光景を騎士は見ていた。
「白い、竜」
魔力は白い雷となって城壁を破壊する。
一瞬だった。一瞬で人間が蒸発し、城壁が形を保てずに崩壊する。その音は、街の中だけではなく、城塞都市周辺まで響き渡る。
「…………やってくれたな」
そして、それは当然結界に覆われている黄金亭の一室にも届いていた。
憎々しげに呟いたのはビルムベルだ。それを見たミーシャはニヤリと笑みを浮かべる。
倒れていても見えた白い光。嫌がらせのために考えた帝国を象徴する白い竜をモチーフにした魔力爆弾。本来ならば民や街、国を護り、人々を導くはずの白い竜が街を破滅に導くための一手になる——何とも滑稽な話だろうか。
「アレはお前らの象徴に似せた物なんだが——その顔だと気に入ってくれたようだな。ハハハッ——良かったよ。ようやくお前の表情を崩せた」
「————ウル。さっさと部屋に張られている結界を解け。お前ならば時間はかからんだろう」
「了解、前線基地に何かがあったってだけで動揺は走るからね」
一瞬だけ、ミーシャを睨み付けるとウルに向かって結界を解くように指示を飛ばす。ウルも状況の重さを理解しているのだろう。いつもの軽薄そうな態度は鳴りを潜めていた。
それもそうだろう。
この先にあるのは遊牧国家の支配域。そして、ここは遊牧国家に対する重要な城塞都市。攻めるにしても、守るにしてもここを起点にしているのだ。
門が一つ、城塞の一部が欠けてしまった状態であろうとも、相手は遊牧国家と言うだけあって馬の扱いに手慣れている者達だ。穴が空けば、そこから得意の脚を使って攻めて来るだろう。
それが分かっていてミーシャも門の破壊を決行したのだ。
「もう、遅いよ」
胸に係る圧力で息が苦しくなるのも構わずに、ミーシャは歪な笑みで笑う。
北門周辺に集まっていた民衆の中に紛れ込ませたのはレティーが酒場で替え玉として利用していた人形だ。非戦闘型なので、壊れやすいが元から捨て駒として見繕われたもの。門に近づくことができればそれだけで良いのだ。後は、予め腹に埋め込んでおいたルーン石が仕事をする。
魔力がごっそりと持って行かれる感覚。先程の爆破音。そして、何より目の前の二人の表情が崩れた様子からこの二人にとっても不味いと思う状況が起きたと言う証拠だ。
これまでの余裕の態度を崩せた。それだけである程度は胸がすく思いがした。
二人が初めてミーシャを睨み付ける。
「まだ何か隠し持っているの?」
「何だ。さっきまでの余裕はどうした? ん?」
楽しそうに、心の底から楽しそうにミーシャは笑う。
相手が苦しむのが楽しい。藻掻く姿を見ているのが滑稽。王宮にいた彼女ならばそんなことで楽しむことはなかっただろう。けれど、今は違う。
追い詰められているはずなのに、相手が怒っていることに高揚感を感じていた。この手で怒ってくれるのなら、次の手段は苦しんでくれるはずだと嬉しがる。
「——ずっと考えてたんだ」
「私の質問に答えてくれないかしら?」
「どんなことをすれば嫌がるか。怒ってくれるか。苦しんでくれるか。ずっとそれを考えてた」
ウルの問いを無視してミーシャは続ける。ウルの目からどんどんと冷徹なものに変わっていくが、それすらもミーシャには嬉しかった。
先程とは真逆。
ミーシャが責められ、余裕がなかったにも関わらず、今はウルとビルムベルが追い詰められていた。
「お前達だって苦しむべきだ。だって私は苦しんだんだ。なら、私をこうしたお前達だって同じにならなきゃ釣り合いにはならない」
再び、火の手が上がる。今度は多数の雄叫びと共に——。
「……ウル」
「————えぇ」
聞き覚えのある雄叫びを耳にし、二人は何が来たのかを理解する。
アレは王国の関係者でもなければ、犯罪者集団でも、野盗の類でもない。
帝国の明確な敵。しかも血気盛んな大馬鹿者共——遊牧国家(ヴァルガ)の者達だった。
二人の間違いはミーシャの実力を見誤ったからではない。演技をして駒を隠し、秘密裏に城門を破壊する作戦を読み切れなかったからでもない。
ただ、単に——少女の狂気を推し量れなかっただけ。
少数の不幸のために周囲を巻き込んで不幸を降り注ぐ。最早、己の欲を満たすためだけと言ってもいい狂気を——
不幸に陥り、悲痛な運命に悲しむ少女の演技を見抜けなかっただけである。
「通せ!!」「助けて!!」「火がっ——火が近づいてくる!!」「何でだ、何でこんなことにっ」「応援を呼べ!!」「ママー!!」「痛いっ押さないでってばっ」「早く行けよ馬鹿野郎!!」「何だと!?」
少しでも前に、一刻も前に進もうとするディギルの住民達。安全な道を通っていたはずだった。誰にも襲われないはずだった。そう思っていた彼らは突如降り注ぐ爆炎に襲われ恐怖に陥る。
詳しい事情を知らない直感的に彼らは殺されるとしか考えず、我先にと脚を動かす。
その結果、脚の遅い者は踏み倒され、踏み越えていった者も足場の悪い場所を走ったせいで負傷するといった二次被害を出していた。
炎の雨に追われる民衆。城壁にいた見張りがそれを見逃すはずがなかった。
何故、こんな所にいるのか。避難場所はどうしたのか。などと疑問に頭を悩ますうちに民衆は門へと到達する。
爆炎に襲われ続ける彼らは恐怖のあまり、前に行くことしか考えられない。このままいけば門に行く手を阻まれるにも関わらず——。
群衆から抜け出し、まだ逃げ道がある左右の道に脚を踏み出せばまだ助かるかもしれない。しかし、誰も踏み出さない。踏み出せない。視野が狭まっていると言うのもある。夜の暗い街並みだ。人の目では見渡すことはできはしない。けれど、もう一つの理由としては、やはり——目立ちたくないからだろう。
助かる手段はある。しかし、それで本当に命が助かるのだろうか。脚を踏み出すのは自分だけで、追ってきている敵の目に捉えられないだろうか。
そんなことを考えて群衆の中に紛れることを選んでしまう。爆炎が自分の方に飛んでくるのを恐れて、誰かが自分の盾になってくれるのを願って身を縮める。
そんな所にいてはいい的になってしまう。城壁の上から騎士が声を荒げて民衆に呼びかけるが、残念ながら騒ぎにかき消されてしまい、誰の耳にも届かない。
周囲の騎士も民衆を助けようと動くも敵の目に留まり、民衆を誘導できないように出現した炎の壁に阻まれる。
人の力だけでは決して開くことのない分厚い扉を民衆は懸命に手で叩く。背後からはドンッドンッと地を鳴らす轟音と熱波が届き、恐怖を煽る。
平面しか見れない民衆にとって、それは自分達を殺すために放たれたものだと考えただろう。だが、城壁の上からそれを見ていた騎士は違う。殺す気などない。ただの脅し。そう見えたのだ。
何かある。敵の狙いは少なくとも民衆を殺すことではないと考え、何処からともなく出現する爆炎の出所を探そうとする。そして、一人の少女が目に入った。
騒ぎ立てる民衆から距離を置いて、けれども離れ過ぎてもいない程度の位置にいた少女。ジッとして佇んでいるかのように見えるが、よく見てみると腕をあちこちの方向に伸ばしたりしている。それはまるで慌てもせず、何かの仕事をしているかのようで、怪しいと感じるのに十分だった。
これまで少女の存在に気付かなかったのは恐らく、背丈のせいだろう。
今門を必死に叩いている民衆には子供の姿は見えない。実際にはいるのだろうが、大人の陰に埋もれてしまっているせいで姿を確認することができなくなっているのだ。
恐怖状態にある大人の足元に姿を隠すというのは危険極まりない方法だ。子供ならば、怪我の一つや二つでは済まない。本来ならば、怪我がないかを心配する所だろう。しかし、騎士には視界に入った少女が子供のようには見えなかった。
騎士の見立ては正しい。
何故なら、この少女は元々人間ですらないのだから。
「目標確認。演算開始————完了。ルーン石による威迫行為はこれ以上、不要、この距離から門の破壊を決行します」
フードを被り、今帝国で賞金もかかっている王国の王女に似た風貌を持つ少女が淡々と言葉を口にする。
これまで密かに行っていたルーン石による誘導を止め、内部に溜め込んでいた魔力を解き放つ。
「な——」
その光景を確認できていたのは城壁では騎士一人だけだった。
下に降りた騎士は悉く葬られ、民衆は恐怖で耳を貸さず、今から下に降りても間に合わない。どうにもならないと分かりながら、その光景を騎士は見ていた。
「白い、竜」
魔力は白い雷となって城壁を破壊する。
一瞬だった。一瞬で人間が蒸発し、城壁が形を保てずに崩壊する。その音は、街の中だけではなく、城塞都市周辺まで響き渡る。
「…………やってくれたな」
そして、それは当然結界に覆われている黄金亭の一室にも届いていた。
憎々しげに呟いたのはビルムベルだ。それを見たミーシャはニヤリと笑みを浮かべる。
倒れていても見えた白い光。嫌がらせのために考えた帝国を象徴する白い竜をモチーフにした魔力爆弾。本来ならば民や街、国を護り、人々を導くはずの白い竜が街を破滅に導くための一手になる——何とも滑稽な話だろうか。
「アレはお前らの象徴に似せた物なんだが——その顔だと気に入ってくれたようだな。ハハハッ——良かったよ。ようやくお前の表情を崩せた」
「————ウル。さっさと部屋に張られている結界を解け。お前ならば時間はかからんだろう」
「了解、前線基地に何かがあったってだけで動揺は走るからね」
一瞬だけ、ミーシャを睨み付けるとウルに向かって結界を解くように指示を飛ばす。ウルも状況の重さを理解しているのだろう。いつもの軽薄そうな態度は鳴りを潜めていた。
それもそうだろう。
この先にあるのは遊牧国家の支配域。そして、ここは遊牧国家に対する重要な城塞都市。攻めるにしても、守るにしてもここを起点にしているのだ。
門が一つ、城塞の一部が欠けてしまった状態であろうとも、相手は遊牧国家と言うだけあって馬の扱いに手慣れている者達だ。穴が空けば、そこから得意の脚を使って攻めて来るだろう。
それが分かっていてミーシャも門の破壊を決行したのだ。
「もう、遅いよ」
胸に係る圧力で息が苦しくなるのも構わずに、ミーシャは歪な笑みで笑う。
北門周辺に集まっていた民衆の中に紛れ込ませたのはレティーが酒場で替え玉として利用していた人形だ。非戦闘型なので、壊れやすいが元から捨て駒として見繕われたもの。門に近づくことができればそれだけで良いのだ。後は、予め腹に埋め込んでおいたルーン石が仕事をする。
魔力がごっそりと持って行かれる感覚。先程の爆破音。そして、何より目の前の二人の表情が崩れた様子からこの二人にとっても不味いと思う状況が起きたと言う証拠だ。
これまでの余裕の態度を崩せた。それだけである程度は胸がすく思いがした。
二人が初めてミーシャを睨み付ける。
「まだ何か隠し持っているの?」
「何だ。さっきまでの余裕はどうした? ん?」
楽しそうに、心の底から楽しそうにミーシャは笑う。
相手が苦しむのが楽しい。藻掻く姿を見ているのが滑稽。王宮にいた彼女ならばそんなことで楽しむことはなかっただろう。けれど、今は違う。
追い詰められているはずなのに、相手が怒っていることに高揚感を感じていた。この手で怒ってくれるのなら、次の手段は苦しんでくれるはずだと嬉しがる。
「——ずっと考えてたんだ」
「私の質問に答えてくれないかしら?」
「どんなことをすれば嫌がるか。怒ってくれるか。苦しんでくれるか。ずっとそれを考えてた」
ウルの問いを無視してミーシャは続ける。ウルの目からどんどんと冷徹なものに変わっていくが、それすらもミーシャには嬉しかった。
先程とは真逆。
ミーシャが責められ、余裕がなかったにも関わらず、今はウルとビルムベルが追い詰められていた。
「お前達だって苦しむべきだ。だって私は苦しんだんだ。なら、私をこうしたお前達だって同じにならなきゃ釣り合いにはならない」
再び、火の手が上がる。今度は多数の雄叫びと共に——。
「……ウル」
「————えぇ」
聞き覚えのある雄叫びを耳にし、二人は何が来たのかを理解する。
アレは王国の関係者でもなければ、犯罪者集団でも、野盗の類でもない。
帝国の明確な敵。しかも血気盛んな大馬鹿者共——遊牧国家(ヴァルガ)の者達だった。
二人の間違いはミーシャの実力を見誤ったからではない。演技をして駒を隠し、秘密裏に城門を破壊する作戦を読み切れなかったからでもない。
ただ、単に——少女の狂気を推し量れなかっただけ。
少数の不幸のために周囲を巻き込んで不幸を降り注ぐ。最早、己の欲を満たすためだけと言ってもいい狂気を——
不幸に陥り、悲痛な運命に悲しむ少女の演技を見抜けなかっただけである。
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