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第六章
盾
しおりを挟む少女を守るように前に立つ一人の男を目の前にビルムベルは目を細める。
土や血で服は汚れているようだが、特に目立った外傷はない。近くには少なくない近衛がいたはずだが、シグルドと名乗ったこの男はそれを突破してきたということだ。しかも——。
「お姉様っ」
「殿下!!」
破壊した外壁からガンドライドとレティーが姿を現す。
レティーは左足を痛めているのか僅かに引き摺っており、ガンドライドに至っては体中血塗れで意識を辛うじて繋いでいる程度。どう見ても戦闘に参加できるようには見えない。
二人はミーシャの元へと駆け寄り、ふらふらになっている少女の体を支える。
「何を、しに来たっ」
「無論、殿下を救うためです!! このような場所に一人で潜入するなど……」
「うるさいっ。邪魔をするな!!」
「お、お姉様……」
拒絶するかのようにミーシャが支えられた腕を払いのけようとするが、体力の限界が近く、振りほどく力も弱弱しい。
「私が、私がアイツ等をやるんだっ。お前等は当てにしない」
「無茶です殿下。もう魔力を使い果たしているのは私でも分かります。どうか、ここはお下がりを……私が安全な場所まで連れて行きます。お任せください」
「っ——いやだ。いや!!」
主の思いとは相反する行動だとしても、レティーは迷うことはしなかった。忠誠を捧げた王家のためにミーシャだけは無事にここから脱出させると決意し、立ち上がる。
ミーシャを抱き上げ、ガンドライドに肩を貸すとレティーはシグルドへと顔を向ける。
「どうか、ここはお願いします。私は御二人を街の外へ」
「いや、駄目だ」
「え?」
「少なくとも今は、な」
外へと足を踏み出そうとしたレティーだが、それを止めたのはシグルドだった。何故——という疑問が頭を過るが、答えは直ぐに返って来た。
光が三つ。レティーが何とか視認できたのはそこまでだ。恐らくは魔術、しかし、どんな者かは分かりはしない。分かったことは、自分は殺されそうになっていたこと。そして、そこをシグルドに助けて貰ったことだけだ。
「狙うなら俺を狙えよ。戦いから抜けた奴を狙うんじゃない」
「あら、癇に障ったかしら? ごめんなさいね。でも、淑女に向かっていきなり熱線を放ってきたからお相子でしょう?」
「あっさり躱しておいてよく言う」
微笑むウルにシグルドは鋭い視線を投げる。
やり取りを聞いていたレティーは目を見開く。
「まさか、レイ殿も反撃を?」
一瞬のうちに、少なくとも——見えた限りでは——三発の魔力弾を弾くだけではなく、反撃すら行っていたことに驚愕する。
はったりではないだろう。証拠に敵の魔術師の長い黒髪が数本地面に散らばっており、後ろの壁には焦げた小さな穴がある。
両者が睨み合う。シグルドは何時でも魔剣を放てるようにしており、ウルは魔剣に対する万全な防御策がないが、相打ち覚悟で後ろにいるレティー達に狙いを定めて互いを牽制している。
この状況では動けない。そうレティーは判断する。下手に動いてシグルドの守備範囲から出てしまえば、待っているのは確実な死だと気付いたからだ。
「あ~あ、綺麗に整えた髪が焦げちゃった。その魔剣、そんな使い方もできたのね」
「コイツを知っているのか?」
「知ってるも何も、因縁があるだけよ。本当に、一体どうやって誤魔化していたのかしら?」
「? 何の話だ?」
「…………なるほど、そういうことか」
目を細め、何かを呟いたウルを警戒する。
魔剣を知っているかのような口調に疑問が増えていく一方だが、今はそんなことを考えている場合ではないと自身を叱咤する。グラムの炎で道を塞いでいるとは言え、外の者達に回り込まれる前に逃げ出さなければならないのだ。
「(グラムの力さえ直撃すれば勝利は決まる。だけど、俺達の今の勝利条件はここから逃げ出すこと。最悪、この勝負は負けても良い。隙を作るには視界を塞げれば良いんだが……さっきみたいに妙な術で躱されたら厄介だ。デカい一撃を出して怯んだ隙に――)」
「(大きなものを作るにはそれに見合った魔力が必要。大きい方を警戒していればいい。さっきみたいに速度重視のものは問題ない。溜めを作る隙を与えない程の手数で押し切れば私の勝利)」
互いの視線がぶつかる。
どちらも時間に余裕はない。だが、目の前で隙を見せたならば確実に命を取られることは確実だと分かっているため、迂闊な行動はできない。
限られた時間でどちらの忍耐と集中力が先に切れるか。勝敗の行方はそこにあった。
「魔剣、装填——」
「さて、始めましょうか」
互いに魔剣と魔杖を構えると次の瞬間に戦いは始まった。
ウルが杖を振るう度に光の槍が出現し、シグルドが剣を振るう度に光の槍が減り、紅い閃光が奔る。
物量で勝るのはウルだ。一度に複数の槍を作り出し、徐々にシグルドが攻勢に出る回数を減らしていた。
何が起こっているか分かっていないレティーだが、魔剣の閃光が別の光によって埋め尽くされていることには気付けた。
「押されているっ」
小さく言葉が漏れる。紅い閃光が白い閃光によって塗り潰されていく。
一つでもシグルドが後ろに通せば、レティーの運命は決まる。しかし、逃げることはできない。この閃光の嵐を掻い潜る術をレティーは持っていない。今呼吸をしているのはシグルドの体の直線状にあり、常に後ろに槍が通らぬようにシグルドが気を使っているからだ。
それでも、最悪を考えて行動をしなければならないとレティーが足に力を籠める。
「大丈夫だ」
「————え」
それは自分自身に向けられた言葉かと思ったが、直ぐに違うと判明する。シグルドはレティーを見ていなかった。その目は肩越しに腕に抱いているミーシャへと向けられている。
「大丈夫。一発も通しはしない。だって、何があっても俺はお前を守りたいからな」
閃光を切り裂きながら、シグルドは笑みを浮かべる。戦場における笑みではなく、日常で親が子供に向ける様な優しい笑顔。
「守る、ね。そんな小娘にそこまで言う何て。その娘が何をしたのか知っているの?」
ミーシャがやって来たことを見たウルはその娘にそんな価値はないと戦いの最中に語り掛ける。
「戦いから抜けた者を狙うことすらも忌み嫌うのなら、貴方は戦いに無関係な人間を巻き込むことにも怒りを覚えるんじゃないかしら?」
「…………」
「それだけじゃない。貴方達は捨て駒にされていたということも伝えておきましょうか。そこの貴女、貴女はこの部屋に忍び込む際に、周りの騎士を排除するために囮にされた。そこの女の子——ガンドライドと言ったかしら? 貴女は私を行動不能にするために術者が代償を払う者を使わされ、捨てられる所だったのよ?」
「————」
「なッ!? お姉様がそんなことするするはずないだろうがッ」
レティーが目を見開き、シグルドは静かに柄を強く握り、ガンドライドが力を振り絞ってウルを睨み付ける。三人の反応から何も聞かされていないことを確認するとウルは妖美に笑った。
「この街に入り込んできた奴らもその娘の仕業。この事態、この悲劇はその娘が全ての元凶なのよ」
魔力の銃弾が飛び交う中でウルの声だけが異様に響く。どんな術を使っているかなどは分からない。分からないが——————先程口にされた言葉が真実だということは、今でも味方であるはずのシグルドやレティー、ガンドライドを警戒しているミーシャの様子から察することはできた。
「…………殿下」
「その荷物を下ろしなさいな暗殺者。貴方が必死に守ろうとしているそれは貴方達の事なんて何一つとして大切にしていないし、信用していないのよ」
戦いに無関係な人間を巻き込まないことを信条とするシグルド。敵国でありながらも街の住民に親しみを覚えてしまったレティー。
どちらも街を焼かれ、逃げる背中を討たれる住民の姿を見て何も思うことがないはずがない。むしろ、その逆だ。顔馴染みが、幼い子供が、涙を流している所に一刻も早く駆け付けたかった。
それをしなかったのは、ミーシャの存在があったからだ。
人の中には必ず優先順位ができてしまう。全てを平等に大切に思っていても、全てを大切にすることはできない。
ガンドライドも、体から血を流し、満足に歩くことさえできない状態でも走って来た。全ては、ミーシャのために。
「どう思う? 忠誠の代わりに返って来たのは裏切りだった。そんな娘————守る価値何てあるのかしら?」
揺さぶりをかけられる。
普段であれば毛ほども気にしない言葉。絶対の忠誠を持っている者なら鼻で嗤う程度のもの。
それでもこの瞬間だけは強烈だった。
ボロボロになったのも主君の仕業、仲間が傷ついたのも主君の仕業、街がこんなことになっているのも主君の仕業。そして、子供達が泣いていたのも主君の仕業だった。
鉄の仮面が剥がれかける。頼りにしていた精神の柱に罅が入り、憎しみと忠義の狭間で揺れてしまう。
「——そんなこと、するはずない」
「ガンドライド殿……」
騎乗槍を取り出し、ガンドライドが前に出ようとする。体は傷だらけで、心は拠り所であるミーシャから捨てられたという言葉に大きくぶれている。
今口にした否定の言葉は根拠があるからではない。信じたくない。そんなの嫌だと言う駄々。
「無茶です!! ガンドライド殿、前に出てはいけません!! 貴女は今、戦える状態ではないのですよ!!」
「離せっ。あの女に思い知らせてやる!!」
「嘘だって言うなら、その娘の顔を見てみなさいよ。この状況で何にも言い返さないのがその証拠でしょう?」
「このっ————グッ」
「見え透いた挑発に乗るな」
前に出ようとしたガンドライドをシグルドが突き飛ばす。
「何を、するのよ。このッ」
「普段のお前なら止めはしないが、今の体も心もボロボロなお前が戦うと言うのなら話は別だ。模擬戦闘の時も言っただろ。簡単に挑発に乗るなって」
一筋の閃光がシグルドの脇腹を抉る。それでも歯を食いしばり、倒れることを堪えてシグルドは剣を振るう。
「あら、貴方は何も思うことはないの? 自分だけが悲劇を受けるのは割に合わない何て馬鹿げた考えで、この街全ての住民を巻き込んだその娘に対して」
「……確かにそうだな」
更に胴体に、太腿に閃光が突き刺さる。
「あぁ、そうだ。確かにそれは許せない。戦いに無関係な人間を巻き込むことは何があってしないと決めている」
明かに閃光に対処しきれなくなっているシグルドを見て、ウルは目を細める。
動揺して剣筋が鈍っているのではない。シグルドの剣はいつも通り冴えている。それは即ち、シグルドは心に迷いを抱いていないと言うことになる。
では何故、あの男は閃光に対処しきれなくなっているのか————?
「だから、後で叱る」
「叱る? 街中を犠牲にしたのにその程度で済むとでも?」
「思わないよ。その罪はミーシャが背負っていくべきだ。背中を支えることはできても罪を背負うことは本人以外にはできないからな」
「捨て駒にされたのにまだその娘を守るの?」
「そんなの決まっているだろう。当たり前だ」
迷うことなく言い切ったシグルドにレティーが目を見開き、ウルの目が鋭くなる。
長年王国に仕え続けたレティーでも揺れかけたと言うのにシグルドは微動だにしなかった。その在り方はまるで盾。主に寄り添い、どんなことがあろうとも敵から身を守る強靭な盾のようだった。
「それと、もう一つ」
魔剣を大きく構え、閃光の弾幕をその身に浴びながらシグルドは犬歯を剥き出しにして笑う。
「——まずっ」
「弾幕の数を増やすべきだったな——もう慣れたぞ?」
紅い炎が閃光を押し返し、ウルとその後ろにいる皇帝をあっという間に飲み込んだ。
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