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麓の村へ 〜アルト視点
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「村へ下りる?」
グードゥヤとリゲルに出来立ての温かいシチューとパンを運んできた僕は、器を2人に手渡しながら内心驚きに目を見開いていた。
彼らはシオンを始め、狭い厩舎に収まりきれない新顔の馬たち一頭一頭にもブラシをかけてあげていた。よほど気持ち良かったのか、馬たちはリラックスしたかのように、初めての場所にも関わらず横になっている。枯れ草を敷き詰めてもらっているから土の上とはいえフカフカだろう。
うち一頭など、シオンに鼻面を擦り寄せられて嬉しそう。額にベルみたいな形の白い模様がある焦げ茶色の子だ。
空が暗くなる時間も早くなってきた。北からの風によって、外にいるだけで体温が奪われそうになる。
でもさすが“放浪する民”のグードゥヤ。既に火は焚かれ、馬の近くで様子を見ながら夜を明かすための天幕も万端なようだった。
馬たちは火に慣れているのか、暖かそうに目を細めている。
「うん。ふもとのむら、おりる。うまのせわ、ひとがたりない、から」
「この前までのオレたちみたいに、村でもこの季節はちょうど人を取られる作業が多いんだ」
グードゥヤとリゲルの言葉に僕は『なるほど』と頷いていた。麓の村も本格的な冬がやって来れば、家から外へ出られなくなることも増えてくる。だからこそ、保存食の準備や、降雪に備えて屋根の修理をしたりと冬支度に忙しいのだろう。
僕たちも、ついこの前まで毎年恒例の“干し⚪︎⚪︎”作りや薬作りに追われる日々だったから分かる。しかも今年は、例のお皿を大量に作るという仕事も増えたから尚更忙しかったのだ。
僕は、僕自身を殴ってやりたくなったよ。なんで割れにくいお皿なんかこの季節に開発してしまったのか…と。
それでもヴェダが綺麗な粘土玉を作ってくれたから、作業効率が上がったのだ。粘土が美しい球体になってくれていれば、それだけ型で上下から押し潰した時に、ムラなく無駄なく綺麗に伸びてくれるんだ。
また型が素晴らしかった。装飾が多いにも関わらず、丁寧な彫刻と磨きによって、木の表面がザラザラしていないお陰で、粘土玉は型に付着せず綺麗に外れてくれた。
おっと。つい辛かった日々と、ヴェダ、グードゥヤ、リゲルの素晴らしさを思い出して頭の中を過去に飛ばしちゃってた…。
「馬たちが落ち着くまで、1週間くらいで良いと思う。この小屋はアルトたちのお陰で食糧や薬の準備も万全だしな」
「ぼくと、リゲル、いっしょに、いってくる」
2人一緒なんだ。心なしリゲルが嬉しそうに見える気がする。
まあ、グードゥヤは馬が好きだし、優しいから、何となく予感はしていたんだ。村ではどんな環境で馬たちが暮らしていくのかも知りたいのだろう。なんなら新しい厩舎も建ててから帰って来そうだ。
でもグードゥヤは僕たち以外の人前に出ても大丈夫なのだろうか。
僕は眼帯姿の彼が好きだし、頬の火傷も格好良いと思うけれど、相手はアルクルの傷を怖がったり、ヴェダの色に忌避感を覚えたりするような閉鎖的考えの村人たちだ。
しかもグードゥヤは僕と同じ“余所者”。彼が傷つけられないか心配になる。
「ぼく、ばけもの、よばれても、へいき」
「グードゥヤ…」
僕の懸念が顔に出てしまったのだろうか。
でも彼は決して強がっているようには見えない。
「あの時は本当に悪かった」
リゲルはグードゥヤに深く頭を下げる。
「アルトとヴェダが、ほめて、くれたから、それで、いい」
「オレもグードゥヤのこと、格好いいって思ってる」
リゲルの言葉にグードゥヤは一瞬ぽかんとした後、
「ありがとう」
琥珀色の目を細めて笑った。
「村に泊まるところはあるの?」
僕の疑問に、
「うちに泊まれば良いよ」
遠くからプロキオの声が答えてくれた。
思わずビクッとしたのは内緒だ。
どうやら日が暮れる寸前に、ギーウスと2人で帰ってこられたらしい。…2人とも健脚過ぎない?
「僕とシオンはまたすぐに行商へ出るから、小さな家と厩舎だけど使って。ベッドは僕のと、じい様が使ってたのがあるし。布団は綺麗なのを村長の家で借りるといいよ」
そういえばプロキオは村に家があるんだ。“じい様”というのは以前リゲルが言っていた行商の師匠にあたる人物のことだろう。
「食事の用意はアウロラに頼むから心配しなくていい」
ギーウスの言葉に僕は内心ため息を吐いた。
アウロラさんへのお土産をたくさん用意しよう…と決めて。
◇
グードゥヤとリゲルが山を下りることを伝えると、ヴェダはショックを受けたように固まってしまった。
そういえばウルスが言っていた。
『リゲルがここに来たことで家族がまた1人欠けた。大切なものをリゲルに奪われたのだと無意識に思ってしまったのかもしれない』
『リゲルという“異物”がこの小屋に現れたことで、おそらくヴェダは“外の世界”というものを認識したのだろう』
「ヴェダ。グードゥヤは馬たちが回復して、誰かの手に任せられるようになったら帰ってくるよ」
「どれくらい?」
「1週間くらいだって」
「…1週間」
「2人ともプロキオの家に泊めてもらうそうだから、彼が帰って来る頃には一緒に戻ってくるんじゃないかな」
「グードゥヤ、村の人にいじめられない?」
そっか。ヴェダは『寂しい』じゃなくて、『グードゥヤのことが心配』だったのか。
「グードゥヤは『化け物って呼ばれても平気』だって」
「…強いね」
「ヴェダと僕が褒めてくれたから、だそうだよ」
「うん。だって、グードゥヤは格好いいもの」
「そうだね。……ヴェダ?」
グードゥヤの話をしているのに、心はどこか遠くにいるようなヴェダ。
「ねえアルト。僕も…山を下りてみたいな」
ぽつりと呟いた声に、
『ヴェダの故郷なんだから、いつでも下りられるよ』
そう答えたかったけど、彼の髪と瞳の色を思えば、無責任なことは言えなかった。こんなに綺麗な色なのにどうしてなんだろう?
「…ダメだよね。僕の姿を誰かに見られたら、アウロラ母さんにまた迷惑をかけちゃう」
悲しそうに俯いたヴェダを見て、堪らない気持ちが僕の胸を襲った。
「僕こそ、余所者だから村に入れてもらえないかも」
下を向いていたヴェダがハッとしたように僕を見てくれた。
「グードゥヤも外から来た子だから、彼が入れるならアルトも大丈夫だよ」
「いやいや。初めてここに来た時、門の中にすら入れてもらえなかったんだよ?」
「そういえばそうだったね。…グードゥヤ、本当に大丈夫かな」
「ギーウスが村長とアウロラさんに頼んでくれるそうだから、彼は大丈夫だと思うよ」
「アウロラ母さん…」
会いたい…のだろう。僕にはそう見える。
ギーウスが持ち帰って来てくれる彼女の料理を口にする度、いつも彼は嬉しそうなのと同時にこんな寂しそうな顔になるんだ。
うーん。
僕たちもこっそり山を下りて、アウロラさんの家とプロキオの家にだけ行く方法はないだろうか。他の村人には見つからないようにして。
ギーウスかリゲルに村の配置を訊いてみようか。
グードゥヤとリゲルに出来立ての温かいシチューとパンを運んできた僕は、器を2人に手渡しながら内心驚きに目を見開いていた。
彼らはシオンを始め、狭い厩舎に収まりきれない新顔の馬たち一頭一頭にもブラシをかけてあげていた。よほど気持ち良かったのか、馬たちはリラックスしたかのように、初めての場所にも関わらず横になっている。枯れ草を敷き詰めてもらっているから土の上とはいえフカフカだろう。
うち一頭など、シオンに鼻面を擦り寄せられて嬉しそう。額にベルみたいな形の白い模様がある焦げ茶色の子だ。
空が暗くなる時間も早くなってきた。北からの風によって、外にいるだけで体温が奪われそうになる。
でもさすが“放浪する民”のグードゥヤ。既に火は焚かれ、馬の近くで様子を見ながら夜を明かすための天幕も万端なようだった。
馬たちは火に慣れているのか、暖かそうに目を細めている。
「うん。ふもとのむら、おりる。うまのせわ、ひとがたりない、から」
「この前までのオレたちみたいに、村でもこの季節はちょうど人を取られる作業が多いんだ」
グードゥヤとリゲルの言葉に僕は『なるほど』と頷いていた。麓の村も本格的な冬がやって来れば、家から外へ出られなくなることも増えてくる。だからこそ、保存食の準備や、降雪に備えて屋根の修理をしたりと冬支度に忙しいのだろう。
僕たちも、ついこの前まで毎年恒例の“干し⚪︎⚪︎”作りや薬作りに追われる日々だったから分かる。しかも今年は、例のお皿を大量に作るという仕事も増えたから尚更忙しかったのだ。
僕は、僕自身を殴ってやりたくなったよ。なんで割れにくいお皿なんかこの季節に開発してしまったのか…と。
それでもヴェダが綺麗な粘土玉を作ってくれたから、作業効率が上がったのだ。粘土が美しい球体になってくれていれば、それだけ型で上下から押し潰した時に、ムラなく無駄なく綺麗に伸びてくれるんだ。
また型が素晴らしかった。装飾が多いにも関わらず、丁寧な彫刻と磨きによって、木の表面がザラザラしていないお陰で、粘土玉は型に付着せず綺麗に外れてくれた。
おっと。つい辛かった日々と、ヴェダ、グードゥヤ、リゲルの素晴らしさを思い出して頭の中を過去に飛ばしちゃってた…。
「馬たちが落ち着くまで、1週間くらいで良いと思う。この小屋はアルトたちのお陰で食糧や薬の準備も万全だしな」
「ぼくと、リゲル、いっしょに、いってくる」
2人一緒なんだ。心なしリゲルが嬉しそうに見える気がする。
まあ、グードゥヤは馬が好きだし、優しいから、何となく予感はしていたんだ。村ではどんな環境で馬たちが暮らしていくのかも知りたいのだろう。なんなら新しい厩舎も建ててから帰って来そうだ。
でもグードゥヤは僕たち以外の人前に出ても大丈夫なのだろうか。
僕は眼帯姿の彼が好きだし、頬の火傷も格好良いと思うけれど、相手はアルクルの傷を怖がったり、ヴェダの色に忌避感を覚えたりするような閉鎖的考えの村人たちだ。
しかもグードゥヤは僕と同じ“余所者”。彼が傷つけられないか心配になる。
「ぼく、ばけもの、よばれても、へいき」
「グードゥヤ…」
僕の懸念が顔に出てしまったのだろうか。
でも彼は決して強がっているようには見えない。
「あの時は本当に悪かった」
リゲルはグードゥヤに深く頭を下げる。
「アルトとヴェダが、ほめて、くれたから、それで、いい」
「オレもグードゥヤのこと、格好いいって思ってる」
リゲルの言葉にグードゥヤは一瞬ぽかんとした後、
「ありがとう」
琥珀色の目を細めて笑った。
「村に泊まるところはあるの?」
僕の疑問に、
「うちに泊まれば良いよ」
遠くからプロキオの声が答えてくれた。
思わずビクッとしたのは内緒だ。
どうやら日が暮れる寸前に、ギーウスと2人で帰ってこられたらしい。…2人とも健脚過ぎない?
「僕とシオンはまたすぐに行商へ出るから、小さな家と厩舎だけど使って。ベッドは僕のと、じい様が使ってたのがあるし。布団は綺麗なのを村長の家で借りるといいよ」
そういえばプロキオは村に家があるんだ。“じい様”というのは以前リゲルが言っていた行商の師匠にあたる人物のことだろう。
「食事の用意はアウロラに頼むから心配しなくていい」
ギーウスの言葉に僕は内心ため息を吐いた。
アウロラさんへのお土産をたくさん用意しよう…と決めて。
◇
グードゥヤとリゲルが山を下りることを伝えると、ヴェダはショックを受けたように固まってしまった。
そういえばウルスが言っていた。
『リゲルがここに来たことで家族がまた1人欠けた。大切なものをリゲルに奪われたのだと無意識に思ってしまったのかもしれない』
『リゲルという“異物”がこの小屋に現れたことで、おそらくヴェダは“外の世界”というものを認識したのだろう』
「ヴェダ。グードゥヤは馬たちが回復して、誰かの手に任せられるようになったら帰ってくるよ」
「どれくらい?」
「1週間くらいだって」
「…1週間」
「2人ともプロキオの家に泊めてもらうそうだから、彼が帰って来る頃には一緒に戻ってくるんじゃないかな」
「グードゥヤ、村の人にいじめられない?」
そっか。ヴェダは『寂しい』じゃなくて、『グードゥヤのことが心配』だったのか。
「グードゥヤは『化け物って呼ばれても平気』だって」
「…強いね」
「ヴェダと僕が褒めてくれたから、だそうだよ」
「うん。だって、グードゥヤは格好いいもの」
「そうだね。……ヴェダ?」
グードゥヤの話をしているのに、心はどこか遠くにいるようなヴェダ。
「ねえアルト。僕も…山を下りてみたいな」
ぽつりと呟いた声に、
『ヴェダの故郷なんだから、いつでも下りられるよ』
そう答えたかったけど、彼の髪と瞳の色を思えば、無責任なことは言えなかった。こんなに綺麗な色なのにどうしてなんだろう?
「…ダメだよね。僕の姿を誰かに見られたら、アウロラ母さんにまた迷惑をかけちゃう」
悲しそうに俯いたヴェダを見て、堪らない気持ちが僕の胸を襲った。
「僕こそ、余所者だから村に入れてもらえないかも」
下を向いていたヴェダがハッとしたように僕を見てくれた。
「グードゥヤも外から来た子だから、彼が入れるならアルトも大丈夫だよ」
「いやいや。初めてここに来た時、門の中にすら入れてもらえなかったんだよ?」
「そういえばそうだったね。…グードゥヤ、本当に大丈夫かな」
「ギーウスが村長とアウロラさんに頼んでくれるそうだから、彼は大丈夫だと思うよ」
「アウロラ母さん…」
会いたい…のだろう。僕にはそう見える。
ギーウスが持ち帰って来てくれる彼女の料理を口にする度、いつも彼は嬉しそうなのと同時にこんな寂しそうな顔になるんだ。
うーん。
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