木村先輩と僕

青埜澄

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8話 変化

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 あの日以来、隆は廊下でも中庭でも、どこで会っても必ず「ぎゅってさせて」と言ってくるようになった。
 最初は人目が気になって仕方なかった。通りすがりの同級生が小声で「またくっついてる…」と囁くのが聞こえてきて、心臓が跳ね上がったこともあった。
 けれど何度か繰り返すうちに、周囲も僕も、それがまるでいつもの光景みたいに感じはじめていた。
それに、隆とくっついている時間は幸せだった。気づけば僕は自分から、隆のいる場所を探すようになっていた。「たまたま通りかかった」みたいな顔をして、本当は会いたくて、話したくて、近づいていた。
 もし近くに海があったなら、波打ち際まで全力で走っていって「ハッピー!!」と叫びたいくらい、今の僕は充実していた。

 そんなある日、隆からバスケの試合に応援に来てくれないかと誘われた。もちろん行きたかった。けれど──
他のバスケ部員にどう思われるかが気になって、胸がぎゅっと締めつけられた。入部しなかったくせに来るなんて、変に思われたらどうしよう。隆は周囲の目に耐えられるだろうか。そう考えると胸の奥がざわついて、返事がまとまらなかった。
「嫌なら来なくてもいいよ」──そんな隆の言葉に救われたけど、違う。嫌なわけじゃない。ただ怖かっただけだった。
「違う、嫌とかじゃなくて……隆がバスケしてるの見たいけど、皆に会うのが気まずくて」
 そう言うと、隆は「いいよ。全然」と笑って、
「じゃあまたスポッチャ行って、俺とバスケしよ」
 そう言って話を切り上げた。
いつもみたいな柔らかい笑顔だったけど、どこか寂しそうにも見えた。そして僕自身も、このままでいいのかとずっと考えた。

 試合の前日の夜、僕は布団の中でぐるぐる考えた。逃げてもいい。でも、このまま逃げたら、僕はずっと「何も変われないまま」なんじゃないかって思った。
 だから朝、思い切って「今日行くよ」って隆にメッセージを送った。返信はなかった。でも、それでもいい。これは僕が決めたことだから。

 体育館に着いた時、僕はキャップを深くかぶって、目立たない場所に座った。観客席には見覚えのある顔もいて、緊張で手が冷たくなっていた。けど、コートの上に立つ隆を見つけた瞬間、不思議とその不安がやわらいだ。
 試合が始まると、ボールの音、スニーカーが床をこする音、観客の声援が体育館に響いた。うちのバスケ部は最初リードされていたけど、徐々に追い上げていった。
隆はボールを巧みに操り、見事なパスを仲間に送り込む。そして、シュートの瞬間、僕の声は自然と大きくなり、「いけー!」と叫んだ。背中を押されるような感覚で、気づけば僕は身も乗り出して、「いけー!」「ナイス!」「がんばれ!」って何度も叫んでいた。誰が見てるかなんてどうでもよくなってた。
 試合は逆転勝ちだった。最後のブザーが鳴った時、思わず立ち上がってガッツポーズをしていた僕は、そのまま帰ろうと席を立った。
……けど、体育館の出口で「慎!」って声がした。振り返ると、汗だくのユニフォーム姿の隆がこっちに向かって走ってきていた。
「来てくれたんだ!」
「うん、朝一応連絡した……」
「ごめん、全然気づいてなかった!」
 試合の後だからか、アドレナリンのせいか、隆のテンションはいつもより高い気がした。
「めっちゃ応援聞こえてたよ!」
「ほんと?……ちょっと恥ずかしい。……でも、すごくかっこよかった」
 そう言った瞬間、隆が僕をぎゅっと抱き寄せた。
前から抱きしめられるのは初めてだった。汗ばんだユニフォーム越しに、鼓動がダイレクトに伝わる。
 次の瞬間、おでこに柔らかい感触が落ちた。
「──っ!?」
 何が起きたのか一瞬わからなくて、目を瞬かせた。
 隆は何もなかったみたいに笑っている。
「キムー!」
 背後から部長の声が飛んでくる。
隆はちらりと振り返ってから、僕の方にまた視線を戻して「ありがと」と言った。
「また学校で」
 それだけ言って、隆は走って行ってしまった。
ほんの数秒の出来事だったのに、足がふわふわして立っていられず、その場に座り込んでしまった。
……あれ、なんだったんだろう。
キス、だったよな。おでこに。
たぶん、試合の熱気でおかしくなってたんだ。テンションが上がって、つい、そういうこともできちゃうくらい。そう思えば納得できるのに──胸のあたりがじんわりあたたかくて、うまく呼吸ができなかった。
 言葉にできないざわめきが胸の奥で大きく広がって、隆のことを改めて強く意識している自分に気づいた。
こんな気持ちは初めてで少し怖いくらいだけど、とても高揚していた。

 翌朝、昇降口で靴を履いていると、辰巳が声をかけてきた。
「昨日、試合の応援来てたよな?」
「……うん」
 僕は何を言われるのかって少し身構えたけれど辰巳の表情は違っていた。
「めっちゃ声聞こえてた。あれ、かなり元気出た」
「……ほんと?辞めたやつが応援行くのって、正直ちょっとどうなんだろうって思ってた」
「そんなことないって。皆も『あれ立川じゃね?』ってちょっとざわついてた。いい意味でな」
 辰巳は、ぽんと僕の肩を叩いた。
「俺さ、嬉しかったぜ。部活の時も、なんだかんだ慎に元気もらってたからさ」
 僕はその言葉に一瞬動きを止めた。胸の奥がじんわりと温かくなって、自然に口元が緩む。素直に「ありがとう」なんて言えなくて、ちょっとだけ目をそらし、照れ隠しのように靴ひもをいじった。
でも、その小さな仕草の裏で、心の中は嬉しさでいっぱいだった。こんなふうに認めてもらえるなんて思ってもみなかったから。
「え、俺なんかを……?」
「そういうとこ。すぐ自分を下げるのやめろよな。普通にいいやつだし、俺は好きだよ」
 顔が熱くなるのを感じた。自分が「いてもいい」と思える場所が、またひとつ増えた気がした。
「キムさんに誘われたの?」
「うん。最近、ちょっとだけ仲良くなって」
「いいな~。なぁ、俺も混ぜてよ」
「うん……また今度」
「よし、約束な」
 笑い合って見上げた窓の外の空の青さがいつもより輝いて見えた。
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