殿下、今回も遠慮申し上げます

cyaru

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2回目の人生

来訪者

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ヴィオレッタは静かに机に向かう。

何もしなければ前回と同じ。ならば変えようと思った。
その一歩目が愛称呼びの拒否である。ただこれは単に変えてみようと思っただけではなく、親しい間柄のように名を呼ばれる事に強い不快感を感じるのである。

だが、呼び名を変えた程度では何も変わらなかった。
テストの問題は知っている通りに一言一句変わらずに出てくるし、無名だった歌劇俳優がある喜劇をきっかけに大ブレイクするのも同じ。
母が【異国で流行っている】と言って持ってくる菓子もドレスのデザインも全く同じ。

【関係性を破綻させる程度でなければ何も変わらないのかも】

だが、いきなり婚約を解消するのは難しい。
レオンによるヴィオレッタには抱けない感情の恋愛による婚約だとしても、政略的な意味合いが今の時点でないかと言えば違う。
前回もだが、レオンの出来の悪さは学園に入って顕著に表れる。

しかしそれは学業の成績が可もなければ否でもない。剣も幼少から騎士団で指導をしてもらっているため他の生徒よりは扱える部類。ただ、卒業時には身を守るには最低限という今のレベルを現状維持になるだけだ。
マナーや所作は王族とあって群を抜いているがそれも同じ。

冷遇された婚約者かと言えばそれも違う。
何かあればプレゼントを送ってくるし、2人で茶会や王宮庭園の散策などはよく誘われる。
レディファーストは当たり前に呼吸をするように行う。
数回断ってみれば、【体調が悪かったんだよね。ごめん】と花束とカードが届く。

決定的な【ここに問題がある】というものがないのである。
両親に婚約を解消したいと言えば動いてはくれるだろうがそうまでする【理由】がない。

【地味に少しづつ変えていくしかない】

ヴィオレッタは愛称呼びの次に、習い事を始める事にした。
レオンに知られても問題なく、かつ、レオンはやりたがらないもの。
レオンはこつこつと積み重ねる事や熟考をする事が苦手である。
チェスもオセロも出来ない事はないが、その場その場で動かせる駒しか見ていない。先を見越して駒を動かす事はない。しないのではなく出来ない。

その為、知られたとして【そうか、頑張ってね】と言われるものが望ましいとヴィオレッタが選んだのは【オペラ】である。勿論観るのではない。歌う側である。

拡声器もないので広い会場の隅々まで聞こえるような声量を鍛えるための体幹トレーニングやボイストレーニング。歌に心を込めるために読まねばならない本は多い上に、より感情を込めるために時代考察や当時の環境など学ぶことも多い。

どうして?とレオンや王妃に聞かれても【歌う事が目的】ではなく、声量やその声の質感で人に与える影響を考えた結果と言えばいいし、それでも食い下がるのであればこの国を題材としたオペラは幾つもある。
神々を題材にしたものや実話をモチーフにしたものもあり、全てがお花畑のような話だけではない。史実をより深く考察するためと言えば引き下がるだろう。
次期王妃と言われているのだ。国民の7割を超える者が信仰している宗教の神を崇め、敬い、そして喜びを表現する宗教色の強いオペラを嗜んでいるとなれば教会が味方に付いてくれるだろう。

ヴィオレッタは早速教えてくれる講師を探した。
出来ればオールドミスと呼ばれるような女性が良い。幸いにも講師はすぐに見つかった。
郊外に住んでいる60代の未亡人である。
オペラに魅入られて遠くの国まで単身で学びに留学を繰り返し、帝国にある劇場でも数回主演を務めたという。

「貴族のご当主がご執心で、引退するまで彼女のパトロンで引退後に白い結婚を前提にお召し上げされたのよ」

妻に先立たれ後妻は娶らずヤモメ生活だった男性に生きる望みを歌を聞かせる事で与え、73歳で彼女と結婚をした後、2年もしないうちに彼女に看取られて天に召されたという男性をロマンチストだと思った。
遺産で揉めるかと思えば全てを放棄し、唯一彼女が望んだのは年に一度結婚記念日に墓へ花を供える事。
話し合いの場に弁護士を連れてやってきた彼女は親族に放棄の書類を見せて微笑んだという。

「彼との関係はお金や屋敷ではなく、心だから」

結婚をする前に保有していた小さな屋敷にトランク数個で引っ越しをしてしまった。
舞台に立っていた彼女は個人的な資産があった事も幸いだったのかも知れない。

その貴族は年甲斐もなく、「老いらくの恋」で息子よりも若い妻をめとった事をひた隠しにし、亡くなった後も遺産を渡さなかったと噂されるかもと兎に角彼女の事を秘密にしてきたため、どの家なのかは判らない。

彼女も時折茶会に招かるが何度聞かれても「ただの惚気になりますわ」と誰が相手かを明かさなかった。

会ってみると年齢を感じさせない程に若く、体力もある女性だった。名前はセレイナ。
挨拶の後の一言目。真っ直ぐにヴィオレッタの目を見たセレイナは言った。

「お嬢様育ちにはきついし辛いと思うわよ?いいの?」

ヴィオレッタは大きく頷いた。
それからは週に3回。彼女の小さな屋敷に通い教えを請うた。

と言っても、いきなり歌い始めるのではない。それまで美しい所作だと誰もが褒めたが体幹を鍛えるトレーニングでは息も絶え絶えになるほどに己の体力不足、筋力不足、バランスの悪さを思い知った。

「その姿勢を無理に作ろうとするから、ここ!に余計な負担がかかるのよ」

そう言って後ろに回ると、肩をグっと引っ張られ胸を張るというより突き出すようにされ、尻もパンと叩かれる。勿論強くではない。

学園の放課後を利用しての習い事であったため、1回あたりの時間は少ない。
それでも、レオンと離れる時間が少しでも取れた事が何かを狂わせたのかも知れない。

中等部の卒業式の日。レオンの側近候補が1人入れ替わったのである。
ユーダリス・ケラ・アベント侯爵令息が突然レオンの側近候補を辞した。
この段階ではまだ成人するまで5年もある事や、側近候補と言ってもその予備となる人材は多くいる。

何故なのだろうと考えているとき、コルストレイ侯爵家にその答えを持った人物が現れた。
約束もなく突然やってきたその客はヴィオレッタに会いたいという。

侍女のマリーからその名を聞いてヴィオレッタは持っていた本を落としてしまった。

「お嬢様、ユーダリス・ケラ・アベント侯爵令息がお見えになっておられます」

しばしの沈黙の後、ヴィオレッタはマリーとエルザを同室する事を条件にユーダリスと会う事にした。
サロンに通されたユーダリスはヴィオレッタを見てニコリと微笑む。

「本日はどうされましたの?」
「きっと不思議がっていると思ったから」
「不思議がるとは、なんでございましょう」

「隣国に行くはずの僕が、この時点で側近を降りた事に‥‥と言えば判るよね?」

ヴィオレッタはユーダリスの微笑の裏は何だろうと考えた。
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