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序章

2・婚約者の説得

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「何故?どうしてカリスが王妃になれないんだ?」
「殿下、王妃となるにあたっての教育。それを今から行うとして何年かかると思っているのです?」

従者の答えにアレコスは言葉を詰まらせた。
王妃となれば実の母親を見て育っているアレコスはどれほどの事が出来なければならないかは知っていた。最低でも周辺5か国の言語は通訳なしで流暢に受け答えをせねばならないし、その時の単語1つが大きく交易や事業に影響するため知り得なければならない事も膨大。

国によって違う挨拶、慣習、宗教。そして食事のマナー。
王妃や王太子妃となるものに求められる事は多いのである。
勿論それは王太子であるアレコスも、である。

自国の文字の読み書きすら危ういカリスには到底無理な話だった。


公の場で婚約解消を叫んだものの、多くの貴族は【それがどうした】と何処吹く風。
父の国王、母の王妃に叱責を受け、謹慎となった。

甘い処分だと言う者はいたが、ネスティス侯爵家エカテリニ本人が言ったのだ。

「罰の受け方は人それぞれ」と。




アレコスは悩んだ。

エカテリニは美しい。
公爵令嬢から既に王族としての威厳もその場にいる事で感じられる。
時折、アレコスにだけ見せる「私人」としてのエカテリニの顔はギャップが大きくアレコスも思わず頬を染めてしまう。アレコスなりにエカテリニを愛していた。

だがカリスにはエカテリニとは違った愛を持っていた。
貴族らしくないカリスはアレコスの前で口を開けて笑い、声をあげて泣く。喜怒哀楽をストレートにアレコスにぶつけてくることに、アレコスはエカテリニにない庇護欲をカリスに感じていた。

何でも揃っていて、使用人も多くいる王宮と違い男爵家には何もない。
質素で粗末な調度品、寝台すら2人で重なればギシギシと音を立てる。

アレコスは買い与える事で、整っていく男爵家、そして着飾る事でさらに美しくなっていくカリスに喜びを見出していた。エカテリニに対して組まれた予算には手を付けられなかったため、私財を切り崩してカリスにドレスや宝飾品を買い与えていた。



アレコスはやってきたエカテリニの前に跪いた。
解消が叶わないのなら、自ら廃嫡を願うと言う。

「エナ。婚約解消の件、誠にすまない。だが関係も持ってしまった。自分のした事だ。それについては何と言われようと構わない。でもこの気持ちはどうしても抑えきれない。エナのこと愛している。それは嘘じゃない!だけど…すまないっ」


エカテリニの眉がピクリと動く。
アレコスの不用意な言葉選びはエカテリニの矜持を踏み躙るものだった。
苛立ちを抑えエカテリニは問いかけた。


「それで王太子の座を降りると仰るの?」

「あぁ。この後はカリスと静かにどこかの領地で暮らしたいと思っている。エナだって私の顔を見るのも嫌だろう?エナを思って…エナの為に考えた結果だ」

「その事を彼女はご存じですの?それともお二人で考えたご提案?」

「いや、私だけの考えだ。だがカリスは判ってくれる」

またもやエカテリニの眉が小さく動いた。
エカテリニは【せめて民を思って】と一言でいい。言って欲しかった。

この非常時に喉の渇きを、空腹を感じる事もなく、温かく清潔な寝具で朝まで寝られるのは誰のおかげなのか。人を愛すると言う事はここまで愚か者になり果てるのかと僅かに残った情を切り捨てた。

エカテリニのため、エカテリニを思ってと言いながら、結局アレコスは自身と男爵令嬢カリスの事しか考えていない。ならば望みを叶えよう。

アレコスを見下ろすエカテリニの表情は変わらない。
かつては見つめあった目も、微笑み合い紅潮した頬も温度を持たなかった。


「ならば側妃となさいませ」


エカテリニは涼しい顔で言い放った。

――なんと愚かで滑稽なのかしら――

エカテリニにはもうアレコスに対し、かつて抱いた情もない。
冷え切った瞳のエカテリニ。アレコスは何処までも愚かだった。



「側妃に?!だが…」
「殿下、かつては側妃のいた国王も居られます。血を繋ぐのが王族の役目。よもやお忘れでは御座いませんでしょう?」

「それはそうだが…」

チラリとアレコスはエカテリニを見る。
エカテリニは口元を扇で隠し、半月型になった目をアレコスに向けた。

「嫌ですわ。まさかわたくしが彼女に何かをするかも?などとお考えですの?」
「そ、そんな‥‥事は…」

「何も致しません。そんな事に費やす時間も労力も無駄ですわ。それに殿下にはわたくしが懐妊するまでは我慢頂く必要が御座います。しいて言えば彼女にはそれが【何かした】という事になるかも知れませんわね」

「懐妊っ?!‥‥そうだな、正妃はエナなのだし…それでいいのか?エナ。君は自分の他にも妻がいると言う事を許せるのか?全ての愛は注げないのだぞ?」

「何を仰るかと思えば。王妃と側妃では意味合いが違います。わたくしは愛がほしいと言っているのではありません。血を繋げと申しているのです。愛は彼女に存分にお注ぎくださいませ」

「しかし、それではあまりにも私達にだけ都合がいい話だ。やはり王籍は抜けて…」

「殿下?よくお考え下さい。王籍から抜けると言う事は市井で暮らすと言う事。今とは立場が変わるのです。誰も殿下を【元王太子】という目で見てはくれません。仕事が出来なければ食べていくことも出来ない。昔教会へ慰問に行った際の事を思い出してくださいませ。陳情する労務者は何と言っていたか」

「く、薬どころかパンも買えないと言っていたな」

「えぇ。夫婦で朝から夜まで必死で働いても口減らしに子供を奉公に出す親も多いのが市井。殿下、殿下は良いでしょうけども彼女はどうでしょう?そんな彼女を心優しい殿下は見ていることが出来まして?」

アレコスは身を小さくして首を横に振った。
エカテリニはさらに優しく語り掛けた。

「国を背負うという重責はわたくしが負いましょう。わたくしはその為に今まで立ってきたのです。子が出来れば隣に立つ必要も御座いません。その時は誰の苦言をも耳にする事もないでしょう」

「そうだろうか」

「えぇ。正妃との間に子をなす。血は繋がねばなりません。勿論彼女との間に子が出来る事も御座いましょう。ですが周りを見てくださいませ?彼女は男爵家。選民思考の強いこの国で低位貴族の令嬢を王妃とした時の貴族の反発は必須。混乱を起こしてよい事など一つも御座いません。わたくしとの間に先に子をなす。それだけで事が済むのです」

「しかし、他に妻がいるという私をエナは許してくれるのか?」

「許すも許さないも御座いません。わたくしは…ふふっこう見えて恋愛劇は大好きですの。目の前で繰り広げられる殿下の恋愛劇を終焉まで特等席で観られると思えば」

怒るでもなく、叱るでもなくただ静かに事の理非をこんこんと諭したエカテリニ。
若かったアレコスは渋々と側妃とする提案を飲んだ。

満面の笑みとなったアレコスはエカテリニに涙を流して感謝したのだった。
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