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cyaru

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第07話  オベロンの失踪

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幸いに落ちた先には誰もおらず、巻き込まれる人はいなかったがコーディリアは背中に深い裂傷を負った。

人はいなかったけれど、ドレスが尻の側に膨らみのあるデザインを形成したパニエの骨組みが体に刺さってしまった。

他に右足の脛と右腕を骨折。
「致命傷にはならなかった」と父のウーラヌス伯爵は言ったけれど十分な致命傷だ。

傷が癒えても背中の見えるドレスは着る事が出来ないし、無事ではないだろうと多くの貴族たちが目の当たりにした光景。実際の傷を負う事で令嬢としては十分な致命傷と言えるだろう。


「お父様、もう婚約は…」

「解っている。何も言うな。長く我慢をさせてすまなかった」

「では‥解消を?」

「リアが寝ている間に陛下と話をしてきた。王家からは解消とは言え、破棄として扱うのでリアに治療費と慰謝料も払うと言われたよ。各方面への手続きには半年ほど時間がかかるそうだがな」

「そう。良かったわ」

寝台から起きられるようになるまではまだ時間がかかるだろうが、床を歩けるようになる頃には何のしがらみも無くなることの方がコーディリアには嬉しかった。

王宮からの役人が週に1、2度やってきて当時の聞き取りをしていったがコーディリアは「手摺に凭れたら落ちた」とレティシアが関与したことは口にしなかった。

恩を売りたい訳ではない。
事実を証言すればレティシアは何らかの罪に問われるだろうが、ロベルトのお気に入り。
王族が忖度をすれば最悪「お小言」でレティシアの罪が許されることになる。

事件ではなく事故として処理される方が、ロベルトにもレティシアにも今後関わり合いになることがない。コーディリアにはその方が重要だった。

もう疲れたのだ。
床に臥しているので気も弱っている、それもあるがコーディリアが100%の被害者だとしても今後、加害者と被害者、そんな関係が続く事の方が煩わしく思えたのである。


床から出る事が出来たのは1か月以上経ってからのこと。

兄のオベロンは王家からの慰謝料で変わった器具を買ってきた。
並列に並んだ2本のバー。高さは腰より少し高い。長さは3m程で足を骨折したコーディリアの歩行訓練のための器具だった。

「私の事はいいから。お父様もお兄様もいつも通りに執務をしてよ」

「そうは言っても‥‥」


ウーラヌス伯爵も兄のオベロンも心配なのだ。
流行病でコーディリアの母親が亡くなった時、何もできなかった事を今でも悔やんでいる。
オベロンは当時7歳なので、何が出来た訳でもないのだから気にすることもないが「床に臥す」その事がトラウマになっていた。

が、歩行訓練を始めた頃に兄が薬を買ってくるようになった。

「凄く効くんだ。擦り傷程度ならたちどころに傷が消えるそうだ。リアの傷は深いから少し長期戦になるだろうけど必ず綺麗に治るよ」

どこから薬を買っているのか判らないが、豪奢な装飾のついた小さな箱に入っている軟膏は香りがまるで廃油だった。信じる者は救われる。コーディリアは薬の効能よりも兄、オベロンの気持ちが心の中を癒していった。


少しまだ体に違和感はあるものの歩行器具がコートなどの置き場になってしまった頃、ウーラヌス伯爵怒声が屋敷に響いた。

「どうされたの。大きな声を出して」

コーディリアが顔を覗かせるとそこには真っ赤な顔をして怒るウーラヌス伯爵と項垂れる兄のオベロン。床には書類が散らばっていた。

決して散財をしたわけではない。

床に散らばった書類はオベロンが「効くから」と買ってきた軟膏の受取証で、1枚拾い上げて価格を見たコーディリアは目を見開いた。

手のひらに乗るサイズの小箱に入っていた軟膏はあの大きさで平民なら家が買える価格だった。

王家から多額の慰謝料を貰った事を知った詐欺師にオベロンは騙されたのだ。
2日で1個が無くなる偽物の薬。オベロンは毎日のように買い求めコーディリアに使わせていた。

たった2か月と少しで王家からの慰謝料は綺麗に無くなり、それでも傷跡がまだ残るコーディリアのために金貸しから金を借りて購入を続けていたのだ。

単に高額な医療品を買ったのならまだいいが、中身もただの廃油で偽物。効能などある筈もなかった。

「あの金はリアの金だ。いくらリアの薬だからと言ってお前が勝手に‥‥もういい。部屋にいろ」

「はい」

コーディリアが顔を覗かせている扉ではない扉から出て行ったオベロンはまだ19歳。騙す側からすれば手玉に取るのは造作ぞうさもなかっただろう。

そうでなくても高齢になり自分の名前も家族の顔も忘れてしまう。そんな症状に効果があるという水や薬、不治の病を医者に匙を投げられた家族のために効能も疑わしい薬を高額で買ってしまう者も多い。

藁をも縋る思いに付け込んでくる悪漢は何処にだっている。

オベロンも通常時なら騙されなかっただろうが、コーディリアの生涯消えない傷を何とかしてやりたい。その一心だったと思われる。

オベロンの姿を見たのはその時が最後。

多額の借金を抱える事になり「部屋にいろ」と父に言われて部屋に戻ったはずだが、翌朝オベロンは「あわせる顔がない」と書置きを残し失踪してしまった。

この日を境にウーラヌス伯爵家は没落の一途を辿ることになる。

高利貸からも金を借りていて、初回の返済日に残高を問えば借りた元本の15倍になっていた。

ウーラヌス伯爵は領地を売り、家財を売り、使用人には退職金を持たせて整理を始めた。

爵位返上は規定に触れていないため出来ず、残ったのは王都から遠く離れた鄙びた領地が1つだった。
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