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#8 放蕩息子の帰還
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「昼過ぎには到着だ。準備を急げ」
フルボツ侯爵家はハーゲンから遣わされた早馬の知らせに朝から使用人達が忙しい。
いつものように穏かな時間が流れるのはイエヴァの住む離れくらいだった。
イエヴァは庭に建てられた離れをあてがわれているので植え込みの向こうに見える本宅の様子を伺うだけ。イエヴァにその日の予定など知らされる事も無いし、食事に招かれる事も無い。
「お客様がいらっしゃるの?」
イエヴァの問いに声を返してくれる使用人など1人もいない。
クーハンで眠るハンスの面倒をみているのはメイド。寝ているハンスを抱きあげておむつを交換するとメイドはイエヴァに声を掛ける事も無くハンスを本宅に連れて行った。
ハンスは日のあるうちに湯あみを済ませる。離れにも湯殿はあるのだが寝室に併設された簡易なモノなのでバスタブに湯を張るのも一苦労。まだ一人で立っている事も出来ないし、この頃ハイハイにも磨きがかかったハンスを湯あみさせると部屋が水浸しになってしまう。
今日も昼のうちに湯あみをさせるのだろうとイエヴァは声もかけずにハンスを連れていくメイドに視線すら向ける事はなかった。
まもなく侯爵家の門が見えてくる。
大きく深い掘りに添った道を走っている時だった。
到底人が入り込めない深さのある堀があるからか、高さのある塀はなく植え込みの間から侯爵夫妻を中央に使用人がずらりと並んでいるのが遠目に見えた。
「あるぇ?お嬢様・・・小さい子がいますよ」
マシューが素っ頓狂な声をあげた。ジャンも「ホントだ」と驚いた声を出す。
御者席から聞こえてくる声にヴァレリアとグレマンは驚く事も無い。
「出迎えの場にも連れて来たと言うことは、お嬢様」
「そうね、侯爵夫妻が欲しいのは貴族の妻と跡取りとなる子供って事かしら」
「全く、馬鹿にしおって」
フルボツ侯爵家の事を調べる時間はなかったが、侯爵の隣にいるのが後妻で先妻との子はもう侯爵家を出ている事は知っていた。
「こちらの情報不足は否めないわね」
「直ぐに手を打ちます」
「あら?グレマンは王都でも顔が効くの?」
「いえ、私が王都にいたのは旦那様がロイス領に行かれる前。昔の伝手を――うわっ!」
「ヒヒン!」
グレマンの言葉が馬の嘶きと重なり、速度を落としていたから良かったものの馬車が急停止をして、ヴァレリアとグレマンは椅子から落ちそうになった。ジャンが「危ないだろう!」と声を張り上げる。
何事かと思えば片側は深さのある堀に添って決して広くはない道。
そこを走る馬車のすれすれを馬が追い越して行ったのだ。
何処に行くのかと思えば馬は堀に渡した跳ね橋を渡り、侯爵家の門道を駆けて行った。
「グレマン・・・あれ・・・」
「えぇ、お嬢様。まさかと思いますが…」
ヴァレリアは急停止した後、またゆっくりと動き出した馬車の中でグレマンと顔を見合わせた。小窓から見えたのは一瞬の事だった。それはグレマンも同じで2人は同じ事を考えていた。
「私には・・・ハインツに見えたけど」
「お嬢様、私もです。ですがハインツだとすれば年齢が違い過ぎるかと」
「そうね子息は27歳、ハインツは19歳になる年だもの。他人の空似かしら」
そう言葉に出したものの、ヴァレリアにはハインツではないという自信がなかった。
上背もついただろうし、19歳となればもう大人。少年っぽさも抜けているだろう。
領にいる22歳の青年ですら、10代の前半は背が低く、枯れ枝のような体つきだったのに今では見上げるほどに背は伸びてまるでクマのような容貌。
最後の記憶の中にいるのは13歳のハインツで、あれから5年。一度も帰ってこないハインツがどんな容貌になっているかは想像がつかない。
期待にも似た不安を抱きつつ、馬車は跳ね橋を渡り、門道を抜けて玄関前に止まる。
玄関前はちょっとした騒ぎになっていた。
「家にも帰らずにどこで何をしていたんだ!」
「そうよ、面倒事ばかり押し付けて!」
青年に向かって声を張り上げているのがフルボツ侯爵夫妻。ヴァレリアからは背中しか見えないが髪色はハインツと同じだった。
馬車から降りたヴァレリアの事を誰も気にしない。
さて、どうしたものかとマシューとジョンは一先ず馬車を動かし、馬に水と飼い葉を与えると厩舎の場所を近くにいた使用人に聞くと再度御者席に乗り込んだ。
「ところで、その人誰?」
ヴァレリアの事を最初に気が付いたのは青年だった。
クルリと振り向いた顔は、確かによく似ている。似ているのだハインツではないとヴァレリアには直ぐに解った。別人だと確信した時、やはりという思いと同時にガッカリした気持ちがヴァレリアの心を埋めた。
「あ、あぁこの女性はアルフレード、お前の妻だ」
「は?こんな子供が?!冗談だろう。俺には幼女趣味はないぞ」
「ちっとも帰ってこないから!子供の事もあるし!」
「子供?!」
アルフレードはそう言いながらヴァレリアをみた。
ゆっくりと歩み寄って来て、ヴァレリアの目の前で身を屈めて目線を合わせた。
「積まれた金と侯爵家という名前に釣られたって事か。大したことも出来ない癖に侯爵夫人ともなればそんな年でも股を開こうと?でも残念だ。俺には幼女趣味はないし何より…アンタみたいな澄ました女は大嫌いなんだよ」
「奇遇ですわね。私も貴方のような侯爵子息という立場に胡坐をかいて好き放題するような男には虫唾が走ります」
「なんだと!もう一度言ってみろ!」
「あら、理解出来ませんでした?放蕩生活も長くなれば耳だけじゃなく頭も悪くなるのかしら」
「貴様っ!」
アルフレードは腰から短剣を抜くとヴァレリアの首筋に触れるか触れないかのギリギリでピタリと止めた。息でも飲み込もうものなら刃が振れて赤い筋を作りそうな距離。
「お前・・・」
ヴァレリアはピクリとも動かず、なんなら瞬きすらせず。驚きで声が出ないのではなく、アルフレードの行為がヴァレリアには何の恐怖も与えていない事に直ぐに気が付いた。
戦場では大の男でも命乞いをする場をなんども見て来た。強がった事を口にしても涙と鼻水を垂らし、腰を抜かす者もいるというのに、ヴァレリアはピクリともしない。
「無抵抗なものに刃物を振り回す。大した旦那様ですわ。失礼」
アルフレードが短剣を握る手にそっと触れたヴァレリアは動けなくなったアルフレードはまるでいない者かのようにフルボツ侯爵夫妻に一礼をすると屋敷に入って行った。
その後を慌てて追いかけるフルボツ侯爵。夫人はたったまま気絶したのかアルフレード同様に動けなかった。
フルボツ侯爵家はハーゲンから遣わされた早馬の知らせに朝から使用人達が忙しい。
いつものように穏かな時間が流れるのはイエヴァの住む離れくらいだった。
イエヴァは庭に建てられた離れをあてがわれているので植え込みの向こうに見える本宅の様子を伺うだけ。イエヴァにその日の予定など知らされる事も無いし、食事に招かれる事も無い。
「お客様がいらっしゃるの?」
イエヴァの問いに声を返してくれる使用人など1人もいない。
クーハンで眠るハンスの面倒をみているのはメイド。寝ているハンスを抱きあげておむつを交換するとメイドはイエヴァに声を掛ける事も無くハンスを本宅に連れて行った。
ハンスは日のあるうちに湯あみを済ませる。離れにも湯殿はあるのだが寝室に併設された簡易なモノなのでバスタブに湯を張るのも一苦労。まだ一人で立っている事も出来ないし、この頃ハイハイにも磨きがかかったハンスを湯あみさせると部屋が水浸しになってしまう。
今日も昼のうちに湯あみをさせるのだろうとイエヴァは声もかけずにハンスを連れていくメイドに視線すら向ける事はなかった。
まもなく侯爵家の門が見えてくる。
大きく深い掘りに添った道を走っている時だった。
到底人が入り込めない深さのある堀があるからか、高さのある塀はなく植え込みの間から侯爵夫妻を中央に使用人がずらりと並んでいるのが遠目に見えた。
「あるぇ?お嬢様・・・小さい子がいますよ」
マシューが素っ頓狂な声をあげた。ジャンも「ホントだ」と驚いた声を出す。
御者席から聞こえてくる声にヴァレリアとグレマンは驚く事も無い。
「出迎えの場にも連れて来たと言うことは、お嬢様」
「そうね、侯爵夫妻が欲しいのは貴族の妻と跡取りとなる子供って事かしら」
「全く、馬鹿にしおって」
フルボツ侯爵家の事を調べる時間はなかったが、侯爵の隣にいるのが後妻で先妻との子はもう侯爵家を出ている事は知っていた。
「こちらの情報不足は否めないわね」
「直ぐに手を打ちます」
「あら?グレマンは王都でも顔が効くの?」
「いえ、私が王都にいたのは旦那様がロイス領に行かれる前。昔の伝手を――うわっ!」
「ヒヒン!」
グレマンの言葉が馬の嘶きと重なり、速度を落としていたから良かったものの馬車が急停止をして、ヴァレリアとグレマンは椅子から落ちそうになった。ジャンが「危ないだろう!」と声を張り上げる。
何事かと思えば片側は深さのある堀に添って決して広くはない道。
そこを走る馬車のすれすれを馬が追い越して行ったのだ。
何処に行くのかと思えば馬は堀に渡した跳ね橋を渡り、侯爵家の門道を駆けて行った。
「グレマン・・・あれ・・・」
「えぇ、お嬢様。まさかと思いますが…」
ヴァレリアは急停止した後、またゆっくりと動き出した馬車の中でグレマンと顔を見合わせた。小窓から見えたのは一瞬の事だった。それはグレマンも同じで2人は同じ事を考えていた。
「私には・・・ハインツに見えたけど」
「お嬢様、私もです。ですがハインツだとすれば年齢が違い過ぎるかと」
「そうね子息は27歳、ハインツは19歳になる年だもの。他人の空似かしら」
そう言葉に出したものの、ヴァレリアにはハインツではないという自信がなかった。
上背もついただろうし、19歳となればもう大人。少年っぽさも抜けているだろう。
領にいる22歳の青年ですら、10代の前半は背が低く、枯れ枝のような体つきだったのに今では見上げるほどに背は伸びてまるでクマのような容貌。
最後の記憶の中にいるのは13歳のハインツで、あれから5年。一度も帰ってこないハインツがどんな容貌になっているかは想像がつかない。
期待にも似た不安を抱きつつ、馬車は跳ね橋を渡り、門道を抜けて玄関前に止まる。
玄関前はちょっとした騒ぎになっていた。
「家にも帰らずにどこで何をしていたんだ!」
「そうよ、面倒事ばかり押し付けて!」
青年に向かって声を張り上げているのがフルボツ侯爵夫妻。ヴァレリアからは背中しか見えないが髪色はハインツと同じだった。
馬車から降りたヴァレリアの事を誰も気にしない。
さて、どうしたものかとマシューとジョンは一先ず馬車を動かし、馬に水と飼い葉を与えると厩舎の場所を近くにいた使用人に聞くと再度御者席に乗り込んだ。
「ところで、その人誰?」
ヴァレリアの事を最初に気が付いたのは青年だった。
クルリと振り向いた顔は、確かによく似ている。似ているのだハインツではないとヴァレリアには直ぐに解った。別人だと確信した時、やはりという思いと同時にガッカリした気持ちがヴァレリアの心を埋めた。
「あ、あぁこの女性はアルフレード、お前の妻だ」
「は?こんな子供が?!冗談だろう。俺には幼女趣味はないぞ」
「ちっとも帰ってこないから!子供の事もあるし!」
「子供?!」
アルフレードはそう言いながらヴァレリアをみた。
ゆっくりと歩み寄って来て、ヴァレリアの目の前で身を屈めて目線を合わせた。
「積まれた金と侯爵家という名前に釣られたって事か。大したことも出来ない癖に侯爵夫人ともなればそんな年でも股を開こうと?でも残念だ。俺には幼女趣味はないし何より…アンタみたいな澄ました女は大嫌いなんだよ」
「奇遇ですわね。私も貴方のような侯爵子息という立場に胡坐をかいて好き放題するような男には虫唾が走ります」
「なんだと!もう一度言ってみろ!」
「あら、理解出来ませんでした?放蕩生活も長くなれば耳だけじゃなく頭も悪くなるのかしら」
「貴様っ!」
アルフレードは腰から短剣を抜くとヴァレリアの首筋に触れるか触れないかのギリギリでピタリと止めた。息でも飲み込もうものなら刃が振れて赤い筋を作りそうな距離。
「お前・・・」
ヴァレリアはピクリとも動かず、なんなら瞬きすらせず。驚きで声が出ないのではなく、アルフレードの行為がヴァレリアには何の恐怖も与えていない事に直ぐに気が付いた。
戦場では大の男でも命乞いをする場をなんども見て来た。強がった事を口にしても涙と鼻水を垂らし、腰を抜かす者もいるというのに、ヴァレリアはピクリともしない。
「無抵抗なものに刃物を振り回す。大した旦那様ですわ。失礼」
アルフレードが短剣を握る手にそっと触れたヴァレリアは動けなくなったアルフレードはまるでいない者かのようにフルボツ侯爵夫妻に一礼をすると屋敷に入って行った。
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