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第02話  愛されていた事に気が付く

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離縁をしよう。

そう決めると今まで悩んでいた事が馬鹿馬鹿しくなり、どうして「戻って来てくれる」と思えていたのか自分自身が解らなくなりそう。

ハリソンとの関係が再構築出来るとして、私が過去を許せるのかと言えばそうじゃないと気が付いたから。

16歳という若さで結婚した後は「自分の選んだことだから」と必死の思いだった。

結婚に反対をしていた私の両親やハリソンの両親、そして使用人だけでなく領民や、この結婚を「ままごと婚」と揶揄する貴族に「こんなに幸せなんだ」と見せつけてやる!ただの意地だった。

押しても引いてもビクともしない大きな荷物を1人で四苦八苦して動かしていただけ。
こうあらねばと周囲が全く見えなくなっていて、やっと、5年も経った今、これからも1人でやるの?と状況が整理出来た。

――本当に…今更だわ――

確かに他家でも夫が、あるいは妻が不貞行為をしている家もある。
それは紛れもない事実だけれど、だから自分たちもそれでいいとは思えない。反面教師にして「あぁはならないように」とするべきだった。


結婚をしても独身気分のままのハリソンは私の人生にいらない。
むしろハリソンがいない方が出戻りだと指をさされて笑われてもずっと生きやすい。

そもそもで再構築したとして、他の女に愛を囁いた言葉が無くなるわけでもなく、他の女を抱いた手で抱かれるかと思うと身の毛も弥立つ。

もう触れても欲しくなかった。


アリーが「まだ寝ていてください」と言ったが、手紙を書くだけだと言えば、寝台に可動式のテーブルを用意してくれて「ここで手紙を書いてください」と私を寝台からは出してくれそうにもない。

離縁をすると決めた私をランフィル侯爵家の使用人達は咎めるどころか背を押してくれた。そして…。


「奥様は出ていくことを決められたんですよね?」
「えぇ、そうだけど。やはりいた方が――」
「違いますっ!」


何かと思えば「紹介状を書いて欲しい」と言う。
それもそうだ。私がランフィル侯爵家を出れば彼らの給金は支払われるかどうかも判らない。いや、暫くはそれなりの貯えもあるし支払いが滞る事はないだろうがハリソンが執務をしなくなって3年以上経つ。

私はこの5年間、必死の思いで家を切り盛りしてきた。
懐疑的な目で見ていたハリソンの両親も、取引先となった貴族の当主たちも完全な孤軍奮闘するようになってからは好意的に見てくれていた。

「貴女だから」と水魔法を頼りにして取引を継続してくれた家もある。
真摯に向き合い、誠実に仕事をする事で私は理解者を得たが、ハリソンは1からの構築になる。

「大丈夫ですよ。今だって侯爵家当主だ!って市井で叫んでるそうですし」
「そうなの?そこまでは知らなかったわ」
「場末の飲み屋ですからね。破落戸も ”これからは俺の時代” って似たような事言ってますけど」
「ぷっ。もうアニーったら。笑わさないで」
「え?笑う所でしたか?本当の事なんですよ?」


場所はともかくそこまで豪語しているのなら問題もないだろう。


どんなに頑張っても小さな光すら見えなかったけれど、それはハリソンの気持ちをこちらに向かせようと私が違う方向を見ていただけで、生きるにあたっては幾つもの光の筋があるようにも見えた。


「この手紙を実家のガッセル公爵家に届けてくれる?」
「畏まりました。今は…お兄様がご当主様ですよね」


アニーも私が実家の敷居が高いと考えている事が判ったようで躊躇する。

「私が参りましょう。従者よりは家令である私が届けた方が奥様の気持ちをより伝えることも出来るでしょうから」


家令のブレックがやり難い仕事に名乗りを挙げてくれる。


「私の紹介状もよろしくお願いいたします」


パチンとウィンクをするとブレックは手紙を受け取ると礼をして部屋を出ていった。


情けないがランフィル侯爵家を出て直ぐに身を寄せられる場所は実家しかない。
あれほど反対をしたのにどんな顔をして帰って来た!!と叱られても、身を寄せる場所がないのだから背に腹はかえられない。

離縁にあたってハリソンと相手の女性アレイシャから慰謝料を取り、その金で住まいを構える事も考えたが止めた。

嫁ぐ時に持ってきた物以外は何も持ち出さない。
そうする事でこの先、より自由に暮らせるのではないか。そんな気がした。

今のハリソンなら「俺の金で」と言い出しそうな気もする。
貰える権利は持っていても、敢えて使わない事の方が相手により大きなダメージを与えることも出来る。

――この5年で意地も悪くなったわ――


ひそひそと面白おかしく私は指差されて来たけれど、貴族達は見ていないようで案外見ているもの。ハリソンの不貞行為も周囲にバレていないと思っているのはハリソンだけで社交界で知らない者はいない。

そりゃそうだ。低位貴族の茶会や簡単な夜会にはアレイシャを伴って出席しているのだから、知らないほうがおかしい。

ハリソンは本当に何も知らないのだと思うと乾いた笑いがこみあげてきた。

貴族社会は高位貴族にそっぽを向かれたら終わりなのではない。
本当の脅威は社会の末端。貴族で言えば一番数も多く平民に近い位置にいる低位貴族だ。

彼らは現実をよく見ているので努力をしない者に手を貸す事はない。高位貴族ですら事業を行う時には多くの低位貴族に声を掛けて行う。彼らなしには事業は成り立たない事をよく知っている。

最初は面白半分もあっただろうが、私には身を助けてくれる水魔法があった。
貴族の中でも魔力を持つ者は少なく重宝がられる事もあって私はそんな気持ちを利用した。そうしなければ経営が成り立たなかったからでもある。

ハリソンはこの力を「気持ち悪い」と言った。

「何時かは判ってくれる」そんな気持ちはもう消えてしまい「自分でどうにかするだろう」としか思えなくなった私自身の気持ちの切り替えに乾いた笑いが出てしまった。


「何人の紹介状を書けばいいかしら」


アニーに問えば即答だった。


「全員ですよ」
「全員?!で、でも待って。先代様の頃から仕えてくれていた人もいるでしょう?」
「先代様からは‥‥ここだけの話、奥様の指示に従うようにと言われています」
「だとしてもよ?全員がいなくなったら困るでしょう?」


私も困る。交代制で勤務をしてくれている使用人の数は200人近い。そんな人数を何処が再雇用してくれるのか。売り手労働者市場優先ならまだしも、この頃は景気もあまりよくなく買い手雇用者市場優先

全員の再雇用など到底無理だ。

「何とかなります。私達はそうやって生きてますから」

アニーが力こぶを見せるようなポーズをとるが、お仕着せでどこまで上腕二頭筋が盛り上がったかは不明。ただ、私を元気づけようとしてくれているのはよく判る。

――彼らには本当に悪いことをするわね――

そんな気持ちを持ちながらも1人でも多く希望の再就職先に巡り合えるようにと私は何通目かの紹介状を書いていると家令のブレックがお兄様から「返事を頂いてまいりました」と戻って来た。

手渡された手紙は2枚。
1枚には両親も兄も、そして兄嫁も「帰りを待っている」とあった。
そしてもう1枚にはまだ文字を習い始めたばかりの兄の息子が絵で手紙をくれていた。

私であろうドレスを着た女性を取り囲むように父と母、そして兄夫婦と小さな子供が描かれている手紙。


「奥様、愛されてますね」
「そうね‥‥そうね…」

私は手紙を抱きしめて不覚にも泣いてしまった。
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