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第03話  愛というスパイスが含まれた食事

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「では、奥様。いえ‥ルツィエ様。馬車の用意が出来ました」

家令のブレックが声を掛けてくれる。
玄関まで行くと、既に勤務時間を終えた者や私がランフィル侯爵家から籍を抜くよりも先に退職をした元使用人までずらりと並んで壮観な光景が広がっていた。

胸にこみあげ来る思いが一歩を踏み出すたびに涙になって溢れてくる。

「至らない私を支えてくれてありがとう」

それだけようよう言葉にすれば全員が拍手をして私の言葉に答えをくれた。


離縁届を王宮内の貴族管理院に出し、提出日の翌日から10日は異議申し立ての期間。
どうせ屋敷には戻ってこないであろうハリソンだったので、気を利かせた家令のブレックが離縁届が提出された旨をアレイシャと共に住む屋敷を届け先に指定した。

余裕を見てもう3日。つまり離縁届を出した日から2週間。
私はハリソンを待った。

言い合いになるかも知れないし、離縁は認めないと何処かで言ってほしい。
諦めは付けたつもりでも僅かに残った情に私は賭けた。

その賭けはハリソンが戻ってこなかった事で賭けにもならなかったが。


ただ待っているだけでは手持無沙汰だったため、当面自由に出来る資金の他、領地の領民が3年はなんとか生きていけるだけの金を王宮内の資金管理をしてくれる部署に行き、引き出せない財の手続きも済ませた。

私を名指しして取引をしてくれた貴族の家にも伝えなくてはならない。
彼らはランフィル侯爵家と取引をしているようで、実はしていない。
それだけ貴族の契約とはややこしい面を持っている。

今後、私ありきで取引をしたつもりで私はもう手を貸すつもりはないので取引先に迷惑をかけないようにするためには恥であっても離縁を伝えておかねばならなかった。


結局、2週間帰ってこなかったハリソンをもう待つ必要もない。
乗り込む馬車はガッセル公爵家からやって来た馬車。屋根の上に載せたトランクの数は嫁いだ時よりも少ない数になった。

私は心だけでなく、物理的な荷物まですり減らして5年間を生きて来た。
荷物が減った分、使用人達の気持ちが加わり重さのない荷物でいっぱいになった胸の中。

「では、皆さま。ごきげんよう」

空気が「ザッ」と音を立ててランフィル侯爵家の使用人達が私に礼を返してくれる。
私も心からのカーテシーを彼らに返し、馬車に乗り込んだ。


見慣れた門道からの風景にハリソンとの思い出は何一つ浮かばなかった。



★~★

ガッセル公爵家の敷地をぐるりと囲む塀が見えてくると私は姿勢を正した。
手紙では迎え入れてくれるとあったが、両親や兄、兄嫁の本当の気持ちは解らない。

ガッセル公爵家でも魔力を持つのは私だけ。
ずっと昔は貴族だけでなく平民も程度の差はあれ魔法を使える者が多かったそうだが今では稀有な存在になった。

水魔法が使えると判った時、複数いる王子殿下との婚約話も無かった訳ではないが父が猛反対をしたと聞く。

立場として私の父は現国王の実弟。現国王陛下は長兄で私の父は三男。
真ん中にいる伯父が王弟という立場で大公と呼ばれているが父は母の元に婿入りをした。

10歳になるかならないかの頃、「押しかけ婚」だったと聞いて変に納得をした。

父は母の前では蜂蜜よりも甘い顔をする。
当時を知る訳ではないが、母に一目惚れをした父は猪突猛進。全てをすっ飛ばしてお爺様の元に「婿に迎えてくれ」と懇願したそうだ。何とその時父は13歳。母は21歳だった。

その頃は3兄弟が横並びで一番年齢の若い父が次の国王になるのに一番近いとも言われていたそうだが、「私は堅苦しい妃なんて生き物にはなりたくない」と遠回しに父の求婚を断わった母になんとか縋ろうと考えた挙句に取った策が王位継承権を捨てて臣籍降下する事だった。

本気を判って貰うためにガッセル公爵家に執事見習いとしてやってきた父はとても王子様には見えなかったそうだが、3年後、父が16歳、母は24歳で結婚となった。
父の押し切り勝ちである。

そんな両親を見ていたら、思い思われな相思相愛が当たり前だと思ってしまった。
だから全てにおいて私を受け入れてくれるハリソンに私は溺れてしまった。

ただ、溺れた愛は何時の間にか本当に溺死寸前。
溺れさせたハリソンは助けるためのロープすら投げてはくれなかった。


馬車がカタンと車輪を止めるとゆっくりと扉が開いた。

「お帰り」
「お父様」

馬車の扉が開くとそこには手を広げた父が立っていた。
年甲斐もなく私は幼子のように父に飛びついてしまった。


「うわっ!大きくなったな」
「失礼ですわ。これでも痩せたんです」
「うん。判っている。だがこうやってお前を抱きとめたのはもう10年以上も前なんだ」
「・・・・」

自身の大きさと重さをすっかり忘れてしまっていた。
呆れるような視線を向けた母は「ソラマメのスープ、冷めちゃうわ」と先に屋敷の中に戻っていく。

私は地面に足を降ろすとお父様にエスコートされて5年ぶりに屋敷の中に足を踏み入れた。

「おばちゃま!!」

次は私が飛びつかれる番になった。兄の息子ルートが助走をつけて飛び込んできたものだからひっくり返りそうになったがなんとか転ぶ前に父が私の背中に手を回してくれて難を逃れる。



ランフィル侯爵家の食事に文句があった訳ではない。
ただ、食卓に独りぼっちの食事は味がしなかった。だからこそ家族で囲う食卓での食事は旨味の全てが体に浸透していく気持ちにもなる。

食事を「美味しい」と感じたのは久しぶりだった。

「そら豆のスープ。貴女、好きだったでしょう?」
「うん…」
「返事は、はい。どこでそんな言葉使いを覚えてきたのです」
「はい」

厳しい母だが、私の好物であるスープをきっと用意してくれたのだ。
豆類が苦手な兄は少なめのスープの皿に眉間に皺を寄せるが息子のルートの前で好き嫌いを披露する事も出来ず大人しくスープを味わっている。

そんな兄もスープを一口のんでパンで口直し。そしてワインで流し込むと私に向かって言った。

「なかなか出来ない勉強をしたと思えばいい」
「はい、しばらくはお世話になります」

厳しさは母譲りの兄だが、優しいのだ。

既に当主は兄となり両親も引退をして悠々自適な生活となっている公爵家。
日頃は同じ敷地内だが、全ての生活は別にしている両親。
事業も全て兄にシフトし、今の両親は早めの老後を満喫している。

これには他家とは少し違った事情がある。
婿入りとなった私の父は母の両親と兎に角仲が良かった。本丸を攻め落とすのに外堀を埋めた父だったが実の親子以上の関係を築き、娘よりも婿を贔屓する事に母が腹を立てて「別居」に踏み切った。

円満な別居である。

その流れのままに兄の代。ここで違和感を感じたのは兄嫁。
「話が違う!」と兄嫁は世間とは違う核家族状態に聊か不満もあるようだ。

使用人もみな家族!のような大家族状態で育ってきた兄嫁には贅沢悩みだが義両親や子供に囲まれて賑やかな家庭が当たり前だったので、静かな兄と少し騒がしい息子とだけの生活は少々不満もあるらしい。

総合すれば仲の良い家族とも言える。

出戻った私は久しぶりに味のある食事を済ませ、5年間の時が止まったままになった私室に足を踏み入れた。
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