あなたが望んだ、ただそれだけ

cyaru

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王子の脱走

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乱暴にクローゼットの扉を開けて、手当たり次第に放り出す。
執事のソリオが気絶している今しかチャンスがないとイデオットは小ぶりのトランクに衣類を詰め込み、金になるんじゃないかと思うような貴金属も宝飾品入れから鷲掴みにするとジャケットや腰のポケットへ詰め込んでいく。

1週間前、父の国王の呼び出しに部屋に行くと突然【廃太子】だと言われた。
意味が解らず部屋に戻り、訪れていたエンヴィーが菓子を食べきったのでその後、従者が淹れてくれた茶をエンヴィーと飲み、食事を部屋で取ると従者に言いつけるとソファで仮眠を取ったのだ。

目が覚めるとエンヴィーがイデオットの寝台にそのまま突っ伏せるように眠っていた。
窓の外はもう暗かった。誰もいないようで物音一つしなかった。

「食事は部屋で取ると言ったのに」


何も用意をされておらず、菓子籠も空になったままだ。
イデオットを更に苛立たせたのは、エンヴィーが菓子を食べていた周りの床はクズだらけで清掃をされていなかった。歩くたびに絨毯の中に菓子の粒を踏みつけるような音がする。

エンヴィーは余程に疲れているのだろうか。
時々、幼い日から昼寝を共にする事はあったがこうやって外が夜の闇の色になっても部屋にいる事はなかった。
なので、昼寝ではなく【睡眠】をとるエンヴィーを見るのは初めてだった。

ゴゥゴゥと鼻を鳴らしているのか、大きく開けた口からなのか寝息が聞こえる。
しばらくすると、ゴゴッ!っと何かを引き込むような音がして、スゥスゥと息の音が聞こえてくる。


――エンヴィーを妻にすれば毎晩このような余興を味わえるのか――

だが、イデオットを和ませるのはその夜が最後だった。
ゆっくり休ませてやろうとソファで眠ったイデオットを明るくなった部屋で叩き起こしたのはエンヴィーそのものだった。昨夜の天使のような寝顔は何処に置いて来たと聞きたくなるくらい恐ろしい顔をしたエンヴィーがイデオットをソファから転げ落とし馬乗りになって胸ぐらを掴んで揺すっているのだ。

「どうしたんだ…明るいな…朝じゃないか」

「そうよ!朝よ!起きてよ。今日はお母様と買い物に行く約束をしてるのよ。帰りたいの!」

イデオットは一晩泊まった事は何とも思っていないのはエンヴィーの良い所だが、その意味も気が付くだろうと20歳になったエンヴィーを目を細めて髪を撫でた。


「髪を撫でてる場合じゃないの!早く!帰らないといけないんだってば!」

「帰ればいいじゃないか。馬車か?判った。ソリオを呼ぼう」

「早く呼んでよ!待たせるとお母様、機嫌が悪くなっちゃう」


エンヴィーに急かされて、大きな声でソリオを呼んだ。
しかしソリオは来ない。仕方なく誰でもいいから来いと声を出すが誰も来ない。

寝台に行って、取り付けてある呼び鈴を鳴らしてみる。
しかし、部屋の扉は開く事はなかった。

「変だな」

そう思って廊下に通じる部屋の扉のノブに手をかけてやっと気が付いたのだ。
外鍵がかかっているようでノブが回らない。ガチャガチャと回してみるが数ミリ動く程度で全く動かないのだ。

ハッと執務室に通じる扉に走り寄り、そこから出ようとしたがやはりノブが回らないのだ。
父の言葉が頭の中に聞えた。

――部屋で大人しくしていろ――

軟禁をされたという事がやっと理解できた。同時に【廃太子】は冗談でもキツイ言葉で叱ったのではなく【本気】なのだと判り、体仲の汗腺が一気にひらいて汗が噴き出るような感触に見舞われた。

扉から出られないのなら窓だ。窓から何とか庭に出て父である国王にように表面上でも謝るという態度を示さねばならない。

しかし部屋は4階。真下は庭を散策するための小道があり、木を登って窓から侵入する事が出来ないように木のある場所までは部屋の隅から加速を付けても飛び移れる距離ではない。

驚いて茫然と見ているエンヴィーの前でイデオットはロープ代わりにとシーツを裂いた。


「何するの?」

「閉じ込められた。窓から外に出る」

「窓からって…ここ4階よ?飛び降りたら死んじゃう。わたくしは嫌。怖いもの」

「大丈夫だ。こうやってシーツをロープ代わりにして伝って降りる」

「途中で切れたりしない?」

「私が作るんだから大丈夫だ」


寝台のシーツを全て剥ぎ取り、剣で切れ目を入れて裂いて結わえる。それなりの長さになった時、結び目をグッと引っ張って腕に巻いていく。エンヴィーに窓を開けるように言ったのだが、エンヴィーは窓を開ける前に立ったまま動かなかった。

「どうしたんだ?」

「無理‥‥怖くて無理」


歩いてバルコニーに出られる窓。覗き込むとその先にはある筈の物がなかった。
木製で跳ねだすように取り付けられていたバルコニーの床は取り払われていたのだ。
窓を開ければ、そのまま一歩でも踏み出せば真っ逆さまに落下してしまう。

昨日はあったはずだ。いや、あったのか?
そこにあるのが当たり前で、気にも留めていなかった。

ふと気が付いた。確かにいつも寝台に入れば深く眠ってしまう事はあったが、昨日の眠気は異常だった。深夜に一旦目が覚めると、小一時間ほどは眠れないものだったが、酷く眠くてまた寝入ってしまったのだ。

――まさか、盛られたのか?――

イデオットは廊下に面した扉を叩き、声をあげた。やはり誰も来なかった。



数時間たち、「もう絶対間に合わない。どうしてくれるの」とイデオットに八つ当たりをするエンヴィーの嫌味をずっと聞いていると、扉が開いた。

「おいっ!どういう事だ!」

入ってきた兵士に掴みかかろうとしたが、後ろから兵士に羽交い絞めにされて寝台に放り投げられた。兵士たちはエンヴィーの両腕を掴みあげると床につま先が付かずバタバタと暴れるエンヴィーを軽々と浮かせて部屋から連れ出した。

扉がバタンと閉まると鍵をかける音がする。イデオットは慌てて寝台から飛び起きると扉に走ったがドアノブに手が届く直前「カチン」と音がした。
扉の隙間からエンヴィーの叫ぶ声が聞こえるが、扉は開かなかった。



それから数日。朝と夕方に食事は扉に付けられた小窓から差し入れをされるがイデオットは外に出る事は出来なかった。シーツも剥ぎ取ってしまったため、寝転がると硬いスプリングが当たって痛い。
イデオットのベッドはソファーになった。

そんな日の朝、執事のソリオが部屋に入ってきた。


「殿下、陛下と共に議会に出席して頂きます」

「議会?どうして」


問うてもソリオは返事をしなかった。クローゼットを開けて「間もなくお支度の手伝いに侍女が――」イデオットはソリオの後頭部を花瓶で殴打した。

外の兵士に怪しまれないよう、王太子が謁見時に着用するのだ と言われたジャケットを羽織り小ぶりなトランクを無理やり尻で押さえつけて留め金をかけると、久しぶりに部屋の外に出た。

「議場に行く。ソリオは後から来るそうだ」

「え?殿下…まだ侍女が…それにその荷物は――」

言葉を言いかけた兵士から足早に離れると、一目散に駆けだした。

厩舎に行くと、何故か鞍を付けた馬が何頭もいた。厩舎の馬のスペースを区切る衝立に隠れながら馬丁達の会話を盗み聞きしたイデオットはブラッシングの順番を待つ1頭の馬の鞍にカバンを括りつけるとサッと跨り、手綱を取ると馬を反転させた。

「うわぁ!馬泥棒!!誰かっ!誰か来てくれ!」

気配に気が付いた馬丁や厩舎の使用人が騒ぎ始めるのを背に受けて敢えて城の表門に向かい、堂々と外に出た。

変に知恵が回るイデオットはこれだけの馬がいるという事、議会に出席しろと言った言葉から裏を回るよりも開かれているはずの表門のほうが通り抜けやすいと考えた。
残念ながらその通りで、イデオットは振り返ることなく先ずはメングローザ公爵家に向かった。

イデオットにはこうなった原因であるカーメリアを病床から引っ張り出してでも「イデオットには関係ない」と証言してもらわねば立場は回復しないと考えたからだ。
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