6 / 27
VOL:6 マーガレット侍女頭
しおりを挟む
ミケネ侯爵家に出仕したリシェルは始業前の引継ぎ時間まで間がある事を時計を見て確認し、先ず侍女頭であるマーガレットの元に向かった。
「その顔はどうしたの?どこか殴られているとか?」
セルジオを寝室に残し、椅子に座ったままリシェルは知らぬ間に泣いていた。
泣いていた事すら気が付かないくらいにリシェルはもう関心を失っていた。
涙が頬を伝っていた事に気が付いたのはミケネ侯爵家で侍女の制服に着替えている時にみた姿見だった。
化粧で誤魔化しても目元の腫れまでは誤魔化しきれず、侍女頭のマーガレットはまさかリシェルが家庭内で暴力でも?と危惧し、肩や二の腕を触診で確かめるように撫でた。
「暴力とか…そう言うのはありません。でも…」
「リシェル?」
マーガレットは見る間に涙が溢れるリシェルをぎゅっと抱きしめた。
そのまま背中を赤子を寝かしつけるように軽くトントン。
向かい合って、抱きしめたリシェルを少し離すと、リシェルの目を見てマーガレットは言った。
「暴力はね、殴ったり蹴ったりだけが暴力ではないの。心がこんなにも傷ついているの。悲鳴を上げているから涙が出るのよ」
ポケットからハンカチを取り出し、マーガレットはリシェルの目元に当てて涙を吸わせた。
マーガレットの考えるリシェルの泣いた原因は少しリシェルとは違う。
酷い嫁いびりについてはリシェルから愚痴を何度も聞いていた、いや聞き出していた。だから義両親とついにやり合ったのだとマーガレットは思った。
そんな時に夫が妻に付くのか、親に付くのかで気持ちの持ちようは変わる。
しかしながらマーガレットにも夫がいて、「ここで母親のカタを持つ?!」と更に激怒の燃料投下になった経験は何度もある。
義両親と別居のマーガレットでも腹に据えかねる事はあるのに、新婚2か月目から転がり込んできた義両親と上手くやっていける確率などないに等しい。
「多くは聞かないわ。覚悟を決めてきたって事でしょう?」
「はい。幸い子供もいませんので、結婚をしたと言っても事実婚ですので」
「え?待って。彼からも離れるの?」
マーガレットは思考が急旋回。
原因が義両親ではなく夫だとすれば寄り添う気持ちも変更が不可欠。
そしてリシェルが突拍子もない事を言い出した。
「はい。実家にはもう戻れませんし…修道院にでも入ろうかと。貯めていたお金で寄付金にはなんとか足りますし‥もう少し後だったら…あはっ・・・寄付金も出せなかったかも…です。だから今で良かったんです。きっと…」
もう覚悟は決めているのだとしてもだ。
――アカン、アカン、アカンで!――
マーガレットはリシェルを諭す。
「修道院だなんて…絶対にダメ。一旦入れば俗世に戻るのは大変なのよ?」
「でも…何処にも行く場所なんてないですから」
「そんな事言わないの!ね?旦那様と奥様にお話をして、しばらく侯爵家の使用人部屋を使えばいいわ。昨日の今日で答えを出す事はないの。ヨリを戻せと言うんじゃないわ。この先を今急いで決める事はないのよ?ね?」
マーガレットはリシェルの背に手を添えて、この時間は朝食を終えて寛いでいるミケネ侯爵夫妻の元に向かった。
「旦那様、奥様、少々お時間を取って頂いてよろしいでしょうか」
食後、寛ぐミケネ侯爵夫妻はマーガレットの声に茶器を戻し、「なんだい?」優しく返事を返した。「どうしたの?」夫人も優しく問いかけた。
「リシェルなのですが、諸事情御座いまして本日より住み込みとしても宜しいでしょうか」
「住み込み?部屋が空いているなら構わないけれど…何かあったの?」
「話を聞かせてくれるかい?」
使用人と言えど家族も同然。ミケネ侯爵夫妻はマーガレットとリシェルに座れと席を勧めた。侯爵夫妻と向かい合って腰を下ろしたマーガレットとリシェル。
リシェルは一息で言葉を吐き出した。
「はい。あの‥‥突然なのですが今月いっぱいでお暇を頂きたいのです。そして厚かましいのですが空いている使用人部屋を使わせて頂きたいんです」
「ち、違うでしょ?!辞める辞めないの答えは今じゃないのよ?」
慌てたマーガレットは否定をするが、リシェルは「いいんです」と首を横に振った。
突然のリシェルの申し出にミケネ侯爵夫妻は顔を見合わせた。
12歳の頃から行儀見習いとは聞こえがいいものの、所謂「口減らし」でミケネ侯爵家に奉公に上がったリシェル。結婚をするまではミケネ侯爵家で他の女性使用人との相部屋生活もしていた。
頑ななリシェルにマーガレットが小声で何かを囁くが、ミケネ侯爵夫人は首を横に振るばかりのリシェルに話しかけた。
「リシェル?マーガレットの言う通り侍女を辞めるかどうかは待ってくれない?貴女の代わりはそう簡単に誰でも務まるわけではないし、今月いっぱいと言ってもあと20日足らず。事情はあると思うんだけど落ち着いて考えてみてくれないかしら」
「奥様、リシェルは修道院に行く!なんて言うんです」
「修道院?!でもリシェル…ご主人はどうするの?!」
「もういいんです。子供もまだなので貴族院には夫婦として届けは出していませんし…彼には…他に‥」
<< 女がいるって言うこと?! >>
ミケネ侯爵夫妻は偶然にも声が重なってしまった。
コクリと頷くリシェルにミケネ侯爵は額に手を当てて天井を仰ぎ見て背凭れに深く背を預け、ミケネ侯爵夫人は中腰に浮いたままの姿勢で固まった。
額に手を当てたままミケネ侯爵は「ならば猶更仕事を辞める事はしない方が良い」と言葉を発し、一つ溜息を吐き出すと手を膝に戻した。
「リシェル、暫くは空いている部屋を使いなさい。それから修道院なんて軽々しく考えたわけではないだろうが、マーガレットの言うように直ぐに決める事ではない。事実婚なのだから未婚の使用人として当家で守る事も出来る。まだ25歳なんだ。この先の人生に制限を設けるような選択は今、すべきではないよ」
「はい」と小さく返事を返したリシェル。
ミケネ侯爵は「さてどうしたものか」と腕を組んで考え込んだ。
「その顔はどうしたの?どこか殴られているとか?」
セルジオを寝室に残し、椅子に座ったままリシェルは知らぬ間に泣いていた。
泣いていた事すら気が付かないくらいにリシェルはもう関心を失っていた。
涙が頬を伝っていた事に気が付いたのはミケネ侯爵家で侍女の制服に着替えている時にみた姿見だった。
化粧で誤魔化しても目元の腫れまでは誤魔化しきれず、侍女頭のマーガレットはまさかリシェルが家庭内で暴力でも?と危惧し、肩や二の腕を触診で確かめるように撫でた。
「暴力とか…そう言うのはありません。でも…」
「リシェル?」
マーガレットは見る間に涙が溢れるリシェルをぎゅっと抱きしめた。
そのまま背中を赤子を寝かしつけるように軽くトントン。
向かい合って、抱きしめたリシェルを少し離すと、リシェルの目を見てマーガレットは言った。
「暴力はね、殴ったり蹴ったりだけが暴力ではないの。心がこんなにも傷ついているの。悲鳴を上げているから涙が出るのよ」
ポケットからハンカチを取り出し、マーガレットはリシェルの目元に当てて涙を吸わせた。
マーガレットの考えるリシェルの泣いた原因は少しリシェルとは違う。
酷い嫁いびりについてはリシェルから愚痴を何度も聞いていた、いや聞き出していた。だから義両親とついにやり合ったのだとマーガレットは思った。
そんな時に夫が妻に付くのか、親に付くのかで気持ちの持ちようは変わる。
しかしながらマーガレットにも夫がいて、「ここで母親のカタを持つ?!」と更に激怒の燃料投下になった経験は何度もある。
義両親と別居のマーガレットでも腹に据えかねる事はあるのに、新婚2か月目から転がり込んできた義両親と上手くやっていける確率などないに等しい。
「多くは聞かないわ。覚悟を決めてきたって事でしょう?」
「はい。幸い子供もいませんので、結婚をしたと言っても事実婚ですので」
「え?待って。彼からも離れるの?」
マーガレットは思考が急旋回。
原因が義両親ではなく夫だとすれば寄り添う気持ちも変更が不可欠。
そしてリシェルが突拍子もない事を言い出した。
「はい。実家にはもう戻れませんし…修道院にでも入ろうかと。貯めていたお金で寄付金にはなんとか足りますし‥もう少し後だったら…あはっ・・・寄付金も出せなかったかも…です。だから今で良かったんです。きっと…」
もう覚悟は決めているのだとしてもだ。
――アカン、アカン、アカンで!――
マーガレットはリシェルを諭す。
「修道院だなんて…絶対にダメ。一旦入れば俗世に戻るのは大変なのよ?」
「でも…何処にも行く場所なんてないですから」
「そんな事言わないの!ね?旦那様と奥様にお話をして、しばらく侯爵家の使用人部屋を使えばいいわ。昨日の今日で答えを出す事はないの。ヨリを戻せと言うんじゃないわ。この先を今急いで決める事はないのよ?ね?」
マーガレットはリシェルの背に手を添えて、この時間は朝食を終えて寛いでいるミケネ侯爵夫妻の元に向かった。
「旦那様、奥様、少々お時間を取って頂いてよろしいでしょうか」
食後、寛ぐミケネ侯爵夫妻はマーガレットの声に茶器を戻し、「なんだい?」優しく返事を返した。「どうしたの?」夫人も優しく問いかけた。
「リシェルなのですが、諸事情御座いまして本日より住み込みとしても宜しいでしょうか」
「住み込み?部屋が空いているなら構わないけれど…何かあったの?」
「話を聞かせてくれるかい?」
使用人と言えど家族も同然。ミケネ侯爵夫妻はマーガレットとリシェルに座れと席を勧めた。侯爵夫妻と向かい合って腰を下ろしたマーガレットとリシェル。
リシェルは一息で言葉を吐き出した。
「はい。あの‥‥突然なのですが今月いっぱいでお暇を頂きたいのです。そして厚かましいのですが空いている使用人部屋を使わせて頂きたいんです」
「ち、違うでしょ?!辞める辞めないの答えは今じゃないのよ?」
慌てたマーガレットは否定をするが、リシェルは「いいんです」と首を横に振った。
突然のリシェルの申し出にミケネ侯爵夫妻は顔を見合わせた。
12歳の頃から行儀見習いとは聞こえがいいものの、所謂「口減らし」でミケネ侯爵家に奉公に上がったリシェル。結婚をするまではミケネ侯爵家で他の女性使用人との相部屋生活もしていた。
頑ななリシェルにマーガレットが小声で何かを囁くが、ミケネ侯爵夫人は首を横に振るばかりのリシェルに話しかけた。
「リシェル?マーガレットの言う通り侍女を辞めるかどうかは待ってくれない?貴女の代わりはそう簡単に誰でも務まるわけではないし、今月いっぱいと言ってもあと20日足らず。事情はあると思うんだけど落ち着いて考えてみてくれないかしら」
「奥様、リシェルは修道院に行く!なんて言うんです」
「修道院?!でもリシェル…ご主人はどうするの?!」
「もういいんです。子供もまだなので貴族院には夫婦として届けは出していませんし…彼には…他に‥」
<< 女がいるって言うこと?! >>
ミケネ侯爵夫妻は偶然にも声が重なってしまった。
コクリと頷くリシェルにミケネ侯爵は額に手を当てて天井を仰ぎ見て背凭れに深く背を預け、ミケネ侯爵夫人は中腰に浮いたままの姿勢で固まった。
額に手を当てたままミケネ侯爵は「ならば猶更仕事を辞める事はしない方が良い」と言葉を発し、一つ溜息を吐き出すと手を膝に戻した。
「リシェル、暫くは空いている部屋を使いなさい。それから修道院なんて軽々しく考えたわけではないだろうが、マーガレットの言うように直ぐに決める事ではない。事実婚なのだから未婚の使用人として当家で守る事も出来る。まだ25歳なんだ。この先の人生に制限を設けるような選択は今、すべきではないよ」
「はい」と小さく返事を返したリシェル。
ミケネ侯爵は「さてどうしたものか」と腕を組んで考え込んだ。
応援ありがとうございます!
1
お気に入りに追加
1,942
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる