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第2章 いつか、あなたに会う日まで
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10月の残り2回の、シーズンズでの仕事。
退勤時間が近付くと、わたしは敢えて直ぐには終わりそうもない仕事を始めて、納品受け取りを頼まれないように動いた。
11月からは店外での行列整理係に配置転換されるし、そうなれば納品の受け取りも無くなると思われるので、後2回凌げれば。
大丈夫だと言われても、サイモンの顔を見るのが怖かった。
彼からの手紙には、今まで無礼な態度を取って申し訳なかった、と綴られていたが、前回の記憶を辿ると。
わたし達は年末前には、先輩後輩としてよく話すようになったのを思い出した。
ここまでの経過は全く違っているのに、彼とわたしが近付く時期は変わっていなくて、余程積極的に行動しない限り、運命で決まった人との縁と言うものは簡単には切れないのだと実感する。
そんなことを思いながら。
10月の最後の勤務が後10分となっていて。
わたしが焼き場から、焼きたてのカップケーキを運んでいるところに、ベイカーさんが現れた。
文字で表すとするなら、わたしはぎくり、ベイカーさんはにやり。
その微笑みにものすごく嫌な予感がして、わたしは慌てて説明する。
「お疲れ様です!
これを並べ終えてから失礼します!」
「並べるの、時間かかりますよ?
私がやりますから、キャンベルさんは納品の受け取りをお願いします」
「……」
「残業は困ります。
はい、ご苦労様でした。
来月は念願の行列係ですね。
どうぞよろしくお願いします」
別に行列係は念願の、ではないんだけれど。
季節はどんどん寒くなるのに、屋外に出るのだし。
ベイカーさんに有無を言わさず、カップケーキを並べたトレイを取り上げられた。
下手に抵抗して、落とすことは出来ない。
諦めて渡したが……よくない、本当によくない予感しかない。
「こちらこそ、来月もどうぞよろしくお願いいたします」
注文書控を手にして厨房裏口まで、気持ちも足取りも重く進めば。
やはり……作業服を着たヒューゴさんがサイモンと木箱の蓋を開けながら、話をしていた。
作業服姿のヒューゴさんは、ムーアの関係各所によく現れる。
クリスタルホテルの中庭の木々に水やりをしていたり。
百貨店では大通りに面した、季節に合わせたショーウィンドウディスプレイを変えていた業者さんの手伝いをしていたり。
メリッサ達の研修立ち合いはホテルの会議室で行われているから、さすがにスーツ姿だと、聞いているけれど。
シーズンズでは、やはり作業服を着て休憩室のお掃除に時折現れていて、わたしも9月の最終週に行き合わせてしまったのだった。
そして今日この時間、ヒューゴさんは、ここに居た。
ヒューゴさんの正体を知っているのは、この店ではベイカーさんと厨房トップのカーニーさんだけ。
今日はカーニーさんの指示で受け取りに来た、とヒューゴさんはサイモンに説明をしていた。
「いつもはここで確認していただいて、前回の空箱を受け取って帰るんですけれど。
……おふたりじゃあ、あれなんで、中に運びましょうか?
この格好で厨房に入っていいのなら、ですけれど」
お年寄りだから運べないだろうと、とサイモンは気を遣っている。
下働きのヒューゴさんに対しても話し方は丁寧だ。
前回の無愛想シドニーに、こんな一面があったのは知らなかった。
そして、わたしの方を見て、ヒューゴさんに気付かれないように、顎をくいとあげて見せた。
厨房から誰か呼んでこい、と言いたいのだと分かるが、ここは鈍感な女で、サイモンのサインに知らん顔をする。
呼びに行ったって、ヒューゴさんから指示されているカーニーさんは誰も出さないのが分かっている。
わたしはヒューゴさんに『空箱を取ってきますね』と言って、その場を離れた。
祖父とサイモンの間に、どんな会話が交わされていたのかは知らない。
わたしが空箱を運んでいる間も。
更衣室から出て、裏口から帰った時も。
ふたりは話続けていた。
今夜、夕食後に電話をしたら。
どんな話をしたのか、教えて貰えるのだろうか?
わたしは祖父のように、割りきることが出来ない。
だが、祖父がこういう人だから、孤児院のやる気のある子供達のお世話をしてくださるのでは、と期待したのも事実だ。
その事について、まだお願い出来てはいないが、サーラさんがあの話をどう受け取って、どう返事をしてくれるのかもわからない。
来週、わたしは差し出してくれるクララの手を、握り返すことが出来る?
こんな思いをするのなら、シドニーの正体なんて教えてくれなければ良かったのに。
◇◇◇
「先週から出してくださるランチが変わったの」
メリッサが嬉しそうに話してくれる。
研修2回目までは、ホテルのレストランからのお弁当だった。
「初めて聞く名前のお店なんだけれど……」
それぞれの席について、配られたお弁当を食べて。
化粧室へ行き、午後からの講習に備えてテキストを読んだり、珠に席が近い人とは少しだけ話をした。
だけど、先週からはランチの時間が変わった。
ランチは皆で取り分けて、感想を言い合って。
6人全員でお化粧を直しに行った。
直ぐには部屋に戻らずに、鏡を見ながら並んで話をした。
「明日もそうだったら、嬉しいな」
メリッサの笑顔を見るわたしも嬉しい。
前回では、2年生の途中で辞めて領地へ戻ったメリッサだった。
もし今回、戻らずに済むのなら。
卒業後に会う時は、貴女のお薦めのお店で夕食をシェアして、ダンスホールへ繰り出そう。
退勤時間が近付くと、わたしは敢えて直ぐには終わりそうもない仕事を始めて、納品受け取りを頼まれないように動いた。
11月からは店外での行列整理係に配置転換されるし、そうなれば納品の受け取りも無くなると思われるので、後2回凌げれば。
大丈夫だと言われても、サイモンの顔を見るのが怖かった。
彼からの手紙には、今まで無礼な態度を取って申し訳なかった、と綴られていたが、前回の記憶を辿ると。
わたし達は年末前には、先輩後輩としてよく話すようになったのを思い出した。
ここまでの経過は全く違っているのに、彼とわたしが近付く時期は変わっていなくて、余程積極的に行動しない限り、運命で決まった人との縁と言うものは簡単には切れないのだと実感する。
そんなことを思いながら。
10月の最後の勤務が後10分となっていて。
わたしが焼き場から、焼きたてのカップケーキを運んでいるところに、ベイカーさんが現れた。
文字で表すとするなら、わたしはぎくり、ベイカーさんはにやり。
その微笑みにものすごく嫌な予感がして、わたしは慌てて説明する。
「お疲れ様です!
これを並べ終えてから失礼します!」
「並べるの、時間かかりますよ?
私がやりますから、キャンベルさんは納品の受け取りをお願いします」
「……」
「残業は困ります。
はい、ご苦労様でした。
来月は念願の行列係ですね。
どうぞよろしくお願いします」
別に行列係は念願の、ではないんだけれど。
季節はどんどん寒くなるのに、屋外に出るのだし。
ベイカーさんに有無を言わさず、カップケーキを並べたトレイを取り上げられた。
下手に抵抗して、落とすことは出来ない。
諦めて渡したが……よくない、本当によくない予感しかない。
「こちらこそ、来月もどうぞよろしくお願いいたします」
注文書控を手にして厨房裏口まで、気持ちも足取りも重く進めば。
やはり……作業服を着たヒューゴさんがサイモンと木箱の蓋を開けながら、話をしていた。
作業服姿のヒューゴさんは、ムーアの関係各所によく現れる。
クリスタルホテルの中庭の木々に水やりをしていたり。
百貨店では大通りに面した、季節に合わせたショーウィンドウディスプレイを変えていた業者さんの手伝いをしていたり。
メリッサ達の研修立ち合いはホテルの会議室で行われているから、さすがにスーツ姿だと、聞いているけれど。
シーズンズでは、やはり作業服を着て休憩室のお掃除に時折現れていて、わたしも9月の最終週に行き合わせてしまったのだった。
そして今日この時間、ヒューゴさんは、ここに居た。
ヒューゴさんの正体を知っているのは、この店ではベイカーさんと厨房トップのカーニーさんだけ。
今日はカーニーさんの指示で受け取りに来た、とヒューゴさんはサイモンに説明をしていた。
「いつもはここで確認していただいて、前回の空箱を受け取って帰るんですけれど。
……おふたりじゃあ、あれなんで、中に運びましょうか?
この格好で厨房に入っていいのなら、ですけれど」
お年寄りだから運べないだろうと、とサイモンは気を遣っている。
下働きのヒューゴさんに対しても話し方は丁寧だ。
前回の無愛想シドニーに、こんな一面があったのは知らなかった。
そして、わたしの方を見て、ヒューゴさんに気付かれないように、顎をくいとあげて見せた。
厨房から誰か呼んでこい、と言いたいのだと分かるが、ここは鈍感な女で、サイモンのサインに知らん顔をする。
呼びに行ったって、ヒューゴさんから指示されているカーニーさんは誰も出さないのが分かっている。
わたしはヒューゴさんに『空箱を取ってきますね』と言って、その場を離れた。
祖父とサイモンの間に、どんな会話が交わされていたのかは知らない。
わたしが空箱を運んでいる間も。
更衣室から出て、裏口から帰った時も。
ふたりは話続けていた。
今夜、夕食後に電話をしたら。
どんな話をしたのか、教えて貰えるのだろうか?
わたしは祖父のように、割りきることが出来ない。
だが、祖父がこういう人だから、孤児院のやる気のある子供達のお世話をしてくださるのでは、と期待したのも事実だ。
その事について、まだお願い出来てはいないが、サーラさんがあの話をどう受け取って、どう返事をしてくれるのかもわからない。
来週、わたしは差し出してくれるクララの手を、握り返すことが出来る?
こんな思いをするのなら、シドニーの正体なんて教えてくれなければ良かったのに。
◇◇◇
「先週から出してくださるランチが変わったの」
メリッサが嬉しそうに話してくれる。
研修2回目までは、ホテルのレストランからのお弁当だった。
「初めて聞く名前のお店なんだけれど……」
それぞれの席について、配られたお弁当を食べて。
化粧室へ行き、午後からの講習に備えてテキストを読んだり、珠に席が近い人とは少しだけ話をした。
だけど、先週からはランチの時間が変わった。
ランチは皆で取り分けて、感想を言い合って。
6人全員でお化粧を直しに行った。
直ぐには部屋に戻らずに、鏡を見ながら並んで話をした。
「明日もそうだったら、嬉しいな」
メリッサの笑顔を見るわたしも嬉しい。
前回では、2年生の途中で辞めて領地へ戻ったメリッサだった。
もし今回、戻らずに済むのなら。
卒業後に会う時は、貴女のお薦めのお店で夕食をシェアして、ダンスホールへ繰り出そう。
応援ありがとうございます!
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