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9【国王】アンリ
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王太子の地位か、それとも兄の婚約者か。
どちらを先に欲したのかは、私の中で定かではなかった。
どちらかしか手に入れることが出来ないのならば、私はどちらを選んだだろうか……
「昨夜、実技があった」
愚か者が私に、自慢するように言った。
普段、話などしないのに、珍しく私の部屋まで来た。
15から始まった閨教育の話だった。
座学を2年受けて、実技が始まったのだと自慢している。
愚か者と私は年子で、いくら弟の私の方が優秀でも、こればかりは自分が先に経験したのだと、ただそれだけの話だった。
「……そうですか」
どうだったのか、教えてくれ、と。
私が食いついてこないので、機嫌が悪くなる。
どうせ来年は、私の番だ。
誰か相応しい女性が選ばれて、しばらく彼女と閨を共にする。
それだけの話に、私が食いつくことはないのに。
「詳しく話してやりたいが。
良かったとだけ、教えてやろう。
まあ、来年まで首を長くして待ってろ」
「そうですね」
兄の相手は、出戻りの子爵家の娘だった。
閨事に慣れている人間が選ばれるので、こちらは特に努力はしない。
相手が導いてくれるからだ。
ふと、思い付いて口に出してみた。
「お相手の年齢は?」
「……20は超えていたか」
28だと、聞いていた。
嫡男とスペアの次男を産んでから離縁された、と。
あまり聞かれたくないのか、10歳以上年上の女だとは。
20代ならいいじゃないか、何が不満なのかと思ったが、黙っていた。
暗い表情を見せてくれた愚か者に、良いことを教えてやろうと思い付いた。
「私と同じ学年の、何て言う名前だったかな。
結構可愛らしい容姿の男爵令嬢が居て、彼女が兄上の事を物凄く慕っていると、聞いたことがありますよ」
愚か者は途端に顔を緩めた。
こいつは本当にバカだな。
「何と言う名前だ?」
「モーリス? コレット・モーリス男爵令嬢だった、と。
平民の母親が男爵に手を付けられて出来た娘です。
男爵夫人にバレないように市井で囲われていたのですが、夫人が亡くなったので、男爵が母親と娘を引き入れたんです」
「……」
「平民だったからか、なかなか進歩的な娘らしいです。
好きだから、何をされても構わないと、兄上の事を話しているようです」
どうしてそんな令嬢を私が知っているのか、それさえも兄は気にしていないようだった。
答えは簡単だ。
ぐいぐいと『何をされても構わない』と、迫られたからだ。
だが、それは私だけではないのも知っていた。
あちらこちらに声をかけて、反対に声をかけられたら断らない。
私は絶対にそんな女は嫌でお断りをしたが、この肉欲に火が着いた愚か者はきっと引っ掛かる。
まともに考えたら、きちんと健康状態も素行も調べて選ばれた指南役の方が良いのに、こいつは、きっと……
私は名前を告げただけだ。
口説くのが簡単な、若い女がいるとだけ。
私が確信していた通り、年齢の割に経験豊富な男爵令嬢に、王太子は溺れた。
それが欲か愛か、区別がつかなくなり、王命で結ばれた身持ちが堅い婚約者に婚約の破棄を告げる程に。
単に婚約解消を伝えるだけで良かったのに、何がしたかったのか、王太子と男爵令嬢は、祝いの宴で婚約破棄を宣言して婚約者に冤罪をかけた。
それも何十年も前に実際にあった王室の醜聞になぞらえて。
誰であろうと触れてはならない傷を思い出させた上に、同じ血筋の筆頭公爵家の令嬢を無実の罪で陥れようとしたのだ、廃嫡くらいで済む筈はなかった。
簡単だった。
私は彼女の父親と連絡を取っていて、調べた話を皆の前で披露しただけだった……表向きは。
本当に忙しかったのは、断罪が終わった後だった。
会場の混乱に乗じて、近衛に耳打ちをした。
その後、密かに彼から受け取って。
警備が手薄な王城裏手の通用口で待っていた馬車に、ふしだらな男爵令嬢を押し込んだ。
マルタンは驚いていた。
待ち人の公爵令嬢ではなく、王太子の恋人を押し付けられたのだ。
この男は王太子の婚約者だったユージェニーと、学院で人知れず愛を育んでいたが、彼女に口付けも出来ていないので、気の弱い男だろうとは思っていた。
だから、ユージェニーに押し切られて、自分の卒業記念のパーティーなのに出席出来ずに、こんな所で待つ羽目になる。
「この女は王都に置いておけない。
何処でもいいから、田舎に帰る途中で捨てるなり、売るなりしてくれ」
「あ、だ、だ、第2王子殿下……」
「廃嫡された兄に代わり、私が王太子に立つ。
ユージェニー嬢はそのまま私と婚約を結ぶ」
これだけで充分だった。
王子の私が自らコレット・モーリス男爵令嬢を連れてきたのだ。
マルタンは受け取るしかなかった。
マルタンが男爵令嬢をどうするのか、私にはどうでも良かった。
言葉通り、実家への途中で捨てても、娼館に売っても。
目の前の男にすがって生きるしかないことに気付いたコレットは、馬車が走り出せばルイのこと等忘れて、マルタンにすり寄るのは目に見えていたから、気の弱いマルタンがそれをはね除けられるのか、も。
◇◇◇
ユージェニーにはそれは伏せておくと、決めていた。
一生、伝える事はない、と。
だが、彼女は兄によく似たアンドレ・マルタンを王太子のリシャールの側に付けた。
子沢山で、子供全員を王都の高等学院へは送り出せない田舎の貧乏伯爵家の四男に、就学の機会を与える為に、リシャールを言葉巧みに誘導した。
それくらいなら見逃してやろうと思っていたが、次は自らがマルタンの縁組みに動いた。
彼の後ろ楯として、一生関わっていきたいのだろう。
彼女はアンドレ・マルタンに兄ガブリエルを重ねているのだ。
私は今、それを愛する王妃にいつ伝えるか、楽しみながら模索している。
楽しみながら、苦しんで。
憎んでいるのに、愛している。
彼女本人はまだ気付いていないだろうが、似ている弟を身代わりのように愛する程に、彼女がずっと大切にしている『悪役令嬢の真実の愛』だ。
それを、いつ取り上げてやろうか。
親と同様に、貧乏で子沢山なガブリエル・マルタン・シャンドレイの妻の名前は、コレットだ、と。
どちらを先に欲したのかは、私の中で定かではなかった。
どちらかしか手に入れることが出来ないのならば、私はどちらを選んだだろうか……
「昨夜、実技があった」
愚か者が私に、自慢するように言った。
普段、話などしないのに、珍しく私の部屋まで来た。
15から始まった閨教育の話だった。
座学を2年受けて、実技が始まったのだと自慢している。
愚か者と私は年子で、いくら弟の私の方が優秀でも、こればかりは自分が先に経験したのだと、ただそれだけの話だった。
「……そうですか」
どうだったのか、教えてくれ、と。
私が食いついてこないので、機嫌が悪くなる。
どうせ来年は、私の番だ。
誰か相応しい女性が選ばれて、しばらく彼女と閨を共にする。
それだけの話に、私が食いつくことはないのに。
「詳しく話してやりたいが。
良かったとだけ、教えてやろう。
まあ、来年まで首を長くして待ってろ」
「そうですね」
兄の相手は、出戻りの子爵家の娘だった。
閨事に慣れている人間が選ばれるので、こちらは特に努力はしない。
相手が導いてくれるからだ。
ふと、思い付いて口に出してみた。
「お相手の年齢は?」
「……20は超えていたか」
28だと、聞いていた。
嫡男とスペアの次男を産んでから離縁された、と。
あまり聞かれたくないのか、10歳以上年上の女だとは。
20代ならいいじゃないか、何が不満なのかと思ったが、黙っていた。
暗い表情を見せてくれた愚か者に、良いことを教えてやろうと思い付いた。
「私と同じ学年の、何て言う名前だったかな。
結構可愛らしい容姿の男爵令嬢が居て、彼女が兄上の事を物凄く慕っていると、聞いたことがありますよ」
愚か者は途端に顔を緩めた。
こいつは本当にバカだな。
「何と言う名前だ?」
「モーリス? コレット・モーリス男爵令嬢だった、と。
平民の母親が男爵に手を付けられて出来た娘です。
男爵夫人にバレないように市井で囲われていたのですが、夫人が亡くなったので、男爵が母親と娘を引き入れたんです」
「……」
「平民だったからか、なかなか進歩的な娘らしいです。
好きだから、何をされても構わないと、兄上の事を話しているようです」
どうしてそんな令嬢を私が知っているのか、それさえも兄は気にしていないようだった。
答えは簡単だ。
ぐいぐいと『何をされても構わない』と、迫られたからだ。
だが、それは私だけではないのも知っていた。
あちらこちらに声をかけて、反対に声をかけられたら断らない。
私は絶対にそんな女は嫌でお断りをしたが、この肉欲に火が着いた愚か者はきっと引っ掛かる。
まともに考えたら、きちんと健康状態も素行も調べて選ばれた指南役の方が良いのに、こいつは、きっと……
私は名前を告げただけだ。
口説くのが簡単な、若い女がいるとだけ。
私が確信していた通り、年齢の割に経験豊富な男爵令嬢に、王太子は溺れた。
それが欲か愛か、区別がつかなくなり、王命で結ばれた身持ちが堅い婚約者に婚約の破棄を告げる程に。
単に婚約解消を伝えるだけで良かったのに、何がしたかったのか、王太子と男爵令嬢は、祝いの宴で婚約破棄を宣言して婚約者に冤罪をかけた。
それも何十年も前に実際にあった王室の醜聞になぞらえて。
誰であろうと触れてはならない傷を思い出させた上に、同じ血筋の筆頭公爵家の令嬢を無実の罪で陥れようとしたのだ、廃嫡くらいで済む筈はなかった。
簡単だった。
私は彼女の父親と連絡を取っていて、調べた話を皆の前で披露しただけだった……表向きは。
本当に忙しかったのは、断罪が終わった後だった。
会場の混乱に乗じて、近衛に耳打ちをした。
その後、密かに彼から受け取って。
警備が手薄な王城裏手の通用口で待っていた馬車に、ふしだらな男爵令嬢を押し込んだ。
マルタンは驚いていた。
待ち人の公爵令嬢ではなく、王太子の恋人を押し付けられたのだ。
この男は王太子の婚約者だったユージェニーと、学院で人知れず愛を育んでいたが、彼女に口付けも出来ていないので、気の弱い男だろうとは思っていた。
だから、ユージェニーに押し切られて、自分の卒業記念のパーティーなのに出席出来ずに、こんな所で待つ羽目になる。
「この女は王都に置いておけない。
何処でもいいから、田舎に帰る途中で捨てるなり、売るなりしてくれ」
「あ、だ、だ、第2王子殿下……」
「廃嫡された兄に代わり、私が王太子に立つ。
ユージェニー嬢はそのまま私と婚約を結ぶ」
これだけで充分だった。
王子の私が自らコレット・モーリス男爵令嬢を連れてきたのだ。
マルタンは受け取るしかなかった。
マルタンが男爵令嬢をどうするのか、私にはどうでも良かった。
言葉通り、実家への途中で捨てても、娼館に売っても。
目の前の男にすがって生きるしかないことに気付いたコレットは、馬車が走り出せばルイのこと等忘れて、マルタンにすり寄るのは目に見えていたから、気の弱いマルタンがそれをはね除けられるのか、も。
◇◇◇
ユージェニーにはそれは伏せておくと、決めていた。
一生、伝える事はない、と。
だが、彼女は兄によく似たアンドレ・マルタンを王太子のリシャールの側に付けた。
子沢山で、子供全員を王都の高等学院へは送り出せない田舎の貧乏伯爵家の四男に、就学の機会を与える為に、リシャールを言葉巧みに誘導した。
それくらいなら見逃してやろうと思っていたが、次は自らがマルタンの縁組みに動いた。
彼の後ろ楯として、一生関わっていきたいのだろう。
彼女はアンドレ・マルタンに兄ガブリエルを重ねているのだ。
私は今、それを愛する王妃にいつ伝えるか、楽しみながら模索している。
楽しみながら、苦しんで。
憎んでいるのに、愛している。
彼女本人はまだ気付いていないだろうが、似ている弟を身代わりのように愛する程に、彼女がずっと大切にしている『悪役令嬢の真実の愛』だ。
それを、いつ取り上げてやろうか。
親と同様に、貧乏で子沢山なガブリエル・マルタン・シャンドレイの妻の名前は、コレットだ、と。
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