〜それよりも、もっとずっと。〜天才山岳写真家の愛息子は、俺に初恋を運んでくれました。

鱗。

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第一章『天才写真家の愛息子』

第四話『貴方に、『ただいま』を伝えたい』

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作品保全の為に的確に調節された空調。大小様々な作品のバランスの良いレイアウト。作品を決して劣化させたりしないというプロ意識を生々しく感じさせる照明の当て方……どれ一つを取っても完璧に計算され尽くされたその空間は、俺がこれまでに見てきた、どの展示会やギャラリーよりも、神聖な空気に包まれていた。


窓は元より設計されておらず、外からの光は完全に遮光がなされている為、本来であれば息苦しさを感じざる負えない環境にあるにも関わらず、その場における作品達が放つ新鮮な自然の息遣いによって、全く息苦しさを感じる事は無かった。その場所にいるだけで、まるで、新緑が萌え出る初夏の森の中や、光のどけき春が来訪した高原で深呼吸したかの様な、清々しい気持ちになる。そんな清涼で神聖な場所を一から作り上げた偉大なる人物の長子であり、父親の生み出した作品を徹底的に管理保管し続けている守り人でもある深雪さんの案内のもと、極楽とは正しくこの場所にあったのだ、という確信を深めながら、先生の作品の世界観に、一つ一つ触れて行った。


この世界の、生きとし生けるものが最後に辿り着く場所。始まりの地であり、終わりの地。それが、もしこんな場所にあったのだとしたら。俺はもう、死という現象そのものに対する忌避を感じる事はないだろう。


「いかがでしょう。何か、気に入った作品はございましたか?」


作品の紹介が一通り済んだ辺りで、隣を行く深雪さんが、伺う様にして語り掛けてきた。けれど、俺はそれに対し、どんな言葉を用意しても、いまあるこの心境を語る事は難しいと判断して、力無く首を横に振った。


「どれも素晴らし過ぎて、言葉が出てきません」

「そうですか……最高の褒め言葉を、ありがとうございます」


柔和な笑みを浮かべ、俺の語彙力の無さを責めることもしない深雪さんに、申し訳ない気持ちが募る。深雪さんは、父親である尾身先生に同行する機会が多く、自らが同行した際に撮影された写真の解説や、その時あったエピソード、はてまた、先生が当時どの様な拘りを持って撮影に臨んでいたのかという、ファンの俺にとっては聞きたくて堪らなかった部分まで深掘りして話してくれた。にも関わらず、熱心に作品の案内をしてきた相手である俺がこの調子では、これまで掛けてきた労力は何だったのかと、肩透かしを食らってしまってもおかしくない。だから、そんな態度をおくびにも出さない人柄の良さには、本当に頭が下がる思いだった。もっと、写真関係以外の知識を頭に入れて、語彙力や表現力の強化に努めなくちゃならないな。自分自身が、こうした場面で恥をかかない為にも。


まだまだ修行が足りないなと、深雪さんにはバレない様に、人知れず溜息を付いた、その時。ギャラリーの中でも、一際薄暗い場所にあって、ぽつん、と一つだけ群れからあぶれてしまったかの様に展示されている作品を発見した。深雪さんの案内を受ける中で、その作品に言及していた場面は無かったものだから、気が付かなければ通り過ぎていた可能性もある。けれど、俺はこの場所に一歩足を踏み入れた瞬間から、自分の両の眼を皿の様に動かして、一分一秒無駄にせず、そこにある作品を頭の中に叩き込むつもりでいたから。そんな、俺の脳内センサーは、どの作品であっても絶対に取りこぼしはしない様にと、自分自身が想像している以上に、神経過敏に働いていた。


自分自身の両目が、まるで望遠レンズの様にその作品に向けて焦点を合わせる。すると、俺はその作品の中にある、どうあっても抱いてしまう違和感に、みるみると思考を支配されていった。


作曲家や絵描きの様に、写真家にも、撮影した人間の癖という物が存在する。好みのアングル、使用する機材、撮影するに当たって選んだ天候、気温や風や湿度……そんな様々な要素を複合的に積み重ねて、一つの作品を『切り出す』。そして、その拘りに共鳴するファンが多ければ多い程に、その撮影した人物の知名度は増していくのだ。そんな先生の作品に、拘りに、これまでずっと共鳴してきた人間だからこそ、分かる。


この作品は、あまりにも不自然だ。


「すみません、深雪さん。もしかして、あの作品は、尾身先生の作品では無いのでは?」


俺の指摘を受けて、微かに驚きの表情を浮かべた深雪さんは、次の瞬間、これまでに発した事のない硬質な声で、疑問を口にした。


「……何故、そう思われるんですか?」


何故と聞かれても、全てが違うからだ、としか答えられない。敢えて言うのであれば、先生が拘り抜いてきたアングルや、好みといったものは押さえてはいるものの、それら全てが何処となく上滑りしている、というのが俺の正直な感想だった。何故、大先輩であり先駆者である尾身先生の作品かもしれないその写真を前に、淡々と批評を行えるかといえば。それは、その作品が、自分自身の撮影してきた作品と同じく、いっそあからさまなまでに先生の作品を真似して撮影したという形跡が、色濃く残っていたからである。


作品自体への拘りではなく、先生に対する憧れやリスペクトが前面に押し出された、夏の初めの仙丈ヶ岳を撮影したその作品は、どうあっても自分には到達出来ない領域にある人間への嫉妬すら内包している様に思えた。


「言葉にするのは難しいんですが、撮影した人に対して、共感してしまうというか。きっと、尾身先生の事が大好きな誰かが、先生に近付きたくて、必死になって真似して撮影したんだろうなって。その……自分自身が、そんな人間だから、そう思うんですが。何だか偉そうに、すみません」


ありと凡ゆる試行錯誤の様子が見て取れるその作品には、俺の心の中にあって、寧ろ愛着すら込み上げてくる。こうして、先生の作品が展示されている場所から少しだけ離れた場所に、ひっそりと置かれている謙虚な部分すら、俺の共感を呼んでいた。そして、作品に対する感想を話しながらも、俺の中では、一つの可能性が見出されていた。もしかしたら、この作品は……


「そうです、あの作品は、僕が以前、父に同行した際に撮影した物です。お店の方にも父の作品を展示しているので、他に飾る場所が無くて。仕方なく目立たない場所を見つけて、こっそり置かせて貰ったんですが。やはり、分かる方には分かるんですね」


悪戯がばれてしまって照れ臭いと言わんばかりの表情を浮かべて種明かしをする深雪さんに、思わず、くすり、と微笑んでしまう。けれど、これだけ似た作風であれば、こうして場所を見繕って、こっそりと展示したくなる気持ちも分からないでもない。分かる人には分かるというだけで、誰かに迷惑を掛けている訳ではないし、家族経営している喫茶店の二階に、プライベートに常設したギャラリーで、絶対に肉親の作品を展示してはいけないという厳格なルールなどありはしないのだから。


「先生の活動初期の作品にとても似ていますね。いつ頃から撮られる様になられたんですか?」

「小学三年生の頃からです。最初は父の見よう見真似で始めていって、いつの間にか夢中でシャッターを切るカメラ少年になってしまいました。残念ながら、父の様な才能には恵まれませんでしたが……父と共に飽きずに撮影に通った日々は、僕にとって宝物の様な思い出です」


過ぎ去って行った過去を振り返り、先生と積み重ねてきた思い出を慈しむ深雪さんの、綺麗で、ただただ綺麗過ぎる、その横顔に、思わず目を奪われる。


もう二度とあの愛しい日々は帰ってこないのだという事実を受け入れ。それでも尚、儚げな様子を一度たりとも他者に見せはしない深雪さんの健気さと。少しでも触れてしまえば、何か大切なものが決壊してしまいそうな、危うい均衡を保っている様に見えてならないその姿に、俺は、強く胸を打たれた。


この人は、自分自身で気が付いていないだけで、本当はとても脆い人なのかもしれない。まだ、出会ってからあまり時間は経っていないけれど、直感に近い感覚でもって、俺は深雪さんを、手前勝手にそうと総評していた。


これまで殆ど他人に興味を持たずに生きてきた俺が、何故こんなにも、この人の事が気になって堪らないのかは分からないけれど。自分の目の前で、大切で、偉大で、目標にしてきた存在を喪ってしまった、本当は誰よりも傷付いているこの人の力になりたいという純粋な想いに、違いは無かった。


これは、共感だろうか。それとも、同情だろうか。だけど、共感や同情を理由として、こんなにも自分の胸が熱くなったりするだろうか。


ただ、自分自身の気持ちすら、何も分からない俺にも、これだけは分かる事がある。


「今日は、本当にありがとうございました。それに、大切にしていた尾身先生との思い出をこうまでして話して頂けたのに、自己紹介が遅れて、すみません。俺の名前は、望月もちづき あまねといいます」


貴方に、俺の名前を呼んで欲しい。


「まだ、写真家としては駆け出し未満の人間ですが。いつか、写真だけで食べていける人間になるのが、目標です」


もっと俺を知って欲しい。そして、俺はもっと、貴方のことを知っていきたい。


「元々、大学を卒業して、写真家として活動し始めたら、拠点は地元であるこの場所に移すつもりでいました。だから、自分自身のモチベーションになる場所をずっと探し続けていたんですが……貴方と出会えたおかげで、それが漸く見つかりました」


何故なら貴方は、山の風景ばかりを撮り続けてきた俺が、初めて誰かの写真を撮りたいと思えた人だから。


「それじゃあ、また直ぐにお会いできるんですね」

「はい、必ず。まずは、卒業制作の写真を取る為に戻ってきます」

「ふふ、山男は、麓に残す人に、必ずなんて約束したらいけませんよ」

「じゃあ、なんて言えば、この場所から気持ちよく送り出してくれますか?」

「そうですね、例えば……きっと、とか」

「きっと?」

「きっと戻ってくるからね、と。少し他人事にするのが、ポイントです」

「成る程。何となく理由は分かります。それじゃあ、その……きっと、この場所に戻ってきますね」

「はい。気長にお待ちしていますね」




嗚呼、そうか。




「気を付けて、いってらっしゃい」




俺は、この人に、『ただいま』を伝えたいんだ。

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