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最終話 『俺の事、気持ち悪くないですか?』
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俺が飲めるアルコールは、炭酸が程良く効いたシャンパン及びスパークリングワインくらいのもので、はっきり言ってまるでアルコールには強くない。となれば、アルコールと言えば焼酎、みたいな良くある居酒屋に飲みの席をセッティングしてしまうと、俺自身が困ってしまう。自分だけノンアルで通して空気を悪くするのも気が引けるので、結局、小洒落たデートで使用する感のあるイタリアンバルを押さえて、傷心中の世良を呼び出した。
「なんて言うの、こう、必死で作った砂のお城が、一晩明けたら満ち潮で全部流されてたみたいな?」
「……近いけど、全然違う」
「じゃあ、家の前にあった満開だった桜が、区画整理で根元から切り倒されたとか?」
「さっきから、何かに僕の心情を例えるの辞めて……」
ブライダルプランナーである世良の親友の俺を介して、拓人は、世良とパートナーと三人四脚で結婚式の企画を進めて行った。昔馴染みの拓人の、人生の晴れ舞台を演出する側に周り続けてきた世良は、俺の目から見てもそれはそれは張り切っていた。式当日に至るまで、口に出すのも瑣末すぎる細かい問題は山積していたらしいのだが、それを凌駕する程の遣り甲斐と達成感を感じ、世良は、二人の人生の門出を祝えた事を何よりも誇りに思っていた。
しかし、結果は結果。二人は結婚式を終えると、ハネムーンを経験するよりも先に、離婚届に捺印を果たしてしまった。
「……僕が悪かったのかな。何か、気に触る様な事して、二人の関係に、き、亀裂を……」
ゔ、ゔ、と、再び泣き上戸を発動させ始めた世良は、テーブルに突っ伏し、自分の目元を拭う事もなく、泣き噦り始めた。俺は手近にある紙ナプキンを使って、あーあー、と宥める様に口にしながら世良の目元を拭ってやった。
「お前の所為じゃないって」
「そ、そんなの、分からないじゃない。だって、式当日にウチのホテルに宿泊して、そのままハネムーン先のモルディブに行く予定だったのに、その次の日には新居近くの市役所に行ってそのまま……僕、絶対に知らないうちに大きなミスをやらかしたんだよ。じゃないと、他に説明が……」
「だから、何遍も説明しただろ。新婦に男がいて、そいつとの関係が発覚したからだって。そんで、何処の馬の骨とも分からないそいつとの恋愛相談を新婦から持ち掛けられて触発されて、拓人と不倫してる妄想に駆られた女が現れて、職場の人間関係も滅茶苦茶になってさ。周りに示しをつける為にも、ああするしかなかったって、拓人が……」
「僕のせいだぁ……」
あ、これ聞いてないし、効いてないわ。骨折り損だったかしら、今日の慰労会。でもなぁ、これで俺が諦めちゃうと、後々アイツが面倒だからなぁ。と思いつつ、再度説得に当たろうと気を引き締めた時。
「もっと早く、拓人の辛い気持ちに気が付いていたら、こんな結果にはならなかったかも知れないのに……」
「無理だよ、それは」
自分自身の声が、思いの外冷淡に、寒々しくその場に響いて。テーブルに顔を突っ伏していた世良は、その場から顔を上げると、目をぱちくりと瞬いて、キョトンと俺の横顔を眺めた。
「人の気持ちを他人が横から口出しして変えるなんて、無理だよ。自分自身が変わる方がよっぽど楽だ。まぁ、それも、簡単じゃないんだけどさ」
フロートグラスの中に生じた気泡に向けていた視線を、ぽかんと口を開けている世良の間抜けな顔に移す。そして、そのあまりにも無垢な瞳に映る自分を見て、微笑む。
吐きそうだ。
「拓人がさ、本当はお前の事がずっと好きなんだって言ったら、どうする?」
戯言を吐きそうだ。
「お前、それの責任取れるの」
言ってはならない事を言ってしまいそうだ。
「誰かの人生をぶち壊した責任」
ここが、世界の果てだったら、いいのに。
「弥生、お前、泣いてるの?」
君と、俺だけの。
「世良さん、こんばんは」
好きな人の好きな物を知る事が、その人を知る為の一番の近道だと、あの日、君は言った。初めて俺に向けてくれた笑顔は、それはそれは無邪気な物だった。俺に抱かれて、親友のあいつが部屋に遊びに来るたびいつもそうしているのを真似して俺の弟のシーツに素肌のまま転がると、蓑虫の様に丸まって、君は、これでもう、あの人の全てを理解した、と恍惚とした表情で自賛した。その卓越した想像力と、類稀なる発想力で、己が想い人の全てを掌握したと夢想した君は、本当に本当に、健気だった。
「え、……拓人、どうして此処に?」
「今日、ここで飲むって弥生から聞いて……『三人なら』俺も緊張せずに世良さんと話が出来るから」
自分と想い人の間に、他の誰かを挟まないと、碌に顔を見て話が出来ない恥ずかしがり屋な君は、想い人の仕事場に、想い人を狙っている人間がいないかと偵察する為だけに擬似結婚を果たした。そして、ブライダルプランナーと客の立場を利用して、想い人と自分との未来の空想すら叶う、夢見る乙女の様な話をする為だけに、いつも自分と想い人の間に置き石に使う俺の代わりになる女を用意した。
そして、あれから数え切れないほど夜を共にしても、未だに俺が想い人に好意を抱いているのではと疑心暗鬼になっていた君は、俺の好意が想い人に向いていない確信を得る為に、俺の確かな嫉妬心を確認出来る簡単な方法として、その擬似結婚を躊躇無く本当の物にした。そして、俺がその餌に最も簡単に飛び付くと、君はとても満たされた表情で、俺の唇を受け入れた。
それが、二人でした初めてのキスだった。
「すみませんでした。世良さんが、俺の為に一生懸命準備してくれた式を、結果的に台無しにしてしまって。ただ、あれから頭を下げて回って、周囲の納得も得られて、余計な誤解も、それで漸く解けて……」
「余計な誤解って……その……」
「ああ、言わないで。世良さんの口から、そんな汚い言葉聞きたくないので。新婦がそうなら、新郎もそうだろうって、風評被害みたいな感じで……でも、おかげで全部、スッキリしました」
丸ごと全部綺麗に片付いて、何よりだよ。
俺も、心底そう思うよ。
あのキスで、全てが分かったから。
本当の自分の気持ちに気が付いたから。
「裏切られた心の傷はまだ、完治には程遠いですけど……また、こんな風に世良さんと会えたら、その内お酒と一緒に忘れられるかなって。ただ、迷惑だったら、その……」
「迷惑だなんて、そんな……僕で良かったらいつでも誘ってよ」
「でも、世良さんは、俺の気持ちを知ってるじゃないですか。弥生から聞いたでしょう?だとしたら、今度会う時は、貴方はもう俺の気持ちを知っている状態で会う事になります。それでも、いいんですか?」
ああ、本当に、清々した。
何よりだ。本当の本当に、何よりだ。
俺の左胸に深く深く突き刺さっていた棘は。
「俺の事、気持ち悪くないですか?」
愛ではなく、恐怖だったんだ。
俺が飲めるアルコールは、炭酸が程良く効いたシャンパン及びスパークリングワインくらいのもので、はっきり言ってまるでアルコールには強くない。となれば、アルコールと言えば焼酎、みたいな良くある居酒屋に飲みの席をセッティングしてしまうと、俺自身が困ってしまう。自分だけノンアルで通して空気を悪くするのも気が引けるので、結局、小洒落たデートで使用する感のあるイタリアンバルを押さえて、傷心中の世良を呼び出した。
「なんて言うの、こう、必死で作った砂のお城が、一晩明けたら満ち潮で全部流されてたみたいな?」
「……近いけど、全然違う」
「じゃあ、家の前にあった満開だった桜が、区画整理で根元から切り倒されたとか?」
「さっきから、何かに僕の心情を例えるの辞めて……」
ブライダルプランナーである世良の親友の俺を介して、拓人は、世良とパートナーと三人四脚で結婚式の企画を進めて行った。昔馴染みの拓人の、人生の晴れ舞台を演出する側に周り続けてきた世良は、俺の目から見てもそれはそれは張り切っていた。式当日に至るまで、口に出すのも瑣末すぎる細かい問題は山積していたらしいのだが、それを凌駕する程の遣り甲斐と達成感を感じ、世良は、二人の人生の門出を祝えた事を何よりも誇りに思っていた。
しかし、結果は結果。二人は結婚式を終えると、ハネムーンを経験するよりも先に、離婚届に捺印を果たしてしまった。
「……僕が悪かったのかな。何か、気に触る様な事して、二人の関係に、き、亀裂を……」
ゔ、ゔ、と、再び泣き上戸を発動させ始めた世良は、テーブルに突っ伏し、自分の目元を拭う事もなく、泣き噦り始めた。俺は手近にある紙ナプキンを使って、あーあー、と宥める様に口にしながら世良の目元を拭ってやった。
「お前の所為じゃないって」
「そ、そんなの、分からないじゃない。だって、式当日にウチのホテルに宿泊して、そのままハネムーン先のモルディブに行く予定だったのに、その次の日には新居近くの市役所に行ってそのまま……僕、絶対に知らないうちに大きなミスをやらかしたんだよ。じゃないと、他に説明が……」
「だから、何遍も説明しただろ。新婦に男がいて、そいつとの関係が発覚したからだって。そんで、何処の馬の骨とも分からないそいつとの恋愛相談を新婦から持ち掛けられて触発されて、拓人と不倫してる妄想に駆られた女が現れて、職場の人間関係も滅茶苦茶になってさ。周りに示しをつける為にも、ああするしかなかったって、拓人が……」
「僕のせいだぁ……」
あ、これ聞いてないし、効いてないわ。骨折り損だったかしら、今日の慰労会。でもなぁ、これで俺が諦めちゃうと、後々アイツが面倒だからなぁ。と思いつつ、再度説得に当たろうと気を引き締めた時。
「もっと早く、拓人の辛い気持ちに気が付いていたら、こんな結果にはならなかったかも知れないのに……」
「無理だよ、それは」
自分自身の声が、思いの外冷淡に、寒々しくその場に響いて。テーブルに顔を突っ伏していた世良は、その場から顔を上げると、目をぱちくりと瞬いて、キョトンと俺の横顔を眺めた。
「人の気持ちを他人が横から口出しして変えるなんて、無理だよ。自分自身が変わる方がよっぽど楽だ。まぁ、それも、簡単じゃないんだけどさ」
フロートグラスの中に生じた気泡に向けていた視線を、ぽかんと口を開けている世良の間抜けな顔に移す。そして、そのあまりにも無垢な瞳に映る自分を見て、微笑む。
吐きそうだ。
「拓人がさ、本当はお前の事がずっと好きなんだって言ったら、どうする?」
戯言を吐きそうだ。
「お前、それの責任取れるの」
言ってはならない事を言ってしまいそうだ。
「誰かの人生をぶち壊した責任」
ここが、世界の果てだったら、いいのに。
「弥生、お前、泣いてるの?」
君と、俺だけの。
「世良さん、こんばんは」
好きな人の好きな物を知る事が、その人を知る為の一番の近道だと、あの日、君は言った。初めて俺に向けてくれた笑顔は、それはそれは無邪気な物だった。俺に抱かれて、親友のあいつが部屋に遊びに来るたびいつもそうしているのを真似して俺の弟のシーツに素肌のまま転がると、蓑虫の様に丸まって、君は、これでもう、あの人の全てを理解した、と恍惚とした表情で自賛した。その卓越した想像力と、類稀なる発想力で、己が想い人の全てを掌握したと夢想した君は、本当に本当に、健気だった。
「え、……拓人、どうして此処に?」
「今日、ここで飲むって弥生から聞いて……『三人なら』俺も緊張せずに世良さんと話が出来るから」
自分と想い人の間に、他の誰かを挟まないと、碌に顔を見て話が出来ない恥ずかしがり屋な君は、想い人の仕事場に、想い人を狙っている人間がいないかと偵察する為だけに擬似結婚を果たした。そして、ブライダルプランナーと客の立場を利用して、想い人と自分との未来の空想すら叶う、夢見る乙女の様な話をする為だけに、いつも自分と想い人の間に置き石に使う俺の代わりになる女を用意した。
そして、あれから数え切れないほど夜を共にしても、未だに俺が想い人に好意を抱いているのではと疑心暗鬼になっていた君は、俺の好意が想い人に向いていない確信を得る為に、俺の確かな嫉妬心を確認出来る簡単な方法として、その擬似結婚を躊躇無く本当の物にした。そして、俺がその餌に最も簡単に飛び付くと、君はとても満たされた表情で、俺の唇を受け入れた。
それが、二人でした初めてのキスだった。
「すみませんでした。世良さんが、俺の為に一生懸命準備してくれた式を、結果的に台無しにしてしまって。ただ、あれから頭を下げて回って、周囲の納得も得られて、余計な誤解も、それで漸く解けて……」
「余計な誤解って……その……」
「ああ、言わないで。世良さんの口から、そんな汚い言葉聞きたくないので。新婦がそうなら、新郎もそうだろうって、風評被害みたいな感じで……でも、おかげで全部、スッキリしました」
丸ごと全部綺麗に片付いて、何よりだよ。
俺も、心底そう思うよ。
あのキスで、全てが分かったから。
本当の自分の気持ちに気が付いたから。
「裏切られた心の傷はまだ、完治には程遠いですけど……また、こんな風に世良さんと会えたら、その内お酒と一緒に忘れられるかなって。ただ、迷惑だったら、その……」
「迷惑だなんて、そんな……僕で良かったらいつでも誘ってよ」
「でも、世良さんは、俺の気持ちを知ってるじゃないですか。弥生から聞いたでしょう?だとしたら、今度会う時は、貴方はもう俺の気持ちを知っている状態で会う事になります。それでも、いいんですか?」
ああ、本当に、清々した。
何よりだ。本当の本当に、何よりだ。
俺の左胸に深く深く突き刺さっていた棘は。
「俺の事、気持ち悪くないですか?」
愛ではなく、恐怖だったんだ。
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最後に、うわあ!と思わず声を上げてしまいました。素敵な作品を、ありがとうございます!
主人公に幸あれ、と思わずにはいられません!でも、本当に面白かったです!
世界観が、凄く生々しく、生きている人間の本当のお話かと思ってしまいました。