My HERO

饕餮

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中井の場合

前編

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「こっちだ!」
「こっちにも負傷者がいたぞ!」

 遠くでそんな声がする。負傷者ってなんだっけ?
 そんなことを考えていたら、頭上から優しい声で話しかけられた。

「もう大丈夫ですよ」 

 返事をしようとしたけど、咳しか出なかった。

「無理に話さなくていいですから」

 優しい声でそう言った人の声は、どこかで聞いた気がする。なんとか目を開けてその人を見れば、オレンジ色の服を着てヘルメットを被った、少し陽に焼けている男性だった。
 その横顔に見覚えがあるなあと思っていたら、近所に住んでいる同級生のお兄さんに似ていた。もし同一人物ならば、確か私とは七歳離れているはず。
 私が動いた気配を察したのか、彼が私のほうを向く。私の顔を見た彼は驚いた顔をし、「紗季ちゃん……!?」と私の名前を呼んだ。

 その人は間違いなく、同級生のお兄さんの中井 浩輔さんだった。消防士さんなのは知ってたけれど、まさかレスキュー隊員だとは思わなかった。

 私を呼んだ浩輔さんに、私は何と答えたのか覚えていない。でも、必死に私の名前を呼んでいたような気がする。
 体が熱いようなあちこち痛いような、よくわからない感覚の中、いつの間にか私は眠っていたらしく、気づいた時は病院のベッドの上だった。
 そして、しばらく考えて何があったのか思い出して溜息をついた。


 ***


 その日、私は高校の時から仲良くしている五人組グループと買い物や食事をする約束をしていた。中井さんの家は私の家の三軒お隣で、仲良しグループの一人である洋子は彼の妹だ。
 洋子は高校を卒業したあと、短大に通いながら一人暮らしをしている。というのは表向きで、実際は年上の男性と同棲していて、短大を卒業したら結婚するらしい。
 二十歳で結婚なんて早いんじゃない? なんてみんなで言ったけれど。

「お互いにやりたいことがまったく同じだし、二人でお店を持つのが夢だけど、それが叶うまで……なんて悠長なことを言ってたら、いつまでも結婚できないじゃない」

 二人でさんざん話し合って決めたらしい。もちろん双方の親に会い、お互いに相談もしたうえで結婚を決めたようだった。

 仲良しグループ内で初の結婚ということもあり、みんなでお祝いしようと集まった日が今日だった。お祝いの品も洋子以外のメンバーが彼女に内緒で話し合い、品物を決め、お金を出し合って既に購入済み。
 それは別の子が持って来ることになっているから、私はほぼ手ぶらで行ける。
 近所ということもあって個人的にお祝いを用意しているけれど、それは先日洋子がこっちに帰って来た時に渡してあるから問題はなかった。

 支度をして電車に乗って待ち合わせ場所へと行くと、会うのは久しぶりだというのにあっという間に当時のノリになる。少し買い物をし、ランチにはまだ少し早い時間だけど、ゆったり座れるファミレスに入って飲み物とケーキを頼み、それが来てからみんなで乾杯をした。

「結婚おめでとう!」

 あまり煩くならないようにお祝いをして洋子にプレゼントを渡すと、洋子はびっくりした顔をしたあとで嬉しそうに「ありがとう」と笑った。
 そこからはもう「女子会です!」と謂わんばかりにガールズトーク。私以外はみんな短大なり大学なり通っていて、そこでできた彼氏の話になる。
 私自身はパティシエになりたくて製菓学校に通っている。男子もいるけれど、これといった浮わついた話は一切なく、告白されるといったこともなかった。

「紗希は彼氏いないの?」
「いないよ~。告白されもしないし」
「じゃあ、好きな人は?」
「いるけど、その人はもうじき結婚するらしいし、私は相手にもされてないかな~。そう言うあゆっちはどうなのよ?」
「あたし!? いや、あたしは、その……」

 あはは、と笑いながら自分のことをサラッと話したあとで別の人の話題をふると、あゆっち……歩美はあたふたしながらも、最近できた彼氏のことをポツリポツリと話し始める。
 洋子が何か言いたそうに私を見ていたが、小さく首を横にふって黙らせた。

 洋子は私の好きな人を知っている。私の好きな人は、洋子の兄の浩輔さんだったから。
 でも、浩輔さんは自分の妹と同い年だったせいか、私を妹としか見てくれなかった。
 それでもよかった。妹扱いでも挨拶すれば普通に話してくれるし、洋子と一緒にいれば構ってくれたから。

 浩輔さんに彼女がいても構ってくれた……それが嬉しかったけれど、ある時、浩輔さんがいない隙に彼女さんに釘を刺された。

『浩輔は優しい人だから何も言わないけど、貴女、あたしや浩輔に迷惑かけてる自覚ある?』

 きつい口調でそう言われた。

『結婚も視野に入れてる付き合いだから、あなたに入り込む隙もないわよ』

 クスクス笑いながら勝ち誇ったようにも言われた。
 そんなことは言われなくてもわかっていた。浩輔さんが時々困った顔をしてたから。
 そんな顔を見るたびに、胸がズキズキと痛んでいた。それを自覚した途端に浩輔さんの彼女に言われたから、余計につらかった。
 だから私は少しずつ浩輔さんから距離をおいたし、そのことで浩輔さんと会うたびにどこか戸惑ったような、何か言いたそうな顔をしていたのを知っていながら、何も言わせないようにわざと無邪気に振る舞ったり、時間がないからとさっさと側を離れたりした。これ以上、迷惑をかけたくなかったから。

 長年思い続けた気持ちはすぐには忘れることはできないけれど、それでも彼を遠くから見ることも、思うことも自由だよね?

 そう思っていたけれど、二人を見かけた時、彼女さんと楽しそうに歩く姿を見ることがだんだんつらくなって来てたし、たまに消防署の前を通った時に訓練していた浩輔さんを見ることもつらくなって来ていたから、いつしか彼を見なくなっていた。
 そんな時に浩輔さんが結婚するという噂を近所のおばさんから聞かされて、パリンと何かが壊れる感じがしたんだっけ。

 お祝いしなきゃ。でもお祝いできない。

 そんな気持ちを抱えたままだったけれど、浩輔さんの顔を見なくなっていたこともあって、いつしか諦める気持ちにもなっていた、その矢先の洋子の結婚話だった。

 好きな人と結ばれたみんなを羨ましいと思う。それを表に出すことなく、ガールズトークをしながらランチを食べ、また少し皆で買い物をした。
 私は買うものがなかったから、ああでもない、こうでもないと言いながらそれを眺めてたけれど。
 買い物も終え、私だけ別方向だったから駅でみんなと別れて電車に乗り込んで、しばらくしてから電車の脱線事故に巻き込まれ、浩輔さんに発見されたのだ。


 ***


 目覚めたあと、お見舞いに来ていた両親に、私がどんな状態だったのか聞かされた。
 左足の骨折と、ガラス片が手足と背中に刺さっていて、それをとったり傷口を縫ったりするので手術の時間が長引いたこと。そして、手はガラスで腱を切ってしまったためか、前みたいに思うように動かせなくなるかもしれないことを知らされた。
 そして、傷が残る可能性があることも。
 傷が残るのは仕方がない。でも、腱を切ってしまって以前と同じように動かせないなら、パティシエになんてなれない。
 特に、一番使う利き腕の右手が使えないとなると、かなりきつい。リハビリ次第だと言われたらしいけれど、家で作るだけならともかく、大量の材料を混ぜたりするのは無理だ。

 両親に言われたことと、私が考えてることと同じようなことを担当の先生に言われた日の夜、私は声を圧し殺して泣いた。

 入院してから二週間たったころ、スマホを弄っていたら洋子がお見舞いに来た。

「紗希、災難だったね。遅くなってごめん。これ、お見舞い」
「ありがとう! 中身は何?」
「お菓子とか飲み物とか本とかいろいろよ」
「わあ、助かる! 動けないから暇でさ。オンノベ見たりしてるけど、目が疲れちゃって」
「もう、紗希ったら」

 ふふ、と笑った洋子は、一瞬の沈黙の後で「お兄ちゃんのことなんだけど……」と言われて顔が強張る。

「ねえ、教えて、紗希。お兄ちゃんが結婚するなんて、わたしたち家族は誰も聞いてないんだけど、その話は誰に聞いたの?」

 そう聞いてきた洋子に首を傾げつつ、彼女さんから言われたことと、近所のおばさんから聞いた噂話を洋子に教えたら、その時の洋子の顔はなぜか般若顔だった。

「うーん……お兄ちゃんには彼女いないはずなんだけどなあ。そのに言われたりおばさんの噂話はいつごろの話?」
「おばさんの噂話は、洋子から『結婚するから』って言われた直前くらいで、彼女さんから言われたのは、その噂話を聞く三ヶ月くらい前かな?」
「それだと、約四ヶ月前……ちょうどあのころか。だからお兄ちゃんから距離を取り始めたのね?」
「うん。まとわりつかれて二人とも迷惑してるって言われたのもあるし」

 よっぽど私が泣きそうな顔をしていたのか、洋子の顔はますます般若顔になって行く。

「二人の姿を見ることもつらくなってたのもあるし、だから距離をおきはじめたんだ。じゃないと、いつまでも諦められないし」
「諦めるって! 諦める必要ないじゃない、だってお兄ちゃんは、紗希のことが!」
「そんなはずないよ。さんざん妹扱いされて来たんだし。たとえそうだったとしても、体に傷がある女なんて気味悪がられるし、百年の恋も冷めるって」
「傷、って……」
「今回の事故でね、背中とか腕とか足にガラスが刺さってたらしくてさ、その傷痕が残るんだって。利き腕の腱も切ったらしくて、家で作るならまだしもパティシエは無理かもしれな、って、洋子!?」

 傷に障らないように私を抱き締めた洋子は、「諦めないでよ!」と体を震わせた。

「ずっとお兄ちゃんが好きだったんでしょ!? 今更諦めないでよ!」
「……無茶言わないでよ、洋子。彼女と結婚するってわかってる人を、いつまでも好きでいたら二人に……こう……じゃなくて中井さんに迷惑じゃない」

 震えていた洋子の体を慰めるように、なんとか左腕を動かして洋子の背中を軽く叩く。震えてたから泣いてると思ってたんだけど、実際は怒りで震えてたらしく、顔を上げた洋子の顔はマジ切れしてる時の顔だったから顔がひきつる。

「あ、あの、洋子、サン……?」
「……殴る」
「え゛っ!? ちょ、それは勘弁! 私は動けない!」
「違うって! 紗希じゃないよ、その女を殴るの! そしてお兄ちゃんにチクってやる! ……その女の特徴を教えて」

 低い声で聞いて来た洋子に冷や汗を流しつつ彼女さんの特徴を教えると、洋子は彼女さんを知ってるのか、「あのクソババア」と小さく呟くと、私から体を離した。

 あの、洋子サン、口が悪いです。

 そう指摘したかったけれど、ぶつぶつと何かを言ってる洋子には言えなかった。……マジ切れしてる時の洋子を邪魔すると、あとが怖いし。

「とりあえず、お兄ちゃんには話をするからね?」
「でも、これ以上は迷惑になるし……」
「大丈夫だって。お兄ちゃんはその女よりも、ずっとずっと紗希のことが好きだから。とりあえず、今日はやることができたから帰るね。また来るから」
「ちょっと、洋子!?」

 じゃあねと言った洋子は、手をヒラヒラと振って帰って行ってしまった。呆気にとられながら見送り、姿が見えなくなってから溜息をつく。

 浩輔さんが私を好き? それはあり得ないよ、洋子。ずっと妹扱いされて来たんだから。
 だから諦めるんだよ、洋子。傷だって薄くなるとは言われてるけど、ひどかった背中と両腕の傷は残るんだよ。
 しかも、私を助けたのは浩輔さんだから、血だらけの姿とか傷とかを見てるはず。そんな女、誰が結婚したいと思うのかな。

 製菓学校はどうしよう。辞めないとダメかな……。
 どのみちパティシエになるのは難しいだろうし、他にできることを探さなくちゃ。そのへんは両親と相談かなあ。

 そんなことを考えていたら何だか泣けて来たけれど、どうにもならないことで泣いても仕方がない。
 洋子から渡された紙袋の中身を覗きながら本を一冊と、お菓子と飲み物をテーブルの上に出すと、スマホを操って読みかけだったオンノベを読んでいるうちに、いつの間にか眠ってしまった。

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