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葎視点
Balalaika
(早い!)
ワープロ検定方式にしようと言った石川室長の合図で、六人で一斉に始めた清書。
僕は午前中散々触ったキーボード。圭は初めて触るキーボード。元は同じキーボードなのに、同じブラインドタッチなのに、圭の指使いのスピードや、圭が叩くキーの音がほとんどしないことに焦る。
(落ち着け!)
ふっと息を吐いて横目で圭を見ると、圭もふっと息を吐いて手を握ったり開いたりしていた。そしてまた手を動かす。なんという集中力。でも、息抜きもしている。まるで、僕に教えてくれているみたいだった。それだけで集中することができた。……すっごく単純だけど。
「終了。プリントアウトして。三人は左上に名前書いとけよ」
という言葉にはっとなって手を止め、プリントアウトして石川室長に渡す。石川室長はそれをざっと見たあとで溜息をついた。
「日比野、もう少しスピードを上げろ。最終的には、最低でも十分間で六百字以上打てるようにしてもらいたいが、せめて今は十分間で五百字以上打てるよう、訓練しておいてくれ。最終日にもう一度時間を計る」
「……はい」
日比野は悔しそうに唇を噛む。『あたし、結構早いのよ』って言ってたのに、早いどころか普通のスピードだったため、周りから白い目で見られていた。
「羽多野はスピードは問題ないが、打ち間違いや誤字脱字が目立つ。文字を正確に打つ努力をするように。やはり最終日にテストする」
「……はい」
悔しい。圭に気を取られたせいだ。でも、それは言い訳にもならない。もし、これが本当のワープロ検定だったら、周りに気を取られたなんて言い訳は通用しないから。
「そして、圭……は問題ないな……」
「……五年も秘書課にいて新人と同レベルだったら、在沢室長に怒られます」
そう言った圭の言葉に、あっ、と思う。圭は秘書課の先輩で、僕よりも長く仕事をしているんだから、そのぶん差があって当たり前じゃないか。
(張り合ってたのかな……)
双子だから……勉強は僕のほうが得意だったから。あのころとは違うのに。仕事をしている期間が長いぶん、パソコンで文書を作るスピードも、英語力も違うのは当たり前なのに。
『あなた、実はバカだったんですね』
再会した時に言われた言葉。うん、僕はバカだったみたいだよと内心苦笑していると、内線電話が鳴った。「失礼しますね」と言って席を立って内線に出た時は、もう『秘書課の先輩』だった。
「第二会議室、在沢です。……はい、少々お待ちいただけますか?」
よく聞いとけよ、と石川室長が僕と日比野に声をかける。それを聞いていた営業チームも、「お前らも聞いとけ」と言われていた。僕たちは圭の電話の対応を聞きながら、時折挟まれる石川室長や河野先輩のレクチャーも耳に入れて行く。丁寧で柔らかい対応は、それだけで相手に好印象を与える。聞いている僕もそう思った。
「……はい。畏まりました。何時までにお持ちいたしましょう? ……十七時ですね? はい、確かに在沢が承りました」
圭が受話器を置いたところで
「秘書としての電話対応はあんな感じだ」
と石川室長が言うと、圭は、いきなりは無理ですよ、と言った。
「だが、慣れてもらわにゃ困る」
「そうなんですけどね。……徐々にで構いません。秘書課に関しては、部長以上の役職者が絡む場合がありますので言葉遣いはかなり厳しい指導になりますが、部署によってはもう少し砕けた言葉遣いもできますから」
圭は僕達のほうを向いて、まるでフォローするかのようにそう言った。その後、在沢室長に頼まれた仕事があるからと言った圭に、石川室長はここでやれば電話の対応を聞かせられるうえに圭の仕事ぶりが見せられるからと言い、僕たちも見たいと言うと、ここで仕事をしてくれることになった。
圭は立ち上がるとそのままどこかへ行ってしまった。石川室長の話を聞きながら、圭にもらった書類を読む。読んでいてわからない場所は一旦石川室長に質問し、石川室長にもわからない場所はあとで圭に聞こうと思い、その場所に線を引いたり疑問を書き込んでおく。よっぽど集中していたのか、「休憩しよう」と言う石川室長の声が聞こえた。首をコキコキと鳴らして窓のほうを見ると、電話の側にはいつの間にかノートパソコンが置かれ、画面の下にはメモが貼られていた。それと同時に、コーヒーの香りと圭の声がした。
「グッドタイミングでしたね。コーヒーをお持ちいたしましたので、皆さんもこちらにどうぞ。真葵さんにはこちらを。お砂糖やポーションのゴミは、この袋に入れてください」
それぞれ、「やった!」「うまそう!」と言ってコーヒーを取りに行く。そっと圭を見ると、まるで足を引きずるかのように、コーヒーを持ってゆっくり歩いてパソコンの前に行くと、何か作業をしてから椅子に座り、窓の外を見ながら足を擦っていた。
(……圭?)
やっぱりおかしい。何かあったの? どうしてそんな、足を引きずるような歩き方をしてるの? どうして足を擦っているの?
そう聞きたい。聞きたいのに、今は休憩中なのに、聞くことができない。今は聞いてはいけない……そんな気がしたから。
そっと溜息をついて席に戻り、圭を盗み見ながらコーヒーを一口啜ると、豊かなコーヒーの味と香りが口いっぱいに広がる。
(……嘘……美味しい!)
僕はコーヒーが好きで、たまに喫茶店巡りをすることがある。本当はサイフォンで入れるコーヒーが好きだけど自分ではサイフォンを扱えないし、扱っている店もそれほどあるわけではないから、どうしてもシアトル発の二つのチェーン店のコーヒーを、気分に合わせて往き来してしまいがちだ。
(豆が違うとも思えないし……)
ぼんやりと考えながらコーヒーを飲んでいると、例の勇者が圭に話しかけ、「さっきはすいませんでした!」と謝っていた。
「いえ……別に気にしていませんから」
「それで、あの……今なら休憩中だし、いいよな……いいですよね? えっと、さっきの質問なんだけど……」
そう質問すると、何人かが圭の近くに寄って来て周りに座り始めると、本当に質問していて呆れた。でも、圭の答えは『赤の他人で通して下さい』と僕に言った通り、同期たちに『他人の空似』と言ったその瞬間、周りを見てからこちらに向いた圭の視線と僕の目が一瞬合った。
けれど、圭の目は、まるで迷惑だと謂わんばかりに、暗い……闇を映したように、暗く沈んでいた。
なんで?
どうして?
――僕達は、二卵性だけど、双子だよ!
ねえ、圭。そうでしょ?!
そう言って、圭の肩を掴んで揺さぶりたい。
いつからそんな目をするようになったの?
ねえ、いつから?
同期の声も耳に入らず、仕事をしている圭の様子を見たり、早い仕事に突っ込みを入れても、結局はまたその思考が頭を巡る。
話したかった……二人きりで。何があったのか、どうしてなのか聞きたかった。でも、その日は会議があるからと断られ、翌日は企画室のほうが忙しいからと石川室長からの話で会うこともできず、その翌日以降も仕事の質問をしただけでそれ以上の話をすることができず……。
結局話す機会がないまま、圭はよっぽど優秀な秘書なのか、社長と専務の秘書として長期間の出張に出かけてしまい、圭とようやく会えたのは秘書の資格をきちんと二級まで取り、同期全員が希望通りの部署へ配属されたあとの、六月の終わりのことだった。
ワープロ検定方式にしようと言った石川室長の合図で、六人で一斉に始めた清書。
僕は午前中散々触ったキーボード。圭は初めて触るキーボード。元は同じキーボードなのに、同じブラインドタッチなのに、圭の指使いのスピードや、圭が叩くキーの音がほとんどしないことに焦る。
(落ち着け!)
ふっと息を吐いて横目で圭を見ると、圭もふっと息を吐いて手を握ったり開いたりしていた。そしてまた手を動かす。なんという集中力。でも、息抜きもしている。まるで、僕に教えてくれているみたいだった。それだけで集中することができた。……すっごく単純だけど。
「終了。プリントアウトして。三人は左上に名前書いとけよ」
という言葉にはっとなって手を止め、プリントアウトして石川室長に渡す。石川室長はそれをざっと見たあとで溜息をついた。
「日比野、もう少しスピードを上げろ。最終的には、最低でも十分間で六百字以上打てるようにしてもらいたいが、せめて今は十分間で五百字以上打てるよう、訓練しておいてくれ。最終日にもう一度時間を計る」
「……はい」
日比野は悔しそうに唇を噛む。『あたし、結構早いのよ』って言ってたのに、早いどころか普通のスピードだったため、周りから白い目で見られていた。
「羽多野はスピードは問題ないが、打ち間違いや誤字脱字が目立つ。文字を正確に打つ努力をするように。やはり最終日にテストする」
「……はい」
悔しい。圭に気を取られたせいだ。でも、それは言い訳にもならない。もし、これが本当のワープロ検定だったら、周りに気を取られたなんて言い訳は通用しないから。
「そして、圭……は問題ないな……」
「……五年も秘書課にいて新人と同レベルだったら、在沢室長に怒られます」
そう言った圭の言葉に、あっ、と思う。圭は秘書課の先輩で、僕よりも長く仕事をしているんだから、そのぶん差があって当たり前じゃないか。
(張り合ってたのかな……)
双子だから……勉強は僕のほうが得意だったから。あのころとは違うのに。仕事をしている期間が長いぶん、パソコンで文書を作るスピードも、英語力も違うのは当たり前なのに。
『あなた、実はバカだったんですね』
再会した時に言われた言葉。うん、僕はバカだったみたいだよと内心苦笑していると、内線電話が鳴った。「失礼しますね」と言って席を立って内線に出た時は、もう『秘書課の先輩』だった。
「第二会議室、在沢です。……はい、少々お待ちいただけますか?」
よく聞いとけよ、と石川室長が僕と日比野に声をかける。それを聞いていた営業チームも、「お前らも聞いとけ」と言われていた。僕たちは圭の電話の対応を聞きながら、時折挟まれる石川室長や河野先輩のレクチャーも耳に入れて行く。丁寧で柔らかい対応は、それだけで相手に好印象を与える。聞いている僕もそう思った。
「……はい。畏まりました。何時までにお持ちいたしましょう? ……十七時ですね? はい、確かに在沢が承りました」
圭が受話器を置いたところで
「秘書としての電話対応はあんな感じだ」
と石川室長が言うと、圭は、いきなりは無理ですよ、と言った。
「だが、慣れてもらわにゃ困る」
「そうなんですけどね。……徐々にで構いません。秘書課に関しては、部長以上の役職者が絡む場合がありますので言葉遣いはかなり厳しい指導になりますが、部署によってはもう少し砕けた言葉遣いもできますから」
圭は僕達のほうを向いて、まるでフォローするかのようにそう言った。その後、在沢室長に頼まれた仕事があるからと言った圭に、石川室長はここでやれば電話の対応を聞かせられるうえに圭の仕事ぶりが見せられるからと言い、僕たちも見たいと言うと、ここで仕事をしてくれることになった。
圭は立ち上がるとそのままどこかへ行ってしまった。石川室長の話を聞きながら、圭にもらった書類を読む。読んでいてわからない場所は一旦石川室長に質問し、石川室長にもわからない場所はあとで圭に聞こうと思い、その場所に線を引いたり疑問を書き込んでおく。よっぽど集中していたのか、「休憩しよう」と言う石川室長の声が聞こえた。首をコキコキと鳴らして窓のほうを見ると、電話の側にはいつの間にかノートパソコンが置かれ、画面の下にはメモが貼られていた。それと同時に、コーヒーの香りと圭の声がした。
「グッドタイミングでしたね。コーヒーをお持ちいたしましたので、皆さんもこちらにどうぞ。真葵さんにはこちらを。お砂糖やポーションのゴミは、この袋に入れてください」
それぞれ、「やった!」「うまそう!」と言ってコーヒーを取りに行く。そっと圭を見ると、まるで足を引きずるかのように、コーヒーを持ってゆっくり歩いてパソコンの前に行くと、何か作業をしてから椅子に座り、窓の外を見ながら足を擦っていた。
(……圭?)
やっぱりおかしい。何かあったの? どうしてそんな、足を引きずるような歩き方をしてるの? どうして足を擦っているの?
そう聞きたい。聞きたいのに、今は休憩中なのに、聞くことができない。今は聞いてはいけない……そんな気がしたから。
そっと溜息をついて席に戻り、圭を盗み見ながらコーヒーを一口啜ると、豊かなコーヒーの味と香りが口いっぱいに広がる。
(……嘘……美味しい!)
僕はコーヒーが好きで、たまに喫茶店巡りをすることがある。本当はサイフォンで入れるコーヒーが好きだけど自分ではサイフォンを扱えないし、扱っている店もそれほどあるわけではないから、どうしてもシアトル発の二つのチェーン店のコーヒーを、気分に合わせて往き来してしまいがちだ。
(豆が違うとも思えないし……)
ぼんやりと考えながらコーヒーを飲んでいると、例の勇者が圭に話しかけ、「さっきはすいませんでした!」と謝っていた。
「いえ……別に気にしていませんから」
「それで、あの……今なら休憩中だし、いいよな……いいですよね? えっと、さっきの質問なんだけど……」
そう質問すると、何人かが圭の近くに寄って来て周りに座り始めると、本当に質問していて呆れた。でも、圭の答えは『赤の他人で通して下さい』と僕に言った通り、同期たちに『他人の空似』と言ったその瞬間、周りを見てからこちらに向いた圭の視線と僕の目が一瞬合った。
けれど、圭の目は、まるで迷惑だと謂わんばかりに、暗い……闇を映したように、暗く沈んでいた。
なんで?
どうして?
――僕達は、二卵性だけど、双子だよ!
ねえ、圭。そうでしょ?!
そう言って、圭の肩を掴んで揺さぶりたい。
いつからそんな目をするようになったの?
ねえ、いつから?
同期の声も耳に入らず、仕事をしている圭の様子を見たり、早い仕事に突っ込みを入れても、結局はまたその思考が頭を巡る。
話したかった……二人きりで。何があったのか、どうしてなのか聞きたかった。でも、その日は会議があるからと断られ、翌日は企画室のほうが忙しいからと石川室長からの話で会うこともできず、その翌日以降も仕事の質問をしただけでそれ以上の話をすることができず……。
結局話す機会がないまま、圭はよっぽど優秀な秘書なのか、社長と専務の秘書として長期間の出張に出かけてしまい、圭とようやく会えたのは秘書の資格をきちんと二級まで取り、同期全員が希望通りの部署へ配属されたあとの、六月の終わりのことだった。
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