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第十九章
愛と憎悪
しおりを挟む「陛下はどこ?」
「すでにお休みです」
「そう……」
いぶかしむシアンの横をハナム王妃が素通りする。
アシュラフが眠っている奥の間には行かず、酒器が散らかる卓上へ、運んできた水杯をそっと置いた。
「その水を陛下へお届けにいらしたのですか?」
「……ええ。外の警備兵にはそう伝えましたわ」
「王妃様お手づから運びくださるとは驚きました。夜出歩くにはまだ肌寒かったでしょう」
扉を閉めて振り返ったシアンは気付いていた。ハナム王妃が羽織っている外套の下は、寝衣だけだということに。
そんな薄着で王妃が人前に出るなんて普通はありえない。
水を届けに?……そんなもの
わかりきった口実だ。
「…僕はお邪魔でしょうが、ここで黙って見張りをしているだけですから、どうか気になさらないで下さい」
二人きりがいいのだろうが…立場上部屋を去れないシアンは、そう言って出口の前から動かなかった。
「気を遣ってくださるのね」
「当然です」
「ありがとう。……でもね無駄なのよ。たとえ酔いがまわった状態でも、陛下がわたしを求めたことなんて一度もない」
察しがいいようで悪いシアンの態度に、ハナムは思わず笑っていた。
「義務で何度か契りを交わした、それもずっと昔です。今のわたしは名実ともにお飾りの姫よ。王妃としても役に立てず…女としても愛されない」
笑う口許がかすかに引きつる。
それからスっと扉前のシアンに目を向けた。
「孤独だわ」
「……」
ハナムはアシュラフのいる寝台には向かわず、シアンのほうへ戻ってくる。
その不可思議な行動にシアンの首が傾いたとき
パサりと
彼女の外套が、肩からすべり落とされた。
「…………!」
「……あなたも同じなの?」
やはり外套の下は薄手の肌着の一枚のみ。貴族の女性にとっては裸も同然の格好なのだ。
咄嗟に目をそらそうかと考えたシアンは、だがしかし、驚いたせいで身体が動かない。
ハナムが彼に近寄った。
声を潜めてシアンが問う。
「……どういう意図でしょうか、これは」
「警戒しないで……誰も見ていませんわ。貴方は何も不安に思わないで」
「……っ」
ハナムがシアンに抱きつき、抵抗しない彼に身体を押し付ける。
そのまま体重を預けて被さったから、シアンはゆっくりと背後に腰を付いた。
ドサッ...
自身の上にまたがるハナムを、起こした胸で受け止める。
二人の目高が同じになり至近距離で見つめ合った。
「わたしを抱いて、シアン」
「貴方が僕を誘惑するとは信じられませんね」
「誘惑?──そんな甘いものではないですのよ」
「……」
「わかるでしょう?このままだと王家の血が途絶える…──。だから、貴方が、わたしに世継ぎを授けなさい……!」
「……王妃様」
「これは命令よ」
確かにハナム王妃の目付きは、誘惑者と呼ぶにはいささか険しく、その瞳も怯えていた。
色めいた閨言はこの空間に不要。
あるのは陰謀と策略──。世継ぎを手にし権力を得ようとするサルジェ家の欲望。
ただ、ハナムの狙いを理解したシアンはかえって心が静まったらしく、余裕をふくめた笑みを頬に浮かべたのだった。
なんだ結局
こうも早く尻尾をだすのか。
ねぇ、サルジェ公爵
実の娘に、娼婦同然のマネをさせて。
……でも貴方は知らないようだ。
僕はとっくの昔から
世継ぎを望めぬ…
" 男 " として不完全な身体であったということを。
残念です。
僕がまだ 王族 であると信じている愚か者なんて、貴方くらいのものでしょうね──
「ふっ……、それで、貴女自身は本当にコレを望んでいるのですか?」
「……そうですわ」
「そんな事がありえましょうか。…ご自分で気付いておられないのですか?僕に触れる貴女の身体は、いつも嫌悪で震えているのに」
「…こ、れは…!」
指摘されたハナム王妃は、シアンの胸ぐらをぐっと掴んだ。
「…っ…そんな意地の悪いことを言わないで。房事を前にして…緊張で震えない女はいなくてよ?」
「ええ…よく知っています。男娼である僕の 客 は男が多いが女性もいました。愛と快楽にすがりつく彼女らを…僕は丁寧にもてなしてきた」
「ん…っ」
「貴女をドロドロに甘やかすコトだって、簡単にできます」
彼の指が、ハナムの顎先をそっと摘む。
唇が重なる──
ハナム王妃はその直前、両の目を固く閉じた。
「……ッッ」
「──…」
「……………?」
「ですが…───。これ以上、気分屋の貴女に振り回されるのはこりごりなのです、王妃様」
「な、んですって……!?」
けれど彼女の唇には何も触れてこず、再び目を開けたそこには、つとめて冷静な顔のシアンがいた。
「わたしが……気分屋……!?」
無礼な物言いをされたわけだが、彼の表情に静かな圧力があるせいでハナム王妃は言葉につまる。
「…っ…わ、わたしはいつもあなたの味方だった!それを振り回しているだなんてっ…どういうつもりで…」
「貴女が僕の味方?…ふっ、まさか」
「追放されたあなたを王宮に呼び戻した、その恩を忘れたの??」
「その通り、タラン侍従長を排除するために貴女は僕を利用したのです。同じく九年前──…邪魔な王弟を始末するため、タラン侍従長を利用しておきながら」
「──ッ」
「…いい加減目を覚ましてはどうですか。貴女がいったいどんな小細工を労したところで本当にほしいものは手に入らないというのに」
ハナムの顎を掴む指がそのままだから、彼女は顔をそらせなかった。
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