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第十九章
愛と憎悪
しおりを挟む《 そこで薬を調合した医官が私の手の内の者だったのですよ。おわかりですか?その忌まわしい肉茎にもはや子を為す力はない 》
……ラティーク・タランの言葉を信じるならば
当時のタランにとって、王弟という存在はたいした脅威でなかった筈だ。
世継ぎを為す可能性もなければ王位継承権も放棄している。そんな無力な子供を始末する必然性が、いったいどれだけあっただろう。
あの男は計画を持ちかけられたのだ。タラン以上に、王弟を疎ましく思っていた何者かに……。
王弟を、殺せと。
「……貴女がタラン侍従長をそそのかした」
「……!」
「貴女は陛下の筆跡をマネてあの書状を書いたのです。…後はそれを王弟の部屋に置き、罠にかかった彼がまんまと陛下の寝所にはいったところを…タランの手引きで捕らえるだけだった」
「な、何を根拠に……!!」
「計画どおり邪魔な王弟は消えました。……ところがどうです、陛下の傍にはいつもタランがいて二人は恋仲であるという噂まで出回っている。さぞかし不愉快だったでしょうね?次の標的はタラン侍従長へと移りました。せわしない御方だ」
「…っ…黙りなさい!!」
顎を掴んでいたシアンの手を払い、ハナム王妃が叫んだ。
顔に嫌な汗を浮かべている。
「…な…なんですのその話…全部デタラメだわ!書状を用意したのはタランよ。あなたを騙したのも殺そうとしたのもっ……わたしではないわ」
「……いや貴女だ」
「なぜ言い切るの」
「貴女が例の書状を持っていたからです」
近距離で声を荒げられて思わず顔をしかめながら、シアンが話していく。
正直、滑稽だった。
ハナム王妃もタラン侍従長も、どうして、あんな書状で騙せると思い込んだのだろう。
筆跡を似せたから、だからなんだ。
文字の癖、大きさ、筆圧、言葉遣い──。別の誰かが兄の名をかたり書いた物だと、王弟は一目で見抜いたのに。
「あの書状が今も残っている筈がないのですよ。何故なら読まれてすぐに燃やされたからです」
「………え?」
「王弟は不審なソレが悪用されぬようすぐに処分しました。そして陛下の身を心配して、その夜 寝所に行ったのですから」
ハナム王妃が犯した間違いは単純だった。
彼女が、タランの策略の証拠としてシアンに渡した書状は、あの夜すでに燃やされていたのだ。
だからその模造品を正確に用意した者がいるとすれば…
それは書いた本人しか当てはまらない。
「つまりは貴女です、王妃様」
味方であるなど、愚の骨頂。
そんな者はひとりとしていなかった。
「──…どうぞお帰りください。今夜の貴女のたくらみは陛下にふせておきますから」
「……!!」
言葉も出ないといった様子でフルフルと震えている女を、シアンは自身の上から退かした。
愚かな女だ。
…素直な人なのだ。
感情にまかせて突発的……。その行動力だけは立派だと、皮肉をまぜて賞賛してもいい。
だがこれ以上は、邪魔なのだ。
「お帰りください」
「…っ…待っ て」
「……」
「戻れませんわ。…そうよわたしは…あなたが憎いわ、大嫌いよ!でも利用しないといけないの。わたしは王妃だからっ…あなたを使ってでも果たさないといけない義務があるのよ!」
「…僕がその協力を拒んだら?」
「拒むなんて許さない。…いい?わたしが今声をあげたら困るでしょう?無理やり犯されそうになったと言って、死罪にしてやりますわ」
「そのような脅しは無意味かと」
立場を利用して脅しをかけるハナムにも、シアンは動じない。
「クルバンとして僕を王都に招いた貴女がそんな主張をしたとて……逆に貴女が貞操を疑われるのではないでしょうか」
「ば…っ…馬鹿を言わないで!
《 シアン・ベイオルクはラティーク・タランが用意した密偵 》──それがここ王宮での《 事実 》。あなたを近衛隊にいれたのだって当然タランだと思われていますわ」
「サルジェ家の紋章がはいった推薦状があるのに、ですか?」
「推薦状?あんなもの──…あなたを捕らえた後、お父さまの力でいかようにでも処分できますのよ!」
「……ふっ」
「……何を笑っているの?」
「そう簡単にはいかないと思いますよ。推薦状は今、あのバヤジット将官の手元にあります。……九年前の真相と、タラン侍従長への復讐を示唆した手筒とともに」
シアンはその場で腰を上げた。
足元ではまだ立てないでいるハナムが床に両手をついている。
小さくため息をついたシアンが、彼女の帰りを促そうと出口の扉に手をかけた。
「正気なの……!?あなた」
「……」
「バヤジット将官は過去のあなたを救わなかった……! " 敵 " に自分の正体を明かす手筒を預けるだなんて、おかしいですわ。あんな男を信用するだなんて!」
「信用なんてしていませんよ」
ラティーク・タラン・ウル ヴェジール
ハムクール・スレマン・バシュ
ジフリル・バヤジット・バシュ
九年前に王弟を貶め、傷付けた男たち──。
《 汝、復讐を望むなら
此処王都に返り咲き
王宮の中枢、水の社まで来られたし── 》
思えばあの推薦状が届いたことが、シアンの計画が動き出すきっかけだった。
復讐者として王都に戻る。
そうするようにハナム王妃が手引きした。
けれど
「けれど勘違いしてほしくないのは、僕の " 敵 " はあくまで今の僕を邪魔する者──。過去に彼等が何をしたかはどうでもいい」
「どうでもいいですって……!?」
「バヤジット・バシュは、あの方は今、僕の味方です」
復讐なんて言葉を持ち出すのは、周りの人間だけ。
シアンは何の興味もなかったのだ。
鉛の毒で錯乱したスレマン将官も
帝国に引き渡されたタラン侍従長も
目的のための障壁だったにすぎず、復讐とは関係ない。
だから、ハナム王妃が九年前に王弟を陥れたとして、それすらシアンはどうでもよかった。
“ 復讐が目的じゃないだなんて ”
“ あなたは……誰もかれも眼中に無いというの?わたしのことも ”
“ だからこそ、今のわたしを邪魔だと判断しようものなら、あなたは躊躇なく……っ ”
細めた目でこちらを見下ろした彼の横顔の、その温度の低さに、ハナム王妃の本能が震えた。
その感情の無い瞳は……たとえ相手が誰であれ、目的の為に切り捨てるのだろう。
「わかりましたわ……っ」
ハナム王妃は引き下がるしかなかった。
最後に彼女は、アシュラフ王が寝ている奥の間にチラリと目を向けた後
脱いだ外套を手にしてシアンを睨んだ。
「……わたしがあなたを疎ましく思ったのは、わたしが陛下を愛していたから」
「──…」
「わたしがあなたを殺そうとしたのは……っ
陛下があなたを、愛していたからよ……!」
" 今の " シアンにその気持ちは理解できないだろう。
愛は憎悪に簡単に変わり、憎悪は簡単に、人の道を歪ませる。
「扉を開けてちょうだい」
「…かしこまりました」
命じられたシアンが戸を開けると、長い裾を石床にはわせて、ハナム王妃が前を横切った。
……ごめんなさい
すれ違いざまに彼女がつむいだ謝罪も、シアンの心に僅かな波紋すら生み出せない。
くだらない。彼はたったひとつの目的を果たすため、それだけを思いこの場所にいるのだから。
───…
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