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第14章 黄金の果実と、計算外のノイズ
しおりを挟む季節は巡り、秋。 六本木のペントハウスの窓から見える景色も、少しずつ色づき始めていた。
「……柏木社長。今月のオリオン社の売上高、先月比で三百パーセント増です。五稜重工向けの量産ラインが本格稼働したことと、欧州の自動車メーカーからの試験発注が予想以上だったことが要因です」
朝のブリーフィング。一ノ瀬玲奈が、いつものようにタブレットを見ながら淡々と報告する。だが、その声のトーンは以前よりも少し高く、隠しきれない高揚感が滲んでいた。
「三百パーセントか。すごい数字だな」
私が淹れたてのコーヒー(最近、豆にもこだわり始めた)を飲みながら言うと、一ノ瀬は満足げに頷いた。
「はい。私のシミュレーションでは、このペースでいけば、来年度には株式上場(IPO)も視野に入ります。そうなれば、柏木様の資産は……現在の数十倍、数百億円規模になります」
数百億。もはや現実感のない数字だ。 半年前、リストラされて雨に打たれていた男が、今や数百億の資産家になろうとしている。人生とは、わからないものだ。
「六郷さんも喜んでいるだろうな」 「ええ。先日、工場に顔を出した際も、新しい従業員たちに囲まれて、生き生きと指揮を執っていらっしゃいました。『柏木社長のおかげで、毎日が祭りみたいだ』と」
それは良かった。私の「豪運」が、誰かの幸せに繋がっている。それが何よりの報酬だ。
「ですが……」
一ノ瀬の声が、急に低くなった。彼女はタブレットの画面を切り替え、眉間に深い皺を寄せた。
「光が強ければ、影も濃くなります。ここ数週間、オリオン社の周辺で、奇妙な動きが観測されています」
「奇妙な動き?」
「はい。まず、工場の周りを、不審な車両が徘徊しているという報告が、警備会社から上がっています。それから……」
彼女はためらいがちに続けた。
「六郷社長の自宅に、無言電話が頻繁にかかってくるそうです。さらに、ミナさんの店にも、予約した団体客が突然キャンセルする、といった嫌がらせが数件……」
私はコーヒーカップを置いた。カチャリ、と硬い音が静寂なリビングに響いた。
「……誰の仕業だ?」 「まだ特定はできていません。ですが、これらは明らかに組織的な『妨害工作』の前兆です。私たちの急激な成長を、快く思わない勢力がいるのでしょう」
一ノ瀬の分析は常に正しい。 私が成功の美酒に酔いしれている間に、足元では黒い根が広がり始めていたのだ。
「……わかった。警備を強化してくれ。六郷さんとミナちゃんの安全確保が最優先だ。費用はいくらかかってもいい」 「はい、既に手配済みです。堂島様にも相談し、信頼できる筋の方々を配置しています」
さすが、仕事が早い。
その時、私のプライベート用のスマホが鳴った。 画面には、見慣れない、しかし美しい文字配列の通知が表示されていた。国際電話だ。発信国番号は……ヨーロッパの小国、ルクセンブルク公国。
「……もしかして」
私は直感した。この電話は、新たなトラブルの予兆か、それとも――。
「はい、柏木です」
『……もしもし? カシワギ様? お久しぶりです。覚えていらっしゃいますか? カップ焼きそばの……』
電話の向こうから聞こえてきたのは、忘れもしない、鈴を転がすような高貴な声だった。
「もちろんですよ、エレナさん。お元気でしたか?」
一ノ瀬が「えっ?」と声を上げ、目を見開いてこちらを見ている。
『ええ、おかげさまで。実は、カシワギ様に折り入ってご相談がありまして……。近々、そちらへ伺ってもよろしいでしょうか?』
「ええ、構いませんが……何かあったんですか?」
『……はい。少し、込み入った事情がありまして。私の国と、あなたの会社……オリオン社の技術に関わることなのです』
彼女の声は、以前会った時のような無邪気なものではなく、切迫した響きを帯びていた。
電話を切った後、私は一ノ瀬に向き直った。
「……どうやら、影の正体は、国内だけじゃなさそうだ」 「エレナ様から、ですか? まさか、オリオン社の技術が、国際的な陰謀に巻き込まれていると?」
一ノ瀬の顔色が青ざめる。彼女のロジックでは処理しきれない、政治と権謀術数の世界だ。
「わからない。だが、俺の直感が言っている。……次の舞台は、世界だ」
私は窓の外を見つめた。 秋晴れの空は高く、どこまでも澄み渡っていた。だが、その青さの向こう側に、嵐の気配を感じずにはいられなかった。
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