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第20章 仮面舞踏会と、暴食の美食家
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指定された日時は、金曜日の午後十一時。 場所は白金台の高級住宅街にひっそりと佇む、蔦(つた)の絡まる古い洋館だった。
「……すごいです。東京にこんな場所があったなんて」
ハイヤーを降りた桜井ミナが、洋館を見上げてため息を漏らした。 今日の彼女は、いつもの割烹着姿ではない。私が投資の一環としてプレゼントした、淡い桜色のカクテルドレスを身にまとっている。化粧もプロに頼み、普段の素朴な可愛らしさに、大人の艶やかさが加わっていた。
「似合ってるよ、ミナちゃん。自信を持って」 「は、はい……! でも、緊張して足が震えて……」
私が腕を貸すと、彼女はすがるようにしがみついてきた。その手は冷たかったが、私の腕に触れると少しずつ温かさが戻っていくのがわかった。
「お二人とも、これを」
先に到着していた堂島剛が、入り口で私たちに手渡したのは、精巧な作りのベネチアンマスクだった。
「『ノクターン・オークション』のルールだ。ここでは全員が顔を隠す。肩書きも名前も関係ない。あるのは『欲望』と『財力』だけだ」
私たちは仮面をつけた。視界が狭まることで、逆に感覚が研ぎ澄まされるような気がする。 一ノ瀬玲奈も、黒い羽根のついたクールな仮面を装着し、手元の端末でセキュリティチェックを行っている。
「……ジャミングがかけられています。外部との通信は遮断されていますね。完全にクローズドな空間です」
重厚な扉が開く。 中から漏れ出したのは、甘い香の匂いと、弦楽四重奏の生演奏だった。
*
オークション会場となる広間には、すでに五十人ほどの参加者が集まっていた。 全員が仮面をつけているため表情は読めないが、身につけている宝石や時計、そして立ち居振る舞いから、只者ではないオーラが漂っている。政財界の重鎮、海外のマフィア、あるいは王族か。
「……ふん。貧乏くさい匂いがすると思えば、野良犬が混じり込んだか」
不意に、背後からねっとりとした声がかかった。 振り返ると、恰幅の良い男が立っていた。金色の派手な仮面をつけ、指には巨大なルビーの指輪が光っている。 彼の視線は、私ではなく、私の隣にいるミナに向けられていた。
「料理人の匂いだ。それも、油と出汁の染み付いた、下賤な匂い……。このような高貴な場にはふさわしくない」
ミナがビクリと身を縮めた。 私は静かに一歩前に出て、彼女を庇った。
「……鼻が利くようですが、少々詰めが甘いようだ。彼女からするのは『最高の料理』を作る職人の香りですよ。貴方のような、脂ぎった香りとは違う」
「なっ……!?」
男が色めき立つ。 すると、横にいた堂島さんが、仮面の下でニヤリと笑った(気配がした)。
「よせよせ。そいつは西園寺(さいおんじ)だ。有名な美食評論家にして、悪食のコレクターだよ」
「西園寺……!」 ミナが息を呑んだ。「あの、『味の絶対王者』と呼ばれる……?」
業界では神のように崇められる評論家らしい。気に入らない店はペン一つで潰し、気に入った店からは法外な顧問料を巻き上げるという噂の人物だ。
「堂島か。相変わらず野蛮な連中とつるんでいるようだな」 西園寺は鼻を鳴らした。 「今日の私の目当ては『星欠けの椀』だ。あれを手に入れ、私のコレクションの最上段に飾る。あのような至高の器は、料理などを盛って汚すものではない。ただ『所有』し、愛でるためのものだ」
彼はミナを見下して言い放った。 「料理人が使うなど、言語道断。美術品への冒涜だ」
ミナが悔しそうに唇を噛む。 私は彼女の肩を抱き寄せ、西園寺の目を真っ直ぐに見据えた。
「……器は、使われてこそ輝くものだ。飾られるために焼かれたわけじゃない。そう泣いているように見えますがね」 「ふん、戯言を。金のない負け犬の遠吠えなど聞きたくもない」
西園寺はマントを翻して、最前列の席へと歩いていった。
「……嫌な奴ですね」 一ノ瀬がボソリと呟いた。「性格の悪さが、ロジックを超えてパラメータ化できそうです」
「ああ。だが、火はついた」 私はミナの手を強く握った。 「あいつには絶対に渡さない。ミナちゃん、あの器は君が使うべきだ」
*
オークションが始まった。 出品されるのは、確かに「訳あり」の品ばかりだった。 『持ち主が必ず発狂すると言われるダイヤ』『沈没船から引き揚げられた年代物のワイン』『かつての独裁者が愛用した拳銃』。 どれも曰く付きだが、会場の熱気は凄まじく、数千万円、数億円という単位で落札されていく。
「……柏木様。この会場の空気、少し異常です」 一ノ瀬が耳打ちする。 「集団催眠に近い状態です。正常な価格判断ができなくなっている」
「ああ。主催者が仕掛けているんだろう。香とか、音とかでな」 だが、私には効かない。私の「直感」は、常に冷静に「本質」だけを捉えていた。
そして、ついにその時は来た。
「ロットナンバー42。本日のメインイベント。戦国の世より伝わる幻の陶器……『星欠けの椀』の登場です!」
照明が落ち、スポットライトがステージ中央のガラスケースを照らす。 そこに鎮座していたのは、一見すると黒いただの茶碗だった。 だが、見る角度を変えると、黒い釉薬(ゆうやく)の中に、無数の銀色の粒子が散りばめられ、まるで夜空の星々を閉じ込めたかのように輝いていた。
「……綺麗」 ミナが、うっとりと呟いた。 「あの中に……私の料理を入れたら……きっと、宇宙みたいになる」
彼女の料理人としての魂が共鳴している。 間違いない。あれは彼女のための器だ。
「スタート価格は、一億円!」
司会者の声と同時に、パドルが一斉に上がる。
「一億二千!」 「一億五千!」
価格は瞬く間に跳ね上がる。 だが、ある時点で、会場が静まり返った。西園寺がパドルを上げたからだ。
「五億」
彼は退屈そうに、言い値の倍以上を提示した。 周囲がざわつく。さすがに茶碗一つに五億は高すぎる。他の参加者たちが次々と降りていく。
「……ふん。雑魚ばかりだな」 西園寺が勝ち誇ったように笑う。 「これで決まりだ。あの器は私のガラスケースの中で、永遠に眠ることになる」
「五億、五億。他にございませんか? ……では、五億でハンマーを……」
司会者が木槌を振り上げた。 ミナが諦めたように目を伏せる。
私は、静かにパドルを上げた。
「――十億」
会場の空気が、一瞬で凍りついた。 司会者の手も止まる。 西園寺が、仮面ごと首を捻じ切るような勢いでこちらを振り返った。
「……なんだと?」
私は仮面の奥でニヤリと笑った。
「聞こえませんでしたか? 十億円だ。……いい器だ。うちの料理人が、卵かけご飯を食べるのにちょうど良さそうだからね」
挑発には挑発を。 さあ、本当の勝負はここからだ。美食の怪物よ、俺の「豪運」と「資金力」についてこれるか?
「……すごいです。東京にこんな場所があったなんて」
ハイヤーを降りた桜井ミナが、洋館を見上げてため息を漏らした。 今日の彼女は、いつもの割烹着姿ではない。私が投資の一環としてプレゼントした、淡い桜色のカクテルドレスを身にまとっている。化粧もプロに頼み、普段の素朴な可愛らしさに、大人の艶やかさが加わっていた。
「似合ってるよ、ミナちゃん。自信を持って」 「は、はい……! でも、緊張して足が震えて……」
私が腕を貸すと、彼女はすがるようにしがみついてきた。その手は冷たかったが、私の腕に触れると少しずつ温かさが戻っていくのがわかった。
「お二人とも、これを」
先に到着していた堂島剛が、入り口で私たちに手渡したのは、精巧な作りのベネチアンマスクだった。
「『ノクターン・オークション』のルールだ。ここでは全員が顔を隠す。肩書きも名前も関係ない。あるのは『欲望』と『財力』だけだ」
私たちは仮面をつけた。視界が狭まることで、逆に感覚が研ぎ澄まされるような気がする。 一ノ瀬玲奈も、黒い羽根のついたクールな仮面を装着し、手元の端末でセキュリティチェックを行っている。
「……ジャミングがかけられています。外部との通信は遮断されていますね。完全にクローズドな空間です」
重厚な扉が開く。 中から漏れ出したのは、甘い香の匂いと、弦楽四重奏の生演奏だった。
*
オークション会場となる広間には、すでに五十人ほどの参加者が集まっていた。 全員が仮面をつけているため表情は読めないが、身につけている宝石や時計、そして立ち居振る舞いから、只者ではないオーラが漂っている。政財界の重鎮、海外のマフィア、あるいは王族か。
「……ふん。貧乏くさい匂いがすると思えば、野良犬が混じり込んだか」
不意に、背後からねっとりとした声がかかった。 振り返ると、恰幅の良い男が立っていた。金色の派手な仮面をつけ、指には巨大なルビーの指輪が光っている。 彼の視線は、私ではなく、私の隣にいるミナに向けられていた。
「料理人の匂いだ。それも、油と出汁の染み付いた、下賤な匂い……。このような高貴な場にはふさわしくない」
ミナがビクリと身を縮めた。 私は静かに一歩前に出て、彼女を庇った。
「……鼻が利くようですが、少々詰めが甘いようだ。彼女からするのは『最高の料理』を作る職人の香りですよ。貴方のような、脂ぎった香りとは違う」
「なっ……!?」
男が色めき立つ。 すると、横にいた堂島さんが、仮面の下でニヤリと笑った(気配がした)。
「よせよせ。そいつは西園寺(さいおんじ)だ。有名な美食評論家にして、悪食のコレクターだよ」
「西園寺……!」 ミナが息を呑んだ。「あの、『味の絶対王者』と呼ばれる……?」
業界では神のように崇められる評論家らしい。気に入らない店はペン一つで潰し、気に入った店からは法外な顧問料を巻き上げるという噂の人物だ。
「堂島か。相変わらず野蛮な連中とつるんでいるようだな」 西園寺は鼻を鳴らした。 「今日の私の目当ては『星欠けの椀』だ。あれを手に入れ、私のコレクションの最上段に飾る。あのような至高の器は、料理などを盛って汚すものではない。ただ『所有』し、愛でるためのものだ」
彼はミナを見下して言い放った。 「料理人が使うなど、言語道断。美術品への冒涜だ」
ミナが悔しそうに唇を噛む。 私は彼女の肩を抱き寄せ、西園寺の目を真っ直ぐに見据えた。
「……器は、使われてこそ輝くものだ。飾られるために焼かれたわけじゃない。そう泣いているように見えますがね」 「ふん、戯言を。金のない負け犬の遠吠えなど聞きたくもない」
西園寺はマントを翻して、最前列の席へと歩いていった。
「……嫌な奴ですね」 一ノ瀬がボソリと呟いた。「性格の悪さが、ロジックを超えてパラメータ化できそうです」
「ああ。だが、火はついた」 私はミナの手を強く握った。 「あいつには絶対に渡さない。ミナちゃん、あの器は君が使うべきだ」
*
オークションが始まった。 出品されるのは、確かに「訳あり」の品ばかりだった。 『持ち主が必ず発狂すると言われるダイヤ』『沈没船から引き揚げられた年代物のワイン』『かつての独裁者が愛用した拳銃』。 どれも曰く付きだが、会場の熱気は凄まじく、数千万円、数億円という単位で落札されていく。
「……柏木様。この会場の空気、少し異常です」 一ノ瀬が耳打ちする。 「集団催眠に近い状態です。正常な価格判断ができなくなっている」
「ああ。主催者が仕掛けているんだろう。香とか、音とかでな」 だが、私には効かない。私の「直感」は、常に冷静に「本質」だけを捉えていた。
そして、ついにその時は来た。
「ロットナンバー42。本日のメインイベント。戦国の世より伝わる幻の陶器……『星欠けの椀』の登場です!」
照明が落ち、スポットライトがステージ中央のガラスケースを照らす。 そこに鎮座していたのは、一見すると黒いただの茶碗だった。 だが、見る角度を変えると、黒い釉薬(ゆうやく)の中に、無数の銀色の粒子が散りばめられ、まるで夜空の星々を閉じ込めたかのように輝いていた。
「……綺麗」 ミナが、うっとりと呟いた。 「あの中に……私の料理を入れたら……きっと、宇宙みたいになる」
彼女の料理人としての魂が共鳴している。 間違いない。あれは彼女のための器だ。
「スタート価格は、一億円!」
司会者の声と同時に、パドルが一斉に上がる。
「一億二千!」 「一億五千!」
価格は瞬く間に跳ね上がる。 だが、ある時点で、会場が静まり返った。西園寺がパドルを上げたからだ。
「五億」
彼は退屈そうに、言い値の倍以上を提示した。 周囲がざわつく。さすがに茶碗一つに五億は高すぎる。他の参加者たちが次々と降りていく。
「……ふん。雑魚ばかりだな」 西園寺が勝ち誇ったように笑う。 「これで決まりだ。あの器は私のガラスケースの中で、永遠に眠ることになる」
「五億、五億。他にございませんか? ……では、五億でハンマーを……」
司会者が木槌を振り上げた。 ミナが諦めたように目を伏せる。
私は、静かにパドルを上げた。
「――十億」
会場の空気が、一瞬で凍りついた。 司会者の手も止まる。 西園寺が、仮面ごと首を捻じ切るような勢いでこちらを振り返った。
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