リストラされた42歳、確率の向こう側へ。~なぜか俺の選択肢がすべて正解になる件~

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第29章 泥まみれのジャンヌ・ダルクと、強面の臨時エキストラ

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北関東のとある広大な廃工場跡地。  そこは今、硝煙と怒号が渦巻く「戦場」と化していた。

「カァァァット! 遅い! 目が死んでるぞ! お前らは反乱軍だろうが! 明日の飯も食えない飢えと怒りを思い出せ!」

 ハンドマイクを持った我妻譲監督の怒声が、荒野に響き渡る。  撮影開始から一ヶ月。我妻監督の狂気じみた要求は日に日にエスカレートしていた。CGは極力禁止、爆破は本物の火薬、雨は消防車十台を使った放水。  予算は湯水のように消えていくが、モニターに映し出される映像は、鳥肌が立つほど凄まじい熱量を帯びていた。

「……はぁ、はぁ、はぁ……」

 泥濘(ぬかるみ)の中に膝をついているのは、如月カレンだ。  かつての「清純派女優」の面影はない。髪はボサボサに切り揃えられ(役作りのために本当に切った)、顔には泥と血糊がこびりつき、衣装はボロボロだ。  だが、その瞳だけは、泥の中でもダイヤモンドのように鋭く輝いていた。

「……もう一度、お願いします」

 カレンが泥を拭いもせずに立ち上がる。  周りのスタッフが息を呑む。以前の彼女なら、とっくに泣き出していただろう。だが今の彼女は、我妻の理不尽な要求をすべて飲み込み、さらにその上を行こうとしている。

「いい目だ。……よし、次は『敵軍との激突』シーンだ! エキストラ三百人、スタンバイ!」

 我妻が叫んだ、その時だった。

 パラララララッ! ブォォォォン!

 撮影現場の静寂を引き裂くように、けたたましい爆音が響き渡った。  廃工場の入り口から、改造バイクや派手な車に乗った集団が雪崩れ込んできたのだ。その数、百台以上。

「あぁん? ここで映画撮ってるってのはどいつらだぁ?」

 金属バットや鉄パイプを持った、柄の悪い男たちが降りてくる。地元の暴走族と、半グレの連合部隊のようだ。

「撮影中断! なんだあいつらは!」  スタッフが悲鳴を上げる。

「……『挨拶』に来てやったぜ。ここは俺たちのシマだ。許可取ってんのか? あぁ?」

 リーダー格の男が、撮影機材を蹴り飛ばした。  明らかに、誰かに雇われて撮影を妨害しに来た連中だ。タイミングが良すぎる。

「くそっ、いいところだったのに! 警察を呼べ!」  我妻監督がカメラを守りながら怒鳴るが、ここへ来るまでに時間はかかる。その間にセットを破壊されれば、今日の撮影は中止。損害は数千万円にのぼる。

「……どうしますか、柏木様」  現場視察に来ていた一ノ瀬玲奈が、眉をひそめてタブレットを取り出す。「警備員数名では止められません。武力衝突になれば、スキャンダルになります」

 私はパイプ椅子から立ち上がり、ポケットに手を入れたまま、男たちの前へと歩み出た。

「おい、待て」

 私が声をかけると、男たちが一斉に睨みつけてきた。  数百人の悪意。普通の人間なら足がすくむ状況だ。  だが、私は不思議と落ち着いていた。なぜなら、私の「直感」が、この状況を『ピンチ』ではなく『チャンス』だと認識していたからだ。

「なんだぁ、おっさん? 痛い目見たくなかったら……」 「君たち。……いい顔をしているな」

 私はリーダーの顔をまじまじと見つめた。

「は?」 「その凶悪な目つき。社会への不満を煮詰めたような歪んだ表情。そして、その統率の取れていないバラバラな服装……。完璧だ」

 私は振り返り、我妻監督に向かって叫んだ。

「監督! どうです? 今日の敵軍のエキストラ、足りないと言っていましたよね?」

 我妻が目を丸くし、それからニヤリと凶悪に笑った。   「……ああ。最高だな。衣装メイクの手間が省ける。今の役者の卵どもじゃ出せない、『本物のクズ』の顔だ」

「な、なんだと!? 俺たちを馬鹿にしてんのか!」  リーダーが激昂し、鉄パイプを振り上げた。

 その瞬間。

 ウゥゥゥゥゥ――ッ!

 遠くから、サイレンの音が聞こえてきた。それも一台や二台ではない。大船団だ。

「ッ!? サツだ!?」  男たちが動揺する。  実はこれ、近くの国道でたまたま大規模な玉突き事故があり、県警の車両が大挙して出動していただけなのだが(私のスマホのニュース速報にさっき入っていた)、彼らには「自分たちを捕まえに来た」ようにしか聞こえない。

「まずいぞ! 逃げろ!」 「待て!」

 私が大声を張り上げた。

「今ここから逃げ出せば、警察に追われて捕まるだけだ。この人数だ、包囲されているぞ」

「だ、だったらどうすりゃいいんだよ!」

 パニックになる男たちに、私は懐から「のし袋」の束を取り出した。本来はスタッフへの差し入れ代だった現金だ。

「君たちには二つの選択肢がある。一つは、暴徒として警察に捕まるか。もう一つは……」

 私は札束をビラビラと見せつけた。

「我が社の『臨時エキストラ』として雇用され、堂々とここで仕事をするか、だ」

「……え?」

「日当は一人五万円。弁当付きだ。仕事内容は簡単。『そこにいる泥だらけの女を、本気で殺すつもりで襲う』こと。……どうだ?」

 男たちは顔を見合わせた。  警察に捕まるか、五万円もらって暴れるか。考えるまでもない。

「……や、やる! 俺たちはエキストラだ!」 「そうだ! 映画の撮影だ! 文句あるか!」

 一瞬にして、数百人の暴徒が、数百人の「俳優」に変わった。  この変わり身の早さ、彼らもなかなかの役者だ。

「よし! 契約成立だ!」  私は我妻監督に合図を送った。

「監督、用意はいいですか! リアルな暴力のプロたちですよ!」

「クックック……最高だ! おいカレン! ビビるんじゃねえぞ! こいつらは本気で来る! お前も本気で殺し返せ!」

 我妻が狂喜乱舞してメガホンを取る。  泥まみれのカレンが、鉄パイプを持った数百人の男たちを前に、一歩も引かずに立ち尽くす。  彼女の手に握られているのは、小道具の錆びた剣一本。

「……かかってきなさい」

 カレンが低く唸った。その覇気に、本職の半グレたちが一瞬怯むほどの気迫。

「よォーい、アクション!!」

 カチンコが鳴ると同時に、男たちが雄叫びを上げて突っ込んだ。  演技指導なし。本気の殴り合い(寸止めなどできない素人たちなので、カレンがガチで避けて当てるしかない)。  泥が飛び散り、悲鳴と怒号が交錯する。

 それは、映画史に残るであろう、あまりにもリアルで、残酷で、美しい「死闘」のシーンとなった。

          *

「……カット! OK! 素晴らしい!!」

 数分後。  我妻の声と共に、現場に拍手が巻き起こった。  地面には、カレンにのされた男たちが転がり、カレン自身も肩で息をして立っているのがやっとの状態だった。

「……すげえ。あの姉ちゃん、マジかよ」 「俺のパンチ、見切ったぞ……」

 半グレたちが、恐怖と尊敬の入り混じった目でカレンを見ている。  私はリーダー格の男に日当を渡した。

「いい演技だったよ。警察は通り過ぎていったようだ。弁当食って帰んな」 「あ、ああ……。あざっす……」

 彼らは大人しく弁当(ミナちゃん特製の唐揚げ弁当だ)を受け取ると、礼儀正しく帰っていった。  去り際にリーダーが、「あの映画、絶対観るわ……」と呟いていたのが印象的だった。

「柏木様。……トラブルを制作費(リソース)に変える手腕、お見事です。ですが……」  一ノ瀬が呆れたように言った。 「主役の女優に、本物の暴徒と喧嘩させるプロデューサーなんて、世界中探しても貴方だけですよ」

「カレンならやれると信じてたからな。……それに、見てみろ」

 私はカレンを指さした。  スタッフにケアされながら、泥だらけの顔で笑っている彼女。その表情は、かつての「守られるお姫様」ではなく、自らの足で立つ「戦士」のものだった。

「彼女はもう、作り物のスキャンダルなんかじゃ傷つかない。本物の強さを手に入れたんだ」

 撮影は順調だ。いや、順調すぎるくらいに「奇跡」が連発している。  この映画は、間違いなく世界を獲る。  私の直感が、確信に変わっていた。

 だが、その様子を遠くの丘から双眼鏡で覗く、白いスーツの男の影があることに、私はまだ気づいていなかった。

「……面白い。暴力さえも取り込みますか、柏木誠。では、次は『心』を壊して差し上げましょうか」

 白い仮面の男――オークションの主催者は、静かに嗤(わら)い、姿を消した。
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