リストラされた42歳、確率の向こう側へ。~なぜか俺の選択肢がすべて正解になる件~

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第30章 カンヌの喝采と、すり替えられた「結末」

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季節は巡り、初夏。  南フランス、コート・ダジュール。紺碧の地中海に面したリゾート地、カンヌ。  世界三大映画祭の一つ、『カンヌ国際映画祭』の会場は、世界中から集まったスターやパパラッチ、そして映画ファンたちの熱気に包まれていた。

「……信じられません。私が、このレッドカーペットを歩くなんて」

 如月カレンが、震える声で呟いた。  今日の彼女は、フランスのハイブランドが「ぜひ彼女に」と提供してきた、背中が大きく開いたミッドナイトブルーのドレスを纏っている。その姿は、かつての清純派アイドルの殻を完全に破り、妖艶かつ気高い「銀幕の女王」そのものだった。

「胸を張ってください。貴女はここに来るべくして来たんです」

 私がエスコートのために腕を差し出すと、カレンは深く呼吸をし、覚悟を決めた笑顔で私の腕を取った。  無数のフラッシュが焚かれる。  『リベリオン・ガール』。日本の無名プロダクションが、五十億円という規格外の予算を投じて制作したこの映画は、コンペティション部門にノミネートされ、映画祭最大の話題作となっていた。

 その背後で、タキシードを着慣れない我妻譲監督が、不機嫌そうにネクタイを緩めている。 「ケッ、眩しいったらありゃしねえ。俺は暗室で編集してる方が性に合ってるんだよ」

「まあまあ、監督。今日がお披露目なんですから」  一ノ瀬玲奈が、流暢なフランス語で現地のメディアに対応しながら、我妻をなだめている。

 すべては順調に見えた。  あの一本の電話がかかってくるまでは。

          *

 上映開始の三十分前。  関係者控え室に、映画祭の運営スタッフが蒼白な顔で飛び込んできた。

「ムッシュ・カシワギ! 大変です! 上映用データ(DCP)が……読み込めません!」

「なんだと?」  我妻監督が飛び上がった。「昨日の技術チェックでは問題なかったはずだぞ!」

「それが……データの中身が、すべて『空』になっているのです。バックアップも同様です。まるで、強力な磁気かウィルスで、意図的に消去されたかのように……」

 室内が凍りついた。  このままでは上映中止だ。世界中のメディアが集まる中での上映中止は、映画への評価どころか、日本の恥として語り継がれることになる。

 その時、私のスマホが鳴った。非通知設定。  嫌な予感がして、通話ボタンを押す。

『……ごきげんよう、柏木誠様』

 ボイスチェンジャーを通した、あの機械的な声。オークション会場の「白い仮面の男」だ。

「……あんたの仕業か」

『ええ。「心を壊す」と言ったでしょう? 最高の舞台から、奈落の底へ突き落とされる絶望……。その味は格別でしょうね』

 男はクスクスと笑った。

『データは消しました。復旧は不可能です。さあ、どうします? 恥をかいて逃げ出しますか? それとも、白いスクリーンの前で謝罪会見でも開きますか?』

 カレンが絶望のあまり、崩れ落ちそうになる。  一ノ瀬が必死にクラウド上の予備データを探すが、回線が遮断されているのか繋がらない。  万事休す。完全に詰みだ。

 だが。  私は、震える我妻監督の方を見た。  彼は顔面蒼白になりながら、自分のジャケットの内ポケットを必死に探っている。  そして、手のひらサイズの薄汚れたハードディスクを取り出した。

「……監督。それは?」

「……お、俺の……個人用の編集データだ。……俺は、運営に渡したマスターデータが信用できなくて……念のために、今朝までホテルで微調整してたんだよ! クソッ、まだ誰にも見せてない『最終完全版(ディレクターズ・カット)』だが……これしかねえ!」

 我妻の「人間不信」と「完璧主義」が生んだ、規格外のバックアップ。  運営に渡していたのは、実は昨日までのバージョン。本物の「完成品」は、狂犬の懐の中にあったのだ。

 私は電話の向こうの男に、静かに告げた。

「……残念だったな。俺たちの映画は、まだ完成してなかったんだよ」

『……は?』

「俺の監督は、あんたよりも疑り深くてね。……最高の『結末』を見せてやるから、指をくわえて見てな」

 私は電話を切り、運営スタッフにHDDを投げ渡した。

「走れ! これが本物だ! 上映しろ!」

          *

 リュミエール大劇場。二千人の観客が固唾を飲んで見守る中、上映が始まった。

 オープニング。  泥まみれのカレンが、カメラを睨みつけるアップ。  息を呑むような静寂。  そして、爆発的なアクションと、魂を削るようなドラマが展開されていく。

 我妻監督が直前までこだわった音響調整と、色彩補正。それが完璧にハマっていた。  消されたデータよりも、さらにクオリティが上がっていたのだ。

 二時間後。  エンドロールが流れ、スクリーンが暗転した。

 数秒の沈黙。  そして――。

 ドッッッ……!!

 地鳴りのような音が響いた。  それは、総立ちになった観客による、割れんばかりのスタンディングオベーションだった。  「ブラボー!」「傑作だ!」という叫び声が飛び交う。

「……あ……ああ……」  カレンが涙を流し、口元を押さえている。  我妻監督は「へっ、当たり前だろ」と悪態をつきながらも、目頭を拭っていた。

 私は、会場の二階席、VIPボックスの方を見上げた。  そこに、白いスーツを着た男の人影が見えた気がした。  男は私と目が合うと(合った気がすると)、忌々しげにグラスを置き、姿を消した。

 ――勝った。

 私の「豪運」は、監督の「狂気」さえも味方につけ、妨害工作を逆手に取って「最高傑作」を世界に知らしめたのだ。

 翌日。  『リベリオン・ガール』は、最高賞であるパルム・ドールを受賞。  如月カレンは主演女優賞を獲得し、一躍、世界的なスターダムへと駆け上がった。

 授賞式の夜。  ホテルのバルコニーで、私は一ノ瀬と二人、ワインを傾けていた。

「……またしても、計算不能な勝利ですね。資産価値だけでなく、文化的影響力まで手に入れてしまいました」 「まあ、結果オーライだ。……それより、あの『白い仮面の男』だ」

 私はグラスを回しながら、目を細めた。

「奴は、俺の行動パターンを読んでいるようで、読みきれていない。……何か、個人的な怨恨があるようにも感じる」

「同感です。……柏木様。実は、興信所を使って、オークションの主催者について調べてみました」

 一ノ瀬がタブレットを操作する。

「『ノクターン・オークション』の背後にいる資本……それを辿っていくと、ある意外な名前に突き当たりました」

「名前?」

「……『神宮寺(じんぐうじ)財閥』。かつて戦後の日本を牛耳り、そして没落したはずの亡霊です」

 神宮寺。  その名を聞いた瞬間、私の記憶の奥底で、何かが疼いた。  幼い頃、ニュースで見た記憶か? いや、もっと近い……。

 ――そうだ。俺がリストラされた会社の、創業者一族の名前だ。

「……まさか。俺の元雇い主が、黒幕だって言うのか?」

「確証はありません。ですが、点と点が繋がり始めました。貴方がリストラされたのも、単なる経営不振ではなく、何か意図的な……」

 そこまで言いかけた時、部屋のドアがノックされた。  ルームサービスか?  私がドアを開けると、そこにはワゴンを押したボーイではなく――。

 黒いドレスを着た、美しい東洋人の女性が立っていた。  その顔立ちは、どこか一ノ瀬に似ていて、しかし決定的に冷たい「氷の刃」のような雰囲気を纏っていた。

「……こんばんは、柏木誠様」

 女は妖艶に微笑んだ。

「兄がお世話になっているようね。……私は神宮寺(じんぐうじ)レイア。貴方を『地獄の底』へ招待しに来たわ」

 新たな刺客。そして、因縁の名の登場。  私の「豪運」は、ついに過去の亡霊と対峙することになる。
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