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第1章 蜜の罠
8.蜜の罠(1)
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十五歳で元服してから、澄長は母と暮らした本丸の奥御殿を離れ、二の丸に新たな御殿を構えていた。
同じ山坂城の中にあっても、澄長は父とは別の家臣団を従え、二の丸は澄長を主とした独立した世界を築いていた。
正室の千鶴は、新御殿の奥向きに住まい、「二の丸殿」と呼ばれている。
若い夫婦に不仲の噂はないものの、嫁いで一年あまり、懐妊の兆しがないことは、家中の者がひそかに──ときにはそれほどひそかにでもなく──気をもむ種であった。
織部竹丸は、澄長に付き従い、本丸御殿から二の丸新御殿へ戻った。
澄長は日々、風雨を厭わず本丸へ通い、次期藩主としての務めを果たしている。
「竹丸、今日は下がって、ゆるりと休むがよい」
澄長の穏やかな笑みが、竹丸の胸を温めた。
「はっ、かたじけのうございます」
竹丸は一礼し、静かに退出した。
今宵は「お渡り」がある。
澄長が正室のいる奥向きへ赴くことを、そう呼んでいる。
この時代、男色は武士のたしなみとされ、主君と小姓の親密な関係は公然のものだった。
だが、まだ子を成さぬ正室の千鶴にとって、竹丸の存在は複雑な思いを抱かせるものだろう。
澄長は、千鶴と竹丸が顔を合わせぬよう配慮し、その心遣いに竹丸は感謝していた。
天道に背く行いではないと知りつつも、千鶴の前では気まずさを拭い去れなかった。
お渡りには古参の大小姓らが付き添い、竹丸は自室で静かに過ごしていると、藤田重政が訪ねて来た。
「殿が、若様への貴殿の献身に感謝し、お褒めの言葉を伝えたいと仰せられている」
竹丸は、藤田を虎長の側近としてしか認識しておらず、澄長の名を借りた誘いは、竹丸の心を動かした。
疑うこともなく、藤田に導かれ、本丸常御殿の中奥にある小座敷へ足を踏み入れた。
部屋の上座には虎長が座し、馬廻の山本敏成が控えている。
竹丸が座敷の真ん中に正座し、深く頭を下げると、背後に藤田が音もなく座った。
「竹丸、そなたは澄長に寵愛されておると聞く」
虎長の声は静かで、つかみどころがなかった。
「はっ、まことに身に余る光栄、恐悦至極にございまする」
竹丸は額を畳に近づけ、うやうやしく答えた。
「ふむ。あれが死に、澄長は気落ちしていたが、そなたが来てから明るくなった」
「あれ、とは……どなたか、お亡くなりに?」
竹丸は頭を伏せたまま、わずかに目線を上げ、いぶかしげに問うた。
「おや、知らなかったか。失言だった、忘れなさい」
虎長は軽く手を振った。
「は、は……」
竹丸は困惑を隠せず、再び目線を畳に落とした。
「なるほど。澄長はまだ、そなたに心を開いておらぬようだな」
虎長の言葉は、刃のように竹丸の胸に突き刺さった。
「まあ、無理もない。あれは澄長には特別な存在だった。あれほど深く想われる者は、もう二度と現れぬやも知れぬが……それも致し方なきことよ」
虎長はひとりごつように呟きながら、その目は竹丸を値踏みするように光る。
「澄長に愛されたければ、もっと殿方を楽しませる術を知らねばならぬ」
「は……」
「知りたいか?」
「は……」
「知りたいのか、知りたくないのか、どちらだ?」
「し、知りとうございまする」
竹丸は虎長の威厳に圧倒され、その機嫌を損ねぬよう、そう答えた。
「では、教えてやろうではないか。もう嫌というほどに。──始めよ」
その言葉を合図に、藤田と山本が即座に竹丸を畳に押し倒した。
同じ山坂城の中にあっても、澄長は父とは別の家臣団を従え、二の丸は澄長を主とした独立した世界を築いていた。
正室の千鶴は、新御殿の奥向きに住まい、「二の丸殿」と呼ばれている。
若い夫婦に不仲の噂はないものの、嫁いで一年あまり、懐妊の兆しがないことは、家中の者がひそかに──ときにはそれほどひそかにでもなく──気をもむ種であった。
織部竹丸は、澄長に付き従い、本丸御殿から二の丸新御殿へ戻った。
澄長は日々、風雨を厭わず本丸へ通い、次期藩主としての務めを果たしている。
「竹丸、今日は下がって、ゆるりと休むがよい」
澄長の穏やかな笑みが、竹丸の胸を温めた。
「はっ、かたじけのうございます」
竹丸は一礼し、静かに退出した。
今宵は「お渡り」がある。
澄長が正室のいる奥向きへ赴くことを、そう呼んでいる。
この時代、男色は武士のたしなみとされ、主君と小姓の親密な関係は公然のものだった。
だが、まだ子を成さぬ正室の千鶴にとって、竹丸の存在は複雑な思いを抱かせるものだろう。
澄長は、千鶴と竹丸が顔を合わせぬよう配慮し、その心遣いに竹丸は感謝していた。
天道に背く行いではないと知りつつも、千鶴の前では気まずさを拭い去れなかった。
お渡りには古参の大小姓らが付き添い、竹丸は自室で静かに過ごしていると、藤田重政が訪ねて来た。
「殿が、若様への貴殿の献身に感謝し、お褒めの言葉を伝えたいと仰せられている」
竹丸は、藤田を虎長の側近としてしか認識しておらず、澄長の名を借りた誘いは、竹丸の心を動かした。
疑うこともなく、藤田に導かれ、本丸常御殿の中奥にある小座敷へ足を踏み入れた。
部屋の上座には虎長が座し、馬廻の山本敏成が控えている。
竹丸が座敷の真ん中に正座し、深く頭を下げると、背後に藤田が音もなく座った。
「竹丸、そなたは澄長に寵愛されておると聞く」
虎長の声は静かで、つかみどころがなかった。
「はっ、まことに身に余る光栄、恐悦至極にございまする」
竹丸は額を畳に近づけ、うやうやしく答えた。
「ふむ。あれが死に、澄長は気落ちしていたが、そなたが来てから明るくなった」
「あれ、とは……どなたか、お亡くなりに?」
竹丸は頭を伏せたまま、わずかに目線を上げ、いぶかしげに問うた。
「おや、知らなかったか。失言だった、忘れなさい」
虎長は軽く手を振った。
「は、は……」
竹丸は困惑を隠せず、再び目線を畳に落とした。
「なるほど。澄長はまだ、そなたに心を開いておらぬようだな」
虎長の言葉は、刃のように竹丸の胸に突き刺さった。
「まあ、無理もない。あれは澄長には特別な存在だった。あれほど深く想われる者は、もう二度と現れぬやも知れぬが……それも致し方なきことよ」
虎長はひとりごつように呟きながら、その目は竹丸を値踏みするように光る。
「澄長に愛されたければ、もっと殿方を楽しませる術を知らねばならぬ」
「は……」
「知りたいか?」
「は……」
「知りたいのか、知りたくないのか、どちらだ?」
「し、知りとうございまする」
竹丸は虎長の威厳に圧倒され、その機嫌を損ねぬよう、そう答えた。
「では、教えてやろうではないか。もう嫌というほどに。──始めよ」
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