それはとても、甘い罠

ゆなな

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それは、とてもあまい罠

11話

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『死ね』
 それだけ書かれたメモと汚された上履きを学校に登校してすぐに自分の下駄箱の中に見つけた。
 ドクン、ドクン……思い出して呼吸が苦しい。
 過去に苛めにあった辛い思い出が甦り、血の気がざっと引く。ひっそりとしかし、根深く悠を虐めていたあいつらはもうとっくに学校にはいない。それに、弱い自分を仮面に隠して強く生きるやり方をあの人……リョウが教えてくれた。
(もうあいつらは学校からいなくなった…だからあいつらじゃない。大丈夫。こわくない。どうすれば………考えろ。あの人ならこんなとき、どうする?間違えるな)
 小さなメモから流れ出るように感じる悪意に震える脚を叱咤し、息を深く吸いこむ。それから、一つ瞬きをして、悠はことさら意識して艶然と笑って見せた。
 笑えたことにほっとした。よかった。仮面をちゃんと被れた。
 それから周囲に見せつけるようにメモをビリ…と破きポケットに突っ込むと、汚れた上履きはゴミごとゴミ箱に放り込んだ。
 そして、来客用のスリッパを履き、何事もなかったかのように歩き出すと、生徒会で悠の補佐を務める副会長である須藤が「どうした?麻生?」とすかさず話しかけてきた。すらりと背が高くテニス部の部長でもあり、成績もこの超進学校で常に10位以内に入る須藤は悠が会長になってから生徒会の仕事以外のこともよくサポートしてくれる。
 態と大きい声で。物影から反応を窺っているアイツの方を見て耳に届くように。
「大したことないよ。馬鹿馬鹿しい。」
と、悠が言うと、直ぐに須藤は自分の取り巻きを引き連れて物影に潜む男の元に向かった。
 そこまで思い出して悠は深々と溜め息を吐いた。
(随分と、甘ったれになってしまったのかもしれない。こんなことくらいで……少しだけ剥き出しの負の感情を向けられただけ。それと自分に攻撃してこようとした相手が制裁されるように仕向けただけだ。あの頃のようなことは何一つされていないのに…リョウさんに会って、何もかも忘れさせてもらいたいだなんて……)
 自分に向けられた悪意にも、相手が副会長である須藤の制裁にあったことにも心が痛んで仕方ない。
 二十代にして、三つの店のオーナーであるリョウ。来月にはもう一店舗開店する予定らしく、とても忙しそうだ。従業員や客がその素晴らしい手腕を褒め称える声は悠にまで聞こえている。
(こんなにもちっぽけで子供っぽい学校の悩みなんて、恥ずかしい)

 繁華街の通りを少し外れたところにある公園で、再び、ふぅ……と溜め息を吐いたところで、ふとツンと鼻に突くアルコールと汗の臭いが入り交じった嫌な臭いに顔をあげた。そこにはニヤニヤと嗤うサラリーマン風の男がいた。しまった。考えに没頭しすぎて周囲に注意を払うことを失念していた。
「ねぇ……コレでどう……?」
 指を数本立てて、舐めまわすような粘ついた視線で悠を見る濁った瞳に背筋に悪寒が走り、伸ばされた手を払い駆け出そうとすると、手首を捕まれた。
 悠の薄い肌には倒れてしまいそうなほどの不快感が伝わった。
「は…なせっ!」
「こーんな、名門校の制服着てさ…こんなとこウロついてていいのかなぁ?ガッコに通報しちゃおっか?」
男はニヤニヤしながらも、尚も言い募る。
 躯が一瞬強張ったのがバレたのだろう。男はさらに調子に乗ったようだった。
「きみ、いい匂いするねぇ…肌もすべすべだし、たまんないよ…これならもっと金出してもいいからさぁ…」
と、引き寄せられて、堪えられず悠が拳を握りしめたその瞬間。

 ガゴンっ

 鈍い音がすると共に、不快な男の感触と臭いが消え去り、代わりに艶かしいマリンの香りに包まれていた。
 この香りは。
 目の前にいたはずの男は殴り飛ばされ公園のゴミ箱に激突し、一発で意識を失ったらしい。みっともなく崩れ落ちたまま、起き上がってはこない。
「え………リョウさん?え?うわっ」
 リョウの顔を振り返ってその獰猛な顔に悠が目を見開いた瞬間、悠の躯が宙に浮いた。
「何時でも構わないから、何かあったらすぐおいでって言ってあったね?」
 低い声はいつもの優しい声じゃなくて…怒っているような声だった。もう一度顔を確認したくても肩に軽々と担がれてリョウの顔は見えない。
「リョウさんっ、歩けるから下ろして!」と告げた声は聞こえたはずなのに、ずんずんと悠を担いだまま凄いスピードで歩くリョウ。
「あんまり夜に一人でフラフラしたらいけないよ?」
 あっという間にDeep blueが入っているビルに到着するが地下の店舗には降りず、上に階段をリョウは昇った。そこは自宅ではなく、事務所兼リョウの仮眠室になっている部屋。
 ポケットからジャラリと音を鳴らして片手で器用に鍵を開けた。抱えられたまま中に入り、カシャリと金属の音を鳴らしながら再び施錠された───
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