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四章
三十九話
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「――ふうー、美味しかった。あれ? 寛大と虎之助じゃない。どうしたの?」
「どうしたの、じゃねえ! こんな時に訳の分からない夢想の旅に出やがって!」
「ん? こんな時? 旅? ……あー、そういえば、そうだったわね」
何事もなかったかのように、こほん、とひとつ咳払いをして言葉を継ぐ。
「えっと、まあ、とりあえず、お里さんの件は私に任せておいて。最近何かなかったか、知り合いに聞いてみる」
八千代はそう言って虎之助が殺されかけたかもしれない話をばっさり切ると、とんでもない方向に舵を取る。
「ところで、虎之助、恋人はいるの?」
「ぶふっ! や、八千代様!」
寛大が口に含んでいたお茶を噴き出し驚く。
風呂に入り、頭を撫で、ご飯を食べた虎之助の表情から刺々しさは薄れていた。
家が貧しく、母親が病気。父はいなく、虎之助が何とかその日食べる物を調達しているような生活。しかも、その虎之助は両の瞳の色が違うという忌み子。
自分とは違う境遇に、訊いてもいいものか、と最初は迷っていたが、幸いにも今、虎之助を覆っていた障壁が剥がれ落ちている。
そのこともあり、八千代は本来の好奇心を躊躇うことなく発揮することが出来た。
「どうして、それを訊く?」
「気になったからよ。それ以上でも以下でもないわ」
そうなってしまった八千代に思ったことをもう一度反芻し、口にしてもいいものか、を考えるというようなまどろっこしいことはしない。
勿論、ある程度の節度は保つが、大丈夫、と判断した時の八千代はどこまでも真っ直ぐなのだ。
「この俺に、いると思うか?」
虎之助は自嘲気味な笑みを浮かべながら逆に問う。
「いてもおかしくはないと思うけど……?」
八千代がやや不安そうな表情を浮かべ、再度訊く。
その表情を見た寛大が下唇を噛み、顔を俯かせる。
虎之助が一度息を深く吐き、口を開く。
「そういえば、お前、姫なんだってな」
「……どうして、私が姫だと?」
「最終的にはそいつに訊いたけど、宮廷に住んでる時点で大体想像はつくだろう」
そう言って虎之助が寛大に視線を送る。
寛大は、どうだ、と言わんばかりに胸を張り、鼻を大きく広げる。
その様子に八千代は深い溜息を吐く。
隠していたつもりはない。しかし、他の人と同じように虎之助も媚び諂うのではないか、と思うとあえて自分から告げることはしたくなかった。
寛大の態度と表情に辟易しながら、八千代は不安を隠せなかった。
自分が思っている以上に心臓がうるさい。
口腔内に染み出る唾液をひとつ飲み込むが、すぐに出てくる唾液が口腔内を満たす。
「まあ、だからといって、何を変えるわけでもないんだがな。正直、姫だろうが、殿だろうが、俺にはどうでもいいことだから」
虎之助は思ったことをそのまま言っただけであり、何かを考えていたわけではない。
しかし、その言葉は八千代の心を打った。
八千代に近づく者は皆決まって己の利益を最優先に考え行動する。
分かりやすいほどの低姿勢で気持ち悪い笑みを浮かべる。
そういった人は皆、八千代を見ていない。
見ているのは八千代の先にある父だった。
八千代によく思われれば、それを殿である父にも伝えてくれる。
隠す気があるのならまだいい。
その思惑を隠す気がなく、むしろ知ってほしいという思いが見えてしまっているからこそ、八千代には耐えられなかったのだ。
虎之助のように関係ない体を装う人がいないわけではなかった。
そういう人たちは決まって器用な人だった。
周りへの配慮を欠かさず、常に効率的に物事を考え、無駄なことは極力省く。自分の容量を把握しており、今後、起きることであろう予測がしっかりなされている。
そんな人たちだった。
しかし、虎之助はそんな人たちとは違う。
まだ会って一日と経っていない間柄。
友人とさえ言えない関係なのに、まるで磁石で引かれ合うかのように自然に虎之助の姿を目で追っている。
だからこそ、分かる。
虎之助は打算や計算で物事を測るような人間ではなく、優しさや思いやりをしっかりと持った人間である、と。
そんな今までにない感覚の中にいる八千代を尻目に虎之助が言葉を継ぐ。
「お前の目は曇っている。俺にそんな人はいない……、というよりできるわけがないだろう。俺みたいな人間に……」
そう言って虎之助が遠くを見つめる。
決して目に映っている物を見る目ではなく、目に映らない何かを心の中で見る目。
そんな切なくも悲しい瞳をしていた。
「どうしたの、じゃねえ! こんな時に訳の分からない夢想の旅に出やがって!」
「ん? こんな時? 旅? ……あー、そういえば、そうだったわね」
何事もなかったかのように、こほん、とひとつ咳払いをして言葉を継ぐ。
「えっと、まあ、とりあえず、お里さんの件は私に任せておいて。最近何かなかったか、知り合いに聞いてみる」
八千代はそう言って虎之助が殺されかけたかもしれない話をばっさり切ると、とんでもない方向に舵を取る。
「ところで、虎之助、恋人はいるの?」
「ぶふっ! や、八千代様!」
寛大が口に含んでいたお茶を噴き出し驚く。
風呂に入り、頭を撫で、ご飯を食べた虎之助の表情から刺々しさは薄れていた。
家が貧しく、母親が病気。父はいなく、虎之助が何とかその日食べる物を調達しているような生活。しかも、その虎之助は両の瞳の色が違うという忌み子。
自分とは違う境遇に、訊いてもいいものか、と最初は迷っていたが、幸いにも今、虎之助を覆っていた障壁が剥がれ落ちている。
そのこともあり、八千代は本来の好奇心を躊躇うことなく発揮することが出来た。
「どうして、それを訊く?」
「気になったからよ。それ以上でも以下でもないわ」
そうなってしまった八千代に思ったことをもう一度反芻し、口にしてもいいものか、を考えるというようなまどろっこしいことはしない。
勿論、ある程度の節度は保つが、大丈夫、と判断した時の八千代はどこまでも真っ直ぐなのだ。
「この俺に、いると思うか?」
虎之助は自嘲気味な笑みを浮かべながら逆に問う。
「いてもおかしくはないと思うけど……?」
八千代がやや不安そうな表情を浮かべ、再度訊く。
その表情を見た寛大が下唇を噛み、顔を俯かせる。
虎之助が一度息を深く吐き、口を開く。
「そういえば、お前、姫なんだってな」
「……どうして、私が姫だと?」
「最終的にはそいつに訊いたけど、宮廷に住んでる時点で大体想像はつくだろう」
そう言って虎之助が寛大に視線を送る。
寛大は、どうだ、と言わんばかりに胸を張り、鼻を大きく広げる。
その様子に八千代は深い溜息を吐く。
隠していたつもりはない。しかし、他の人と同じように虎之助も媚び諂うのではないか、と思うとあえて自分から告げることはしたくなかった。
寛大の態度と表情に辟易しながら、八千代は不安を隠せなかった。
自分が思っている以上に心臓がうるさい。
口腔内に染み出る唾液をひとつ飲み込むが、すぐに出てくる唾液が口腔内を満たす。
「まあ、だからといって、何を変えるわけでもないんだがな。正直、姫だろうが、殿だろうが、俺にはどうでもいいことだから」
虎之助は思ったことをそのまま言っただけであり、何かを考えていたわけではない。
しかし、その言葉は八千代の心を打った。
八千代に近づく者は皆決まって己の利益を最優先に考え行動する。
分かりやすいほどの低姿勢で気持ち悪い笑みを浮かべる。
そういった人は皆、八千代を見ていない。
見ているのは八千代の先にある父だった。
八千代によく思われれば、それを殿である父にも伝えてくれる。
隠す気があるのならまだいい。
その思惑を隠す気がなく、むしろ知ってほしいという思いが見えてしまっているからこそ、八千代には耐えられなかったのだ。
虎之助のように関係ない体を装う人がいないわけではなかった。
そういう人たちは決まって器用な人だった。
周りへの配慮を欠かさず、常に効率的に物事を考え、無駄なことは極力省く。自分の容量を把握しており、今後、起きることであろう予測がしっかりなされている。
そんな人たちだった。
しかし、虎之助はそんな人たちとは違う。
まだ会って一日と経っていない間柄。
友人とさえ言えない関係なのに、まるで磁石で引かれ合うかのように自然に虎之助の姿を目で追っている。
だからこそ、分かる。
虎之助は打算や計算で物事を測るような人間ではなく、優しさや思いやりをしっかりと持った人間である、と。
そんな今までにない感覚の中にいる八千代を尻目に虎之助が言葉を継ぐ。
「お前の目は曇っている。俺にそんな人はいない……、というよりできるわけがないだろう。俺みたいな人間に……」
そう言って虎之助が遠くを見つめる。
決して目に映っている物を見る目ではなく、目に映らない何かを心の中で見る目。
そんな切なくも悲しい瞳をしていた。
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