41 / 70
四章
四十一話
しおりを挟む
虎之助が顔を上げる。
その顔にあるのは涙ではなく、赤く染まった頬と視線の定まらない瞳であった。
「…………じゃあ、お前が俺の生きる意味になってくれるか?」
恐る恐る虎之助が尋ねる。
寛大が再び目を見開き何かを反論しようとするが、それを遮ったのも八千代であった。
「嫌よ。そんなの」
それを八千代は間髪入れずに否定する。
虎之助が瞼を降ろし、大きく息を吐く。
――この人ならと思ったが……やはりだめだったか。
「だって、それは私が死んだらあなたも死ぬってことでしょう? それは絶対に嫌」
八千代が強くかぶりを振る。
「あなたには誰かに依存せず生きて欲しい。自分の人生を謳歌して欲しい。……そして、その手伝いを私が傍で一生するというのであれば、快く引き受けるわよ」
その瞬間、沈んでいた虎之助の表情が明るくなっていく。
「八千代様! あなたは何を言っているのか、分かっているのですか⁉」
寛大が立ち上がり激昂する。
「ええ。分かっているわ」
八千代は冷静に答える。
「いいえ! 全く分かっていません! いいですか⁉ あなたは姫様なんです! その夫となる者は例外なく、次代の殿になられるのです! それを――」
「姫様、よろしいですか?」
寛大が声を荒げる中、障子戸の外から爺の声が聞こえてきた。
「ええ、いいわよ」
八千代が答えると、障子戸が乱暴に開けられる。
「大声が聞こえましたが、何事ですか⁉」
爺が真っ先に寛大と虎之助を睨み、八千代に視線を戻す。
「いや、八千代様が」
「お前には訊いていない」
爺が口を挟もうとした寛大を一蹴する。
冷たい視線と鋭い言葉が八千代の弟という立場でありながら突き刺さる。
それに寛大は視線を落とす。
八千代が深い吐息をひとつ吐き、寛大に言葉をかける。
「寛大、その話は後でまたしましょう。それまで、他の人には言わないこと。いいわね? 父と母には私から直接言うから。絶対よ。分かったわね?」
その言葉に寛大は渋々肯定する。
「爺、父が呼んでいるんでしょう?」
「はい。殿がお呼びです」
寛大とは極端に違う口調で爺が答える。
その言葉に八千代が再び深い溜息を吐く。
「……分かったわ。行きましょう」
この後、父に事情を訊かれ説教されることを想像し辟易していたことは勿論確かだが、それ以上に今日、この気持ちを抱いたこの時、この瞬間、虎之助の傍にいることが出来ないことが大きなストレスだった。
そこで八千代はふと思いつく。
「あっ! そうだわ!」
それはなぜ今までそのことに気がつかなかったのか、と不思議になるくらい当然の流れだった。
「虎之助、とりあえず今日はもう遅いからこの部屋に泊まりなさい。すぐ戻るから」
部屋を出ようとしていた八千代が振り返りそう言うと、すぐさま寛大がそれに反論する。
「八千代様! それはいけません!」
目を剥き、頬を上気させる寛大は相当に興奮している様子であった。
「では、寛大。お前は日が変わろうとしているこの時間に、子供をひとり帰すというの? まあ、出来なくはないだろうけど、万が一、夜盗に襲われてその子が殺されたらお前は責任が取れる? 宮廷が幼い子供を真夜中にひとりで帰したからだ、と咎められたら、お前はどうするの? ただでさえそういった粗探しが好きな輩もいるのよ」
八千代がいつになく饒舌に言うと、寛大もそれに反することが出来ず、唇を尖らせる。
「……ぐ、ぐう……で、では、せめて部屋は僕の部屋を使ってください! いけませんよ! 成人を迎えていない男と女が同じ部屋で一夜を共に、というのは!」
寛大が声を荒げる。
あわよくばもっと訊けたらという思いで言ったが、それに関しては八千代も妥協しなくてはいけないだろうと考えていた。
「まあ、それもそうね。では、虎之助、部屋は寛大の部屋を使いなさい。いいわね?」
「……いや、俺は……」
虎之助がそう呟き顔を俯かせる。
母親の事、自分の体の事、今の時間……その他の事を瞬時に考え、虎之助は答えに窮する。
――人の好意に甘えてもいいものか、その後に何か、見返りを求められはしないだろうか……そうなったら、今の俺に到底返すことは出来ない……。
元来、母親以外の人に優しくしてもらったことのない虎之助にとって、人の好意は信用に値するものではなく、常に自分の利になるものを見越した上での行為である、と理解していた。そのため、素直に受け入れることが出来なかった。
それはたとえ両思いであることを確認した八千代との仲であっても変わらなかった。
そんな虎之助の思いを知ってか、知らずか、八千代は大きな瞳をさらに大きくし、
「いいわね?」
と、有無を言わさない圧力をかける。
「……分かった」
虎之助は押し切られる形で頷く。
それを見て安心したのか、八千代は少し頬の力を緩め爺と一緒に父の元へと向かう。
その顔にあるのは涙ではなく、赤く染まった頬と視線の定まらない瞳であった。
「…………じゃあ、お前が俺の生きる意味になってくれるか?」
恐る恐る虎之助が尋ねる。
寛大が再び目を見開き何かを反論しようとするが、それを遮ったのも八千代であった。
「嫌よ。そんなの」
それを八千代は間髪入れずに否定する。
虎之助が瞼を降ろし、大きく息を吐く。
――この人ならと思ったが……やはりだめだったか。
「だって、それは私が死んだらあなたも死ぬってことでしょう? それは絶対に嫌」
八千代が強くかぶりを振る。
「あなたには誰かに依存せず生きて欲しい。自分の人生を謳歌して欲しい。……そして、その手伝いを私が傍で一生するというのであれば、快く引き受けるわよ」
その瞬間、沈んでいた虎之助の表情が明るくなっていく。
「八千代様! あなたは何を言っているのか、分かっているのですか⁉」
寛大が立ち上がり激昂する。
「ええ。分かっているわ」
八千代は冷静に答える。
「いいえ! 全く分かっていません! いいですか⁉ あなたは姫様なんです! その夫となる者は例外なく、次代の殿になられるのです! それを――」
「姫様、よろしいですか?」
寛大が声を荒げる中、障子戸の外から爺の声が聞こえてきた。
「ええ、いいわよ」
八千代が答えると、障子戸が乱暴に開けられる。
「大声が聞こえましたが、何事ですか⁉」
爺が真っ先に寛大と虎之助を睨み、八千代に視線を戻す。
「いや、八千代様が」
「お前には訊いていない」
爺が口を挟もうとした寛大を一蹴する。
冷たい視線と鋭い言葉が八千代の弟という立場でありながら突き刺さる。
それに寛大は視線を落とす。
八千代が深い吐息をひとつ吐き、寛大に言葉をかける。
「寛大、その話は後でまたしましょう。それまで、他の人には言わないこと。いいわね? 父と母には私から直接言うから。絶対よ。分かったわね?」
その言葉に寛大は渋々肯定する。
「爺、父が呼んでいるんでしょう?」
「はい。殿がお呼びです」
寛大とは極端に違う口調で爺が答える。
その言葉に八千代が再び深い溜息を吐く。
「……分かったわ。行きましょう」
この後、父に事情を訊かれ説教されることを想像し辟易していたことは勿論確かだが、それ以上に今日、この気持ちを抱いたこの時、この瞬間、虎之助の傍にいることが出来ないことが大きなストレスだった。
そこで八千代はふと思いつく。
「あっ! そうだわ!」
それはなぜ今までそのことに気がつかなかったのか、と不思議になるくらい当然の流れだった。
「虎之助、とりあえず今日はもう遅いからこの部屋に泊まりなさい。すぐ戻るから」
部屋を出ようとしていた八千代が振り返りそう言うと、すぐさま寛大がそれに反論する。
「八千代様! それはいけません!」
目を剥き、頬を上気させる寛大は相当に興奮している様子であった。
「では、寛大。お前は日が変わろうとしているこの時間に、子供をひとり帰すというの? まあ、出来なくはないだろうけど、万が一、夜盗に襲われてその子が殺されたらお前は責任が取れる? 宮廷が幼い子供を真夜中にひとりで帰したからだ、と咎められたら、お前はどうするの? ただでさえそういった粗探しが好きな輩もいるのよ」
八千代がいつになく饒舌に言うと、寛大もそれに反することが出来ず、唇を尖らせる。
「……ぐ、ぐう……で、では、せめて部屋は僕の部屋を使ってください! いけませんよ! 成人を迎えていない男と女が同じ部屋で一夜を共に、というのは!」
寛大が声を荒げる。
あわよくばもっと訊けたらという思いで言ったが、それに関しては八千代も妥協しなくてはいけないだろうと考えていた。
「まあ、それもそうね。では、虎之助、部屋は寛大の部屋を使いなさい。いいわね?」
「……いや、俺は……」
虎之助がそう呟き顔を俯かせる。
母親の事、自分の体の事、今の時間……その他の事を瞬時に考え、虎之助は答えに窮する。
――人の好意に甘えてもいいものか、その後に何か、見返りを求められはしないだろうか……そうなったら、今の俺に到底返すことは出来ない……。
元来、母親以外の人に優しくしてもらったことのない虎之助にとって、人の好意は信用に値するものではなく、常に自分の利になるものを見越した上での行為である、と理解していた。そのため、素直に受け入れることが出来なかった。
それはたとえ両思いであることを確認した八千代との仲であっても変わらなかった。
そんな虎之助の思いを知ってか、知らずか、八千代は大きな瞳をさらに大きくし、
「いいわね?」
と、有無を言わさない圧力をかける。
「……分かった」
虎之助は押し切られる形で頷く。
それを見て安心したのか、八千代は少し頬の力を緩め爺と一緒に父の元へと向かう。
0
あなたにおすすめの小説
君を探す物語~転生したお姫様は王子様に気づかない
あきた
恋愛
昔からずっと探していた王子と姫のロマンス物語。
タイトルが思い出せずにどの本だったのかを毎日探し続ける朔(さく)。
図書委員を押し付けられた朔(さく)は同じく図書委員で学校一のモテ男、橘(たちばな)と過ごすことになる。
実は朔の探していた『お話』は、朔の前世で、現世に転生していたのだった。
同じく転生したのに、朔に全く気付いて貰えない、元王子の橘は困惑する。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております
紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。
二年後にはリリスと交代しなければならない。
そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。
普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…
〜仕事も恋愛もハードモード!?〜 ON/OFF♡オフィスワーカー
i.q
恋愛
切り替えギャップ鬼上司に翻弄されちゃうオフィスラブ☆
最悪な失恋をした主人公とONとOFFの切り替えが激しい鬼上司のオフィスラブストーリー♡
バリバリのキャリアウーマン街道一直線の爽やか属性女子【川瀬 陸】。そんな陸は突然彼氏から呼び出される。出向いた先には……彼氏と見知らぬ女が!? 酷い失恋をした陸。しかし、同じ職場の鬼課長の【榊】は失恋なんてお構いなし。傷が乾かぬうちに仕事はスーパーハードモード。その上、この鬼課長は————。
数年前に執筆して他サイトに投稿してあったお話(別タイトル。本文軽い修正あり)
短編【シークレットベビー】契約結婚の初夜の後でいきなり離縁されたのでお腹の子はひとりで立派に育てます 〜銀の仮面の侯爵と秘密の愛し子〜
美咲アリス
恋愛
レティシアは義母と妹からのいじめから逃げるために契約結婚をする。結婚相手は醜い傷跡を銀の仮面で隠した侯爵のクラウスだ。「どんなに恐ろしいお方かしら⋯⋯」震えながら初夜をむかえるがクラウスは想像以上に甘い初体験を与えてくれた。「私たち、うまくやっていけるかもしれないわ」小さな希望を持つレティシア。だけどなぜかいきなり離縁をされてしまって⋯⋯?
恋した殿下、愛のない婚約は今日で終わりです
百門一新
恋愛
旧題:恋した殿下、あなたに捨てられることにします〜魔力を失ったのに、なかなか婚約解消にいきません〜
魔力量、国内第二位で王子様の婚約者になった私。けれど、恋をしたその人は、魔法を使う才能もなく幼い頃に大怪我をした私を認めておらず、――そして結婚できる年齢になった私を、運命はあざ笑うかのように、彼に相応しい可愛い伯爵令嬢を寄こした。想うことにも疲れ果てた私は、彼への想いを捨て、彼のいない国に嫁ぐべく。だから、この魔力を捨てます――。
※「小説家になろう」、「カクヨム」でも掲載
「無能な妻」と蔑まれた令嬢は、離婚後に隣国の王子に溺愛されました。
腐ったバナナ
恋愛
公爵令嬢アリアンナは、魔力を持たないという理由で、夫である侯爵エドガーから無能な妻と蔑まれる日々を送っていた。
魔力至上主義の貴族社会で価値を見いだされないことに絶望したアリアンナは、ついに離婚を決断。
多額の慰謝料と引き換えに、無能な妻という足枷を捨て、自由な平民として辺境へと旅立つ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる