満月

二見

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名前の由来

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 圭一はその日から15日まで、毎日真夜中に湖に通っていた。そこで満月と交わす、他愛もない話が何よりの楽しみだった。

「秋月さん、何で一か月って言うか知ってますか? 月が新月から満ちて、また新月へ欠けていく時間が、約30日かかるからなんです。つまり、毎月同じ日はほとんど同じ月を見ることができるんですよ。例えば今月の10日が上弦の月だったら、来月の10日も上弦の月か、あるいはそれに近い月になっているんです」

 また次の日は、

「秋月さん、よく歌に出てくる、青い月って何のことか気になりますよね。あれって、ひと月の間に満月が二回来たり、大気中の塵の影響で月が青く見えたりするからそういわれているんですが、そのどちらもめったに起こらないことなんです。そのことから、19世紀半ばには、once in a blue moon なんていう熟語が生まれたんですよ。訳すとめったにない、とかそんな感じの意味になるらしいです」

 といったような、豆知識を得ることができた。
 そんな感じで時間が過ぎていき、気が付けば満月の晩となっていた。
 いつも通り圭一が湖に向かうと、いつも通り先に満月が湖に来ていた。

「いつも先を越されますね。一体何時から来ているんです?」
「それは、秘密です」

 満月は屈託のない笑顔を見せた。こんな笑顔を見せられては、追求する気も失せてしまう。

「それより、ほら。今宵は満月ですよ」

 満月は夜空に浮かぶ満月を指差した。満月は神々しい光を放っている。その満月が、湖に綺麗に反射されていた。

「すごいな。まるで湖という大きな満月に、小さな満月が重なっているみたいだ」
「また、詩的表現をしましたね。秋月さんって、ロマンチストなんですね」

 満月に指摘され、圭一は顔を真っ赤にして座り込んだ。

「は、恥ずかしい」
「まあまあ、気になさらずに」

 しばらく座り込んでいたが、ふと圭一は、

「そういえば、何で満月さんは満月って名前なんですか。良ければ、名前の由来とか教えてくれませんか」

 と頭に浮かんだ疑問を投げつけた。

「……名前の由来ですか」

 その質問を聞いた満月は、空を見上げ、右手を月にかざした。

「私の両親は、人間の人生を月の満ち欠けに例えたんです」
「月の満ち欠け?」
「はい。前にも話しましたが、新月が満月になり、また新月まで戻るのに約一か月かかります。両親はそれを人生に例えました。人は生きていくと、必ず嬉しいことや楽しいこと、または悲しいことや苦しいことに遭遇します。人生が上手くいっているときを月の満ちに、人生が上手くいってないときを月の欠けに例えたんです」
「……」

 その言葉の通りだと、今の自分の人生は月の欠けなんだな、と圭一は心の中で呟いた。

「人生は、満ちては欠けていくものなんですよ。ずっと上手く人なんていない。それと同時に、ずっと上手くいかない人もいないんです。いいことがあって、悪いことがある。それが人生なんです。だから、今辛いことがあっても、必ず後で良いことが起こるはずです。今は耐え忍んで頑張るしかないんですよ」

 その言葉は、圭一に向けられているような気がした。薄々とかもしれないが、満月は圭一の今の状況について勘付いているのだろう。

「……その、通りですね」

満月の言葉が、圭一の胸に突き刺さる。

「両親は私に人生が満ちているときには幸せに生きてほしい、できるだけ長く満ちている時間が続いてほしい、そういう想いをこめて、満月って名前に決めたらしいんです。月という文字を入れたのは、私が生まれた日が十五夜のお月様が出ていた日だから、なんですって」

 満月は胸のブローチを両手で包み、祈るような動作を見せた。

「そんな意味があったんですね。思い入れのある、いい名前ですね」
「ええ。私はこの名前が大好きなんです。だから、両親には感謝しています」

 両親。
 圭一は、しばらく会っていない両親のことを思い出していた。
 父も母も健在だ。父は薄給のサラリーマンで、毎日朝早く起きて会社に出社している。その分帰ってくる時間は早いが、家に帰ってからは酒を飲むか寝ているか、ほとんどその二択だ。母はパートで働いていて、時間はその日によって違う。昼に働いている日もあれば、夜に働いている時間もある。責任感が強いせいか、いつも他のパートやアルバイトの代行をしている。両親とも、圭一を育てるために毎日働いていた。自分の時間もほとんどとらず、ただ子供を育てるために。そんな両親を思い出していると、今の自分が情けなく思えてきた。
 情けなくて、そんな自分が惨めで、悔しさで拳を強く握りしめた。
 満月はその様子を黙って見ていた。そして、

「もし、お時間があるのでしたら、明日もここに来てくれませんか」
「え?」
「秋月さん、あなたは運がいいですよ。何ていったって、十六夜の月見ることができるんですから」
「……十六夜の月?」

 圭一には聞きなれない言葉だ。

「明日来てみればわかります。なので、明日は日が沈んだらこの湖に来てください」
「……わかりました」

 何か満月には考えがあるのだろう。圭一は意図を図ることはできなかったが、ここは素直に満月の言う通りに従うことにした。

「では、また明日、ここで」

 そう言い残し、満月は森の奥へと消えていった。
 彼女は一体どこからこの湖に来ているのだろうか。この際思い切って明日聞いてみよう。そう圭一は決心した。
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