恋してしまった、それだけのこと

雄樹

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第五章【未来14歳/沙織26歳】

第61話 春になったね【未来14歳/沙織26歳】

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 合格発表の日の朝。

 カーテンのすき間から零れ落ちてくる陽射しの暖かさが、冬のものとは違っていた。淡く白く、キラキラと輝いていて、揺れる空気が春の訪れをしめしている。

 ほんの少しだけ、甘い匂いを含んでいるような気がする。



(もう春なんだ、な)



 私は制服に着替えると、胸のリボンをきゅっと結んで、息を吐く。泣いても笑っても、今日、決着がつく。



「あーねーちゃーー、おきたー」



 つむぎがトコトコと歩いてきて、そのまま私の足にしがみつく。その柔らかいほっぺたが足にあたり、ぎゅっと抱きしめてくるその手の力が心地よい。



「つむぎ、おはよう」

「あーよー!」



 もう、毎日可愛いなぁ。会うたびに、可愛らしさ世界ランクを更新し続ける妹の頭をぽんぽんと叩くと、しゃがみこんで、つむぎと目線を合わせる。



「お姉ちゃん、頑張ってくるよ」

「がんばえー!」



 笑うつむぎに癒されつつ、リビングに出る。

 いつも通り、テーブルで新聞を読みながらコーヒーを飲んでいたお父さんをみて、「おはよう」と声をかける。



「おはよう、未来。発表は高校の掲示板だったよね」

「うん。今時ネットでの発表じゃないなんて、変わってるよね」

「それが伝統、らしいね」



 お父さんは手にしていたコップをそっとテーブルに置くと、私を見つめてきた。



「本当に、車で送っていかなくていいのかい?」

「うん、大丈夫。ゆっくり電車で行くよ」



 私の家から高校までは電車で30分ほどの距離だ。この、近いような、遠いような微妙な距離が、そのまま私と沙織さんとの間の距離でもあった。

 私は今日、それを超えに行く。



「それじゃ、行ってくるね、お父さん、つむぎ」



 2人に声をかけた後、大事にたてられている、お母さんの写真にも手を振る。



「お母さんも。行ってくるね」



 いってらっしゃい、と、応えてくれたような気がする。

 私は玄関の扉をあけ、春が近づいてきている陽光を一身に浴びた。



 桜は…ちゃんと、咲くだろうか?




■■■■■




 電車の中。

 乗客の姿は少なく、余裕で座ることができた。

 揺られながら、外の景色を見る。



(高校に受かったら、毎朝、この電車に乗って通うことになるんだよね)



 そう思うと、また緊張してきた。

 心臓がどくんどくんと脈打っているのが分かる。



(大丈夫…絶対に、大丈夫)



 試験の手ごたえはあった。勉強していたことが、ちゃんと出ていた。大丈夫…間違いない。そう自分に言い聞かせる。やれるだけのことはやったのだから、あとは天に身を委ねるだけだ。



(でも)



 やはり、絶対ではない。手のひらが汗ばんでいるのがわかる。受かっていれば、沙織さんに近くなれる。でも、もしも落ちていたら…



(ううん、考えるな)



 スマホを取り出して、画面を眺める。

 朝、沙織さんから届いていたメッセージを見る。



『未来、信じてる。待っているから、ね』



 たった一行。

 でも、それだけで、私にはいろんな想いが伝わってくる。暖かさが胸の奥にじんわりとしみ込んできて、優しくて、柔らかくて、そして、泣きそうになる。



 うん。沙織さん。いま、行くから。

 追いつくから。

 待っていて、ね。




■■■■■




 校門の前にはたくさんの人がいた。

 泣いている人、笑っている人、誰かに連絡をしようとスマホを手に持って話しかけている人、笑い声、ため息、その全部が混ざり合って、ざわついている。



「未来、おはよう」



 声をかけてきたのは、凛だった。

 いつも通りの、綺麗な黒髪。白い肌が陽光に照らされて、まるで名工の作った白磁の陶磁器のように艶めかしい。



「凛、おはよう」



 少し緊張したまま、こたえる。見てみると、やっぱり凛の後ろに葵の姿も見える。凛とちがって短くまとめた髪。少しやけた肌。もとは同じふたごなのに、少しずつ違ってみえるのは、重ねた年月のちがいからなのだろうか。



「葵も、おはよう」

「おはよう」



 返事がかえってくる。こちらは先ほどの凛の挨拶とは違って、あまり熱が入ってはいなかった。相変わらず、だなぁ。

 いつも通りの反応に、かえって緊張がほぐれてくる。



「それじゃ、見に行こうか」

「うん、一緒に、ね」

「未来、緊張してる?」

「さすがに…してる」

「そっか」



 凛が近づいてきて、そっと、手を握ってくれる。



「未来なら…大丈夫だよ。一緒の高校に、行こうね」



 そう言って、笑う。凛の成績なら、望めばどんな高校にだって行けるはずなのに、凛が選んだ高校は私の志望校と同じだった。

 凛の人生を、私が変えてしまったのかもしれない…なら、ちゃんと責任をもたないといけないな、と思う。

 ちなみにその後ろで、葵ががるる…といった表情で睨んできている。まるで忠犬みたい、と、ちょっと不謹慎な想像をしてしまう。忠犬葵、いいかも。



「さ、行こう」



 掲示板に近づくたび、心臓が強く脈打つ。

 風が髪を揺らす。桜のつぼみは…ちゃんと咲くのだろうか。



 番号が並んでいる。

 全部の番号があるわけではない…とぎれとぎれに、何番か番号を飛ばして、まるで出来損ないの数列のようだ。

 目が走る。

 指先が震える。



(…あった)



 一瞬、世界が止まった。

 空気の音も、風の音も、なにもかもが全部なくなって、ただひとつ、数字だけがあった。



(私の、番号)



 私の、未来。

 沙織さんとの…未来。



「やった…ぁ」



 嬉しい。しびれるほど、嬉しい。

 思わずその場にしゃがみ込み、誰にも気づかれないように、小さなガッツポーズをする。あった。あった…。私の未来が、ちゃんとここにあった。



「おめでとう、未来!」



 背中の上から声がする。

 と思ったら、背中が暖かくなった。柔らかいなにかが、私を包み込んでくる。凛が、私に覆いかかってきていた。



「凛…」

「これで、一緒に通えるね!」



 立ち上がり、凛を見つめる。

 端正な和風人形のような凛が、満面の笑顔でピースサインをしている。



「凛も、あった?」

「もちろん。あと、葵も」

「あったよー」



 こっちはダブルピースをした後、べーっと舌を突き出してきた。こいつめ、はは。



 嬉しくて、嬉しくて、3人で抱き合って、そのまま「やったー!」と笑いあう。やった…やったぁ。力が抜けて、その場にへたり込んでしまいそうになる。

 お互いを讃えあい、頭をくしゃくしゃにしながら、空を見つめる。



 晴れ渡った、透き通った空。



 伝えたい人がいる。

 一番伝えたい人がいる。

 私が視線を戻すと、凛が、ちょっとだけ悲しそうな顔をして、笑った。



「いっておいでよ」

「…え?」

「私と葵は、ちょっと寄るところがあるから、別の電車で帰るから」

「凛…?」

「未来には…一番に伝えたい人が、いるんでしょう?」

「…うん」



 有難う、凛。

 そして、ごめんね、凛。



 私は手をふって、振り返って、走り始めた。

 後ろから、「…未来、頑張ってね」という凛の声が聞こえてくる。

 その声に押されるようにして、私は、走る。



(沙織さん)



 私の、大好きな人。

 私の、一番大切な人。

 私の、彼女。世界一の、彼女。



 この気持ちを、真っ先に伝えたい。

 ポケットからスマホを取り出そうとして、そこで指が止まった。



 違う。

 この気持ちは、文字じゃ足りない。

 会いたい。 

 会って、直接、伝えたい。

 この、溢れんばかりの、キラキラした、暖かい気持ちを。



 約束していた場所へと走る。

 坂道を駆け上がる。

 風が頬にあたる。

 春を含んだその風は、熱くてたまらなかった。

 足が止まらない。

 一秒でも、一瞬でも早く、沙織さんに会いたい。



 そして。



「未来」



 坂の上で、春の光に包まれたその人が、私を待ってくれていた。



 白いコートに、淡いピンクのストール。

 誰よりも素敵なその黒髪が、光の中でキラキラと煌めいている。



「…沙織さんっ」



 息を切らして立ち止まる。飛びつきたい。誰の目も気にしないで、飛びついて、抱きしめてもらいたい。



「私…わたし、ね」

「…うん」

「受かったよ…沙織さんの高校、受かったよ!」



 涙があふれてくる。

 頬が震えている。

 沙織さんは、にっこりと笑ってくれて。



「おめでとう…未来」



 私の方へと、駆け寄ってくれた。

 おめでとう…おめでとう。



 そう言って、ぎゅっと、ぎゅーっと私を抱きしめてくれる。



「よく頑張ったね」

「…うん。うん。私、頑張ったよ、頑張ったんだよ」



 沙織さんの匂い。春の匂い。

 柔らかな沙織さんの体温に包まれて、全身を包み込まれて、まるで、世界の冬が一瞬で終わったような気がした。



 白い光。

 春の、光。





 私は沙織さんと手をつないで、坂道を歩いてのぼっていた。



「この先にね、私のお気に入りの場所があるの」



 沙織さんは笑って、私を引っ張ってくれている。

 坂道の両端には桜の木が植えてあって、つぼみが開き始めているのが分かった。春が近づいてきている。まるで私たちみたい、と思った。



「沙織さん」

「なぁに、未来?」

「これで、毎日、沙織さんに会えるんですね」

「そうだね…嬉しい?」

「すっごく!」



 嬉しいです。嬉しいに、決まっているじゃないですか!一歩一歩坂道をあがりながら、握った手をさらに強く握りしめる。



「私も…嬉しい。嬉しい、けど」

「けど?」

「学校では…私は、水瀬先生、だよ」

「分かってます」



 わかって、います。

 私と沙織さんは、先生と、生徒。

 学校では、それ以上の関係でも、それ以下の関係でもない。

 けど。けど。



「沙織さん、今は?」

「ん?」

「いま、手を握ってくれている、この沙織さんは、先生じゃないよね?」

「…うん」



 沙織さんが少し笑って、握っていない方の手で、私の頭を撫でてくれた。



「今の私は、水瀬沙織。あなたの…彼女」



 彼女。彼女。

 その響きが、嬉しくて、あたたかくて、死にそう。



 坂道が終わり、人気のない公園についた。

 そこは小さな公園で、ちょっと歩けば端までたどりつける。

 私と沙織さんは手を握ったまま、そこまで一緒に歩いて行って、そのまま眼下に広がる街を見下ろした。



「…すごい」

「でしょ?私、時々ここに来るの。ここに来て、街を見て、ひとりで物思いにふけるのが好き」



 広がる街。私が住んでいる田舎より、よっぽど大きい街。沙織さんが住んでいる街。そしてこれから、私が通う街。



「海、見えるかな」

「天気のいい日だったら、遠くにかすかに見えることもあるんだけどね」



 沙織さんが目を細める。風が吹いて、横のその沙織さんの表情が、限りなく素敵に見える。



 もう、駄目だ。

 湧き上がる想いを抑えることなんて…できない。



「沙織さん」

「うん」

「私、高校生になります」

「うん」

「…もう、子供じゃありません」



 それでも、まだまだ、子供だよ、と言いたそうな目をしている沙織さんを見て、その目を逸らさずに、まっすぐに見つめ返す。

 もう、背の高さはほとんど変わらない。

 もう、見上げていた、8歳の頃の私じゃない。

 同じ視線で、視線を受け止めることができるようになったんだ。



「沙織さん、大好きです。ずっとずっと、初めて会った時から、大好きです」

「…うん」

「この気持ち…もう止まりません。私、沙織さんが、欲しいんです」



 沙織さんは、少しだけ寂しそうで。

 でも、すぐに、私を見つめ返して、私の視線を受け止めてくれて。



「未来…おいで」



 小さく頷いて、私を導いてくれた。

 もう、迷わない。

 沙織さんに近づいて、顔を、近づけて。

 沙織さんが、そっと私の頬に手を添えてくれた。暖かい指先。その指先が触れるだけで、痺れて暖かくて気持ちよくなる。



 目を閉じる。

 沙織さんの呼吸音が近づいてくる。

 沙織さんの香りが近づいてくる。

 暖かくて。柔らかくて。



 気持ちよくて。



 唇。



 唇と、唇。



 そっと、触れるように、押し付けるように。

 私は。



 沙織さんと、キスをした。



 沙織さんが、キスをしてくれた。



 溶けそう。

 溶けてる。



 私の唇が、沙織さんの唇に触れている。

 沙織さんの唇の感触。柔らかい。

 

 ずっと、こうしていたい。



 私、愛されてる。

 すっごく、伝わる。

 すごい。



 言葉を交わさなくても、気持ちって、こんなにはっきりと伝わるものなんだ。沙織さんの気持ちが伝わってきているってことは、私の気持ちも伝わっているってことで。



 好きです。

 好きです。

 大好きです。



 沙織さんの唇…気持ちいいです。

 私の唇…気持ちいいですか?

 私、ちゃんと、沙織さんを気持ちよくできてますか?



 ずーっと。

 ずっと永遠に続きそうだったその時間も、永遠には続かなくて。



 唇が、離れる。

 それと同時に、目を開ける。



 近い。

 沙織さんの目が、私の目のすぐそばにある。



 キスってすごい。

 こんなに、近づくんだ。

 距離がゼロとゼロになるんだ。



 真っ赤。

 沙織さん、顔が真っ赤。

 たぶん、私も真っ赤。

 2人とも、真っ赤っか。



「キス、しちゃった…」

「キス、しちゃいましたね…」



 2人とも、最初に零れた感想が、それだった。

 もっとロマンティックなこといえなかったのかな、と思ったけど、真っ先に思いついた感想がそれだったのだから、仕方がない。



 えへへ。

 えへへへへへ。



 私たち、キスした彼女同士になっちゃった。



「本当なら、大人の私が我慢しなくちゃいけないのに…我慢、できなかった…」



 沙織さんが、汗をかきながら、おろおろしながらそう言っていた。なんかおかしくて、なんか愛おしくて、そんな沙織さんをずっとずっと見ていたくなる。



「我慢なんてしなくていいんですよ。私、沙織さんの彼女なんだから、私のこと、好きにしてくれてかまわないんですからね」

「…それは、駄目でしょう…一応、私、教師なんだし…」



 一応がついちゃった。その一応って、言葉、とれるかな。



「えへへ。えへへへ。私のファーストキス、沙織さんに捧げちゃった」

「…も」

「ん?」

「…私、も」



 照れてこぼした私のその言葉に、沙織さんが耳まで真っ赤にしながら、うつむきつつ、さっきまで私の唇が触れていたその唇を手で隠しながら、すっごく恥ずかしそうに、ぼそっとつぶやいた。



「私、も、ファーストキス…」

「あ」

「私のファーストキスも…未来に…奪われちゃった…」



 あ。

 えへ。

 えへへへへへへ。



 私だけが。

 世界で、私だけが。

 たった一人、私だけが。



 沙織さんの唇の味、知っているんだ。



「沙織さんっ」



 私は、沙織さんに抱き着いた。我慢なんてできなかった。愛おしくて、いとおしくて、年の差なんて関係ない、叔母と姪っ子だなんて関係ない、女同士だなんて関係ない、私は、ただ、沙織さんが大好きで、好きで、好きで、抱きしめたくて、欲しくて、全部ほしくて、たまらないんだ。



「これから先も、たくさん、キスしましょうねっ。沙織さんがキスしていいのは、私だけなんですからねっ」



 ぎゅーって、する。

 ぎゅーって、抱きしめかえしてくれる。



 私に抱きしめられながら、沙織さんが、また、ぼそっと、可愛い声で呟いてくる。



「…未来がキスしていいのも…私だけ…だからね」

「はいっ」



 それこそ、望むところだった。

 私の望むすべてが、いま、私の手の中にあった。



 風が吹いてくる。

 春をのせた風が。



 桜の花びらが一枚だけ、私たちの間に落ちてきた。

 今は一枚だけの桜も、もうすぐ、満開の桜になるのだろう。



「春になったね」

「うん。やっと…春になりました」



 遠いと思っていた、春が、来る。




 私は、この春、高校生に、なる。



 沙織さんの、隣で。

 沙織さんの、見つめる未来の中、で。
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