奴隷魔族の私に、幸せは訪れない〜救いを求めた少女が、世界の敵になるまで〜

鹿の子

文字の大きさ
17 / 97

救うべからざる者

しおりを挟む


リアムの唇から、それまで浮かんでいた人好きのする笑みが、すっと消えた。

彼の視線は、オルレアン侯爵の芝居がかった賞賛の声と、それに和する貴族たちの拍手の向こう側、執事に先導されて人混みの中へと消えていくゼノンと、その傍らに寄り添う少女の後ろ姿を、鋭く捉えていた。

その光景が、彼の脳内で、ある種の警鐘を鳴らした。

*あの馬鹿、本気で選びやがったのか。よりによって、あんな曰く付きの娘を。ただの気まぐれか、それとも…いや、あの表情はただごとじゃない。*

普段の軽薄な態度は、彼の本質を覆い隠すための、計算された仮面に過ぎない。

その仮面の下にあるのは、神聖ルミナール帝国の牧師として、そしてゼノンという、あまりにも脆く、理想主義的な英雄の監視役としての、冷徹な分析眼だった。

彼は隣に座るフィオナの方へ、僅かに身を乗り出した。

その声は、周囲の喧騒にかき消されるほど低く、しかし、確かな緊張を帯びていた。

「フィオナ。一体何があった?あの娘は、何者だ」

フィオナは、手にしたワイングラスの中で揺れる深紅の液体を、無感情に見つめていた。

リアムの問いかけに、彼女は視線を動かすことなく、その唇の端を、侮蔑の形で歪めた。

「何者、か。問うまでもない。あれは、汚泥よ。魔族の血が混じった、ただの雑種。そして、あの愚かな騎士様は、その汚泥に、自ら手を伸ばした」

彼女の声は、冬の湖面を滑る風のように冷たく、その一言一句に、魔族という存在に対する生理的な嫌悪が滲み出ていた。

彼女はゆっくりとグラスをテーブルに置くと、その琥珀色の瞳をリアムに向けた。

「あの娘は、計画的にゼノンを誘惑した。涙と媚態で、彼の憐憫を誘ったのよ。そして、彼は、見事にその罠に嵌った。英雄が、戦場で屠るべき敵の血を引く奴隷を、夜伽の相手に選ぶ。これ以上の醜聞があるかしら。これが帝国の本国に伝われば、彼の、そして我々の威信は、地に落ちる」

*やはりか。あの時、奴が感じ取っていたのは、単なる魔力の残滓ではなかった。六年前の、あの娼館での記憶が、亡霊のように奴に取り憑いていたのだ。あの時から、奴の心には、魔族に対する「憐憫」という名の、致命的な毒が巣食っていた。*

リアムの顔から、完全に表情が抜け落ちた。

フィオナの言葉は、彼の最悪の懸念が、現実のものであったことを証明していた。

ゼノンの個人的な感情。

六年前から続く、あの少女に対する歪んだ罪悪感。

それが、今、共和国との微妙な関係や、帝国軍人としての立場という、より大きな任務全体を、根底から揺るがしかねない危険因子と化していた。

*許容できない。ゼノン・アルトリウスは、帝国の「断罪の槍」であり、個人の感情で動くことを許された存在ではない。彼の感傷は、帝国に対する裏切り行為に等しい。俺の任務は、奴を英雄として機能させることだ。そのためならば、どんな非情な手段も厭わない。*

彼の心の中で、冷たい決意が固まった。

友としての情ではない。

任務遂行者としての、非情な論理。

彼は、席を立った。

その動きには、一切の迷いがなかった。

「行くぞ、フィオナ。あの馬鹿が、取り返しのつかない過ちを犯す前に、その目を覚まさせてやる」

フィオナもまた、無言で立ち上がった。

彼女の瞳には、リアムとは質の異なる、しかし同じ方向を向いた、冷酷な光が宿っていた。

二人の間に、言葉はもはや不要だった。

リアムとフィオナは、まるで獲物を追う二頭の獣のように、音もなく、そして迅速に、祝宴の喧騒を抜け出した。

彼らは、媚びた笑いを浮かべて挨拶してくる貴族たちを、視線一つで黙らせ、最短距離で、ゼノンたちが向かった回廊へと進んだ。

大理石の長い廊下の先、豪奢な客室へと続く扉の前で、彼らはその姿を捉えた。

執事が、恭しく扉を開けようとしている。

その背後には、虚ろな表情で立ち尽くすゼノンと、その腕に、まるで最後の命綱のように縋り付くリリスの姿があった。

「そこまでだ」

リアムの声が、静かな廊下に、厳かに響いた。

それは、いつもの冗談めかした口調とは似ても似つかぬ、有無を言わさぬ、絶対的な命令の響きを持っていた。

執事の肩が、びくりと震えた。

彼はゆっくりと振り返り、そこに立つリアムとフィオナの姿を認めると、その顔から血の気が引いた。

融合級の実力者二人が放つ、剥き出しの威圧感。

それは、一介の執事が耐えられるものではなかった。

「リアム様…フィオナ様…これは、一体…」

リアムは、その執事の言葉を、冷たい視線で遮った。

「ここは、我々帝国の者で話がある。貴様は下がれ。オルレアン侯爵には、私から後で話を通しておく」

その言葉は、拒絶を許さない。

執事は、ゼノンの方を窺うように見たが、当のゼノンは、まるで魂が抜け落ちたかのように、何の反応も示さない。

執事は、この状況が、自分の手に負えるものではないことを、瞬時に悟った。

彼は、深く、深く頭を下げると、足音を忍ばせて、その場から逃げるように去っていった。

重厚な扉の前、長い廊下に、四人だけが取り残された。

リアムとフィオナは、ゼノンとリリスの前に、まるで壁のように立ちはだかった。

フィオナの琥珀色の瞳は、隠そうともしない、剥き出しの憎悪と侮蔑を込めて、リリスの全身を舐め回すように見ている。

リリスは、その視線に射抜かれ、思わずゼノンの腕の後ろに、その小さな身体を隠した。

リアムは、凍りついたままのゼノンの顔を、真っ直ぐに見据えた。

そして、その口から放たれた言葉は、友情の欠片も含まない、鋼のように冷たく、そして鋭い、刃そのものであった。

「ゼノン。貴様、一体何を考えている」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

拾った年上侯爵が甘え上手すぎて、よしよししてたら婚約することになりました

星乃和花
恋愛
⭐︎火木土21:00更新ー本編8話・後日談8話⭐︎ 王都の市場で花屋をしているリナは、ある朝―― 路地裏で倒れている“美形の年上男性”を拾ってしまう。 熱で弱っているだけ……のはずが、彼はなぜか距離が近い。 「行かないで」「撫でて」「君がいると回復する」 甘えが上手すぎるうえに、褒め方までずるい。 よしよし看病してあげていたら、いつの間にか毎日市場に現れるようになり、 気づけば花屋は貴族の面会所(?)になっていて―― しかも彼の正体は、王都を支える侯爵家の当主だった!? 「君は国のために必要だ(※僕が倒れるから)」 年上当主の“甘え策略”に、花屋の心臓は今日ももたない。 ほのぼの王都日常コメディ×甘やかし捕獲ラブ、開幕です。

忘れ去られた婚約者

かべうち右近
恋愛
『僕はレベッカしか選ばない』 甘い声音でそう話したはずの王太子サイラスは、レベッカを忘れてしまった。 レベッカは、王太子サイラスと付き合っていることを、ある事情により隠していた。舞踏会で関係を公表し、婚約者に指名される予定だったのに、舞踊会の夜にサイラスは薬を盛られて倒れ、記憶喪失になってしまう。 恋人が誰なのかわからないのをいいことに、偽の恋人が次々と名乗りをあげ王太子の婚約者の座を狙ってくる。おかげで不信に陥ったサイラスに、レベッカは自分が恋人だと名乗り出せなくなってしまった。 サイラスの記憶喪失を解消するため、薬師兼魔女であるレベッカは恋人であることを隠しながら、事件調査を協力することになった。そうして記憶が戻らないまま二人の距離は再び近づいていく。だが、そんなおりにサイラスの偽の恋人を名乗りでた令嬢たちが、次々と襲われる事件も起き始めて……!? ※他のサイトにも掲載しています。 毎日更新です。

夫と愛し合った翌朝、一方的に離縁されました【完結保証】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
美しい公爵夫人マルグリートは、冷徹な夫ディートリヒと共に、王国の裏で密かに任務をこなす“悪女”。 だがある日、突然夫から離婚を言い渡される。しかもその裏には、平民の愛人の存在が──。 失意の中、王命で新たな婚約者・エルンストと結ばれることに。 どうやら今回の離婚再婚は、王家の陰謀があるよう。 「悪女に、遠慮はいらない」 そう決意した彼女は、華やかな舞踏会で王に真っ向から言い放つ。 「わたくし、人の家庭を壊しておきながら悪びれない方に、下げる頭は持っていませんの。  王族であられる前に、人におなりくださいませ。……失礼」 愛も、誇りも奪われたなら── 今度はこの手で、すべてを取り戻すだけ。 裏切りに燃える、痛快リベンジ・ロマンス! ⚠️本作は AI の生成した文章を一部に使っています。タイトル変えました。コメディーです。主人公は悪女です。

私の息子を“愛人の子の下”にすると言った夫へ──その瞬間、正妻の役目は終わりました

放浪人
恋愛
政略結婚で伯爵家に嫁いだ侯爵令嬢リディアは、愛のない夫婦関係を「正妻の務め」と割り切り、赤字だらけの領地を立て直してきた。帳簿を整え、税の徴収を正し、交易路を広げ、収穫が不安定な年には備蓄を回す――伯爵家の体裁を保ってきたのは、いつも彼女の実務だった。 だがある日、夫オスヴァルドが屋敷に連れ帰ったのは“幼馴染”の女とその息子。 「彼女は可哀想なんだ」 「この子を跡取りにする」 そして人前で、平然と言い放つ。 ――「君の息子は、愛人の子の“下”で学べばいい」 その瞬間、リディアの中で何かが静かに終わった。怒鳴らない。泣かない。微笑みすら崩さない。 「承知しました。では――正妻の役目は終わりましたね」

お久しぶりです旦那様。そろそろ離婚ですか?

奏千歌
恋愛
[イヌネコ] 「奥様、旦那様がお見えです」 「はい?」 ベッドの上でゴロゴロしながら猫と戯れていると、侍女が部屋を訪れて告げたことだった。

最弱白竜ですが、なぜか学園最強の銀竜に番認定されました

めめめ
恋愛
竜の血を引く者だけが貴族になれるこの世界で、白竜は最も格の低い竜の証。 白竜の男爵令嬢リーゼロッテは、特待生として国内最高峰の王立竜騎学園に入学する。待っていたのは上位貴族からの蔑みと、学園を支配する四人の御曹司「四竜」。 その筆頭、銀竜公爵家の嫡男ルシアンに初日から啖呵を切ったリーゼは、いじめと嫉妬の嵐に巻き込まれていく。 それでも彼女は媚びない、逃げない、折れない。 やがてルシアンはリーゼから目が離せなくなり―― 白竜の少女が、学園と王国の運命を変える。 身分差×竜×学園ラブファンタジー、開幕。

皆様ありがとう!今日で王妃、やめます!〜十三歳で王妃に、十八歳でこのたび離縁いたしました〜

百門一新
恋愛
セレスティーヌは、たった十三歳という年齢でアルフレッド・デュガウスと結婚し、国王と王妃になった。彼が王になる多には必要な結婚だった――それから五年、ようやく吉報がきた。 「君には苦労をかけた。王妃にする相手が決まった」 ということは……もうつらい仕事はしなくていいのねっ? 夫婦だと偽装する日々からも解放されるのね!? ありがとうアルフレッド様! さすが私のことよく分かってるわ! セレスティーヌは離縁を大喜びで受け入れてバカンスに出かけたのだが、夫、いや元夫の様子が少しおかしいようで……? サクッと読める読み切りの短編となっていります!お楽しみいただけましたら嬉しく思います! ※他サイト様にも掲載

復讐の悪女になるはずが、天使系義兄からピュアな執着と溺愛で邪魔されてます!

鈴宮(すずみや)
恋愛
 サウジェリアンナ王国の王女エルシャは、不幸だった前世の記憶を持って生まれてきた。現世ではみんなから愛され、幸せになれると信じていたエルシャだったが、生後五ヶ月で城が襲撃されてしまう。  絶体絶命かと思いきや、エルシャは魔術師の男性から救出された上『リビー』という新たな名前を与えられ、養女として生きることに。  襲撃がジルヴィロスキー王国によるものと気づいたリビーは、復讐のため王太子妃になることを思いつく。けれど、義理の兄であるゼリックがあまりにもリビーを溺愛するため、せっかく王太子アインハードに近づくことに成功しても、無邪気に邪魔され計画がうまく進まない。  ゼリックの干渉を減らすためリビーは彼の婚約者を探したり、ゼリック抜きでアインハードとお茶をして復讐を成功させようと画策する。  そんな中、十六歳に成長したリビーはアインハードと同じ学園に入学し、本格的なアプローチを開始する。しかし、ゼリックが講師として学園へ来てしまい、チャンスをことごとく潰されてしまう。 (わたしは復讐がしたいのに!)  そう思うリビーだったが、ゼリックから溺愛される日々はとても幸せで……?

処理中です...