奴隷魔族の私に、幸せは訪れない〜救いを求めた少女が、世界の敵になるまで〜

鹿の子

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覚醒級になる!

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夕暮れの陽光がギルドホールのステンドグラスを透過し、床に色とりどりの模様を描き出している。

リリスはカウンターの前に立ち、受付の女性から差し出された革袋を、震える手で受け取った。

ずしりとした重みが、彼女の掌に確かな現実として伝わる。300ドル。彼女が初めて、自身の力で勝ち取った報酬。

それは、かつて屈辱と引き換えに与えられた施しとは全く異質の、誇りという名の金属の重みを持っていた。

彼女がその感触を確かめるように硬貨の袋を握りしめていると、背後から低い声がかかった。

「初仕事にしては上出来だ」

振り返ると、腕を組んだオーギュストが、壁に寄りかかるようにして立っていた。

その顔にはいつものように感情の色は乏しいが、リリスを見つめる瞳には、道具の性能を確かめた職人のような、微かな満足感が滲んでいる。

リリスは慌てて背筋を伸ばし、師に対して頭を下げた。

「ありがとうございます……オーギュストさんのおかげです」

「俺が教えたのは使い方だけだ。それを振るい、血の匂いに耐え、任務をやり遂げたのはお前自身だ」

オーギュストは壁から体を起こし、リリスのもとへ歩み寄った。

「その力は、ただ敵を殺すだけの槌ではない。使い方次第では、壁を彫る鑿にも、糸を通す針にもなる。だが、今のお前はまだ、その槌を力任せに振り回しているに過ぎん」

彼の言葉は、森での戦闘を的確に言い当てていた。リリスはただ、敵を貫き、破壊することしか考えていなかった。

*もっと精密に、もっと効率的に……。*

リリスの中で、新たな課題が形作られていく。

「次の段階へ進む。お前を覚醒級へ昇格させるための、判定任務だ」

オーギュストの言葉に、リリスは息を呑んだ。

覚醒級。それはギルドの中でも一人前の戦力として認められた者に与えられる階級。月収は6000ドルにも達するという。それは今のリリスにとって、想像もつかない大金であり、そして何よりも、確固たる「居場所」の証明だった。

「任務内容は、このギルドの地下倉庫に巣食った害獣……ドブネズミの駆除だ」

オーギュストはこともなげに言ったが、リリスはその任務に込められた意図を即座に理解した。

地下倉庫。それは森のような開けた場所ではない。狭く、入り組んだ、障害物の多い空間。

そこで力を振るうことは、広大な森で大木を切り倒すことよりも、遥かに繊細な技術を要求される。

これは、彼女の力の精密な制御能力を試すための、試験なのだ。

*私は、まだ試されている。*

*この力が、本当に「道具」として扱えるのかを。*

リリスの心に、恐怖よりも強い闘志が燃え上がった。

「やらせてください」

彼女は顔を上げ、オーギュストの目を真っ直ぐに見返した。

その瞳に宿る決意の光を見て、オーギュストは初めて、口の端に微かな笑みを浮かべた。

ギルドの地下へと続く石の階段は、湿った空気とカビの匂いを運んでくる。

オーギュストから渡された古びた鍵で分厚い木製の扉を開けると、むわりとした淀んだ空気がリリスの顔を撫でた。

一歩足を踏み入れると、そこは闇だった。

壁際に備え付けられた魔石灯に自身の魔力を注ぐと、ぼんやりとした青白い光が灯り、通路の全貌を浮かび上がらせる。

そこは、迷路のように入り組んだ狭い通路だった。両側には埃を被った木箱や樽が無造作に積み上げられ、足元には得体の知れない液体が溜まっている。

そして、鼻をつく悪臭。腐敗した食料と、獣の糞尿が混じり合った、不快な匂い。

その瞬間、リリスの脳裏に、忌まわしい記憶が鮮明に蘇った。

煤の底。

法も秩序も存在しない、最下層の貧民窟。

同じように狭く、汚く、悪臭に満ちた路地裏で、彼女は幾度となく男たちの暴力に晒された。

体が震え、呼吸が浅くなる。足がすくみ、一歩も前に進めない。

暗闇の向こうから、あの時の嘲笑が聞こえてくるような気がした。

リリスは強く首を振り、その幻聴をかき消す。

杖を握る手に力を込める。冷たい樫の木の感触が、彼女を現実へと引き戻した。

*違う。*

*私はもう、あの時の私じゃない。*

彼女は、守られるだけの無力な少女ではない。

この手には、守るための力がある。

リリスは杖を胸の前に構え、決意を固めるように、教わった言葉を低く紡いだ。

「――大地に眠る咎の種よ」

その声は、地下の淀んだ空気を震わせ、彼女自身の魂に響き渡る。恐怖を振り払うための、聖句となって。

彼女は目を開き、迷いのない足取りで、闇の奥へと進んでいった。

通路の角を曲がった瞬間、闇の中から複数の赤い光点が、一斉にリリスに向けられた。

キーキーと甲高い鳴き声が響き渡る。

魔鼠だ。体長50センチはあろうかという大きさで、全部で五匹。その口からは、病原菌を媒介しそうな黄色い牙が覗いている。

リリスは即座に杖を構え、練習通りに詠唱を開始した。

「深紅の棘よ、眠りを食みて目覚めよ!」

声にまだ硬さはあるが、森での経験が彼女に自信を与えている。

「我が魂を供物とし、一輪の贖罪を捧ぐ!」

魔鼠たちが一斉に地面を蹴り、壁を伝って立体的に襲いかかってくる。

「汝、我が敵の血肉を喰らい、その骸に咲き誇れ!」

リリスは詠唱の最後の一節を叫んだ。

「咲き散れ――【紅茨】!」

右腕から真紅の茨が撃ち出される。

しかし、森の中とは勝手が違った。

まっすぐに放たれた茨は、先頭の一匹を貫いたものの、その勢いのままに対面の壁に激突し、バキンと音を立てて砕け散った。

その隙に、残りの四匹がリリスに殺到する。

*しまっ……!*

リリスは咄嗟に身を翻し、短剣を抜いて牙を弾いた。

金属と牙がぶつかる甲高い音が、狭い通路に反響する。

体勢を立て直し、距離を取る。

*ただ真っ直ぐ放つだけではダメだ。*

*この狭さでは、力が分散してしまう。*

*もっと……もっと精密に。*

リリスは呼吸を整え、再び杖を構えた。

今度は、イメージをより具体的に描く。

茨の「長さ」を限定し、その「軌道」を意のままに操る。

「穿て――【紅茨】!」

再び放たれた茨は、先ほどよりも細く、そして短い。

それは、一匹の魔鼠の喉を正確に貫くと、勢いを殺さずにしなやかにカーブし、壁を伝って背後のもう一匹の眉間を串刺しにした。

二匹の魔鼠が、声も上げずに絶命する。

*できる……!*

確かな手応えが、リリスの全身を貫いた。

残るは二匹。

彼女はさらに集中力を高め、新たな力の使い方を試みる。

「咲き誇れ――【紅茨】!」

今度は、一本の太い茨ではない。

彼女の腕から、無数の細い茨の蔓が、まるで蛇のように床を這い、壁を伝って広がっていく。

二匹の魔鼠は、逃げ場を失い、瞬く間に茨の蔓に絡め取られた。

そして、その体内で、一斉に真紅のバラが咲き誇る。

リリスは、静かにその光景を見つめていた。

もはや、罪悪感はない。ただ、自らの力が、意のままに制御されていくことへの、冷徹な満足感だけがあった。

地下倉庫に巣食っていた二十匹以上の魔鼠を全て駆除し終えた時、リリスの作業着は返り血一つ浴びていなかった。

全ての戦闘は、彼女の精密な茨の制御によって、間合いの外で完結していた。

彼女はオーギュストの執務室に戻り、任務完了を報告した。

「……見事だ」

オーギュストは、リリスの汚れなき姿を一瞥し、短く呟いた。

「実戦の中で、これほど早く力の使い方を最適化するとはな。お前には、戦士としての天賦の才があるらしい」

彼は机の引き出しから、一枚の銀色の金属プレートを取り出した。

そこには、ギルドの紋章と、「覚醒級」の文字が刻まれている。

「本日付で、リリス。お前を正式に覚醒級冒険者として登録する。これはその証だ」

リリスは、その銀のプレートを、両手で恭しく受け取った。

ひんやりとした金属の感触。それは、彼女がこのギルドで、そしてこの世界で、一人の人間として認められた証だった。

「ありがとうございます」

深く頭を下げるリリスに、オーギュストは言った。

「勘違いするな。これは始まりに過ぎん。覚醒級は、死と隣り合わせの世界への入り口だ。これから先、お前は今日殺した鼠よりも、遥かに狡猾で、残忍な敵と対峙することになる。その時、この力がお前を守る盾となるか、それともお前自身を滅ぼす刃となるか……それは、お前次第だ」

その言葉は、祝福ではなく、厳しい警告だった。

だが、リリスの心に恐怖はなかった。

彼女は銀のプレートを強く握りしめる。

*私は、もっと強くなる。*

*この力で、エヴァさんを……私の居場所を、守り抜くために。*

その夜、リリスは医務室を訪れ、ベッドで本を読んでいたエヴァに、覚醒級のプレートを見せた。

「リリス……! すごいわ!」

エヴァは本を放り出し、リリスの手を取って満面の笑みを浮かべた。

その心からの祝福に、リリスの胸が温かくなる。

「おめでとう。本当に、おめでとう」

エヴァはリリスを優しく抱きしめた。

その温もりに包まれながら、リリスは静かに誓った。

二度と、この温もりを失わないために。

この手にある力が、たとえ呪われたものであろうとも、私はそれを振るい続ける。

銀色のプレートが、窓から差し込む月光を反射し、リリスの決意を秘めた瞳の中で、静かに輝いていた。
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