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私は幸せだ
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銀色のプレートがリリスの腰で揺れるようになってから、季節は初夏へと移ろいでいた。
彼女は、まるで飢えた獣が食料を求めるかのように、ギルドの依頼掲示板に張り付いていた。薬草採取、街道の護衛、害獣駆除。覚醒級が受けることのできる任務ならば、内容の如何を問わず、彼女は引き受けた。
初めのうちは単独での任務が主だった。それはオーギュストによる配慮であり、彼女が「魔導師リリス」という仮面を完全に己のものとするための、猶予期間であった。森の奥深くで、あるいは廃坑の闇の中で、彼女は幾度となく詠唱を繰り返し、茨の蔓を放った。死骸から生命力を吸収するたびに、彼女の力はより精密に、より冷徹に、彼女の意志に従うようになっていった。
やがて、彼女は他の冒険者と組んで任務に赴くようになった。
ギルドという組織は、個々の武勇だけでなく、連携によって成り立っている。リリスが真に「鉄槌と坩堝」の一員となるためには、他者との共闘は避けて通れない道だった。
彼女が最初に組んだのは、無口な大盾持ちの戦士と、陽気だが腕は確かな弓使いの二人組だった。
彼らは最初、物静かで感情の読めない銀髪の少女に対し、どこか侮りと警戒の色を浮かべていた。特に、彼女が「植物魔導師」という、あまりにも珍しい、そして戦闘には不向きとされる系統を名乗っていたからだ。
「おいおい、嬢ちゃん。ピクニックじゃねえんだぞ。足手まといになるんじゃねえか?」
弓使いの男が、軽口を叩きながらも探るような視線を向ける。
リリスは何も答えなかった。ただ、腰の杖を握りしめ、静かに首を横に振っただけだ。言葉で己を証明する必要はない。彼女が学ぶべきは、戦場での結果だけだ。
その任務は、古い砦跡に巣食うゴブリンの小集落を討伐するという、覚醒級にとってはありふれたものだった。
だが、砦の内部は狭く、通路は入り組んでいた。それは、リリスが地下倉庫で学んだ精密な力の発揮を試すには、絶好の舞台であった。
戦闘が始まると、リリスの評価は一変した。
大盾の戦士が前線で敵の攻撃を受け止め、弓使いが後方から的確な射撃で数を減らす。その中で、リリスはまるで幽霊のように立ち働き、戦況の隙間を完璧に埋めていった。
「――大地に眠る咎の種よ」
彼女の低い詠唱が、剣戟の音に混じって響く。
「我が血を啜りて、鮮血の城壁となれ」
敵の側面から回り込もうとしたゴブリンの足元から、茨の蔓が飛び出し、その足を絡め取る。
「穿て――【紅茨】!」
大盾の戦士の盾をすり抜けようとした槍を、横合いから伸びた茨が叩き折り、そのままゴブリンの喉を貫く。
彼女の魔法は、決して派手ではなかった。炎のように燃え盛ることも、氷のように凍てつかせることもない。ただ、静かに、確実に、敵の命脈を絶つ。その効率性は、むしろ不気味ささえ感じさせた。
「な……なんだ、こいつの魔法は……」
弓使いが、呆然と呟く。
彼の視線の先で、リリスは杖を振るい、死角から現れたゴブリンの頭部を茨で撃ち抜いていた。血飛沫一つ、彼女の衣服を汚すことはない。
戦況が動いたのは、小集落のリーダーであるホブゴブリンが現れた時だった。
それは他の個体よりも一回り大きく、錆びた大斧を軽々と振り回していた。
「グガアアアアッ!」
咆哮と共に振るわれた大斧が、大盾の戦士の盾を弾き飛ばす。
戦士は体勢を崩し、がら空きになった胴体へ、追撃の大斧が振り下ろされた。
「しまっ……!」
弓使いが矢を番えるが、間に合わない。
誰もが戦士の死を覚悟した、その刹那。
「深紅の棘よ、眠りを食みて目覚めよ」
リリスの、常と変わらぬ冷静な詠唱が響いた。
「我が魂を供物とし、一輪の贖罪を捧ぐ」
彼女の腕から放たれたのは、一本の太い茨ではない。
それは、数十本の、髪の毛ほどに細い茨の束だった。
茨の束は、まるで鞭のようにしなり、大盾の戦士の肩と腰を掠めるようにして、その背後にいるホブゴブリンへと殺到した。
戦士の体を傷つけることなく、全ての茨がホブゴブリンの体に突き刺さる。
「汝、我が敵の血肉を喰らい、その骸に咲き誇れ」
最後の詠唱と共に、ホブゴブリンの体内で、無数の小さな赤いバラが一斉に咲き誇った。
巨体は声も上げずに崩れ落ち、奇怪な花のオブジェと化して沈黙した。
戦場には、静寂が訪れた。
生き残ったゴブリンたちは、リーダーの無残な死を見て、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
大盾の戦士は、自分の体に傷一つないことを確認し、信じられないものを見る目でリリスを見つめた。
「……助かった。あんた、すごいな……」
その声には、もはや侮りの色はなかった。純粋な驚きと、賞賛が込められている。
弓使いがリリスの肩を叩いた。
「いや、たいしたもんだぜ、嬢ちゃん! 見直した! あの状況で、仲間を傷つけずに敵だけを狙うなんて、並の魔導師にできる芸当じゃねえ!」
仲間からの、初めての率直な賞賛。
リリスは戸惑い、どう反応していいか分からず、ただ小さく頭を下げることしかできなかった。
だが、胸の奥で、固く凍りついていた何かが、ポロリと剥がれ落ちるような感覚があった。
*私は、役に立てた。私は、仲間として認められた。*
その事実は、報酬の硬貨よりもずっと温かく、彼女の心を満たしていった。
ギルドへの帰路、冒険者たちの態度は、出発の時とはまるで違っていた。
彼らはリリスを一人の信頼できる仲間として扱い、戦いの中での彼女の的確な判断を褒めそやした。リリスは相変わらず口数は少なかったが、その表情は、以前よりもわずかに和らいで見えた。
ギルドの鉄扉を開けると、そこには、三人の影が彼女たちを待ち構えていた。
「おお、帰ったか! でかしたぞ、リリス!」
真っ先に大声を上げたのは、カウンターで腕を組んでいたギルダだった。ドワーフの女性マスターは、豪快な笑顔でリリスの背中をバシンと叩く。
「お前さんの噂は聞いてるぜ! あの堅物の連中を黙らせたんだってな! さすが、俺が見込んだだけのことはある!」
その手荒い祝福に、リリスはよろめきながらも、頬を緩めた。
医務室から顔を覗かせたエヴァは、リリスの無事な姿を見て、安堵に瞳を潤ませていた。
「おかえりなさい、リリス。……よかった、無事で」
彼女は駆け寄り、そっとリリスの手を握った。その温もりが、戦いの緊張で冷え切っていたリリスの指先から、全身へと伝わっていく。
そして、執務室の扉の前に立つ、オーギュスト。
彼は何も言わず、ただリリスを見つめていた。
だが、その厳しい表情の中に、師としての誇りと満足の色が浮かんでいるのを、リリスは見逃さなかった。
やがて彼は、短く、しかし何よりも重い言葉を口にした。
「……よくやった」
その一言が、リリスにとって最高の報酬だった。
仲間からの賞賛。師からの承認。そして、かけがえのない人からの、心からの安堵。
自分が血と泥にまみれて戦うことで、この温かい場所が守られる。
自分の呪われた力が、誰かの笑顔に繋がる。
リリスは、エヴァの手を握り返し、ギルダの大きな背中を見上げ、そしてオーギュストに深く頭を下げた。
奴隷として全てを奪われ、怪物として絶望した少女は、今、一人の人間として、その尊厳を、確かに取り戻しつつあった。
その夜、彼女は初めて、悪夢を見ずに朝まで眠ることができた。
彼女は、まるで飢えた獣が食料を求めるかのように、ギルドの依頼掲示板に張り付いていた。薬草採取、街道の護衛、害獣駆除。覚醒級が受けることのできる任務ならば、内容の如何を問わず、彼女は引き受けた。
初めのうちは単独での任務が主だった。それはオーギュストによる配慮であり、彼女が「魔導師リリス」という仮面を完全に己のものとするための、猶予期間であった。森の奥深くで、あるいは廃坑の闇の中で、彼女は幾度となく詠唱を繰り返し、茨の蔓を放った。死骸から生命力を吸収するたびに、彼女の力はより精密に、より冷徹に、彼女の意志に従うようになっていった。
やがて、彼女は他の冒険者と組んで任務に赴くようになった。
ギルドという組織は、個々の武勇だけでなく、連携によって成り立っている。リリスが真に「鉄槌と坩堝」の一員となるためには、他者との共闘は避けて通れない道だった。
彼女が最初に組んだのは、無口な大盾持ちの戦士と、陽気だが腕は確かな弓使いの二人組だった。
彼らは最初、物静かで感情の読めない銀髪の少女に対し、どこか侮りと警戒の色を浮かべていた。特に、彼女が「植物魔導師」という、あまりにも珍しい、そして戦闘には不向きとされる系統を名乗っていたからだ。
「おいおい、嬢ちゃん。ピクニックじゃねえんだぞ。足手まといになるんじゃねえか?」
弓使いの男が、軽口を叩きながらも探るような視線を向ける。
リリスは何も答えなかった。ただ、腰の杖を握りしめ、静かに首を横に振っただけだ。言葉で己を証明する必要はない。彼女が学ぶべきは、戦場での結果だけだ。
その任務は、古い砦跡に巣食うゴブリンの小集落を討伐するという、覚醒級にとってはありふれたものだった。
だが、砦の内部は狭く、通路は入り組んでいた。それは、リリスが地下倉庫で学んだ精密な力の発揮を試すには、絶好の舞台であった。
戦闘が始まると、リリスの評価は一変した。
大盾の戦士が前線で敵の攻撃を受け止め、弓使いが後方から的確な射撃で数を減らす。その中で、リリスはまるで幽霊のように立ち働き、戦況の隙間を完璧に埋めていった。
「――大地に眠る咎の種よ」
彼女の低い詠唱が、剣戟の音に混じって響く。
「我が血を啜りて、鮮血の城壁となれ」
敵の側面から回り込もうとしたゴブリンの足元から、茨の蔓が飛び出し、その足を絡め取る。
「穿て――【紅茨】!」
大盾の戦士の盾をすり抜けようとした槍を、横合いから伸びた茨が叩き折り、そのままゴブリンの喉を貫く。
彼女の魔法は、決して派手ではなかった。炎のように燃え盛ることも、氷のように凍てつかせることもない。ただ、静かに、確実に、敵の命脈を絶つ。その効率性は、むしろ不気味ささえ感じさせた。
「な……なんだ、こいつの魔法は……」
弓使いが、呆然と呟く。
彼の視線の先で、リリスは杖を振るい、死角から現れたゴブリンの頭部を茨で撃ち抜いていた。血飛沫一つ、彼女の衣服を汚すことはない。
戦況が動いたのは、小集落のリーダーであるホブゴブリンが現れた時だった。
それは他の個体よりも一回り大きく、錆びた大斧を軽々と振り回していた。
「グガアアアアッ!」
咆哮と共に振るわれた大斧が、大盾の戦士の盾を弾き飛ばす。
戦士は体勢を崩し、がら空きになった胴体へ、追撃の大斧が振り下ろされた。
「しまっ……!」
弓使いが矢を番えるが、間に合わない。
誰もが戦士の死を覚悟した、その刹那。
「深紅の棘よ、眠りを食みて目覚めよ」
リリスの、常と変わらぬ冷静な詠唱が響いた。
「我が魂を供物とし、一輪の贖罪を捧ぐ」
彼女の腕から放たれたのは、一本の太い茨ではない。
それは、数十本の、髪の毛ほどに細い茨の束だった。
茨の束は、まるで鞭のようにしなり、大盾の戦士の肩と腰を掠めるようにして、その背後にいるホブゴブリンへと殺到した。
戦士の体を傷つけることなく、全ての茨がホブゴブリンの体に突き刺さる。
「汝、我が敵の血肉を喰らい、その骸に咲き誇れ」
最後の詠唱と共に、ホブゴブリンの体内で、無数の小さな赤いバラが一斉に咲き誇った。
巨体は声も上げずに崩れ落ち、奇怪な花のオブジェと化して沈黙した。
戦場には、静寂が訪れた。
生き残ったゴブリンたちは、リーダーの無残な死を見て、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
大盾の戦士は、自分の体に傷一つないことを確認し、信じられないものを見る目でリリスを見つめた。
「……助かった。あんた、すごいな……」
その声には、もはや侮りの色はなかった。純粋な驚きと、賞賛が込められている。
弓使いがリリスの肩を叩いた。
「いや、たいしたもんだぜ、嬢ちゃん! 見直した! あの状況で、仲間を傷つけずに敵だけを狙うなんて、並の魔導師にできる芸当じゃねえ!」
仲間からの、初めての率直な賞賛。
リリスは戸惑い、どう反応していいか分からず、ただ小さく頭を下げることしかできなかった。
だが、胸の奥で、固く凍りついていた何かが、ポロリと剥がれ落ちるような感覚があった。
*私は、役に立てた。私は、仲間として認められた。*
その事実は、報酬の硬貨よりもずっと温かく、彼女の心を満たしていった。
ギルドへの帰路、冒険者たちの態度は、出発の時とはまるで違っていた。
彼らはリリスを一人の信頼できる仲間として扱い、戦いの中での彼女の的確な判断を褒めそやした。リリスは相変わらず口数は少なかったが、その表情は、以前よりもわずかに和らいで見えた。
ギルドの鉄扉を開けると、そこには、三人の影が彼女たちを待ち構えていた。
「おお、帰ったか! でかしたぞ、リリス!」
真っ先に大声を上げたのは、カウンターで腕を組んでいたギルダだった。ドワーフの女性マスターは、豪快な笑顔でリリスの背中をバシンと叩く。
「お前さんの噂は聞いてるぜ! あの堅物の連中を黙らせたんだってな! さすが、俺が見込んだだけのことはある!」
その手荒い祝福に、リリスはよろめきながらも、頬を緩めた。
医務室から顔を覗かせたエヴァは、リリスの無事な姿を見て、安堵に瞳を潤ませていた。
「おかえりなさい、リリス。……よかった、無事で」
彼女は駆け寄り、そっとリリスの手を握った。その温もりが、戦いの緊張で冷え切っていたリリスの指先から、全身へと伝わっていく。
そして、執務室の扉の前に立つ、オーギュスト。
彼は何も言わず、ただリリスを見つめていた。
だが、その厳しい表情の中に、師としての誇りと満足の色が浮かんでいるのを、リリスは見逃さなかった。
やがて彼は、短く、しかし何よりも重い言葉を口にした。
「……よくやった」
その一言が、リリスにとって最高の報酬だった。
仲間からの賞賛。師からの承認。そして、かけがえのない人からの、心からの安堵。
自分が血と泥にまみれて戦うことで、この温かい場所が守られる。
自分の呪われた力が、誰かの笑顔に繋がる。
リリスは、エヴァの手を握り返し、ギルダの大きな背中を見上げ、そしてオーギュストに深く頭を下げた。
奴隷として全てを奪われ、怪物として絶望した少女は、今、一人の人間として、その尊厳を、確かに取り戻しつつあった。
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