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第五章 混迷の星

02 スタジアム喪章事件(下)

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  警告 今回は残虐な場面があります。


 当時スタジアムにいて生き延びた人々が後に語ったことを元に場面を再現しよう。
 厳しいボディチェックを受けた後スタンドに入場すると数人の男達が観客に何かを配っていた。喪章とチラシだった。チラシを読んだ人々に動揺が広がった

「10,000人だって!」
「海賊にしちゃひどくないか」
「なんで報道がないんだ」
「不都合なことがあるのかな」

 人々は皇帝や政府に不都合なことは報道されないと経験上知っていた。ことに現在の皇帝になってからは報道がされないことが多い。記者が逮捕されたという話も人々の耳に入ってくる。当然、不都合な真実が死者数にあるのだろうと考えた。
 それでも人々は喪章を着けた。海賊の非道は許せなかったのだ。
 とはいえ試合が始まれば皆そちらに集中する。男や周囲の人々はビアンコのファンだったので、後半はため息の多い試合展開だった。
 試合終了後、ビアンコのファンや女性・年少者の多くは混雑を避けて早く観客席を離れた。家族連れも父親は名残惜しそうだったが監督のインタビューを聞かないうちに多くは出て行った。
 が、前方が詰まっていた。警察が出口で喪章を外せと指示しており、喪章を外すために観客の足が止まっていた。
 一方、カレーラスの熱烈な支持者や多くの男性は監督や選手のインタビューを聞くために残っていた。彼らはあまりにも興奮してカレーラス万歳と叫んでおり、マイクを向けられた監督が何と言っているのか聞いていなかった。
 だがチャンドラーという地名は出口に向かう人々にも聞こえた。

「チャンドラーを忘れないとか。チラシの文句みたいだな。あ!」

 観客席に残っていた男達は皆声を上げて驚いた。その周囲もにわかに騒がしくなった。インタビューされていたカレーラスのルイス監督が警官二人に両脇を抱えられて退場させらたのだ。

「ルイスを捕まえてどうすんだ、警察」

 勝利の歓喜にわいていた選手やスタッフも控室に戻るように指示されたのか、皆ロッカールームへと向かった。記者たちや映像クルーも警官らにスタンドの下へと追いやられた。
 観客席は騒然となった。
 
「監督を返せ」

 誰かの叫びと同時に飛び降り防止用の高い金属の柵を根元からなぎ倒してスタンドから男達が数名飛び降りた。
 飛び降りを止めるために配置されていた50名ほどの警察隊は彼らを止めようと駆け寄った。彼らは盾と警棒で観客を制止した。
 叩かれる仲間を見たカレーラスのサポーターがまたも降りて来た。今度は30名以上はいた。
 その中の一人の男が隠し持っていた小型のセラミックナイフを警官に向けた。気付いた同僚が拳銃で男の足を狙った。そこへ新たな男達が数名降りて来てナイフを持った男にぶつかり男は前方に倒れた。同時に警官の銃が発射されナイフの男の身体を貫通。周辺から悲鳴が上がり、たちまちのうちに恐慌状態となった。

「警察に殺されるぞ」
「やっちまえ!」

 警察隊はやむを得ず催涙弾を使って沈静化を図った。だが、殺気立った観客たち、とくにカレーラスのサポーターはひるまず「監督を返せ」と次から次へとフィールドに降りて来た。
 数百人の男達が50人余りの警察官たちを追い回した。緊急事態に備えて待機していた警察の特殊部隊は隊長の指示で自動小銃を使用した。
 最初は威嚇だった。だが、一人の警官を十人が取り囲んで襲ったのを見た隊員が観客に向かって発砲した。それが引き金だった。激昂した観客が警官から奪った警棒や盾を振り回し特殊部隊に向かって来た。若い隊員が恐慌状態になり銃を乱射、周囲は血の海と化した。
 出口に向かって並んでいてフィールドを見てしまった観客が何人も気絶した。スタンドもまた阿鼻叫喚の状態となった。
 フィールドに降りて生き延びた男性の一人は、最初にナイフの男が撃たれた後、恐怖でスタジアムの広告看板の陰に隠れていたので巻き込まれずに済んだ。しかしフィールドの場景が焼き付いたように何年も頭から離れなかったという。



 アビガイルは語った。

「フィールドに観客が雪崩のように降りて来てすぐに発砲音がした。警察隊の隊長にすぐ混乱を鎮め、負傷者を搬送するように命じた。貴賓室にはカーテンを引いて賓客には待機してもらった。貴賓室奥にある通信室から宮殿に直接連絡を入れ皇帝陛下の秘書官に事態を報告した。折り返し陛下からの言葉が伝えられた。イシヤマ大陸の陸軍に出動を要請したので事態を鎮圧させよと」

 スタジアムの事態が収束したのは約2時間後だった。8時現在判明している死者は121人、負傷者は538人を数えた。多くの観客が喪章とチラシを警察と陸軍に没収された。
 スタジアムのあるルーベンス市と周辺地域に戒厳令が敷かれ、夜間外出が禁じられた。
 イシヤマ大陸の空港では民間機の飛行は停止され、警察と軍が怪しい宿泊客がいないか宿泊施設を調べている。喪章とチラシを配った者達を調べるためである。またクライフにある全印刷所と喪章を扱う全会社に地域の警察の取調が入った。
 アビガイルは明日早朝に政庁で臨時会議を行うために自家用機で帰って来たのだった。

「陛下に報告をしなければならないから、この後政庁に行く」

 アビガイルの顔は完全に領主の顔になっていた。食事の時の穏やかな顔ではない。

「私達がいては話せないこともあるかと存じます。私と娘は今宵はこれにて」

 レオポルドの言葉にアビガイルは頷いた。

「そうしてください。明日のことについては朝までに連絡します。事態がこちらに波及した場合、閉園します」

 アマンダは侯爵夫人に何と言っていいかわからず父とともに部屋を出た。
 侯爵夫人はビクトルに告げた。

「明後日からのアヴリル星系への取材は延期して。何があるかわからない。定期便が出ない恐れがある」
「わかった。代わりに今回のこと、取材させてもらうから」
「ビクトル! それは駄目だ」

 サカリアスは声を荒げた。
 ビクトルは叔父に負けぬ声を出した。

「どうして? 何か宇宙軍に都合の悪い話があるわけ? 戦艦の横流しとか」
「おい! どうしてそれを!」

 アビガイルは興奮する二人の間に割って入った。

「サカリアス、それくらい大体予想がつくわ。チャンドラーで10,000人以上を殺した海賊船が宇宙軍の戦艦の改造型だという情報は軍の上層部、閣僚、侯爵以上は知ってる。この前ビクトルにも話したの。ちょうど、サパテロさん達の葬儀の報道があった日でね。あの時、私はバランスがとれないと思った。10,000人以上が死んでるのにまだ追悼式が行われていないなんて。かたや辺境の市民二人の葬儀が帝國中に報道されてる。チャンドラーの生存者や遺族が憤るのは当然だわ。いくら海賊が乗っていた船の情報を隠すためとはいえ、陛下の今回の判断はおかしい」

 サカリアスは姉が母の政治への批判をするのを初めて見た。

「陛下ではなく、その周辺の判断かもしれないけれど、私は納得できない。秘密裡に調査して軍部の関係者を処分するつもりなのかもしれないけれど、今回の犠牲者への対応についてはどうかと思う」
「姉上、まさか陛下に進言を?」
「できるわけない。でも、今回スタジアムで起きた件は隠しおおせるものではない。フットボール皇帝杯は帝國全土への影響があまりに大きい。明日は2試合行われる予定だったけれど、協会は延期を明日早朝発表する予定。それだけでどれだけ混乱が起きるか。クライフだけでなくフジ星系全体に影響が及ぶ。フットボールの合法ギャンブルに賭けていた約1億人の星系の住民が黙っていられると思う?」
 
 ギャンブルをしたことのないサカリアスでも容易に混乱は想像できる。軍隊が出動する事態になってもおかしくない。
 アビガイルはビクトルに言った。

「取材は結構だけど、発表はしないこと。あなたを刑務所に送りたくない。陛下は身内でも容赦しない」
「まったく、情報源が近くにいるのに」

 ビクトルは立ち上がった。



 ビクトルがいなくなった部屋で、アビガイルは弟に告げた。

「たぶん私は明日はここへ帰れない。事と次第によっては首都に行くことになる。その間、ここを任せる。ビクトルでは心もとない。だけど暴徒の相手はしなくていいから。とにかくサパテロさん達とビクトルを頼むわ。家政婦長のデボラが屋敷の造りをよく知っているから、何かあったら地下へ逃げなさい」
「逃げろと言うのですか」
「貴族は生き延びるのも仕事よ。生き延びて血を残す」

 そう言った後、アビガイルは弟の緊張した顔を見て微笑んだ。

「何かついてますか」
「少しは笑いなさい。そんな顔でアマンダとお茶を飲んでいたんじゃないの。その顔じゃ何を言われても頭に入ってこないわ」
「あ、姉上……」

 ありえない話だが、応接間でのやりとりを見ていたかのような姉の言葉だった。同時に、敗因は表情だったのかと気付いた。

「あなたも生き延びて血を残さなきゃ。さっさとしないとアマンダを取られるわよ。この休暇の間にどうにかできないの?」

 恐ろしいことを平然と言う姉だった。
 
「姉上、馬鹿なことを……」
「それじゃ、なんとか伯爵令嬢と結婚する?」

 それだけは御免だった。
 サカリアスは話を変えた。

「そういえば門の前にいた物売りの屋台は何ですか。ストロングマンネオの人形焼きとか許可なく売っていいんですか」
「許可は取ってるわ。あの屋台の販売員はクライフ観光の社員よ。観光地気分を盛り上げるためにやってるのよ。ああいうのがあると、楽しいじゃないの」
「楽しい……」
「あなたは知らないだろうけれど、子どもの頃、まだ母が皇帝じゃなかった頃、お祭りでよくああいう屋台を一緒にひやかしたものよ。お祭りも観光地も非日常だもの、屋台くらいいいじゃない」

 アビガイルは母が皇帝になる前を知っていた。あの頃にはもう戻れないことも。

「それじゃ、よろしくね」

 数時間の留守番を頼むかのようにアビガイルはかろやかに出て行った。廊下に出ると待っていたカルモナに支えられるようにして自室へ向かった。これからの戦いに備えて着る服を選ばなければならないのだ。




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