僕の目があなたを遠ざけてしまった

紫野楓

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 朝食は七時に家族で食べるというのが、二葉が物心ついた時には決まっていた習慣だ。父と母に倣い、二葉も幼い頃からできる限りそれに合わせて行動してきた。

 高校生になって通学に電車を使うようになったが、朝食時間に支障はない。二葉は時間に合わせて支度を整える。制服のブレザーには私立らしいごてごてした校章の刺繍。なんとも言えない表情になりながら袖を通した。

 姿見で服装や髪の乱れを整えていると、顔色が明らかに悪いことに気づいた。指の先まで青白く、爪は薄く紫色になっている。

「はぁ……」

 自然とため息が漏れ、慌てて背筋を伸ばす。

 昨日、野球部の北見とかいう生徒に話しかけられてから明らかに体が重い。

 七時になる十分前に二階の自分の部屋を出て、階段を静かに降りた。一階のリビングダイニングに向かいながら、玄関に勉強道具が詰まっている鞄を置く。

 キャメル色の品が良い、スクールカバン形のトートだ。じっと目を落としていると背中を押されている気になる。しばらくそうして、なんとか重苦しい気持ちを整えた。

「おはよう、二葉」

 扉を開けると父の姿があって驚いた。テーブルに三人分の味噌汁を並べている。

 朝に父の姿を見たのは高校に入学してから初めてだ。夜遅くに帰って来る、疲れた父の顔ばかり見ていたから、それなりに活力のある柔和な表情の父を見られたのは新鮮だ。

「お、おはよう……」

 ダイニングで食後用のコーヒーを淹れている母が振り返った。子どもの頃から「二葉は母親似」と周りの大人に言われているが、似ているのは髪質くらいだろうと思う。四十歳を過ぎていてもサラサラの黒髪は健在で、肩までまっすぐに伸びた髪を耳にかけている。

「二葉、おはよう。パパ、今日は一緒に朝ご飯を食べられるんだって!」

 声は弾んでいるし、笑顔はいつもの三倍増しだ。普段から着ている枯れ草色のエプロンもいささか明るい色に見える。

 母とは裏腹に、二葉はぎこちなく笑って朝食の準備を手伝った。

 百六十センチ半ばの母と並んでも、まだまだ身長が及ばない。複雑な気持ちだ。

 父は平均身長以上あるし、二葉もいつか母の身長を越せると思っているのだが。これまでの生育歴を考えると夢で終わるかもしれないとも思う。

 隣に並ぶなり、母は二葉の顔を覗き込んできた。

「顔色悪くない? 大事になるといけないし、今日は休んで家でゆっくりしたら?」

 鉄壁の前髪も母には透けて見えるようだ。

 二葉は努めて明るい声で言った。

「大丈夫。元気。行ける」

 母はそれ以上追求してこなかったが、なにか言いたそうな雰囲気は消えない。

 朝なので量は控えめだけれど、食卓には丁寧な一汁三菜が三人分並ぶ。

 朝日が白米をつやつやに光らせていて綺麗だ。卵焼きには鰹節が入っている。副菜の人参の白和えは二葉が好きなおかずだ。

 幼い頃から父も母もたくさんの食材を使った手の込んだ食事を作ってくれる。

 二葉は母に言われてほうれん草のおひたしの上に海苔をちぎって乗せ、食卓に並べた。

「いただきます」

 両親の会話は弾むし笑顔は明るい。気が重いのは二葉だけみたいだ。

 今年度、会社勤めの父は昇進して、明らかに食事を囲む時間が減っていた。今まで以上に早朝から夜遅くまで働いている。

 そうなってしまっているのは自分のせいだと思うと胸が重苦しい。雪崩みたいに一瞬で、どうしようもならない後悔がどっと押し寄せてきて、重みで潰れそうだ。

 苦しさが喉元をくすぐってくる。箸を置き、反射で口を抑えた。こほ、と何度か咳が出る。

 母が怪訝そうな顔で二葉を見た。

「咳、昨日より酷くなってるんじゃない? 昨日は早く寝たの?」

「寝たよ」

 嘘だ。北見耀士に絡まれたせいで昨日やりたかった勉強ができず、帰宅後巻き返そうと躍起になっていた。結局気持ちが乱れて集中できず、二時間ほど睡眠時間を削った。

「勉強するのはいいことだし、テストも一位なのはすごいけど、健康が一番だからね」

「分かってるよ」

「強がるとまた体調崩すよ。それでなくても気持ちがすぐ体に出るんだから。本当に無理しちゃだめ。高校受験の時だって……」

 母があからさまに言い淀んだ。胸がぎゅう、と強く握られたように傷む。

「二葉、高校はどうだ? 友だちできたか」

 父があからさまに話題を変えた。こういう腫れ物に触るような態度も辛い。しかも、変えてくれた話題も答えにくい。余計なお節介で嫌だ。

 咳が落ち着いた二葉は再び箸をとって、白米を口に入れる。咀嚼しながら、どんな答えをすればいいのか迷いに迷った。

 どろどろになった米を飲み込む。

「うん」

「そうか。高校は楽しい? 部活は?」

 頭が痛い。

「勉強したいから、入ってない」

 父が一瞬、心配そうに目を細める。

「……まだ一年生なんだから、そんなに根を詰めなくてもいいんじゃないか」

「だめだよ。やる」

「この前の統一模試も、志望大学の合格判定、そんなに悪くなかったんだろ」

「Bじゃだめだよ。合格できない。Aじゃないと。国立医学部だもん。絶対合格したい」

「もちろん、二葉の夢は父さんも母さんも応援してるけど……」

 物心ついた頃から医者になりたかった。

 生まれた時から体が弱く、大きい病気に何度も罹ってきた。学校に通うよりも病院に入院していた期間が多い年もざらだった。

 だから一番身近な他人の大人はかかりつけ医のおじいちゃん先生——小川医師だった。

 辛くて苦しい病気を魔法みたいに治してくれた。優しい笑顔で「絶対によくなるからね」と励まされ、皺々の大きい手で頭を撫でられると、一瞬で元気になったような気さえした。 

 二葉は小川医師が大好きで、自分も医者になりたいと物心がついた頃には思っていた。

『お医者さんになりたいなら、たくさんお勉強しないとね』

 小川医師にそう言われ、元気な時はとにかく勉強した。

 勉強は嫌いではなかった。 

 場所を選ばず自分のペースで進められて、積み上げた分だけ結果が出る。及ばない部分を見極めて思考して、また挑戦して積み重ねて……その過程が楽しかった。

『二葉ね、受験勉強、すごく頑張ってるのよ! 模試も第一志望の国立校A判定だったの』

 中二の冬だ。深夜に目が覚めて寝付けず、なにか温かいものでも飲もうと一階に降りた時、両親が会話している声を耳にした。

『すごいな。高校は順調そうだけど……問題は大学だよな。医学部となると学費がなあ。国立なら行かせてやれるんだが……』

『二葉用の貯蓄を学費用に回す?』

『いや、あれは急な医療費用だから……』

『私も働こうか?』

『二葉にもしもがあった時のためにママは家にいてほしい。俺がもっと稼ぐよ』

 数秒の間。

『不甲斐ない』 

『パパ、そんなこと言わないで。それを言ったら、私だって……』

『やめよう。頑張ろう、なんとかなるさ!』

 父の明るい声が無性にやるせなかった。

 そして、お金の面でも気持ちの面でも、自分の体が弱いせいで両親に苦労を掛けているのだと生まれて初めて気づいた。

 絶対国立高校に受かって国立医学部に行こう、とこの時強く決意したのだ。

 それなのに結局入学したのは一番バカの一高だ。

「まあ、無理はするな。高校生活、楽しんで」

 久々の三人での食事だったのに後味が悪い。

 茶碗についた米粒まで綺麗に食べ終え、二葉は箸を置いた。

「……ごちそうさま。いってきます」

 食器をキッチンの流しに置き、両親を見向きもせずに玄関へ続く扉を開く。

「いってらっしゃい」

 両親が声を揃えて言う。

 不甲斐ない。

 父のあの時の言葉が頭の中で反芻する。

(頑張らなきゃ……)

 マスクをつけてキャメルのトートを肩にかけ、二葉は静かに家を出た。







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