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番外編
昔も今も、これからも変わらない日々。
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濡れ縁に座って赤兎を待っていると、コトリと隣に湯呑みが置かれた。
振り向けば木ノ下さんが苦笑して言った。
「中で待たないのですか?」
あきは淹れられたお茶に素直に礼を言ってから首を横に振った。
赤兎と訪れたここ願命寺で、ようやく大切な人たちのお墓参りが叶った。しかし、なぜかひとりだけ先に戻るように言われてしまった。すぐ戻るとは聞いていても中で待つ気にはならなかった。
「あの子は本当に大物ですね。本人は気づいているかわかりませんが」
あきは飲み終えた湯呑みを手の中で弄んだ。この人すら見抜く執着をただ赤兎が気づいてない。たまに覗かせる憂いた顔が何を訴えているのか知っている。昨夜、少しは伝えられたと思うが……。
「いいんです。これからじっくりわからせていきますから。私があの子をどれほど必要としているか」
「……お手柔らかにお願いしますね」
壮碁は少年に同情した。彼女に気があるのは一目瞭然だった。対し、彼女の向ける愛はどこまでも家族愛。
(頑張って下さい赤兎くん。相手は二乃助さんにすら落とせなかった女性ですよ)
この娘は恋愛を拒絶している。それこそ無意識だろうが。無理もない。己を含め、人の身勝手な恋情で大切な人たちを失くしたのだから。
(彼女の傷を癒せるのは貴方だけかもしれませんね)
赤兎くん。本来は唯一の知り合いである自分の役目なのかもしれないが、そんなことを考えるだけでも畏れ多い。何せ自分は、昔、八つだった彼女に助けられた方だ。あの日があって今の自分がいる。
(悔やむなら、いつか殺してやるから生きてろって)
要約するとこうだが、今思うと結構凄いこと言われてる。しかも会ったら実行してくるとは思いにもよらなかった。まぁそれもふりであった訳だが、あの時は本当に寿命が縮む思いをした。
(しかしここまで変わらずにいる人も珍しい)
初めて出逢った時を思い出す。そう、あれは叶絵さんとの出逢いでもあった。まだ自分は十九の若造で、商家の嫡男だった。取引先の相手に誘われた色街。吉原の噂は聞いていた。下手に遊女に入れ込むと身が破滅するという恐ろしい噂だ。気乗りはしなかったが相手の機嫌を損ねる訳にもいかず、そうして初めて訪れた見世で呆気なく恋に落ちるのだから人のことは言えない。
桔梗さん、こと叶絵さんは、その時は場を盛り上げる為の楽器を弾くだけの妓女だったが、ここにいる女性の誰よりも眩しく見えた。ふらふらと吸い寄せられるように近づいた時、彼女は現れた。まるで地獄の門番牛頭馬頭のように。
『それいじょうちかづいてみなさい。泣かしますよ』
うん! いやー本当に変わってない。叶絵さんに聞こえないように警告、いや宣告? する女の子に何度泣かされたことか。座敷ではこの娘が、外では二乃助さんが牽制する中、よく諦めなかったものだと思う。
「さっきからナニ珍妙な顔してるんです?」
「せめてそこは神妙って言って貰えませんか」
苦情を言えば鼻で笑われた。ほんっっっとぉぉおに変わらない。普通は成長すると丸くなったりするものではないのか。
「私に口答えするなんて偉くなりましたね」
「すみません! あの、申し訳ないのですが、ここには弟子の目もあるので、その……出来れば威厳を保っていたいんですよ」
「ありもしない威厳をどう保つのですか?」
「いやもう、ほんと勘弁して下さい!」
赤兎くん! 早く戻って来て! 私の信用が地に落ちる前に!
ちらちらとこちらを窺っていた弟子たちを見ると一斉に視線を逸らされた。あ、もう手遅れかも。だが、この日を境に壮碁は弟子たちから慕われるようになった。曰く、自分たちくらいは優しくしなければ可哀想という理由で。壮碁は泣いた。色々な意味で。
「ご主人! お待たせ!」
「待ってましたよ……!」
「え、なんでこの人泣いてんの」
真っ先に彼の帰還を喜んだのは自分だった。これが泣かずにいられるか!
「お帰りなさい赤兎。この人のことは気にしなくていいですよ。泣くのが趣味みたいなものですから」
「へぇ、変わった趣味だね!」
赤兎くん、そんなに簡単に信じないで。キラキラした目を向けないで。く……っ、否定しづらい。
「もう良かったのですか?」
「うん! スッキリしたー」
「? よくわかりませんが、スッキリできて良かったですね」
ふわりと微笑む彼女におや? と思う。叶絵さんや二乃助さんに向けるどの笑みとも違うことに気がついた。
(あの人たちの前の彼女は気を張っているように見えた)
きっと心配を掛けない為だろう。叶絵さんよりも大人っぽく振る舞い、二乃助さんと対等に接する。そんな印象を受けた。が、この少年に対しては全幅の信頼を置いているのがわかった。勿論、あの二人を信頼していないとか、そういう訳ではなくて、これが彼女の自然体なのかもしれないと、そう思う幼さが見受けられた。
(これはひょっとすると)
そこまで考え自重する。これ以上の考察は危険だ。主にうちで眠っている人が怖い。
(墓を抜け出してまで会いに行くくらいだからなぁ)
昨今吉原を騒がせているのは女楼主の彼女だけではない。彼女の妓楼の空を飛び交う人魂もだ。初めて耳にした時は頭痛を覚えた。すみません、うちの人ですとは言えない。正確にはうちで眠っている嫉妬心丸出しの誰かさんだが。しかし二つと聞けば次は泣きたくなった。叶絵さん、貴女もですか! この二人も変わらない。亡くなってからもずっと彼女を見守っている。
「じゃあご主人、おうちに帰ろっか」
「ゆっくりして行かなくてもいいんですか?」
「うん! 用は済んだからね!」
用? 嫌な予感を覚えた。彼女と赤兎くんと別れたその夜、夢枕に二乃助さんが現れて散々愚痴を聞かされた。まさかあの子がそこまで挑戦的な性格だったとは……! ある意味彼女と相性がいいかもしれない。
(おまえ今お似合いとか思っただろ!)
「人の思考を読まないで下さい! というか眠らせて下さい!」
(嫌だ!)
「駄々こねないで下さいよ! 自分、朝早くからお勤めがあるんですから!」
(知るか。おれの話を優先しろ)
知ってます? この人生きてたら自分より六つも年上なんですよ?
「私じゃなくて彼女のところに行けばいいでしょうに」
(馬鹿野郎! こんな情けねぇ姿あいつに晒せっかよ!)
私にはいいのか。この人カッコつけだもんなぁ。
(聞こえてっぞこの野郎)
ああ御仏よ。私に安寧の日々を下さい。そう壮碁は心から祈った。
振り向けば木ノ下さんが苦笑して言った。
「中で待たないのですか?」
あきは淹れられたお茶に素直に礼を言ってから首を横に振った。
赤兎と訪れたここ願命寺で、ようやく大切な人たちのお墓参りが叶った。しかし、なぜかひとりだけ先に戻るように言われてしまった。すぐ戻るとは聞いていても中で待つ気にはならなかった。
「あの子は本当に大物ですね。本人は気づいているかわかりませんが」
あきは飲み終えた湯呑みを手の中で弄んだ。この人すら見抜く執着をただ赤兎が気づいてない。たまに覗かせる憂いた顔が何を訴えているのか知っている。昨夜、少しは伝えられたと思うが……。
「いいんです。これからじっくりわからせていきますから。私があの子をどれほど必要としているか」
「……お手柔らかにお願いしますね」
壮碁は少年に同情した。彼女に気があるのは一目瞭然だった。対し、彼女の向ける愛はどこまでも家族愛。
(頑張って下さい赤兎くん。相手は二乃助さんにすら落とせなかった女性ですよ)
この娘は恋愛を拒絶している。それこそ無意識だろうが。無理もない。己を含め、人の身勝手な恋情で大切な人たちを失くしたのだから。
(彼女の傷を癒せるのは貴方だけかもしれませんね)
赤兎くん。本来は唯一の知り合いである自分の役目なのかもしれないが、そんなことを考えるだけでも畏れ多い。何せ自分は、昔、八つだった彼女に助けられた方だ。あの日があって今の自分がいる。
(悔やむなら、いつか殺してやるから生きてろって)
要約するとこうだが、今思うと結構凄いこと言われてる。しかも会ったら実行してくるとは思いにもよらなかった。まぁそれもふりであった訳だが、あの時は本当に寿命が縮む思いをした。
(しかしここまで変わらずにいる人も珍しい)
初めて出逢った時を思い出す。そう、あれは叶絵さんとの出逢いでもあった。まだ自分は十九の若造で、商家の嫡男だった。取引先の相手に誘われた色街。吉原の噂は聞いていた。下手に遊女に入れ込むと身が破滅するという恐ろしい噂だ。気乗りはしなかったが相手の機嫌を損ねる訳にもいかず、そうして初めて訪れた見世で呆気なく恋に落ちるのだから人のことは言えない。
桔梗さん、こと叶絵さんは、その時は場を盛り上げる為の楽器を弾くだけの妓女だったが、ここにいる女性の誰よりも眩しく見えた。ふらふらと吸い寄せられるように近づいた時、彼女は現れた。まるで地獄の門番牛頭馬頭のように。
『それいじょうちかづいてみなさい。泣かしますよ』
うん! いやー本当に変わってない。叶絵さんに聞こえないように警告、いや宣告? する女の子に何度泣かされたことか。座敷ではこの娘が、外では二乃助さんが牽制する中、よく諦めなかったものだと思う。
「さっきからナニ珍妙な顔してるんです?」
「せめてそこは神妙って言って貰えませんか」
苦情を言えば鼻で笑われた。ほんっっっとぉぉおに変わらない。普通は成長すると丸くなったりするものではないのか。
「私に口答えするなんて偉くなりましたね」
「すみません! あの、申し訳ないのですが、ここには弟子の目もあるので、その……出来れば威厳を保っていたいんですよ」
「ありもしない威厳をどう保つのですか?」
「いやもう、ほんと勘弁して下さい!」
赤兎くん! 早く戻って来て! 私の信用が地に落ちる前に!
ちらちらとこちらを窺っていた弟子たちを見ると一斉に視線を逸らされた。あ、もう手遅れかも。だが、この日を境に壮碁は弟子たちから慕われるようになった。曰く、自分たちくらいは優しくしなければ可哀想という理由で。壮碁は泣いた。色々な意味で。
「ご主人! お待たせ!」
「待ってましたよ……!」
「え、なんでこの人泣いてんの」
真っ先に彼の帰還を喜んだのは自分だった。これが泣かずにいられるか!
「お帰りなさい赤兎。この人のことは気にしなくていいですよ。泣くのが趣味みたいなものですから」
「へぇ、変わった趣味だね!」
赤兎くん、そんなに簡単に信じないで。キラキラした目を向けないで。く……っ、否定しづらい。
「もう良かったのですか?」
「うん! スッキリしたー」
「? よくわかりませんが、スッキリできて良かったですね」
ふわりと微笑む彼女におや? と思う。叶絵さんや二乃助さんに向けるどの笑みとも違うことに気がついた。
(あの人たちの前の彼女は気を張っているように見えた)
きっと心配を掛けない為だろう。叶絵さんよりも大人っぽく振る舞い、二乃助さんと対等に接する。そんな印象を受けた。が、この少年に対しては全幅の信頼を置いているのがわかった。勿論、あの二人を信頼していないとか、そういう訳ではなくて、これが彼女の自然体なのかもしれないと、そう思う幼さが見受けられた。
(これはひょっとすると)
そこまで考え自重する。これ以上の考察は危険だ。主にうちで眠っている人が怖い。
(墓を抜け出してまで会いに行くくらいだからなぁ)
昨今吉原を騒がせているのは女楼主の彼女だけではない。彼女の妓楼の空を飛び交う人魂もだ。初めて耳にした時は頭痛を覚えた。すみません、うちの人ですとは言えない。正確にはうちで眠っている嫉妬心丸出しの誰かさんだが。しかし二つと聞けば次は泣きたくなった。叶絵さん、貴女もですか! この二人も変わらない。亡くなってからもずっと彼女を見守っている。
「じゃあご主人、おうちに帰ろっか」
「ゆっくりして行かなくてもいいんですか?」
「うん! 用は済んだからね!」
用? 嫌な予感を覚えた。彼女と赤兎くんと別れたその夜、夢枕に二乃助さんが現れて散々愚痴を聞かされた。まさかあの子がそこまで挑戦的な性格だったとは……! ある意味彼女と相性がいいかもしれない。
(おまえ今お似合いとか思っただろ!)
「人の思考を読まないで下さい! というか眠らせて下さい!」
(嫌だ!)
「駄々こねないで下さいよ! 自分、朝早くからお勤めがあるんですから!」
(知るか。おれの話を優先しろ)
知ってます? この人生きてたら自分より六つも年上なんですよ?
「私じゃなくて彼女のところに行けばいいでしょうに」
(馬鹿野郎! こんな情けねぇ姿あいつに晒せっかよ!)
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