136 / 158
現実の世界
二対二
しおりを挟む
衰弱した若者の傍らの粗末な敷物の上に、クレールは倒れた。
折れた腕で体を支えることはできない。その折れた腕を庇うこともできなかった。
「くっ!」
それまでは感じていなかった痛みに、クレールが苦悶の声を上げた。
イーヴァンは、赤い光の剣を握る彼女の左腕を押さえ込んだ。
「ヨハンナ様っ! 早く!」
かれた声を絞り出すように、若者は叫んだ。
泥酔者の千鳥足に似た【月】足取りが、乱れながらも後退から前進に転じた。
【月】の上半身が、倒れているクレールのそれに重ねるように投げ出される。額の半球をクレールの額に打ち付けようとしている。
そのよどんだ赤の半球こそが【月】の本体だ。
死に損なった人間の魂の結晶――かつてヨハンナ・グラーヴであった者の怨念が取り込まれ、変じたものだ。
生きた人間の体に取り憑けば、美しく生まれ変われると信じる、死人の執念だ。
無機質な黒い顔が、クレールに迫った。赤い半球が彼女の額に重ねられようとした。
その時、嫌な音がした。
重い物が地面に倒れ込んで壊れる音だ。
音は、クレールが倒れ、イーヴァンが押さえつけ、【月】の上半身が倒れ込もうとしているその場所から、少し離れた場所から聞こえた。
クレールは音のした方へ顔を向けた。
イーヴァンもそちらを向いた。
【月】は動かなかった。
生きた人間たちの目には、椅子の残骸が散乱する空間に、男が立っているのが見えた。
彼は赤い剣を両手に一振ずつ持っている。
一振は男の肩に担われ、もう一振の切っ先が彼の足下を指していた。
赤い剣が指し示す先の古びた敷物の上には、女の下半身の形をした「黒い石像」が転がっていた。
赤い双剣を携えたブライト・ソードマンが、にたりと笑っている。
吊り上げた唇の端から尖った犬歯が覗いて見える。
笑った目玉でイーヴァンを睨んでいる。
「さっきも言ったろうよ、一匹相手に二人掛かりは不平等だ、ってな。
テメェもボロ屑だが、こっちも一人は怪我人だ。ちょうど員数合わせになる。
対等な喧嘩ができるってもンだ」
「あ」
血の気のないイーヴァンの顔が一層蒼白になった。
彼はしがみついて押さえていたクレールの脚を放した。立ち上がろうと藻掻いたが、膝が立たない。
よしんば、彼が立ち上がれたところで、彼が彼の愛する主を助けるのには、時間も力量も足りなかったろう。
ブライトは右手につかんだ赤い幅広の刀の形をした光の先端を、下半身しかない石像の臍下へ突き立てた。
そこには、どす黒い赤の円の文様が浮かんでいた。クレールに覆い被さってる【月】の上半身の、その額に浮かぶ赤い半球と同じ色形の円である。
折れた腕で体を支えることはできない。その折れた腕を庇うこともできなかった。
「くっ!」
それまでは感じていなかった痛みに、クレールが苦悶の声を上げた。
イーヴァンは、赤い光の剣を握る彼女の左腕を押さえ込んだ。
「ヨハンナ様っ! 早く!」
かれた声を絞り出すように、若者は叫んだ。
泥酔者の千鳥足に似た【月】足取りが、乱れながらも後退から前進に転じた。
【月】の上半身が、倒れているクレールのそれに重ねるように投げ出される。額の半球をクレールの額に打ち付けようとしている。
そのよどんだ赤の半球こそが【月】の本体だ。
死に損なった人間の魂の結晶――かつてヨハンナ・グラーヴであった者の怨念が取り込まれ、変じたものだ。
生きた人間の体に取り憑けば、美しく生まれ変われると信じる、死人の執念だ。
無機質な黒い顔が、クレールに迫った。赤い半球が彼女の額に重ねられようとした。
その時、嫌な音がした。
重い物が地面に倒れ込んで壊れる音だ。
音は、クレールが倒れ、イーヴァンが押さえつけ、【月】の上半身が倒れ込もうとしているその場所から、少し離れた場所から聞こえた。
クレールは音のした方へ顔を向けた。
イーヴァンもそちらを向いた。
【月】は動かなかった。
生きた人間たちの目には、椅子の残骸が散乱する空間に、男が立っているのが見えた。
彼は赤い剣を両手に一振ずつ持っている。
一振は男の肩に担われ、もう一振の切っ先が彼の足下を指していた。
赤い剣が指し示す先の古びた敷物の上には、女の下半身の形をした「黒い石像」が転がっていた。
赤い双剣を携えたブライト・ソードマンが、にたりと笑っている。
吊り上げた唇の端から尖った犬歯が覗いて見える。
笑った目玉でイーヴァンを睨んでいる。
「さっきも言ったろうよ、一匹相手に二人掛かりは不平等だ、ってな。
テメェもボロ屑だが、こっちも一人は怪我人だ。ちょうど員数合わせになる。
対等な喧嘩ができるってもンだ」
「あ」
血の気のないイーヴァンの顔が一層蒼白になった。
彼はしがみついて押さえていたクレールの脚を放した。立ち上がろうと藻掻いたが、膝が立たない。
よしんば、彼が立ち上がれたところで、彼が彼の愛する主を助けるのには、時間も力量も足りなかったろう。
ブライトは右手につかんだ赤い幅広の刀の形をした光の先端を、下半身しかない石像の臍下へ突き立てた。
そこには、どす黒い赤の円の文様が浮かんでいた。クレールに覆い被さってる【月】の上半身の、その額に浮かぶ赤い半球と同じ色形の円である。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
田舎農家の俺、拾ったトカゲが『始祖竜』だった件〜女神がくれたスキル【絶対飼育】で育てたら、魔王がコスメ欲しさに竜王が胃薬借りに通い詰めだした
月神世一
ファンタジー
「くそっ、魔王はまたトカゲの抜け殻を美容液にしようとしてるし、女神は酒のつまみばかり要求してくる! 俺はただ静かに農業がしたいだけなのに!」
ブラック企業で過労死した日本人、カイト。
彼の願いはただ一つ、「誰にも邪魔されない静かな場所で農業をすること」。
女神ルチアナからチートスキル【絶対飼育】を貰い、異世界マンルシア大陸の辺境で念願の農場を開いたカイトだったが、ある日、庭から虹色の卵を発掘してしまう。
孵化したのは、可愛らしいトカゲ……ではなく、神話の時代に世界を滅亡させた『始祖竜』の幼体だった!
しかし、カイトはスキル【絶対飼育】のおかげで、その破壊神を「ポチ」と名付けたペットとして完璧に飼い慣らしてしまう。
ポチのくしゃみ一発で、敵の軍勢は老衰で塵に!?
ポチの抜け殻は、魔王が喉から手が出るほど欲しがる究極の美容成分に!?
世界を滅ぼすほどの力を持つポチと、その魔素を浴びて育った規格外の農作物を求め、理知的で美人の魔王、疲労困憊の竜王、いい加減な女神が次々にカイトの家に押しかけてくる!
「世界の管理者」すら手が出せない最強の農場主、カイト。
これは、世界の運命と、美味しい野菜と、ペットの散歩に追われる、史上最も騒がしいスローライフ物語である!
クラス最底辺の俺、ステータス成長で資産も身長も筋力も伸びて逆転無双
四郎
ファンタジー
クラスで最底辺――。
「笑いもの」として過ごしてきた佐久間陽斗の人生は、ただの屈辱の連続だった。
教室では見下され、存在するだけで嘲笑の対象。
友達もなく、未来への希望もない。
そんな彼が、ある日を境にすべてを変えていく。
突如として芽生えた“成長システム”。
努力を積み重ねるたびに、陽斗のステータスは確実に伸びていく。
筋力、耐久、知力、魅力――そして、普通ならあり得ない「資産」までも。
昨日まで最底辺だったはずの少年が、今日には同級生を超え、やがて街でさえ無視できない存在へと変貌していく。
「なんであいつが……?」
「昨日まで笑いものだったはずだろ!」
周囲の態度は一変し、軽蔑から驚愕へ、やがて羨望と畏怖へ。
陽斗は努力と成長で、己の居場所を切り拓き、誰も予想できなかった逆転劇を現実にしていく。
だが、これはただのサクセスストーリーではない。
嫉妬、裏切り、友情、そして恋愛――。
陽斗の成長は、同級生や教師たちの思惑をも巻き込み、やがて学校という小さな舞台を飛び越え、社会そのものに波紋を広げていく。
「笑われ続けた俺が、全てを変える番だ。」
かつて底辺だった少年が掴むのは、力か、富か、それとも――。
最底辺から始まる、資産も未来も手にする逆転無双ストーリー。
物語は、まだ始まったばかりだ。
少し冷めた村人少年の冒険記
mizuno sei
ファンタジー
辺境の村に生まれた少年トーマ。実は日本でシステムエンジニアとして働き、過労死した三十前の男の生まれ変わりだった。
トーマの家は貧しい農家で、神から授かった能力も、村の人たちからは「はずれギフト」とさげすまれるわけの分からないものだった。
優しい家族のために、自分の食い扶持を減らそうと家を出る決心をしたトーマは、唯一無二の相棒、「心の声」である〈ナビ〉とともに、未知の世界へと旅立つのであった。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
酒好きおじさんの異世界酒造スローライフ
天野 恵
ファンタジー
酒井健一(51歳)は大の酒好きで、酒類マスターの称号を持ち世界各国を飛び回っていたほどの実力だった。
ある日、深酒して帰宅途中に事故に遭い、気がついたら異世界に転生していた。転移した際に一つの“スキル”を授かった。
そのスキルというのは【酒聖(しゅせい)】という名のスキル。
よくわからないスキルのせいで見捨てられてしまう。
そんな時、修道院シスターのアリアと出会う。
こうして、2人は異世界で仲間と出会い、お酒作りや飲み歩きスローライフが始まる。
拾われ子のスイ
蒼居 夜燈
ファンタジー
【第18回ファンタジー小説大賞 奨励賞】
記憶にあるのは、自分を見下ろす紅い眼の男と、母親の「出ていきなさい」という怒声。
幼いスイは故郷から遠く離れた西大陸の果てに、ドラゴンと共に墜落した。
老夫婦に拾われたスイは墜落から七年後、二人の逝去をきっかけに養祖父と同じハンターとして生きていく為に旅に出る。
――紅い眼の男は誰なのか、母は自分を本当に捨てたのか。
スイは、故郷を探す事を決める。真実を知る為に。
出会いと別れを繰り返し、命懸けの戦いを繰り返し、喜びと悲しみを繰り返す。
清濁が混在する世界に、スイは何を見て何を思い、何を選ぶのか。
これは、ひとりの少女が世界と己を知りながら成長していく物語。
※週2回(木・日)更新。
※誤字脱字報告に関しては感想とは異なる為、修正が済み次第削除致します。ご容赦ください。
※カクヨム様にて先行公開(登場人物紹介はアルファポリス様でのみ掲載)
※表紙画像、その他キャラクターのイメージ画像はAIイラストアプリで作成したものです。再現不足で色彩の一部が作中描写とは異なります。
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる