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数日後。
私たちは、怒涛の勢いで開店準備を進めていた。
お父様からの潤沢な資金(という名の親バカ支援金)と、ガナッシュ様が置いていった金貨のおかげで、調理器具も食材も最高級のものが揃った。
屋敷のサンルームを改装したカフェスペースは、白を基調とした清潔感あふれる空間に生まれ変わっている。
店名は『シュガー・ドリーム』。
私の夢をそのまま形にした、甘い甘い夢の城だ。
「……本当に、来るのでしょうか」
開店初日。
看板を掲げたものの、森の奥深くにあるこの店に客が来る保証はない。
侍女のマリィが不安そうに窓の外を覗いている。
「あんな強面の方が、こんな可愛らしいお店に……。やっぱり、先日のことは夢だったのでは?」
「来るわよ」
私は厨房で、真っ白な生クリームを泡立てながら断言した。
「あの目。あの食い意地。彼は本物(ガチ勢)よ。一度知ってしまった蜜の味を忘れられるはずがないわ」
私の読みは正しかった。
カランコロン♪
可愛らしいドアベルの音が鳴り響く。
「た、頼もう!」
野太い声と共に現れたのは、先日森で会ったガナッシュ様だった。
ただし、今日は軽装ではなく、正装の騎士団服に身を包んでいる。
黒地に金の刺繍が入った軍服、腰には儀礼用の剣、肩には猛禽類の羽根をあしらったマント。
どう見ても「カフェに来た客」ではない。
「敵将の首を取りに来た将軍」だ。
「ヒッ……!」
ホール係を担当する使用人の少年が、あまりの威圧感に後ずさりする。
私はボウルを置き、エプロンの手を拭きながらホールへと出た。
「いらっしゃいませ、ガナッシュ様。お待ちしておりましたわ」
「う、うむ……」
ガナッシュ様は、私の姿を見るとバツが悪そうに視線を逸らした。
その頬がわずかに赤いのは、ここが「乙女チックな空間」すぎるからだろうか。
あるいは、自分が場違いな巨大生物だと自覚しているからだろうか。
「お、男一人でも……構わないだろうか」
「もちろんです。甘いものを愛する心に、性別も身分も関係ありませんわ。さあ、お好きな席へどうぞ」
私は窓際の一等席へと案内した。
ガナッシュ様は、恐る恐る椅子に座る。
ミシッ……。
華奢な白塗りの椅子が、悲鳴を上げた。
「(椅子! 頑張って! 耐えて!)」
マリィが祈るように見つめる中、なんとか椅子は持ちこたえたようだ。
「ご注文はいかがなさいますか?」
私がメニュー表(手書き)を渡すと、ガナッシュ様は眉間に深い皺を寄せて悩み始めた。
その表情は、作戦地図を前にした指揮官そのものだ。
「……ふむ。どれも魅力的だが……やはり、貴殿の自信作を頼みたい」
「かしこまりました。では、当店自慢の『王道ショートケーキ』と、それに合う紅茶をご用意いたしますね」
私は厨房へと戻り、仕上げに取り掛かった。
スポンジは、前日から寝かせてしっとりとさせたジェノワーズ。
クリームは、コクのある乳脂肪分四十七パーセントと、軽やかな三十五パーセントをブレンドした特製シャンティ。
そして、トップには艶やかな真っ赤なイチゴを一粒。
「完成よ……」
皿の上で輝くその姿は、まさにケーキの女王。
私はトレイに乗せ、ガナッシュ様の元へと運んだ。
「お待たせいたしました。季節のショートケーキでございます」
コトッ。
テーブルに置かれた瞬間、ガナッシュ様の目が釘付けになった。
「これが……ショート、ケーキ……」
彼はまるで、伝説の聖剣でも見るかのような目でケーキを見つめている。
「美しい……。雪原に咲く一輪の薔薇のようだ」
詩人か。
見た目とのギャップが凄まじい。
「どうぞ、冷たいうちに」
「う、うむ。いただく」
ガナッシュ様はフォークを手に取った。
その太い指には似つかわしくないほど小さな銀のフォークが、震えている。
彼はまず、ケーキの側面、クリームの壁をそっと削り取った。
そして口に運ぶ。
「……ッ!」
ガナッシュ様の動きが止まった。
閉じた瞳から、何かが溢れ出しそうになっている。
「(どう!? 美味しい!? それとも甘すぎた!?)」
私が固唾を呑んで見守っていると、彼は深く息を吐き出した。
「……溶けた」
「はい?」
「口に入れた瞬間、クリームが雪のように溶けて消えた……。だが、濃厚なミルクの香りが確かに残っている。……これは、魔法か?」
「いいえ、乳化です」
私は即答した。
「素晴らしい……。では、スポンジと共に……」
彼は次に、スポンジとクリーム、そしてサンドされたイチゴのスライスを一度にすくった。
パクッ。
モグモグ……。
その咀嚼音が、店内に響く。
強面で、歴戦の猛者で、騎士団長。
そんな男が、小首を傾げ、幸せそうに目を細めてケーキを味わっている。
その顔には、一切の険しさがない。
ただただ、純粋な「喜び」だけが浮かんでいた。
「ふふっ」
私は思わず笑みを漏らした。
「む? な、何かおかしかっただろうか」
ガナッシュ様がハッとして我に返る。
「いいえ。とても美味しそうに召し上がってくださるので、作り手として嬉しくなってしまいまして」
「そ、そうか……。いや、不敬な姿を見せた。貴殿の腕があまりに見事なもので、つい……」
彼は咳払いをし、再びケーキに向き合った。
そこで、私はあることに気がついた。
(……イチゴ)
ケーキの頂点に鎮座する、あの一粒のイチゴ。
彼は周囲を慎重に食べ進めているが、あのイチゴだけには手を付けていないのだ。
まるで、不可侵領域のように。
「(もしかして、嫌いなのかしら?)」
いや、サンドされたイチゴは食べていた。
ということは……。
「(好きなものは、最後に残しておくタイプ……!)」
可愛い。
身長二メートルの大男が、ショートケーキのイチゴをいつ食べるか真剣に悩みながらフォークを進めているのだ。
可愛すぎる。
私はカウンターの中から、その様子を観察し続けた。
ガナッシュ様は、ケーキが残り三分の一になったところで、ついに決断を下したようだ。
フォークをイチゴに伸ばす。
しかし、そのまま口に入れるのではなく、一度皿の端に避難させた。
そして、残りのケーキを完食し、口の中をクリームの甘さで満たす。
最後に、そのイチゴを――。
パクッ。
甘酸っぱい果汁が、クリームの余韻と混ざり合う。
彼の顔が、今日一番の「とろけ顔」になった。
「……幸福だ」
彼がぼそりと呟いたその言葉は、私の胸に深く突き刺さった。
ドクン。
心臓が跳ねる。
「(な、何かしら、この気持ち……)」
私が作ったお菓子で、誰かがこんなにも幸せそうな顔をしてくれる。
しかも、相手はあの恐ろしい騎士団長。
そのギャップ。
その純粋さ。
「(……いい食べっぷり。好き!)」
もちろん、それは異性としてではなく、「優良顧客(上客)」としての「好き」だ。
私の中で、ガナッシュ様は「カモ」から「VIP」へと昇格した。
「ごちそうさまでした」
綺麗に平らげた皿を前に、ガナッシュ様が丁寧に頭を下げる。
「大変美味しかったです。……これで、戦場での疲れも癒やされました」
「戦場……? お仕事、大変なのですか?」
私が水を注ぎ足しながら尋ねると、彼は少し寂しげに笑った。
「ああ。魔獣討伐もあるが……一番の敵は、王宮内の人間関係だ」
「人間関係?」
「腹の探り合い、足の引っ張り合い、派閥争い……。剣で斬れない敵ほど、厄介なものはない」
彼の言葉に、私は深く頷いた。
「わかります。私も、つい先日までそちらの世界におりましたから」
「……そうだったな。貴女は、ショコラ公爵の……」
彼は何かを言いかけて、止めた。
私の過去や、婚約破棄の事情を詮索するのは無粋だと思ったのだろう。
その気遣いが、心地よかった。
「ここでは、そんな面倒なことは忘れてください。ここにあるのは、甘いお菓子と温かい紅茶だけです」
「……ああ。そうさせて貰おう」
ガナッシュ様は立ち上がり、またしても金貨を一枚置いた。
「お釣りはいりません」
「ですから多すぎますってば!」
「いいや、これは『次回の予約料』だ」
彼はニヤリと笑った。
その笑顔は、先ほどの「とろけ顔」とはまた違う、男らしい野性味に溢れていた。
「また来る。……次は、チョコレートを使った菓子を所望したい」
「ええ、喜んで。貴方のお名前にちなんだ、とびきり濃厚なガトーショコラをご用意しておきますわ」
「楽しみにしている」
マントを翻し、店を出ていく背中。
その足取りは、来た時よりも心なしか軽く見えた。
「……行ったわね」
「行きましたね……」
マリィが、へなへなと座り込む。
「怖かったですけど……でも、悪い方ではなさそうですね」
「ええ。味のわかる男に、悪い人はいないわ」
私は空になった皿を回収し、洗い場へと向かった。
皿に残ったわずかなクリームの跡さえも、私にとっては勲章のように見えた。
「よし、次はチョコね。カカオ分七十パーセントのビターチョコを使って、甘さを抑えつつも香りを立たせて……」
私が早くも次の構想を練り始めた、その時だ。
店の外から、馬蹄の音が聞こえてきた。
それも、一頭や二頭ではない。
多数の馬が、こちらに向かってくる音だ。
「……何?」
まさか、ガナッシュ様がおかわりに戻ってきたわけではないだろう。
私は窓から外を覗いた。
そこにいたのは、王家の紋章が入った豪華な馬車と、それを護衛する近衛騎士たちだった。
「げっ」
私は思わず声を上げた。
馬車の扉が開き、降りてきたのは――。
キラキラとした金髪をなびかせた、見覚えのある「残念な男」。
アレクサンドル王子だった。
「ス、スイート! どこだ、スイート!」
王子の叫び声が、静かな森に響き渡る。
せっかくの「お菓子の城」に、招かれざる客がやってきたようだ。
私はゴムベラを強く握りしめた。
「……営業妨害よ、帰れ」
私の低い声は、誰にも届かなかった。
私たちは、怒涛の勢いで開店準備を進めていた。
お父様からの潤沢な資金(という名の親バカ支援金)と、ガナッシュ様が置いていった金貨のおかげで、調理器具も食材も最高級のものが揃った。
屋敷のサンルームを改装したカフェスペースは、白を基調とした清潔感あふれる空間に生まれ変わっている。
店名は『シュガー・ドリーム』。
私の夢をそのまま形にした、甘い甘い夢の城だ。
「……本当に、来るのでしょうか」
開店初日。
看板を掲げたものの、森の奥深くにあるこの店に客が来る保証はない。
侍女のマリィが不安そうに窓の外を覗いている。
「あんな強面の方が、こんな可愛らしいお店に……。やっぱり、先日のことは夢だったのでは?」
「来るわよ」
私は厨房で、真っ白な生クリームを泡立てながら断言した。
「あの目。あの食い意地。彼は本物(ガチ勢)よ。一度知ってしまった蜜の味を忘れられるはずがないわ」
私の読みは正しかった。
カランコロン♪
可愛らしいドアベルの音が鳴り響く。
「た、頼もう!」
野太い声と共に現れたのは、先日森で会ったガナッシュ様だった。
ただし、今日は軽装ではなく、正装の騎士団服に身を包んでいる。
黒地に金の刺繍が入った軍服、腰には儀礼用の剣、肩には猛禽類の羽根をあしらったマント。
どう見ても「カフェに来た客」ではない。
「敵将の首を取りに来た将軍」だ。
「ヒッ……!」
ホール係を担当する使用人の少年が、あまりの威圧感に後ずさりする。
私はボウルを置き、エプロンの手を拭きながらホールへと出た。
「いらっしゃいませ、ガナッシュ様。お待ちしておりましたわ」
「う、うむ……」
ガナッシュ様は、私の姿を見るとバツが悪そうに視線を逸らした。
その頬がわずかに赤いのは、ここが「乙女チックな空間」すぎるからだろうか。
あるいは、自分が場違いな巨大生物だと自覚しているからだろうか。
「お、男一人でも……構わないだろうか」
「もちろんです。甘いものを愛する心に、性別も身分も関係ありませんわ。さあ、お好きな席へどうぞ」
私は窓際の一等席へと案内した。
ガナッシュ様は、恐る恐る椅子に座る。
ミシッ……。
華奢な白塗りの椅子が、悲鳴を上げた。
「(椅子! 頑張って! 耐えて!)」
マリィが祈るように見つめる中、なんとか椅子は持ちこたえたようだ。
「ご注文はいかがなさいますか?」
私がメニュー表(手書き)を渡すと、ガナッシュ様は眉間に深い皺を寄せて悩み始めた。
その表情は、作戦地図を前にした指揮官そのものだ。
「……ふむ。どれも魅力的だが……やはり、貴殿の自信作を頼みたい」
「かしこまりました。では、当店自慢の『王道ショートケーキ』と、それに合う紅茶をご用意いたしますね」
私は厨房へと戻り、仕上げに取り掛かった。
スポンジは、前日から寝かせてしっとりとさせたジェノワーズ。
クリームは、コクのある乳脂肪分四十七パーセントと、軽やかな三十五パーセントをブレンドした特製シャンティ。
そして、トップには艶やかな真っ赤なイチゴを一粒。
「完成よ……」
皿の上で輝くその姿は、まさにケーキの女王。
私はトレイに乗せ、ガナッシュ様の元へと運んだ。
「お待たせいたしました。季節のショートケーキでございます」
コトッ。
テーブルに置かれた瞬間、ガナッシュ様の目が釘付けになった。
「これが……ショート、ケーキ……」
彼はまるで、伝説の聖剣でも見るかのような目でケーキを見つめている。
「美しい……。雪原に咲く一輪の薔薇のようだ」
詩人か。
見た目とのギャップが凄まじい。
「どうぞ、冷たいうちに」
「う、うむ。いただく」
ガナッシュ様はフォークを手に取った。
その太い指には似つかわしくないほど小さな銀のフォークが、震えている。
彼はまず、ケーキの側面、クリームの壁をそっと削り取った。
そして口に運ぶ。
「……ッ!」
ガナッシュ様の動きが止まった。
閉じた瞳から、何かが溢れ出しそうになっている。
「(どう!? 美味しい!? それとも甘すぎた!?)」
私が固唾を呑んで見守っていると、彼は深く息を吐き出した。
「……溶けた」
「はい?」
「口に入れた瞬間、クリームが雪のように溶けて消えた……。だが、濃厚なミルクの香りが確かに残っている。……これは、魔法か?」
「いいえ、乳化です」
私は即答した。
「素晴らしい……。では、スポンジと共に……」
彼は次に、スポンジとクリーム、そしてサンドされたイチゴのスライスを一度にすくった。
パクッ。
モグモグ……。
その咀嚼音が、店内に響く。
強面で、歴戦の猛者で、騎士団長。
そんな男が、小首を傾げ、幸せそうに目を細めてケーキを味わっている。
その顔には、一切の険しさがない。
ただただ、純粋な「喜び」だけが浮かんでいた。
「ふふっ」
私は思わず笑みを漏らした。
「む? な、何かおかしかっただろうか」
ガナッシュ様がハッとして我に返る。
「いいえ。とても美味しそうに召し上がってくださるので、作り手として嬉しくなってしまいまして」
「そ、そうか……。いや、不敬な姿を見せた。貴殿の腕があまりに見事なもので、つい……」
彼は咳払いをし、再びケーキに向き合った。
そこで、私はあることに気がついた。
(……イチゴ)
ケーキの頂点に鎮座する、あの一粒のイチゴ。
彼は周囲を慎重に食べ進めているが、あのイチゴだけには手を付けていないのだ。
まるで、不可侵領域のように。
「(もしかして、嫌いなのかしら?)」
いや、サンドされたイチゴは食べていた。
ということは……。
「(好きなものは、最後に残しておくタイプ……!)」
可愛い。
身長二メートルの大男が、ショートケーキのイチゴをいつ食べるか真剣に悩みながらフォークを進めているのだ。
可愛すぎる。
私はカウンターの中から、その様子を観察し続けた。
ガナッシュ様は、ケーキが残り三分の一になったところで、ついに決断を下したようだ。
フォークをイチゴに伸ばす。
しかし、そのまま口に入れるのではなく、一度皿の端に避難させた。
そして、残りのケーキを完食し、口の中をクリームの甘さで満たす。
最後に、そのイチゴを――。
パクッ。
甘酸っぱい果汁が、クリームの余韻と混ざり合う。
彼の顔が、今日一番の「とろけ顔」になった。
「……幸福だ」
彼がぼそりと呟いたその言葉は、私の胸に深く突き刺さった。
ドクン。
心臓が跳ねる。
「(な、何かしら、この気持ち……)」
私が作ったお菓子で、誰かがこんなにも幸せそうな顔をしてくれる。
しかも、相手はあの恐ろしい騎士団長。
そのギャップ。
その純粋さ。
「(……いい食べっぷり。好き!)」
もちろん、それは異性としてではなく、「優良顧客(上客)」としての「好き」だ。
私の中で、ガナッシュ様は「カモ」から「VIP」へと昇格した。
「ごちそうさまでした」
綺麗に平らげた皿を前に、ガナッシュ様が丁寧に頭を下げる。
「大変美味しかったです。……これで、戦場での疲れも癒やされました」
「戦場……? お仕事、大変なのですか?」
私が水を注ぎ足しながら尋ねると、彼は少し寂しげに笑った。
「ああ。魔獣討伐もあるが……一番の敵は、王宮内の人間関係だ」
「人間関係?」
「腹の探り合い、足の引っ張り合い、派閥争い……。剣で斬れない敵ほど、厄介なものはない」
彼の言葉に、私は深く頷いた。
「わかります。私も、つい先日までそちらの世界におりましたから」
「……そうだったな。貴女は、ショコラ公爵の……」
彼は何かを言いかけて、止めた。
私の過去や、婚約破棄の事情を詮索するのは無粋だと思ったのだろう。
その気遣いが、心地よかった。
「ここでは、そんな面倒なことは忘れてください。ここにあるのは、甘いお菓子と温かい紅茶だけです」
「……ああ。そうさせて貰おう」
ガナッシュ様は立ち上がり、またしても金貨を一枚置いた。
「お釣りはいりません」
「ですから多すぎますってば!」
「いいや、これは『次回の予約料』だ」
彼はニヤリと笑った。
その笑顔は、先ほどの「とろけ顔」とはまた違う、男らしい野性味に溢れていた。
「また来る。……次は、チョコレートを使った菓子を所望したい」
「ええ、喜んで。貴方のお名前にちなんだ、とびきり濃厚なガトーショコラをご用意しておきますわ」
「楽しみにしている」
マントを翻し、店を出ていく背中。
その足取りは、来た時よりも心なしか軽く見えた。
「……行ったわね」
「行きましたね……」
マリィが、へなへなと座り込む。
「怖かったですけど……でも、悪い方ではなさそうですね」
「ええ。味のわかる男に、悪い人はいないわ」
私は空になった皿を回収し、洗い場へと向かった。
皿に残ったわずかなクリームの跡さえも、私にとっては勲章のように見えた。
「よし、次はチョコね。カカオ分七十パーセントのビターチョコを使って、甘さを抑えつつも香りを立たせて……」
私が早くも次の構想を練り始めた、その時だ。
店の外から、馬蹄の音が聞こえてきた。
それも、一頭や二頭ではない。
多数の馬が、こちらに向かってくる音だ。
「……何?」
まさか、ガナッシュ様がおかわりに戻ってきたわけではないだろう。
私は窓から外を覗いた。
そこにいたのは、王家の紋章が入った豪華な馬車と、それを護衛する近衛騎士たちだった。
「げっ」
私は思わず声を上げた。
馬車の扉が開き、降りてきたのは――。
キラキラとした金髪をなびかせた、見覚えのある「残念な男」。
アレクサンドル王子だった。
「ス、スイート! どこだ、スイート!」
王子の叫び声が、静かな森に響き渡る。
せっかくの「お菓子の城」に、招かれざる客がやってきたようだ。
私はゴムベラを強く握りしめた。
「……営業妨害よ、帰れ」
私の低い声は、誰にも届かなかった。
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